絵里佳が変化してきていることを感じる。自我が芽生えて、昔のようにお母さんが選んだ服を着て、髪留めをつけたりしない。自分で選ぶようになった。何にしても頑固者で引かない。
先月末のバイオリンのコンサートも最初から出たくないとと言った彼女。日が近づけば気も変わるだろうと思ったのは甘かった。最後の最後まで意思をつらぬいた彼女。母として受け入れるこは簡単ではなかった。
何故って、自分のせいだと思ったからだ。
産休から復帰してずっと働く母親だった。子供と接する時間が少なくても、子供は親の背中を見て育つと信じていた。しかしスケジュールが組めないことで日本語学校に今年からいけなくなった。一日十分お母さんと日本語の勉強と読み書きをゲームや練習帳を通してしているが、彼女の日本語能力の低下は著しい。日本語学校に連れていけたら、、と思うことが多かった最近。バイオリンの練習も旦那に任せることが多くなった。仕事や学校と彼女と過ごす時間は確実に減っている。だから今までに無かった絵里佳の行動を見受けると、私が母親業を怠っているからだと思うった。大学院は家族を犠牲にしてでも続けたいとは思っていなかった。家族は自分にとって一番大事だからだ。NPになりたいという自分のエゴで絵里佳を犠牲にしているような気持ちだった。
落ち込んでいる私にベテランの母親たちはこう言った。絵里佳の行動は成長過程の中で自然なことと。周りを試し、いろんな感情を体験しようとしている。自分の意見を形成してそれを伝えていくことを経験していると。親の思いどうりではなく自分のしたいことを。
親としてよろこぶべきと。それに子供は放ったらかしにしていても育つもの。親のかまい過ぎは子供の成長を妨げると。働いている親として何処かで申し訳ないと思ってしまうのが、あれこれしたくなる事につながっているのかもしれない。少し距離をおくのも悪くないかも。
コンサートのあとのレッスンで先生に観客が多くて嫌だった、とちゃんと話ができた。私のせいではなかった。
小さい時は手がかかるから早く大きくなってくれ、なんて思っていたけど、AJやBrodyの時と一緒。大きくなればなるほど、身体的な世話は少なくなっても精神的な世話が比率を多く占めて、そういう意味で大変になる。子供が自立するまで、もしくは一生、親は親であると、今更ながら思わされた。
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先月末のバイオリンのコンサートも最初から出たくないとと言った彼女。日が近づけば気も変わるだろうと思ったのは甘かった。最後の最後まで意思をつらぬいた彼女。母として受け入れるこは簡単ではなかった。
何故って、自分のせいだと思ったからだ。
産休から復帰してずっと働く母親だった。子供と接する時間が少なくても、子供は親の背中を見て育つと信じていた。しかしスケジュールが組めないことで日本語学校に今年からいけなくなった。一日十分お母さんと日本語の勉強と読み書きをゲームや練習帳を通してしているが、彼女の日本語能力の低下は著しい。日本語学校に連れていけたら、、と思うことが多かった最近。バイオリンの練習も旦那に任せることが多くなった。仕事や学校と彼女と過ごす時間は確実に減っている。だから今までに無かった絵里佳の行動を見受けると、私が母親業を怠っているからだと思うった。大学院は家族を犠牲にしてでも続けたいとは思っていなかった。家族は自分にとって一番大事だからだ。NPになりたいという自分のエゴで絵里佳を犠牲にしているような気持ちだった。
落ち込んでいる私にベテランの母親たちはこう言った。絵里佳の行動は成長過程の中で自然なことと。周りを試し、いろんな感情を体験しようとしている。自分の意見を形成してそれを伝えていくことを経験していると。親の思いどうりではなく自分のしたいことを。
親としてよろこぶべきと。それに子供は放ったらかしにしていても育つもの。親のかまい過ぎは子供の成長を妨げると。働いている親として何処かで申し訳ないと思ってしまうのが、あれこれしたくなる事につながっているのかもしれない。少し距離をおくのも悪くないかも。
コンサートのあとのレッスンで先生に観客が多くて嫌だった、とちゃんと話ができた。私のせいではなかった。
小さい時は手がかかるから早く大きくなってくれ、なんて思っていたけど、AJやBrodyの時と一緒。大きくなればなるほど、身体的な世話は少なくなっても精神的な世話が比率を多く占めて、そういう意味で大変になる。子供が自立するまで、もしくは一生、親は親であると、今更ながら思わされた。
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