Mi Aire

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ベルリンの壁がなくなった日

2009-11-09 23:59:44 | Weblog
今から20年前の1989年の、丁度今日11月9日にベルリンの壁は崩壊した。
その年、私は5月にスペインのマラガに短期語学留学をしていた。

5つ年上の兄は学生時代、ドイツに傾倒していた。
ドイツ語を勉強し、ドイツの文化や歴史やドイツ語のオペラや、様々なものに興味を抱き、そんな兄の影響を色濃く受けていた私もドイツに興味を持ち、そしてベルリンの壁の存在にもとても興味を持っていたのだ。

兄が結婚してそばにいなくなってから、私は自らが求める道へ軌道修正する。
私が誰の影響でもなく本当に求めていたのはスペインだった。
もともとクラシックギターを習っていたのでスペインには興味があったし、24歳でスペイン語を学び始め、87年には初めてスペインを旅した。
でももっともっとスペインを知りたい。そして89年に2回目のスペインに出かけ、短期留学をすることになった。

スペインに憧れて行ったのに、最初に友達になったのは皮肉にも(?)ドイツ人ばかり。
スペイン語のクラスにスペイン人はいない。先生だけだ。
だから学校でできるのはスペイン人以外の外国人の友達だ。
私のいたクラスは10人中6人がドイツ人だったから、ドイツ人の友達がたくさんできた。

帰国してから手紙を書くときに綴る国名は当時「WEST GERMANY」だった。
西ドイツ・・・。
今20歳の若者達は西ドイツと東ドイツがあったことなど教科書でしか知らないのかもしれない。
でもこの年の秋に民衆の積年の自由への願いと想いは、大きなうねりとなってベルリンの壁を崩壊へと導いたのだ。
この頃の新聞の切り抜きは今でも部屋のどこかにしまってあると思う。
マラガでドイツ人と友達にならなかったら、遠い国の出来事でしかなかったベルリンの壁の崩壊は、私の中ではとてもリアルに感じられたのだ。
「壁の崩壊後、旧東ドイツに住んでいる親戚と初めて一緒に食事をした。」と、ドイツから届いた友人の手紙に綴られていて、何だか私まで胸が熱くなったのを覚えている。

翌年1990年。再び4月にマラガに渡り、短期留学2回目を果たした。
この時、前の年に同じクラスだったドイツ人の友人に再会した。
あの、東ドイツの親戚と食事をしたという彼だ。彼のご両親は旧東ドイツの出身だったのだと初めて知った。
そして新しいドイツ人の友達もできた。彼らが手帖に書いてくれた住所の国名はただ「GERMANY」で、もうWESTもEASTもなかった。ドイツはひとつになったのだ。

赤坂にあった東ドイツ大使館もなくなって、広尾の西ドイツ大使館がドイツ大使館になった。
時代が大きく変わっていく瞬間の1ページ。
ベルリンの壁の崩壊は私の記憶の中にとても鮮やかに焼き付けられている。

今日は丁度壁がなくなって20年目の記念日。
あれから急激に世界地図は変貌を遂げた。
それでも世界は本当に平和になったのだろうか?

同じ民族が二度と二つに引き裂かれることのないように願わずにはいられない。

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