信じれば真実、疑えば妄想…

季節は巡り、繰り返しと積み重ねの日々に、
小さな希望と少しの刺激で、
今を楽しく、これからも楽しく

妄想劇場・特別編

2018年06月20日 | 妄想劇場

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昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリ



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国立社会保障・人口問題研究所の発表によると、
独身女性の約60%が交際相手がおらず、
さらにそのうち約40%は、性経験がないという。

2016年の人気ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』
でも、アラフィフ処女を石田ゆり子が演じるなど、
最近になって改めて注目を集めている
「高齢処女」。

仕事に明け暮れ、交際相手もなく、やみくもに
時間は過ぎ、はたと気が付けば30代半ば。
周りはバタバタと結婚していく中で、いまさら男性と
付き合ったとしても、「実は、初めてで…」
なんて言い出せない。

現在、都内の病院に勤務する35歳の看護師の
女性は、まさについこの間までそんな
「高齢処女」の一人だった。

現代ニッポンの水面下で何が起こっているのか。
悩める女性の知られざる実態を追った。

どうして「王子様」は来ないの?
「半年前に、処女を喪失したんです。
もう、そのときは嬉しくて、泣いちゃって…
すぐに地元の一番の親友の看護師の同級生に
電話で報告したんです。

『あたし、女になった!って』友達は、
『まさか、麻衣ちゃんが!』って驚いて、
一緒に泣いてくれました」

待ち合わせ場所である池袋のタイ料理店に
着くなり、中島麻衣さん(仮名・35歳、独身)は、
半年前の処女喪失の体験を話し始めた。

麻衣さんは、都内の総合病院に正規職員として
勤務している。
たれ目が魅力的な「清楚系」で、笑顔がとても
可愛らしく、看護師という職業がよく似合う
穏やかな雰囲気を漂わせている。

「とろみ系」と言われるふわりとした今年流行りの
白のシフォンに、水色の水玉模様のブラウス。
そこから覗く二の腕は、羨ましいほどに、
透き通るほどに白くて細い。

ジーンズのワイドパンツはスレンダーな体形の
麻衣さんにピッタリだった。
腰まであるサラサラのストレートロングヘアが、
風でフワフワとなびくと、ハート形の深紅の
ピアスが揺れる。

そう、麻衣さんは、どこからどう見ても、
おしゃれにも気を遣う今どきの女性。
「女子力」は決して低くない。

そんな麻衣さんが、なぜ30代半ばにして
処女喪失に至ったのか・・・。
注文した生春巻きとパッタイが届いたところで、
麻衣さんはその道のりを語り始めた。

高校時代までの麻衣さんは、少女マンガが
大好きな夢見がちな少女だった。
バイブルは『天は赤い河のほとり』。
古代ロマンの超大作で、あらゆるタイプの
イケメンが総登場する人気マンガだ。

「あのマンガの登場人物のような、白馬の
王子様みたいなイケメンが、いつか私の
周りにも次々と現れると思っていました。

あの頃はまだ恋愛が美しいものだと勝手に
思ってたし、いつかどこかでいい人と出会えると
思ってたけど、それが、いつまでたっても
現れなかったんですよね」
麻衣さんは、そうつぶやくと、うつむいた。

現実はというと、麻衣さんによれば、
看護師には暗黙の「恋愛ヒエラルキー」が
存在するのだという。

抜群にルックスや器量の良い看護師は、
早々に独身の医師を捕まえて、結婚という
黄金ルートを辿る。

合コンなどで知り合った警察官や、教師、
公務員といった、いわゆる「安定職」の男性と
結婚するルートもあった。

しかし、麻衣さんも何度か合コンに参加した
ものの、根っからの人見知りもあって
スルーされ続けた。

なぜ、私の前には、白馬の王子様が
現れないんだろう。ずっとそう思っていた。
そんな麻衣さんを見かねた職場の医師が、
「うちの弟はどう?」と、紹介してくれた
ことがあった。

