茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

『隠元』その2

2009年09月02日 | Weblog
隠元さんが来た頃の日本は
本寺末寺間の階級制度強化
新義異義禁止
宗門改による強制的檀家制度
新寺院建立禁止
というように
仏教界では
悪いお坊さんは喜び
良いお坊さんは憤るという状況だったようです
鎖国から13年目
4代家綱の時代です

でも長崎ではお奉行様がとても好意的
来日早々興福寺には
数千を超えるファンが押し寄せる勢いで
「隠元は臨済32世的伝の祖師、
 大唐中にも希有の大善知識、
 釈迦・達磨の再来であるとて
 僧俗男女が入れ替わり立ち替わり、
 夜となく昼となく参拝し、
 法名を望む者限りなし・・・」
と記されるほどでした

その後も
摂津の普門寺での説法をはじめ
江戸その他地方への行脚のたびに
寺社奉行から様々な制約が与えられるものの
内情はかなり好意的で
15石という扶持米まで施されるようになります

隠元さんは20人のお弟子さんと渡ってきましたが
彼らはみな詩偈、題讃、法語にすぐれ
黄檗の「道徳の美」と「文章の美」には
お役人さんも含め他宗の僧までが多く傾倒したそうです
とくに
隠元さんと弟子の木庵、即非の墨跡は
「隠木即」とよばれ
庶民から武士、公家、後水尾法皇にいたるまでが
その書を求め
またその求めに従って
彼らもことごとく書き与えたそうです

こうして
3年目には帰国するつもりが
再三日本に留まることを請われ
ついには
幕府から正式に寺院建立の提案があり
いよいよ帰国を断念することになりました
1659年、68歳の時です

最新の画像もっと見る

コメントを投稿