信じれば真実、疑えば妄想…

季節は巡り、繰り返しと積み重ねの日々に、
小さな希望と少しの刺激で、
今を楽しく、これからも楽しく

妄想劇場・妄想物語

2018年06月30日 | 妄想劇場

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「自宅はいわゆるゴミ屋敷。
床は見えないし汚物は落ちているし、お風呂なんて
入った記憶がなかった」

都内で行われた講演会で知り合い、その後詳しく
お話を伺った40代半ばの男性は、幼い頃の記憶を
そう振り返る。・・・

親がトラブルを起こしては転居を繰り返す。
学校も通わせてもらえず、兄弟で公園の水道の
水を飲み、万引きをして空腹を満たした。

保護され入った児童養護施設では、いじめや
暴力が蔓延していた。
中学卒業と同時に施設を出た。
仕事を転々としたが続かず、ホームレスを
経験したこともある。

結婚し、子どもももうけたが離婚。
「結局、家庭というものがどういうものか、自分には
分からなかった」と彼は語った。

いまは小さいながらも会社を経営する。
自分と同じような境遇を生きてきた若者を
「いつか雇用したい」と考える。

「やっぱり、一般の家庭に育ったやつより、
分かってやれる部分もあるからね」

助けを求められず孤立していく「家族」

貧困、国籍、疾病、暴力、性の問題……。
困難を抱える家族の問題は、重層的で、
幾重にもからまる、ほどけない糸のようだ。

特に親が精神的な病などを抱えていると、
周囲とトラブルを起こすことが多く、地域から
孤立し、問題はさらに家族という殻に閉じ込もる。

生きづらさを抱え、どこからも孤立した「家族」。
外部に助けを求めても得られなかったり、
そもそも助けを求める力が弱かったりすると、

家族の中で起きている問題は、誰にも
気づかれないまま長期化、重篤化し、
支援の手が入った後も長きにわたって
家族を苦しめる。

子どもは、ひとりで逃げることができない。
「家族」という、本来はもっとも安全で安心できる
はずの場所が、暴力やネグレクトで不適切な
状況であったとしても、そこで必死に
生きのびようとする。

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「家族」で苦しむ人たちの声に耳を傾ける

これまで私は、人の生きてきた道や思いを
聞き取るインタビューを手がけてきた。
また、地域で乳幼児を持つ家族のコミュニティを
運営し、子どもを含めた家族との関わりに悩む
親の話を聞いてきた。

社会的養護と呼ばれる、親と暮らせない
子どもたちを支援する団体の事務局や
スタッフとしても働いてきた。

そこで出会った多くの人たちが、自分の親との
関係に苦しみ、葛藤してきた経験を持つ。

子どもも、親も、苦しい。
震えるような彼らの魂の叫びに触れるたびに、
生きるとはどういうことか、そして彼らの苦しみの
背景にある「家族」とはなにか、考えずには
おられない。

「社会的養護」という制度。厚生労働省では、
次のように説明している。

「保護者のない児童や、保護者に監護させることが
適当でない児童を、公的責任で社会的に養育し、
保護するとともに、養育に大きな困難を抱える
家庭への支援を行うこと」

「社会的養護は、『子どもの最善の利益のために』と
『社会全体で子どもを育む』を理念として
行われている」

つまり、何らかの事情で保護者が育てることが
できない子どもは、子どもの最善の利益のために、
社会みんなで育てていきましょう、というのが
社会的養護だ。

社会的養護は、法律としては児童福祉法に
もづいている。ここで言う「児童」とは、
18歳未満を指す。
社会的養護につながるためには、
児童相談所という子どものための相談機関の
関わりが不可欠だ。

親の経済的事情、虐待、疾病などで、
家庭で暮らすことが適切ではないと児童相談所が
判断した子どもたちは、親元から離れ、
「児童養護施設」や「里親」などに預けられ、
ともに生活しながら、学校や幼稚園、保育園に通う。

しかしそれも、原則的には18歳までであり
(H28年の児童福祉法改正で、「自立援助ホーム」は
22歳の年の年度末まで延長できるようになったが、
あくまで原則は18歳まで)、学校に通っていることが
暗黙のルールとなるため、たとえば高校へ進学しない、
中退したという場合には、「自立できる(働ける)」と
判断され、施設や里親のもとを出て自立を
余儀なくされる。

社会的養護のその先に

15歳や16歳、はたまた18歳で「自立できる」とされ
社会に放り出された彼らは、頼れる者もないまま、
たびたび困難な状況に直面し、つまずく。

元いた施設に相談しようにも、施設職員は
在園している子どもたちのケアで手いっぱい。

子どもの虐待はたびたびニュースになるため
社会的な注目も集めるが、「その後」となると、
「どうにかやっているんだと思っていた」と、
極端に反応は薄くなる。

社会的養護のその先に、どんな課題があるのか、
どう生きているのか、その現状はあまりに
知られていない。
・・・・



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大分県S村の農家に嫁いでいた祖母は、
畑仕事に追われる毎日だったという。
祖父は気性が激しい人だったらしい。

S村では若者がみんな戦地へ出兵した。
祖父は片足が少し不自由なこともあって、
出兵はできなかったが、祖父の三人の弟たちも
次々に日の丸の旗に見送られていった。

そんな家族が減って寂しい暮らしだが、
祖母の家には、祖母が嫁いでくるずっと前から
飼っていた一匹の黒牛がいた。
名前はベエという。

ベエは祖父の子供の頃から、
この家の畑仕事を一緒にやってきた。
だから人間でいえばずいぶんと高齢だろう。
いつも優しい目をしたおとなしい黒牛のベエ。

祖母もたくさんの話を、ベエに聞いてもらった。
ある日、祖母の家に役人が来た。
役人は、牛を戦地の兵隊の食料として送るので
欲しいと言う。

戦争の最中、戦地へ送る肉用牛は貴重だった。

しかしベエのような農耕牛は、たいした食肉の
価値が認められてはいなかったので、
それには及ばず、ずっとこの田舎で暮らして
いくのだろうと思っていた。

しかし、戦争も状況が厳しくなっていったのか、
ベエにも遂に出兵の通知が来たのだ。
役人はそのままベエを連れていった。
ベエは、まるで隣の畑に行くように、
静かに歩いていった。