その男性は20代の地方公務員だったが、
実際に会ってみると、垢抜けない印象を受けた。
何よりも、女性を目の前にすると、
緊張のあまりなかなか目を合わせて
しゃべれない様子だった。

麻衣さんはどうしても、彼の後頭部の
薄毛に目がいってしまった。
「ちゃんと働いている人だったけれど、
モジモジした態度とか、容姿とか、
全てにおいて『タイプじゃない』と思って、
お断りしちゃいました。

私には、もっとイケメンが現れるはずだって。
『なんでこんな人を紹介するんだろう?』と
さえ思いました。
本当に今考えると、自分でも何様?って
感じですけど」

20代の頃は、まだ同僚と遊ぶのも楽しかった。
仕事も順調で、週末は銀座のクラブに
踊りに行き、年に2回は海外旅行で散財した。

しかし、そんな同僚も着々と彼氏を見つけて、
バタバタと30歳を目前に結婚していった。
麻衣さんは、自分だけ取り残されていく
感じがした。

DVDみたいな経験がしたくて
セッ○スは好きな人とするもの・・・そんな思いが
昔からあった。
もともと人見知りが激しく、潔癖なところもあり、
好きな人以外とのセックスは考えられなかった。

麻衣さんは、性欲自体は人並みにある、
と自覚している。
ある時、友人の看護師に勧められて、
「an・an」のセッ○ス特集のDVDを見た。

近年の「an・an」のセッ○ス特集では、
女性に人気の「エロメン」と呼ばれるAV男優と
女優による、女性向けDVDが付録として
付いてくる。
むしろ付録目当てに買う女性も少なくない。

「エロメン」の中でも、女性に絶大な人気を
誇るのが、「いってつ」と呼ばれる、AV男優の
鈴木一徹だ。
麻衣さんも同様に鈴木一徹にときめいた。
食い入るように何度もDVDを見た。

そこには、暖かな色の間接照明の中、
アンティークのインテリアの部屋で、
優しくイケメンがリードしてくれる、
少女マンガの延長のようなセッ○スがあった。
愛し合っている二人の、キレイでラブラブな
セッ○ス・・・。

まさに、麻衣さんが理想としていた
シチュエーションだった。
「そう、これこれ! こんなふうに処女喪失
できたら…と思っていました。
『an・an』のDVDを見て、肉体的にも興奮して
ましたね。

今思えば、本当に『夢見る少女』だと思います。
王子様はいつか絶対に現れると思ってた。
イケメンと恋愛して、『an・an』のDVDみたいな
セッ○スするんだ、って本気で思ってた。

でも、そこそこ性格も良くて、まともな人は、
もう目をつけられてちゃんと結婚して
家庭を持ってる、という現実が分かってきたの。

それが30歳の手前。
現実は自然とそういうことになってるのねって。
本当に気づくのが遅かったんです」
そういうと、麻衣さんはうなだれた。

「夢見がちな少女」が、ようやく現実と向き合う
覚悟を決めた。でも、自分のルックスでは、
イケメンは絶対寄ってこない。
そう自覚するようになっていった。

そして30歳を過ぎた頃から、処女であることが
猛烈に気になり始めた。
この歳で処女なのは、おかしいのだろうか。
もし今後、素敵な男性と出会っても、
処女であることを知られたら、引かれるかも
しれない・・・。

相手がいないからどうしようもない。
かといって、出会い系で出会うのも怖い。
そんな葛藤の中で悶々とする日々が続いた。

ある日スマホで、「30代」「処女」と検索ワードを
打ち込んでみた。
30代、処女、ありかなしか・・・悩み相談サイトには、
たくさんの賛否と意見が載っていた。
否定的な意見を読むたびに、落ち込んだ。

