心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

波多野哲朗監督「サルサとチャンプルー Cuba/Okinawa」

2010-05-25 06:26:36 | いろいろ
波多野哲朗監督「サルサとチャンプルー Cuba/Okinawa」の自主上映会があった。

10数年前に訪れたキューバの風景が懐かしかった。
馬車が走る道路、
乾ききって痩せた農地、
中南米に共通した色彩豊かなコンクリートの街並み
教会の前の広場・・・
歌声のある人ごみ、
長く連結したトラックのようなバス
50年代のアメ車が走り、
波が突堤を越えてくるハバナの海岸通・・・
そしてニコニコした人々の笑顔。

この映画は、移民を映像で7年間追いかけて、辺境に生きる人が交じり合って(=サルサもチャンプルも混ざるという意味がある)元気に生きているということを描こうとしている(監督談)、ということらしい。
そして、監督自身が、一人称で語りをしている。
監督は1936年生まれの、かつて大学で映像論やメディア論の教職にいた人。

気になったこと;
・ なぜ場所がキューバなのか、なぜテーマが移民なのか? 監督個人との関係は?一人称で語るなら表現してほしかった。
・ なぜいろいろ移民がいる中でキューバ移民を選んだのか?厳しい移民生活というなら、たとえばドミニカ共和国の移民には開墾不可能な岩山への入植を押し付けられて日本政府相手にはじめて訴訟を起こして補償を勝ち取った人々がいるし、「蒼茫」に描かれたアマゾン河口入植地の悲劇もあるし、ほかにも。
・ 島へ出航を待つ待合室のシーンで、「スペイン語がわからないから何が起こっているのかわからない」という解説があった。インタビューには通訳をつけて映画作成しているんだから、映像として採用するときには意味を視聴者に伝わるようにしてほしいと思った。旅の間に、映像を撮っていただけなの?
・ そのシーンには、障がい者に見える人がギターを弾いて歌って、お金を稼いでいるように見えた。松島のシーンでも。辺境を語りつつ、障がい者に何の言及もなかったのはナゼ?
・ 語りの口から「貧しい」と何度も繰り返されたけど、現地的にはそうでもない暮らしだと思った。日本の豊穣な物質社会を前提に語るのはエスノセントリズムではないか?異文化状況にもっと配慮があってよいのではないか。地球上の8割を占める多数派の人々は開発途上国に生きているのに。
・ 長く異国で生活する移民家族を訪問するとき、監督は日本から何を手土産にしたのだろうと思った。「古い文芸春秋や中央公論を読んでいる」と答えていたので。
・ 「交じり合う」という意味では、スペインやポルトガルの中南米の植民地支配が混血を繰り返してなされていったことが有名だ。日本移民の「交じり合い」は、80年に過ぎないのに。そこでは「交じり合うことによって元気に生きる」ということは起こっているのだろうか?
・ 高齢になって老人施設で生きるオジサンが、収容体験も開拓体験も何事もポジティブに評価するのがフシギに見えた。映像上、この人を焦点に「元気さ」を表現しているように感じた。ぼくの会ったことのある移民一世たちとは違いすぎるありようで、個人要因であると思う!また、なぜ独り身で過ごすことになったんだろうか?
・ 戦歌や、日本人であること、戦時中の収容体験などを移民たちは例によって口にしている。監督はそれにはどのような評価をして聞いていたのか、肯定しているのか否定しているのか、よく伝わらなかった。
・ キューバ移民には沖縄出身者以外もいるのではないか?沖縄とキューバとのつながりが音楽を含めてあっていいが、他の地域とのつながりはないのだろうか?
・ 監督はパンフにおいて「ディアスポラとしてのキューバ移民」と述べている。でもぼくは日本の移民政策全体が棄民政策だったと理解しているけれども。彼ら自身は、出稼ぎ感覚だったのであり、(下の注に従えば)「永住と定着」を意図していたとは思えない。ここは監督も認めているのではないか?映像と文章、ディアスポラという表現に矛盾を感じる。

ちなみに、この言葉は近年、アフリカ開発の主力となっている、アフリカ出身で先進国で高等教育を受け職業に就いた経験を持って祖国に戻ってきて起業している人々を指す場合もある。
注; ディアスポラ(διασπορά、英:Diaspora, diaspora)とは、(植物の種などの)「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉で、元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ、またはそのように離散すること自体を指す。難民とディアスポラの違いは、前者が元の居住地に帰還する可能性を含んでいるのに対し、後者は離散先での永住と定着を示唆している点にある。歴史的な由来から、英単語としては、民族等を指定せず大文字から単に Diaspora と書く場合は特にパレスチナの外で離散して暮らすユダヤ人集団のことを指し、小文字から diaspora と書く場合は他の国民や民族を含めた一般の離散定住集団を意味する。よく知られる例ではギリシャ人、フェニキア人、アルメニア人、華人などの本国外に居住する該当集団をディアスポラと呼ぶことがある。また、近代奴隷制によって新大陸に連れてこられたアフリカ人の子孫に用いられることもある。最近では、混乱によって国外に亡命したツチ族ルワンダ人や、ソマリアを逃れたソマリ人集団などについても用いられることがある。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「針小棒大」・・・そういう印象を持った。旅しただけじゃないの・・・
この映画にいろいろ連想が引き起こされた、酷評になってしまってゴメン・・・
でも、惹きつけられた映画であることは事実。


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