「ベエのような年老いた牛まで送らんでも
いいやろうに。
畑であんなに頑張ってきて、戦争に……」
祖母の言葉を最後まで聞かずに祖父は、
「みんな戦地で生き延びるためや」と激しく
怒鳴ったという。

ベエの出兵式は、次の日、祖母の家から
20キロ離れた駅で行われた。
祖父は夜も明けぬうちから駅へ向かい、
歩いて行った。
祖父が駅に着いたころには、空はすっかり
明るくなっていた。

駅一帯の貨車に並んだ牛に祖父は目を
瞠ったという。
そのすべての牛の体格が、あまりにも
いいからだ。
赤いタスキの横掛けが堂々としたその
骨格に映えている。

毛並みが風に揺れ、鼻息が勇ましい。
ベエが見当たらない。
もしかして、もう使い物にならないと、
処分されたのかせめて出兵の姿を見たかった。

祖父は懸命に貨車の前に身を乗り出して
ベエを探した。
すると、たくましい牛の足の間から、
か細い泥のついた足を見つけた。ベエである。
体は他の牛の半分しかない。
なんとも痩せている。・・・

しかし、他の牛と同じように、
立派な赤いタスキを掛けてもらっている。
軍歌が流れ、ゆっくりと貨車は動き出した。

いよいよ出兵だ。
祖父の前をベエの貨車がやって来た。
すると、ベエは祖父を見たという。
いつもの優しい目だ。・・・

そして、「モーーー」と一声だけ鳴いた。

この日、家に帰った祖父は、祖母にこの話をした。
「ベエがオレを見て静かに鳴いたんよ」
涙声の祖父だった。

祖母は後にも先にも、
祖父の涙を見たのはこの一度だけだという。
ベエが戦争に行ったこの日。・・・


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妄想劇場・妄想物語

2018年06月29日 | 妄想劇場

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過去に起きていることから浮かび上がってくる
  真実もある。・・・

 

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近年、人間の利他心についての大脳生理学や
実験心理学などの研究が進み、利他心が人間が
進化の過程で得た本能の一部であること、そして
幸福感、知的能力の発達、健康増進をもたらす
事などが分かってきた

利他心は我々が精神的修養を積んで後天的に
獲得するものというよりは、生まれながらにして
人間の脳に組み込まれている、という学説である。
もちろん、精神的修養によって、生まれながらの
利他心がさらに発達することはあるが。・・・

ある条件の下では、子供はお菓子を貰う時よりも、
誰かにあげる時の方が嬉しそうな顔をする、
という実験結果を示している

キリスト教は人間が原罪を背負っているという
性悪説をとっており、「利他心が人間の本能の一部」
という学説はそれを覆す革命的主張です。
キリスト教の天動説に、ガリレオが地動説をもって
異を唱えたと同様であろう

しかしわが国の神道的世界観では、人間も含め、
すべての生きとしいけるものは神の「分け命」
であるから、「利他心は人間の本能の一部」と
いわれても、「そだね~」と思う程度である。

我々の日常生活でも「利他心は人間の本能の一部」
という事はよく経験する。
例えば、電車の中で、目の前に杖を持った老人が
立っているのに自分だけ座り続けていたら
居心地が悪い思いをする。

思い切って席を譲ったら、快い気分となる。
利他心を発揮しなければ不快を感じ、
発揮すれば快感を得る、という事は、
利他心が本能である事を示している。

ある禅寺のお坊さん曰く、幸福とは
「人の役に立ち、人に必要とされること」。
この幸せとは、働くことによってのみ
得られるものだと。・・・

「人の役に立ち、人に必要とされること」、
すなわち利他心を発揮することによって人間は初めて
幸せになれる。
禅寺のお坊さんの教えは、最新の心理学研究と
一致していたのである。

利他心は「元気、長寿、有能」のもと

利他心が喜びを生むメカニズムは生理学的にも
かなり解明されている。
人が利他心から他者のために祈るとき、
「ベータ-エンドルフィン」や「オキシントン」など、
多幸感や快感をもたらす「脳内快感物質」が
分泌される事が分かっている。

「ベータ・エンドルフィン」は、ランナーが
長時間走り続けると気分が高揚する
「ランナーズ・ハイ」現象を起こす物質であるが、

同時に脳を活性化させて、記憶力を高め、
集中力を増すという作用もある。
また、

「オキシントン」は体の免疫力を高めて
さまざまな病気を予防する。
恋人どうしのスキンシップや、母親が赤ちゃんに
母乳を与えている時に大量に分泌される事から
「愛情ホルモン」とも呼ばれている。

同様に、大切な誰かを思い、その人への利他の
思いが心に満ちた時、脳内に大量に分泌される。
「オキシントン」はまた記銘力(記憶力のうち、
新しいことを覚える力)を活性化するという

利他心は人類生存のための「武器」だった

「利他心が人間の本能の一部」となったのかは、
進化理論から説明できる。
太古のアフリカで人間がばらばらに生きていたら、
赤ちゃんを抱いた母親は食べ物も見つけられず、
猛獣に襲われても逃げられず、生存は不可能だ。

そこで人間は家族で暮らすようになり、
夫が食べ物を探し、妻が子供を育てるという
分業をするようになった。

それによって、ばらばらで生きていくよりは、
生き残りの確率が高まる。
そして家族を維持していくためには互いへの
思いやりが必要であり、そこから利他心が
生まれた

さらに複数の家族が集まってより大きな集団を作ると、
猛獣から力をあわせて自分たちを護り、
チーム作業で大きな獲物を仕留めることができる。
乳幼児を抱えた母親を、周囲の女性たちが
助けることもできる。

約3万年ほど前に絶滅したネアンデルタール人は、
現代人よりも屈強で、脳も大きかった。
しかし家族よりも大きな集団は作れなかったようで、
厳しい氷河期を生き残れなかった。

