気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2005-08-29 21:28:28 | 朝日歌壇
上司、部下、クレームの客、友、妻子ごちゃまぜに棲むこの携帯に
(和泉市 長尾幹也)

産み月のわれにしあれば満月も梨も葡萄もよりまるく見ゆ
(高槻市 有田里絵)

しゃぼん玉消えてみどり子しばらくはなにもない空もてあましおり
(東京都府中市 東恵理)

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一首目。もう携帯と言えば携帯電話のことになって定着した感じがある。その携帯の中に、持ち主の関係者が脈絡もなく棲んでいるという不気味な風景。棲むという字が、凄みを出している。

二首目。出産を意識していると何もかも丸く見えるのかもしれない。丸いものが、満月→梨→葡萄とあとへ行くほど実は丸くなくなっていくのが面白く、作者の工夫を感じた。

三首目。みどり子は三歳くらいまでの幼児ということなので、そんな幼い子がしゃぼん玉を見失ったあとの空を見ていると読むのが順当だろう。作者には失礼な曲解だが、しゃぼん玉=みどり子とも読める。子供の居なくなったあとの空は、もてあまして見上げるものである。
なんとなく、二首目と三首目を関連づけて読んでしまった。

銀杏を拾ひに行つて帰らないおまへの部屋に空気を通す
(近藤かすみ)