気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

向日葵の眼

2006-08-19 00:36:18 | つれづれ
生きの緒のすさまじきかな群れ咲ける向日葵の眼にわれはたぢろぐ

正しいと思はぬ言葉に頷けば心はるばる遠流のごとし

また一つ灯りの消えしマンションの部屋は闇にて闇にあらずや

くづれたるものの嵩とはこれほどか牡丹のはなびら両手にあまる

いつも正しいことばかり言ふ人とゐてわたしは含羞草のやうなり

(山本枝里子 向日葵の眼 雁書館)

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歌集の題名になった『向日葵の眼』は、一首目から取られたらしい。生命力の強い向日葵に見つめられるように思う作者の感性を私は理解できる。この歌集を読んで、思い出したのが道浦母都子のこの歌。「うたは慰藉 うたは解放 うたは願望(ゆめ) 寂しこの世にうたよむことも」道浦母都子・夕駅

短歌を作るとき、どんな言葉を選ぶか、どんなリズムにするか・・・考えるときの間合いに個性があらわれる。一番言いたいことを言わずに、ひと呼吸置くと言うのは、こういうことかな・・・なかなか出来ないけれど。