一方、人類はより大きな集団で助け合って、
生き延びてきた。
利他心は人類の生存のための武器だったのである。

利他心がもたらす「和」の力

聖徳太子17条憲法の「和をもって貴しとなす」の項は、
「上和ぎ下睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧
(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。
何事か成らざらん」と結ばれている。

地位の上下はあっても、和気藹々(あいあい)と
議論をすれば、物事の理が自ずから通ずるので、
「できない事があろうか」と断言されているのである。

利他心はこの「和」を実現する上でも、
不可欠な基盤をなす。
集団のメンバーがそれぞれ利己心で動いていては、
共通の目標のために時には自己犠牲も甘受する
という姿勢は出てこない。

メンバー各人に利他心があってこそ、「和」が実現し、
そこから一丸となって力が湧いてくる。

このお手本を示したのが、わが国銀行業の祖と
言われた安田善次郎である。
明治15(1882)年、日本銀行が設立され、それまでは
様々な銀行が発行していた紙幣を集約することになった。

「安田善治郎」の名前の入った第三国立銀行の紙幣は
特に信用があり、その発行権を失うと安田が
もっとも損をする。

そもそも紙幣発行は、大蔵省が20年間の権限を
与えて奨励していたのである。
渋沢栄一は、安田が紙幣発行権を取り上げる事に
難色を示すだろうと予想して、直談判をした。
安田は黙って渋沢の説明を聞いたうえで、こう応えた。

よく解りました。それが金融界の健全な発展のために
必要だというのであれば、よろこんで
賛成いたしましょう。

安田が発揮した利他心は、他の銀行家たちにも
影響を与えた。
そこから生まれた「和」が、中央銀行の創設を
スムーズに進め、日本経済の近代化を後押し
したのである。

幸福をもたらす利他の道

明治時代の天寿は60歳くらいだったようだ。
豊田佐吉は63歳で亡くなっているので、
天寿を全うしたと言える。
森村市左衛門は79歳まで生きたので、今日で言えば
100歳くらいまで生きたという感じだろう。

安田善治郎に至っては没年82歳。
それも数々の善行をひた隠しにしていたので、
守銭奴と誤解されて暗殺されたのだった。

これらの人々は常識的には「元気、長寿、有能」
だからこそ偉大な業績を残したと考えられるが、
認知神経科学から言うと、強い利他心があったために、
脳内快感物質が大量に生じて、
「元気、長寿、有能」となった、と言える
かもしれない。

いずれにせよ、利他の喜びに満ちた幸福な
人生を送ったのである。

これらの偉人と同様に、強い利他の心を持った
有名無名の無数の経済人たちの強い利他心が、
黒船からわずか70年足らずで、有色人種国家で
ただ一国、国際連盟の理事国となったという
世界史的偉業を成し遂げたのである。



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東京ディズニーランドの中にあるレストランに、
若い夫婦がそのレストランに入りました。
店員はその夫婦を二人がけのテーブルに案内し、
メニューを渡しました。

するとその夫婦はメニューを見ずに
「お子様ランチを3つ下さい。」とオーダーしたのです。
店員は驚きました。
なぜなら、ディズニーランドの規則で、 お子様ランチを
提供できるのは 9歳未満と決まっているからです。

店員は、「お客様、誠に申し訳ございませんが、
お子様ランチは9歳未満のお子様までと 決まって
おりますので、ご注文はいただけないのですが...」
と丁重に断りました。

すると、その夫婦はとても悲しそうな顔をしたので、
店員は事情を聞いてみました。
「実は…」と奥さんの方が話し始めました。

「今日は、亡くなった私の娘の誕生日なんです。
私の体が弱かったせいで、娘は最初の誕生日を
迎えることも出来ませんでした。

子供がおなかの中にいる時に主人と“3人でこの
レストランでお子様ランチを食べようね”って
言っていたんですが、それも果たせませんでした。

子どもを亡くしてから、しばらくは何もする気力もなく、
最近やっと落ち着いて、亡き娘にディズニーランドを
見せて三人で食事をしようと思ったものですから…」

店員は話を聞き終えた後、「かしこまりました」
と答えました。
そして、その夫婦を二人掛けのテーブルから、
四人掛けの広いテーブルに案内しました。

さらに、「お子様はこちらに」と、夫婦の間に
子供用のイスを用意しました。
やがてそのテーブルには、お子様ランチが3つ
運ばれてきました。

その店員は笑顔でこう言いました。
「ご家族で、ごゆっくりお過ごし下さい」

この夫婦から後日届いた感謝状にはこう
書かれていました。

「お子様ランチを食べながら、涙が止まりませんでした。
まるで娘が生きているように、家族の団らんを
味わいました。

こんな体験をさせて頂くとは、夢にも思って
いませんでした。
もう、涙を拭いて、生きていきます。

また来年も再来年も、娘を連れてディズニーランドに
行きます。
そしてきっと、この子の妹か弟かを連れて行きます。」

さて、この店員の行動は明らかに規則違反です。

しかし、この行動について上司からお咎めを
受けることは ありませんでした。
なぜなら、この店員はディズニーランドが
最も重要視しているルールに従って行動したからです。

それはお客さんに夢と感動を与えること。
・・・

 

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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
    世は歌につれ、人生、絵模様、万華鏡…





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妄想劇場・番外編

2018年06月28日 | 妄想劇場

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・

 

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エロあり、笑いとペーソス 
メジャーではないけれど、
こんな小説あっても、いいかな。・・・



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「遺族のバカ息子」。

まずこいつはなんでも舐めます。舐める事が己の
宿命でもあるかのように手当たり次第なんでも
舐めまくります。

ある時なんて、坊さんがまだ来る前、祭壇前に
置いてある木魚の棒にしゃぶりついている
ハタ坊がおりまして、そいつはズラリと弔問者が
並ぶ前で、あたかも勝ち誇ったかのように堂々と
木魚の棒をペロペロしているのです。

そのうち坊さんがノソノソとやって来まして、ハタ坊の
尺八ショーはあえなく終了したワケですが、しかし、
その時、何も知らずに木魚の棒を持った坊さんの
あの顔。私はいの一番に「ぶはっ!」と
吹き出してやりました。