「本当にやばい。結婚どころか私、
一生処女かも…そう思うようになっていきました」

初めて上がった彼氏の部屋で

そんな麻衣さんに、転機が訪れた。
31歳のときに、地元の友達の紹介で、横浜の
IT企業にプログラマーとして勤務する1歳年上の
男性、啓介と付き合い始めたのだ。

啓介は、ルックスはいたって普通だったが、
亭主関白なタイプで、押しが強かった。
麻衣さんは、言われるままに付き合った
ようなものだった。

男性と付き合ったのは、麻衣さんにとって
生まれて初めての経験だった。
だが、付き合いが深まるにつれて、啓介との
交際は、自分がずっと思い描いていたような
ものとは全く違うことがわかってきた。

啓介とのデートは、毎回、当たり前のように
安価な居酒屋やファミレス。それも、1円単位まで
割り勘だった。
「たまには、少し高いレストランで食事とかしたい、
ずっとそう思っていたんですが、言い出せ
なかったんです。

仕事が終わってから、それこそ男の人と
会うなんて経験は、今までなかったから、
『私、女子やってるんだ』という気分に浸りたい
というのもあった。

仕事が終わると、化粧直しして、彼氏の家に
向かう。
私だって女子なんだって、自分に無理矢理
思いこませようとしていた。
男の人と週末に約束があるというだけで、
一人前になれた気がしていました。

今振り返れば、あの時は、ただ単に寂しさを
埋めていただけだったと思います」
付き合い出して2週間が過ぎた頃、
啓介が「うちでしゃぶしゃぶ食べない?」と
麻衣さんを自宅に誘った。
それがセッ○スの口実なのは、麻衣さんも
わかっていた。

ついにその時が来た!と思った。
「その時は、とにかく処女を捨てなきゃって
思っていました。
向こうも押しが強かったから、『行くしかない、
ここで行っとかなきゃ私、一生処女だ』と
思いました」

前述したように、麻衣さんが夢見ていたのは、
「an・an」のようにキレイなインテリアに溢れる
部屋での、愛のあるセッ○ス。

初めて入る男性の部屋に、胸がときめいた。
期待と不安で、中野にある彼のワンルームの
アパートに足を踏み入れた。

しかし、そこはこれまで夢見ていた部屋とは、
まったく違っていた。
部屋に入るなり、ゴミがいたるところに散らばって
いるのが目についた。
床には飲みかけのペットボトルが転がり、
脱ぎっぱなしの衣類が散乱・・・。

麻衣さんにとって許し難かったのは、
シーツも敷きパッドもつけず、ベッドのマットレスに
啓介が直接寝ていたことだ。

マットレスは所々、染みで薄茶色に変色していた。
その上でセッ○スするのかと思うと、麻衣さんは、
気持ち悪くなり思わず、吐きそうになった。
本当のことを言えないまま
キレイなセッ○スなんて、嘘だ、嘘なんだ・・・。

麻衣さんの頭の中で、これまで憧れてきた
「理想のセッ○ス」は無残にも打ち砕かれた。
それでも、何とか、自分を奮い立たせた。
シャワーを借りて上がると、案の定、
啓介が押し倒そうとしてきた。

「啓介とは『お互いいい歳だし、そこそこ
恋愛経験もあるよね』という会話をしてたんです。
私は強がって、『うん、そうだよね』と合わせてた。

だから、まさか処女だなんて切り出せ
なかったんです。
だけど、実際に裸になったらガチガチに
緊張して、その場で突っ立ってることしか
できなかった。

啓介は『なんか変だな』とは感じたようでしたが、
私が処女だとは思わなかったみたいです」
挿入しようとすると、激痛が走った。
ちょっと待って!…、そういうことが、
2、3回続いた。

すると、なんと啓介は、麻衣さんを罵倒
し始めたのだ。
「今振り返ると、正直に啓介に処女だって
言わなかった私も、悪かったと思います。
だけど、どうしても言えなかった。

だから、彼との破局の原因は自分にあると
思ってるんです。
あの体験は私にとっては大きなトラウマに
なってしまいました」

結局啓介とは、セッ○スしないまま、約半年で
破局した。

30代になってから、麻衣さんは、休日を
やり過ごすのが辛くなってきた。
あんなに楽しかった20代・・・あれは何だったん
だろうといつも考えていた。

同僚は新しい家庭を築き、子育てや仕事に
明け暮れて忙しそうで、会ってもくれない。
職場で夫や子供の話を嬉しそうに話す同僚を
見ていると、ますます距離が遠のいていくような
気がした。

