NAKED CITY



私は、日本から出たことがありません。

なので、外国の街を実際には知らない。 

でも、なんとなくそれぞれの国や街のイメージを持っていて、

「 パリっぽい 」 とか、「 イギリスらしいな 」 とか、「 ロシアの貧しい

農家のテーブル風 ( 通じる相手にしか言わないホメ言葉です ) だね。」 とか

言ったり思ったりを日常的にしているわけです。

そのイメージは、古くは、子供の頃の絵本やお話の挿絵から、少し成長してからは

絵画や小説、そして、二十歳の前後から今までには、写真集と映画、雑誌などから

少しずつ紡いで織ってきたものでしょう。

初期の頃のパスキューアイランドでは、写真集をたくさん扱っていました。

写真の歴史上の重要なフォトグラファー達の名前とその代表作は

ほとんどその時期に覚え、商品であるところの入荷したての写真集を夢中で眺めた

日々。フォトグラファーの目と共に、世界中を旅をしたともいえるような、

そして、変わり続ける無常のこの世の、でも確かにあったその一瞬を、

「 ほら、このとおり 」 と印画紙に焼き付ける、写真という手段の力と美と

残酷さに感動し、驚き続けた、私の成長史のなかでも特別な一時期でした。

特に深く感じ入ったフォトグラファーが何人もいました。 そして、

” 私の ” ニューヨーク シティーのイメージを決定づけたのは、

アンドレアス・ファイニンガー、ベレニス・アボット、ウィージー、そして、

ウィリアム・クラインといったお方達。

中でも、ウィージー。 活躍したのは、1940年代で、殺人現場に誰よりも

速く駆けつけては、大型フラッシュのついたスピードグラフィックでバシャリッ!

「 死体のウィージー 」 と呼ばれた彼 ( 本名は アーサー・フェリグ )の

写真集  『 NAKED CITY ( 裸の街 ) 』 は強烈でした。

死体とおまわりさんと見物人たちの写真はもちろん、酔っ払い、ヤクザ、貧民、

金持ち、フリークス、陽気なゲイ達、レズビアン達、年寄り、デブ、やせ、白人、

黒人、移民達、男達、女達、子供達、恋人達、猫達、犬達、ひよこ達、マリア様、

イエス様、犯罪人、歌手、踊り子、乞食、消防士、自動車、リアカー、バス、

トラック、劇場、場末の酒場、アパート、夜と昼、・・・・・・。

「 これが、わが街、ニューヨークはマンハッタンのホントの姿なんですぜ! 」

そんな写真集。 ざらざらの紙に印刷され、アメリカのペーパーバック仕様の

製本が、ウィージーという人とその写真にぴーったりで、彼がどんなにこの街を

愛しているかを伝えて十分な、最高な1冊です。

猛暑のニューヨーク、夜。

古ぼけたオンボロアパート ( でも、日本人から見るとレンガづくりで窓が縦に

長くてステキで、暖房の鋳物鉄のあのパイプがあって、日本の住宅事情から比べ

たら粗末な部屋ってったってうんと広くてカッコイイ、) の避難階段や裏に面し

たバルコニーにマットを敷いて、きょうだい4人と猫1匹がぎゅうぎゅうに寄り

添って眠っている写真や、だるまさんのようなお腹のおじさんがパンツ一丁で丸く

なって眠りこけている写真 ( 要は、部屋の中が暑すぎるから外にベットをこし

らえて、というスタイル! )や、

猛暑の昼間、消火栓を勝手に開けて、物凄い勢いで噴出する水のシャワーにあたっ

て大人も子どもも ( みんな水着きてるのっ!! ) おおはしゃぎ、の写真に、

この街の ( お金持ちじゃない )人たちって、なんて頭が良くて合理的で楽しく

やっているのかしらー!! 好きだわあ!! っていう、本当にいい写真なの。

この写真集の中の写真は、どれも生っぽくて、おかしみのようなものがにじみ出て

いて、死体ですらコメディっていう様相を呈しているくらいなんだけれど、

( つまり、ウィージーがそういう人だということですね、 ) 長年この街に

住んでいたある日本人男性は、「 この写真集そのもの、ほとんど変わっていなか

った。 」って言ってました。

先週、蠍座で今連続上映しているクラシック名画の中の1本、

『 裸の街 』 を観てきました。

この作品は、現在の刑事モノ映画のスタイルの原型だそうで、確かに、捜査本部

と刑事達の地道な聞き込みや、犯人を追い詰めてゆくクライマックスの迫力は、

捕り物帳の魅力満点のおもしろさでした。

そして、この 『 裸の街 』 の画期的な点は、オールロケで撮ったという事。

セットではなくて、全てマンハッタンで、本物の人と街の中で、エキストラなし

で撮影されたということでしょう。

観ていてすぐに、「 なんか観た事あるシーンだなあ、なんだか嗅いだことのある

匂い・・・・タイトルも同じ・・・・うーむ・・・ 」 と感じ、

「 あの写真集が動いている! 」 と感じ、二重に面白かった映画でした。

その後、調べたところ、やっぱり!!

映画 『 裸の街 』 のタイトルは、1946年にこの映画のプロデューサーの

マーク・ヘリングが、写真集 『 裸の街 』 のタイトルに心惹かれて、

何ヶ月かの交渉を経て、ウィージーから3000ドルで使用権を買ってつけたもの

だったのでした。 さらに。

ウィージーをフィルムのコンサルタント、また、スティルのフォトグラファーと

して迎え入れて撮影した作品だったのです。

やっぱりっ!!

どうりでっ!!

納得しました。 うん。 ウィージーの写真の動画版!

避難階段も、消火栓シャワーも、出店も駅も新聞小僧も、みんな いた!!

カメラが見えないようにして撮影された、本物の街と街の人達だった。

21世紀を迎えて、あの9・11の悲劇を経て、

この街は、どうかなあ。 でも、芯や根っこは、やっぱり同じかなあ。

初めていく外国の街は、ウィージーの愛したこの街だな。

なんとなく、でも、きっぱりと、そう決めているのです、私。






















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