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又、このハタ坊というヤツは予期せぬ奇声を
発します。
恐らく、坊さんのお経の声についつい挑発されて
しまうのでしょうが、

必死になってお経を読む坊さんにムキになって
「お経返し」をしていたハタ坊を見たことがあります。

あと、ハタ坊というヤツは、いつでも平気で席を
立ちますし、又、何が気に入らないのか突然
発狂したりします。

出棺の時に、母親に「うんこ!」と駄々をこねる
ハタ坊なんてのもおりまして、激しく私を笑いの
渦の中へ巻き込んでくれました。

このように、私にとって葬儀場のハタ坊とは、
辛い試練でありながらも、最高なヒマツブシなので
ございます。

さてさて、いよいよ 1位 の「坊さん」です。

坊さんを葬儀場で見て笑わないという人は
きっといないでしょう。
数年前、ある葬式で私の真正面に坊さんが座る
という「罰ゲーム」を受けた事がございます。

当然の事ながら、その時私が座っていたのは
かなりの前席でございまして、弔問に訪れた
方々からは私が丸見えです。

坊さんを挟んだ真正面には遺族がズラリと並んでおり、
もうこの状況は私にとって 死刑台 に匹敵するような、
そんな酷な状況でございました。

笑わないぞ・・・絶対に笑うもんか!
ちっともおもしろくない!なにが可笑しいというのだバカ!
私はそんな事を胸で呟きながら、あぐらをかく自分の
足の指をジッと見つめておりました。

静まり返った葬儀場。悲しみに伏せる遺族達と
ナフタリン臭い弔問客達。
葬儀場に集まる悲しみに伏せる人々は、ただひっそりと
佇みながら坊さんのお出ましを厳粛に待っておりました。

するといきなりゴーン!ゴーン!ゴーン!という
お大袈裟な鐘の音。
その鐘の音に合わせ、派手な袈裟を身にまとった
坊主集団がノッソノッソと登場して来ました。

すかさず私の頭の中のテリー◎藤が「イッツ!
ショーターィム!」と叫びました。と、同時に
私の鼻からは、早くも「スススススッ!」という
笑い息が洩れ始めます。

私は素早く目を綴じました。
見ては行けません。私の目の前に敷いてある
田舎のフィリピンパブのソファーの柄のような
悪趣味な座布団に坊さんが座るのを見てしまったら
一巻の終わりなのです。

私は坊さんの気配を感じながらも、強く目を綴じ
必死に掛け算を始めたのですが・・・
しかし、そんな私の必死な抵抗など、この後すぐ、
いとも簡単にぶち壊されました。

まず、中央に座っていた坊さんがポクッ!ポクッ!
ポクッ!と木魚でリズムを取り始めました。
すかさず私は(笑ったらあかん!)と、
太ももをつねります。

するとまずは1人の坊さんが「アァァァ~」っと
高音で叫び出しました。
そして、一呼吸追いて残り3人の坊さんが一斉に
「アァァァ~」と合唱し始めるではありませんか!

それを目の前で聞かされた私はとたんに
「ぐぐぐっ・・・」と喉が鳴りました。
(なんというチームワークだ!)

そう思った私は、肩を激しく揺らしながら喉の奥で
笑っております。
こいつらは、いったいいつ練習しているんだ、
などと考えれば考えるほど笑いが込み上げ、
吹き出すのを必死で堪える私の肩は、まるで
「肩叩き器」の椅子に座っているかのように
ブルブルと震え始めました。

これはマズい!と思った私は、すかさず
嘘泣きをします。
顔を思いっきり伏せ、目頭を指で摘むのです。
そうすれば、肩がブルブルと震えていても、
周りの人は「あぁ泣いてるのか・・・」と逆に私を
いいヤツだと思ってさえくれるのです。

このまま嘘泣きを貫こう。絶対に顔をあげて
ヤツラを見てはならんぞ!
私は心にそう何度も誓い、ひたすら嘘泣きをしながら
大笑いしておりました。

しかし・・・
世の中、そう簡単に事は進むものではございません。
なんと、ついに焼香の時が訪れたのでございます。

私の列の方々は次々に席を立ちます。
さすがに目を瞑ったまま祭壇へ行くわけにも行かず、
ついに私は禁断の瞳を開いてしまったのです・・・・・

目の前に豚が4匹おりました。
4匹の豚は奇怪な衣装を身にまといながら、
体全体でリズムを取り、意味不明な言葉を
合唱しております。

特に私のすぐ目の前に座っていた豚などは、
スキンヘッドに汗をダラダラと流しながら叫びまくり、
もう既に トランス状態 なのでございます。

(そこまでしなくてもいいだろ!)
そう思った瞬間、私は目の前でトランス状態に
なっている豚の前で「ぶっ!」と吹き出しました。

私の隣に座っていた友人が「マジかよ!」という顔で
私を見ます。
後に座っていたもうひとりの友人も「おい・・・」と
私を戒めました。

私はその吹き出しを誤魔化す為に、こんどは
「喘息患者」の演技をします。
ゴホン!ゴホン!とわざとらしく咳き込みながら
ゆっくりと席を立ち、遺族に顔を見られないように
両手で顔を伏せながら祭壇へと向かいます。

祭壇に掲げてある友の写真が「おまえまた笑ってんの?
相変わらずだなぁ」と私を見て笑っております。
私は汗ビッショリになりながら急いで焼香しますと、
引き攣った顔のまま遺族の前へと行きました。

さすがにここでは笑えません。
私は唇を噛みちぎる勢いで噛みながら、必死で
遺族へ挨拶をしました。
なんとかそこは切り抜けれたものの、しかし、
最後がダメでした。

そう、席へ戻る途中、れいの4匹の豚を真正面から
見てしまったのです・・・・・

4匹の豚は、まるでくしゃおじさんのような表情をしながら、
気味の悪い歌を合唱しておりました。
そしてそのうちの1人、そう私の真正面に座っている
坊さんが、席に付こうとする私をいきなり睨みました。

