「癌ってなに?」~癌と家族の記憶~

母が癌になりました。
癌など縁がないと思っていた日常が、全くひっかりかえりました since 2005/3/12~

子宮全摘出

2005-03-20 23:36:15 | 子宮全摘出
1月31日 11時過ぎに自宅をでて麻酔前に母に会いに行く。

12時前に病院に到着、無事病室にて 母と面会

私「きたよー」っといってカーテンを開ける
そこには 乳をだして麻酔している母がいた。
看護士さん 麻酔してるなら してるっていって!
廊下からも 乳丸出しの母がみえてしまうではないか!!

って ことで 急いでカーテンをしめて、母と一言二言話しているうちに
母は手術室に連行されていった。

私「いってらっしゃーい!がんばって切腹してきてねー!!」
母「人ごとだとおもってー!!!」
っと 叫びながら ベットごとつれていかれた。

 昼がすぎ、下の売店で弁当をかって病室のテレビをみてくつろぐ、、

 それにしても 5時間かかるってことは
 12時に麻酔したので早くて13時から手術で終わって18時か、、、。
 前の人の手術がいつおわったのやら、、、。

 などと 考えていると、病棟の看護士がきて
看護士 「ご家族は何時にきますか?」っと聞く。
私   「昨日の先生の説明では、前の人の手術の関係もあるが
     早くて終わるのが18時頃なのでそれまでに来いとのことでした。」
看護士 「え?そんなにかかりませんよ!16時までにはきてください!」
私   「先生は18時っていいましたよ!」
看護士 「いえ そんなにかかりませんから16時には来てください!!」
私   「わかりました、では電話しておきます」

  ってことで すぐに父に電話して
父も「昨日先生に18時までに来いっていわれてるのに
   なんでよー まあわかった」

  という感じで 16時にきたわけだ。

 しかし 16時になっても でてくる気配はない。

 17時 全く気配がない、どんどんいらいらしてくる
     なんかあったのだろうか?

     父はたぶん看護士が適当なことをいっただけでは? 
     っと 予想していた。

    確かに ここの病院 看護士と連携がとれていない、、。
    先生の言うとおり18時集合でもよかったのでは?
    
 18時  まーったくでてきませんから!!!
     いらいらしすぎて 腹がへってきた。 
     とりあえず また売店にいって パンを買ってきて食べる。

 19時 もう我慢の限界です。
     精神的不安で 涙がでてきました。
     早く終わってくれ!!!!
 
 19時半 看護士がベットをもっていった!!
      終わったー!!! これから レントゲンで30分。
      
 20時 母がベットに乗せられて戻ってきました!!
     意識は全くありません。
     顔色も真っ青、、、。
     でてきた 姿をみて おもわず泣いてしまいました。。
     泣いてはいけないと おもいつつも 泣いてしまいました、、、
     頑張ったね 母さん


     結局この日は 病院に9時間もいた。
     もう 精神崩壊しそうだった。


        

  
    
        

再入院

2005-03-20 23:10:26 | 再手術
1月27日 母再入院
病室につくと これがまた違うメンツ、、。

子宮筋腫 卵巣嚢種 子宮癌その他、、、。

若い人から 年寄りまで さまざまなメンツだ、、。

 とりあえず、母をおいて帰宅。

 次の日、病院にいってみる。

隣のベットのおばさんに声をかけられる

おばさん「いやーお宅のお母さんずいぶんリラックスしてたね」

   私「どうかしましたか?」

おばさん「いやー実はね昨夜はお宅のお母さんのいびきで皆寝れなかったのよ。」

   私「え?そんなにひどかったんですか?」

おばさん「ひどいなんてもんじゃなかったよー 皆寝不足さー」

   私「そうなんですか?すみません!本当に、、」

  ってな もんで 二回目の入院だからって 油断しすぎである。
   
  こんな感じで31日は手術日である。

  一月ごとに腹を切られる、、。

   いやだろうな、、、。
   
  

再手術について

2005-03-20 01:03:45 | 再手術
1月20日 病院で検診である。
術後の経過が良好なので、本日より入浴許可がでた。
もっとも後1週間でまた入院が決まったのだが、、、。

さらに、1月31日手術が決まった。
「子宮全摘出手術」+「リンパ節切除」
+場合によっては腸の一部と大網といわれる人間の、
おなかにあるただの脂肪の層も状態をみて切除する事になる。
(余裕があったら盲腸も取る)
 婦人科としては2番目に大きな手術だそうで、手術予定時間は
 なんと5時間だ。(前回の手術の癒着も心配のため)

 先生とお話をした。
 私「先生 母の病症は癌の何期くらいなんですか?」
先生「前回 開けたとき、子宮はみてないので、なんとも言えないのですが
   よくて1期悪くて4期だと思います。」
 私「どっちなんですか?」
先生「うーむ、、。お母さんの場合腫瘍マーカーでも血液検査でも異常値は
   見つかっていなかったので 1期だと判断したいのですが、、
   こればかりは 開けてみないとなんとも言えないです。」
 私「もし4期まで進行していたとしたら、治療はどうなりますか?」
先生「もし4期なら最低2年は入院ですね、化学治療と放射線治療をして
   いただかないと いけなくなります。  
   もっとも1期で軽かった場合でも、お母さんの場合
   化学治療はやりますけどね、最低3クールは」
 私「どっちにしても 開けてみてさらに検査結果をみないとわからない
   っと言うことですね?」
先生「そうですね、、、。」

  ちなみに この間先生は目をあわせないのだ。
 そりゃあ 92%大丈夫だ!なんて 大きな事言っておきながら
 癌だったんだからねー、、、。
 無責任にもほどがあるわ!!

 まず 1月27日に入院で 31日に手術となった。
 
 術後の母の精神不安定は続き、
 誰にでもやつあたりしたり、くだらないことで怒鳴り散らしたり、、。
 ただの 更年期障害だったら どれだけ よかったことか、、、

  癌の進行がないことだけを祈った。