今日は自宅で『資本論』がほとんど読めなかった。移動が多く、打ち合わせが入っていて気ぜわしい日だった。移動中の電車では岩波文庫の第9章「一般的利潤率…」を開いたけど、いろんなことが気になって少しも進まない。
時間はあるのに同じページを何度も読むという有様だつた。まあ、たまにはこんな日もあるかな。
今日は自宅で『資本論』がほとんど読めなかった。移動が多く、打ち合わせが入っていて気ぜわしい日だった。移動中の電車では岩波文庫の第9章「一般的利潤率…」を開いたけど、いろんなことが気になって少しも進まない。
時間はあるのに同じページを何度も読むという有様だつた。まあ、たまにはこんな日もあるかな。
『資本論』はいま第一巻は大月書店の文庫本を読んでいる。この文庫には「国民文庫」という名がついていて、第3分冊は国民文庫25と記されている。この国民文庫、残っているのは『資本論』だけで、他はすべて絶版になって古書店かフリマでしか買えない。
僕の大学時代には生協の書店にたくさんの国民文庫が並んでいて、当時はレーニンの『帝国主義論』や『貧農に訴える』などを買って読んだ。国民文庫はマルクス主義文献の宝庫でもあった。今は昔。
今日は第一巻第21章「単純再生産」の残りから。
「ローマの奴隷は鎖によって、賃金労働者は見えない糸によって、その所有者につながれている。賃金労働者の独立という外観は、個々の雇い主が絶えず替わることによって、また契約という擬制によって、維持されるのである」(p.120)
これは現代にも当てはまるね。糸は切れやすいから「見えない鎖」のほうが妥当かもしれない。
現在『資本論』は第一巻と第三巻を同時に読んでいる。第三巻は第五篇の「利子生み資本」に入っているが、ここは『資本論』のなかでも一番読みにくく、わかりにくくい。
マルクスが残した下書きや断片のようなものをエンゲルスが苦労して編集したこともあって、もっとも読む気の失せるところ。今日の「貨幣資本と現実資本III」のところも結局字面を負っただけ。
憲法の基本書といえば、昔は清宮・宮沢、その後は佐藤幸治を使う人が多かったが、今はこの芦部憲法を読む人が多い。佐藤憲法は読むのに骨が折れるが、本書ははじめて憲法を学ぶ人も読みやすいのが特長。
著者がなくなったあとも高橋和之氏が補訂し、新しい判例も加えて版を重ねている。この本はすべての国民が読むべき、いわば国民課題図書だと思う。憲法の条文や基本原理すら知らずに改正論議などもってのほか。