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その顔はまるで、「オマエ、さっきからなに笑ってんだ!
地獄に落とすぞコラぁ!」とでも言いたそうな、
そんな顔だったのです・・・・

その後すぐ、私は厳粛におしっこをちびりました。
喪服の下でチロッと生暖かい小便を少量洩らした私は、
これでもか!というくらいの大きな声で吹き出して
しまったのでございました。

・・・・・・・

と、まぁ、こんなワケでして、これは嘘のようですが、
いたって本当のような話しです。・・・
この 葬式大爆笑 があってからというもの、
私はできるだけ葬儀は欠席するようにしています。

こんな私ですから、両親の葬式はどうしようかと本気で
悩んでおります。
私の事ですから、遺族席なんかに座ったものなら、
100%終始ゲラゲラと笑っているはずです。

ですから皆さん、葬式のやり方、変えませんか?
もっと皆がワイワイと楽しめる葬式にしましょうよ、
故人がせっかく現世の修行を終えて天国へと
旅立つ門でなんだし・・・

・・・おバカなお話・終わり

 

愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る



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「まだ見ぬパートナーに思いを馳せて」 

二人は高校の同級生でした。
彼は彼女のことを好きになるのですが、 ずっと
告白出来ずに卒業式を迎え、別々の道へ・・・。

しかし、二人は2年後に再会することとなります。
それは成人式のことでした。
華やかな振袖姿の彼女を見た彼は、
「やっぱり彼女しかいない!」と改めて思ったそうです。
そして、彼の猛アタックが始まりました。

やがて、彼の気持ちは彼女に届き、お付き合いを
始めることになりました。
もう彼は、天にも昇る気持ちで、まさにバラ色の
毎日だったそうです。

しかし、そんな幸せな毎日がわずか一ヶ月で、
音を立てて崩れていきました・・・。
彼女が車で帰宅途中、カーブを曲がり切れず
センターラインをはみ出してきたトラックと衝突・・・。

命は助かったのですが、瀕死の重傷でした。
そして、彼女は寝たきりの入院生活となって
しまったのです。

医師から、「どこまで回復できるか・・・」と
宣告された彼女は、
「どうしてこんな目に合わなきゃいけないの?」と
泣き続けました。

彼は毎日病院へ通いました。
でも、会わせてもらえませんでした。
彼女の気持ちはわからなくもありません。
好きな彼に会う時は、入念にヘアメイクをして、
可愛い服を選んで会っていたのです。

今の彼女は身だしなみを整えるどころか、
お風呂に入ることも髪を洗うこともできません。
しかも顔も体もアザだらけで、手術の後も
あちこちにあります。

若い女の子がそんな姿を好きな人に
見せたいでしょうか?

しかし、彼はそれでも毎日病院へ通います。
病室を訪ねると、彼女のお母さんが病室の
外に出てきて状態を話してくれます。

彼はそれを聞いて安心して帰っていく。
そんな毎日でした。
彼女は彼が帰ると、涙を流しました。
そして必ず、 「『もう来ないで』と伝えて」と
お母さんに言いました。

やがて、お母さんは彼と病院の入口で会うように
なりました。
きっと娘の心をこれ以上乱したくなかったのでしょう。
彼女は「やっとあきらめてくれた」と思っていました。

それから数カ月経ったある日、彼女は掃除の
おばさんからこんな一言を聞きました。

「羨ましいねぇ、毎日お見舞いに来てくれる
ステキな彼氏がいて」
「えっ、誰のことですか?」
「あなたですよ。今日もさっき下でお母さんと
話してたわ」

彼女はこの時、彼が今もまだ彼が通い続けて
いることを知りました。
そして翌日、彼女はお母さんにこう言いました。

「次に彼が来たら病室に入ってもらって。  
元に戻らないかも知れない私より、他にステキな人を
見つけてもらいたいから。
私もいつまでも引きずっていたら辛いだけだし・・・。  
だから私の口からお別れを伝えたいの」

その日の夕方病院にやってきた彼は、 ついに
彼女の病室に通されました。
そして翌日。昨日まで泣き続けた彼女が、回診の時、
主治医の先生にキラキラした顔でこう宣言したのです。

「私どんな手術にもリハビリにも耐えます。
だから私の体を元通りにしてください」

主治医の先生は驚きました。
「何があったの?」
そう問われた彼女は、昨日のことを話しはじめました。

「彼は、私の体の状態を母から聞いて全部知って
いました。  
それでも、こう言ってくれました」  
『ずっと言いたかったことがある。
結婚してほしい』って」・・・

その時彼女は、元通りの体にならないかも
知れない自分が彼のそばにいてはいけないと思い、
「別れてくれ」と頼んだそうです。

でも彼は、「そのままのあなたでいい・・・
あなたでなければだめなんだ・・・」と
譲ることはなかったそうです。

平行線のまま数時間が経ちました。
彼の根気に疲れ果てた彼女は、
「もう好きにしてよ・・・」とつぶやきました。

すると彼は、体に触れるか触れないかほどの、
本当に優しい力で彼女の体を抱きしめて
くれたそうです。
その腕のなんてたくましかったこと。
その胸のなんてあったかかったこと。

彼女はその時こう思ったそうです。
「私が何を言おうとこの人は信念を曲げない。
だったら彼のとなりに立った時に  彼の
足手まといにならないように、私は元通りの
体になりたい!」

それから彼と彼女の二人三脚の日々が
始まりました。辛いリハビリにも彼はいつも
笑顔で付き添ってくれます。

頭を洗ってもらい、体を拭いてもらい、
着替えも手伝ってもらいました。
傷が治ってくるたびに、二人で喜んだそうです。

私は、結婚式の一週間前にこの話を彼女から
聞かされました。
「私を見て気が付きませんでした?」
笑って言う彼女に、私はただ首を横に振るだけが
精一杯でした。

そして一週間後、ウェディングドレスを着た彼女は
見事なまでに美しく、 華やかな笑顔でゲストを
魅了しました。

そして、式の終盤に彼女のお母さんからの手紙が
披露されました。

「娘に出会ってくれてありがとう。
娘を愛してくれてありがとう。  
あなたのおかげで娘は人生を取り戻すことが
出来ました。
あなたになら喜んで娘を託せます。
どうか幸せにしてやってください」

