今日は早朝に『資本論』第一巻第23章を読み、午後からは『経済学・哲学草稿』を読む。
「生産は人間を、一つの商品、人間商品、商品という規定における人間として生産するばかりでなく、この規定に対応して、生産は人間を、精神的にも肉体的にも間化された存在として生産する。」(p.109)
今日は早朝に『資本論』第一巻第23章を読み、午後からは『経済学・哲学草稿』を読む。
「生産は人間を、一つの商品、人間商品、商品という規定における人間として生産するばかりでなく、この規定に対応して、生産は人間を、精神的にも肉体的にも間化された存在として生産する。」(p.109)
『葉隠』は三島由紀夫が好んで読んだ書物としても知られている。自分は三島の『葉隠入門』ではなく、中公の「日本の名著」で初めてこの作品に触れた。
とかく右派的なイメージの濃い書物ではあるが、読んでみれば右とか左とかの些細なことはすぐに吹き飛ぶだろう。そして、開くたびにいつも自分がリセットされたような気持ちになる。
「毎朝死んでおけ」これは自分がいつも反芻している一文である。マルクス主義者であっても『葉隠』を読むのである。
マルクス経済学のテキストになる経済原論の本は意外に少ない。自分が持っているのは宇野弘蔵、日高普と鈴木鴻一郎の3冊。宇野原論は岩波文庫にも入っていて、もっとも多くの人が読むに違いない。
他の2冊は入手困難な本で、僕はいずれも古書店から購入した。鈴木原論(原理論)はまだ未読。日高原論は注で他の2原論についての言及があるため、3人の考え方の違いが比較できる。マルクス経済学は論争が多いが、そこがまた面白い点でもあるね。
『資本論』は全3巻でその中の篇の数はトータルで17。その中で一番読みずらいのが「利子生み資本」。中でも第33章から35章までは引用も多く、何が言いたいのかがつかめない。解説本もこの部分の説明はすごく短い。
抜き書きでも、第一巻のような労働者の悲惨な現状ならともかく、手形引き受けや準備金の話が続くと眠気に襲われる。今日みたいな暑い日は特に。