都内を中心に女性の性生活やセッ○スに
関する相談を受けている心理カウンセラーの
女性によると、麻衣さんのように、近年
「恋愛下手」や「高齢処女」に悩んでいる人の
相談が少しずつ増えているという。

「これまで受けた相談は、30代から50代まで
幅広いです。
中には60代の方もいらっしゃいます。
彼女たちに共通する部分をみると、
男性を理想化していることが多い。
その反面、実際の男性には恐れを抱いている
印象があります」

麻衣さんは、まさに理想の男性像と現実の
狭間で、苦しみ、そして傷ついていた。
私は、どこで人生を間違えたのだろう・・・
そう自問自答し続けた麻衣さんは、気づくと
処女のまま、35歳の誕生日を迎えていた

(後編につづく)



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東京都墨田区で毎年開催されている無料の
簿記講習会。
その講師として94歳のいまも教壇に立ち続ける
安沢直次さん。
70年一度も休むことなく続けてこられたという、
信念に満ちた活動には頭が下がります。

・・・ということは、戦後に新たな事業を
立ち上げられたのと、現在の講習会の母体を
形づくられたのは、ほぼ同時期だったと
いうことでしょうか。

そうなんですよ。そのきっかけになったのは、
母親と一緒にお寺にお参りに行った
時のことでした。

その道すがら、学校に行けずに
うろうろしている小学生くらいの
子供さんたちがたくさんいたんです。

それを見た母親が、「あんた、学校の先生まで
やっていながら、こういう子供さんたちを
何とも思わないの」って言うんです。

私だって何も思わないわけではなかったけど、
当時は自分たちが食べていくので精いっぱい
ですから、そこまで頭が回らないわけです。

でも、そう言われたことでピンとくるものがあって、
その翌日から子供さんたちを集めて
私塾のような形で勉強を教え始めました。

どのくらいの数の子供さんたちが
集まってきたのですか。

あっという間に80人くらいが集まりましてね。
とてもいっぺんには見切れないので二手に分けて、
午前と午後でそれぞれ5時間くらいずつかけて
毎日授業をしていました。

それも戦後直後から昭和26年頃までは昼間は
電気がこなかったので、丸太を椅子にして
座らせて、お手製の黒板を使っての
青空教室でしたね。

(中略)

いつ頃から簿記を専門に教えられるように
なったのですか?

簿記自体は早い時期からやっていました。
それこそ最初は子供さんたちが中心でしたから
算数とかいったことをやっていましたけど、
数年もすると学校に通える子供さんが増えていって、
逆に大人が多くなりましてね。

その時に簿記を教えてくれないかと、
皆さん口々に言うわけですよ。

人から頼まれた以上は、絶対に責任を
持ってやるというのが私の信条ですから、
もちろん快く引き受けることにした。

その噂を聞きつけた税務署の方からは、
「いやぁ大したもんだね、安沢さんは。
簿記も教えられるんですか」って聞かれましたけど、
そんな経験は全然ない(笑)。

では、ご自身で勉強しながら教えられたのですか?

ええ。簿記の講習会は初日から満員御礼でしたから、
いくらボランティアとはいえ、引き受けたからに
は必死になって勉強して教壇に立っていました。

当時の受講生の中には、有名人の方もいましたが、
まだ私塾だった頃には、当時小学生だった
王貞治さんもそろばんを習いに来ていたんですよ。

それがご縁で、ご両親には随分懇意に
していただきました。
当時は中華そば屋を営まれていたので、
たまに食べに行きましたが、いくら言っても
お金を受け取ってくれない(笑)。

これには困りましたけど、王さんのご両親に限らず、
皆さんにはとてもよくしていただきました。

「口にしたことは必ず実行する」を信念に
まっすぐに歩んでこられた安沢さんの
豪快な歩みには、爽快感も漂っています。





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