会場中に涙が溢れました。
私には二人の娘がいます。
いつかどこかの誰かが私の元から奪って
いくでしょう。
でもどうせ取られるならこんな男に取られたい・・・
そう思わずにはいられません。

彼はイケメンでも背が高いわけでもありませんでした。
でも彼はとてつもなくカッコ良かった。
それは信念を貫くブレない男のカッコよさでした。
女として生まれたなら、こんな”
ブレない男"に
愛されたい・・・。

こんな男性が「あなたでなければ・・・」と命をかけて
愛するのはどんな女性でしょうか?
あなたはどんな女性になりたい? ・・・
そんな想像の先にシンデレラのガラスの靴が
あるのかも知れません。・・・


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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
  世は歌につれ、人生、絵模様、万華鏡…




骨まで愛して






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2013 10 20 koお色気 骨まで愛して(公開)

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妄想劇場・番外編

2018年06月27日 | 妄想劇場

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なぜ、美人はいつもつまらない男と
結婚するんだろう?
賢い男は美人と結婚しないからさ。・・・

 

Akairo11111

 

エロあり、笑いとペーソス 
メジャーではないけれど、
こんな小説あっても、いいかな。・・・



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私はほぼ確実に100%、葬式で笑います。
何が可笑しいのかと言われても、あまりにも
可笑しすぎて答えに困るくらい、そのくらい
私にとって葬式というのは爆笑のお時間なのです。

まず、そもそも葬式という儀式自体が気持ちが悪い。
死体を目の前に置き、その前にズラリと黒い服を着た
男と女が並んではどんよりと悲しそうに佇んでいるなど
実に悪趣味極まりない儀式だ。

人間というものはいつか必ず死ぬ。
誰が何と言おうと人は絶対に死ぬのである。
そんなわかりきった事なのになぜいちいちこの
葬式というヤツは、厳かに密やかにモゾモゾと
やらなければならないのか。

これが「葬式パーティー」というのなら許せます。
つまり、会社を退職する人たちを送る送別会の
ように「ごくろうさん!」とか「よく頑張ったね!」
などと明るく笑いながらケーキを食べたり
シャンパン開けたりしてワイワイやる「葬式」
というのならわかりますよ、

それだったら私なんてチンドン屋のテリー◎藤
みたいな派手な衣装で出向き、棺桶の遺体の頭に
花火なんか突き刺して火花散らしたりして
大騒ぎしますよ。

生バンド入れて、浅草からリオのカーニバルの
おネェちゃん呼んで坊さんにもTバックなんか
履かせたりして踊らせて、遺族なんかにビール掛け
なんかしちゃったりして、もうどんちゃん騒ぎの大騒ぎ。

遺体と最後のツーショット写メなんかバチバチ
撮ったりして、80のお爺ちゃんの遺体にセーラー服
着せたりして、そんな大爆笑の「天国への
送別パーティー」なら喜んで行きますね、はい。・・・

なのに、葬式、ああ葬式。
この葬式というヤツはどうしてこんなに暗いんでしょうか。
しかしながらこの暗さが、これまた私の笑いを
誘うのであります。

「笑ってはいけない」という良心が、この
ひねくれ者の私には「笑え」と囁くのです。
で、唐突ですが、ここで、私がこれまでに出席した
葬式において吹き出してしまったベスト5というものを
御紹介させて頂きます。 

(葬式で吹き出したベスト5)

1位 坊さん
2位 遺族のバカ息子
3位 足が臭い
4位 誰かが屁をこいた
5位 小さい喪服

まず、 5位 の小さい喪服。

どこの誰だか知りませんが、とっても小さな喪服を
着ている親父がおりました。
彼の妙に短いズボンの裾が私のツボを刺激しまして、
私は彼が焼香するのを眺めながらも、

「凄いチンチクリンだ!あれは100年に一度の
チンチクリンだ!」などと心の中で叫んでおりましたら、
おもわず「ぶっ!」と吹き出してしまい、目の前にいた
遺族のおばちゃんに「きっ!」と睨まれました。

続いて 4位 の「誰かが屁をこいた」。

なにやら長ったらしい御挨拶とかの後に、いきなり
ヘンテコリンなおっさんが祭壇の前に現れまして、
弔辞みたいなものを読み始めました。

私はもうその時点で、そのヘンテコリンな親父の
オドオドとした口調に笑いそうだったのですが、
その時、シーンと静まり返る式場に「ぶっ」という
燻った音が響き渡ったのです。

いや、これはきっと屁ではなく、床の木板なんかが
何かの拍子で音を立てただけだと思うのですが、
しかしそんな事はその時の私には通用致しません。

ありとあらゆる想像を巡らす私は、とたんに顔を
真っ赤にさせては俯きます。

(誰かがヤらかした・・・この神聖なる儀式の最中に
誰かがついヤらかしてしまった・・・
一生の不覚だ!葬式の最中に屁をこくなんて
末代まで祟られるぞキミ!)

そんな事をモヤモヤと考えながら必死に笑いを
堪えていたのですが、しかし、運悪くも、またしても
ダメ押しに「ぶっ」という音がどこから聞こえ、
ついに私は「ギャハッ!」と喉を引き攣らせて
吹き出してしまったのでした。

さて、続いては 3位 の「足が臭い」です。

葬式というのは、やたらとナフタリン臭いもので
ございまして、近所の親父達なんか着慣れない
喪服をタンスの中から引っ張り出して来たもんですから、
もう 歩く防虫剤 かのようにプンプンと科学的な
ニオイを撒き散らしております。

そんな中で一種独特な違うニオイがプ~ンと漂って
来る事がございます。そう「足のニオイ」です。
ま、最近では近代的な葬儀場なんかが沢山できまして、
葬式で靴を脱ぐという事は少なくなって来たとは
思いますが、しかし私の住んでいる下町では今だに
古ぼけた寺なんかで葬式をする事が多く、
そんな寺では決まって靴を脱がなくては
ならないのです。

とにかくこの葬式での「足の臭いヤツ」というのは
迷惑この上ない生き物でございまして、
運悪くそんなヤツの後ろに座ったものなら、
お経の間中、ずっと鼻を摘んでなければ
ならないのです。

下町のある葬式で、やっぱり強烈に足の
臭い親父がおりました。
遺族に挨拶をした私が、式場に敷き詰められた
座布団にソッと座った瞬間、

(あっ!どこかに臭足がいる!)と、まるで
鬼太郎の妖怪アンテナの如く、私の嗅覚が
直ちに危険信号を発令しました。

直ちに私は周囲を捜索致しました。故人を
偲ぶよりも、今は速やかに臭足を発見する
事の方が先決なのです。
すると怪しい男を発見致しました。
私の斜め前に座っている中年親父です。

彼はあぐらの組み方が妙に変なのです。
男らしくドッシリとあぐらをかいているのではなく、
そう、それはまるで「ヨガのあぐら」のように
なにやら複雑に足を組んでいるのです。

足の裏を、組んだ足の中に隠すかのように
複雑なあぐらをするそんな中年男を見て、
私は、(あっ、こいつは自分の足が臭い事を
知ってる確信犯だな)と、まるで訳知り顔な
老刑事のようにフムフムと頷き、そしてすかさず
ジロリっとそいつの背中を睨みつけますと、

(この神聖なる葬儀に己の足が臭いと知りつつ
ヌケヌケと出てくるとはなんたる不届き者!
キサマのようなヤツは末代まで笑われるわ
このタワケ者!)と、心で叫ぶと同時に、

勝手に自分で「ぷぷぷっ!」と吹き出してしまい、
なんともはや、その臭足男に逆にジロリと
睨まれてしまうという失態を犯してしまいました。

さて、続いては 2位 の「遺族のバカ息子」。 

これは、もう何も説明はいらないでしょう、
皆さんも葬式では必ず1度は目にしているはずです。
そう、どこの葬儀場にも必ずいる

テメーの親が死んだというのにチンプンカンプンな
顔をしているバカ息子ですよ。

遺族の中には、やたらと小綺麗なお姉さん
なんかがいたりして、ダメだダメだと思いながらも、
遺族席に座るそのお姉さんを盗み見しながら
よからぬ妄想 をついついしてはモンモンとする
事が多々ございますが、そんな遺族の中には
バカ息子も混ざっている事がございます。

こいつはもう絵に描いたような ハタ坊 で
ございまして、こいつは「笑ってはいけない」という
試練に必死に耐えている私を、あえて笑わそうと
奇怪な行動をする笑わせ悪魔なのでございます。

後篇へ・・・つづく

 

愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る



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私の知り合いB君が会社に入って二年目のころ、
地方の建設現場で上司と新築工事を行っていました。
現場では様々な職種の方が働いていて、
当時駆け出しだった彼は、分からないことだらけ。

仕事を覚えたいため、毎日職人さんに付きっ切りで
建設現場に張りつめていたそうです。
建設現場事務所には、経理の若い女性がおり、
仕事が終わるたびに、その女性と雑談をしていました。

女性と飲みに行ったりメールをしている中で、
彼は 「何で建設現場で働いているのか?」 と
尋ねたことがありました。

すると、女性からは 「自閉症の息子がいて、
息子がトラックやクレーンなどの建設機械が
好きなので…」という答えが返ってきたのです。

ある日、女性が 「一週間後、息子の誕生日で、
学校の友達を誕生日パーティーに招待して
いるんですよ」 と、目を輝かせて話していました。
とても楽しみにしていたようでした。

一週間後、その息子さんの誕生日。
彼も女性からのメールを楽しみにしていたのですが、
彼女から来たメールは 「誰もパーティーに
来てくれなかった」 という、悲しい内容でした。

彼はとても悲しい気持ちになり、女性や息子さんの
気持ちを考えると胸が張り裂けそうでした。
そこで彼は、あるアイディアを思いつきました。
息子さんは、建設機械が好きとのことだったので、
上司に相談してトラックとミニショベルを借りたのです。

彼はトラックに乗り、途中で玩具のショベルカーを
買って、大急ぎで女性の家に行きました。
家には、事情を聞きつけた上司や職人さんが
たくさん駆けつけており、息子さんはとても大喜び。
女性はうれし泣きをしていました。

最後に息子さんと現場の仲間で一緒に写真も
撮りました。 「一生の思い出に残る誕生日だった」
      と、感謝されたそうです。
      
ちなみにその女性は、今の彼の嫁さんです。・・・



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歌は心の走馬灯、歌は世につれ、
  世は歌につれ、人生、絵模様、万華鏡…






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妄想劇場・歴史への訪問

2018年06月26日 | 妄想劇場

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昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



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むかしむかし、あるところに、一人の若い木こりが
住んでいました。
ある日の事、木こりは仕事に出かける途中で、
一匹のチョウがクモの巣にかかって苦しんでいるのを
見つけました。

「おや? これは可哀想に」
木こりはクモの巣を払って、チョウを
逃がしてやりました。
それから少し行くと、一匹のキツネが罠(わな)に
かかっていたので、
「おや? これは可哀想に」と、木こりは罠から
キツネを助けてやりました。

またしばらく行くと、今度は一羽のキジが
藤かずらにからまってもがいていました。
「おや? これは可哀想に」
木こりはナタで藤かずらを切り払い、
キジを逃がしてやりました。

さて、その日の昼近くです。
木こりが泉へ水をくみに行くと、三人の天女が
水浴びをしていました。
天女の美しさに心奪われた木こりは、泉のほとりに
天女が脱ぎ捨ててある羽衣(はごろも)の
一枚を盗みとって木の間に隠れました。

やがて三人の天女は水から出てきましたが、
そのうちの一人だけは天に舞い上がるための
羽衣が見つかりません。

二人の天女は仕方なく、一人を残して
天に帰って行きました。
残された天女は、しくしくと泣き出してしまいました。
これを見た木こりは天女の前に出て行って、
天女をなぐさめて家へ連れて帰りました。

そして盗んだ羽衣は、誰にも見つからないように
天井裏へしまい込みました。

そして何年かが過ぎて二人は夫婦になったのですが、
ある日木こりが山から戻ってみると、
天女の姿がありません。

「まさか!」男が天井裏へ登ってみると、
隠していた羽衣も消えています。
「あいつは天に、帰ってしまったのか」

がっかりした男がふと見ると、部屋のまん中に
手紙と豆が二粒置いてありました。
その手紙には、こう書いてありました。

《天の父が、あたしを連れ戻しに来ました。
あたしに会いたいのなら、この豆を庭に
まいてください》

木こりがその豆を庭にまいてみると、豆のつるが
ぐんぐんのびて、ひと月もすると天まで
届いたのです。

「待っていろ、今行くからな」
木こりは天女に会いたくて、高い高い豆のつるを
どんどん登って行きました。
何とか無事に天に着いたのですが、しかし天は
広くて木こりは道に迷ってしまいました。

すると以前助けてやったキジが飛んで来て、
木こりを天女の家に案内してくれたのです。
しかし天女に会う前に、家から父親が出て来て
「娘に会いたいのなら、この一升の金の胡麻
(ごま)を明日までに全部拾ってこい」と、言って、
天から地上へ金の胡麻をばらまいたのです。

天から落とした胡麻を全て拾うなんて、
出来るはずがありません。
とりあえず金の胡麻探しに出かけた木こりが、
どうしたらよいかわからずに困っていると、
以前助けてやったキツネがやって来て、
森中の動物たちに命令して天からばらまいた
金の胡麻を一つ残らず集めてくれたのです。

木こりが持ってきた金の胡麻の数を数えた
天女の父親は、仕方なく三人の娘の天女を
連れてくると、「お前が地上で暮していた娘を選べ。
間違えたら、お前を天から突き落としてやる」
と、言うのです。

ところが三人の顔が全く同じなので、どの娘が
木こりの探している妻かわかりません。
すると、以前助けてやったチョウがひらひらと
飛んで来て、まん中の娘の肩にとまりました。

「わかりました。わたしの妻は、まん中の娘です」
見事に自分の妻を言い当てた木こりは、
妻と一緒に地上へ戻って幸せに
暮らしたということです。

おしまい



鬼が餅つきゃ、閻魔が捏ねる、
   そばで 地蔵が食べたがる



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江戸時代の家屋はほとんど木造です。
現代では防火壁などの材質が使われているために、
ボヤが起きても大きな火事にまで発展しないことも
ありますが、当時の建物は木と紙でできていたため
とても燃えやすいものでした。

しかも、長屋づくりで、狭い土地に密集して町が
できていたために、一度火災が発生するとあっというまに
近隣にまで燃え広がってしまいます。

「火事とケンカは江戸の花」といわれますが、
江戸時代には火事が頻発していたのです。
建物の燃えやすさという意味では江戸時代以前と
かわりませんが、それまでになかったほどに江戸の街は
人口が集中し、建物が密集していたために、
火事が多く、しかも規模も大きくなりました。

そのため、消防組織も大がかりなものがつくられ、
大名が務めた「大名火消」、旗本が務めた「定火消」
(じょうひけし)、町人が務めた「町火消」など
タイプの異なる組織がありました。

火消しの主役は町火消

火事が起きた時に、最も活躍するのは町火消です。
地域の消防団と言えるもので、消防そのものが
職業ではありません。

町奉行の配下の与力や同心が指揮する
町人たちによる消防隊で、町内で活動費用を
負担し合う民活組織です。

火消しに携わる人たちのお手当てやはんてん、
ももひきなどの衣装が支給されていました。
消防団員として活躍するのは主に建設作業に
携わる町人たちでした。
建物の構造や道具の使い方を熟知した人たちです。

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「火消」という名前ではあるものの、実際に
火を消すことはめったにありませんでした。

江戸時代には人口が密集しているのに対して
水道設備が追い付かず、江戸の街は慢性的な
水不足に悩まされていました。

消そうにも水がない、というのが現実です。
現代のようなポンプもホースもありません。
せいぜい桶でくんだ水をかけるだけです。
実際のところ、大火に対しては焼け石に水に
過ぎませんでした。

そのため、火消の主な仕事は、延焼を
最小限に食い止めることです。
そのための破壊活動を行いました。

そのため、長鳶口(ながとびぐち)と呼ばれる、
草刈りの鎌を大きくしたような道具や、
大のこぎりなどを使いこなせる鳶職(とびしょく)
などの専門家が火消の中心メンバーと
なっていました。

火を消すのではなく、火元を破壊したり、
隣の家をつぶしたりして、火事の広がりを
抑えたのです。

火消しの組織は?

江戸時代の町火消の組織はトップが頭取
(頭ともいいます)で、以下、小頭、纏持ち
(まといもち)、梯子持ち(はしごもち)、平人足と
階級が分かれており、それぞれ半纏
(はんてん)の柄で階級がわかるように
なっていました。

頭取と小頭は、皮の羽織を着ることが
許されていました
一番危ないのは纏持ち(まといもち)
纏(まとい)というのは、長い棒の先に
丸い玉のついた飾りです。

消火活動そのものに使うのではなく、
屋根の上で、場所を知らせるものです。
それを持つ纏持ち(まといもち)はとても
危険な仕事です。

頭取の指示で屋根に上り、消火活動が
終わるまでずっと棒を振って見届けて
いるのです。

自分の立っている家が燃えれば命の危険に
さらされてしまいます。

頭取、小頭につぐ、No3の役職なのは、
火事に対する勘が冴えているのと同時に、
危険を顧みない勇気の持ち主である必要が
あったからなのかもしれません。

Hannsyou

江戸時代には火事が起こると半鐘を鳴らして
知らせましたが、半鐘が1回だけだと現場は
遠いという合図でした。

2打の場合には、大火になる恐れがあるという
知らせで、連打のときには火元が近いことを
知らせていました。

おしまい

 

 

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人の心に響くものは、きっと
  人の心だけなのだろう
・・・



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