お菓子教室Cakes&Tea(ケーキ&ティー) わかこのお菓子な生活


福島県会津若松市にある洋菓子、パン、和菓子の教室です。

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教室を始める事

2008-04-21 | お菓子教室を始めるまで

Sany0001 今度は、自宅で教室を始めた方達の本を読んでみました。

 最初に読んだ本が「サロンマダムになりませんか?」という本です。私とは全く違う世界、考え方に私がお菓子教室を開いた事がなんだか人には言えないような気になってしまうほどかなりのお金と時間を費やした努力の日々が書かれていました。

 紅茶教室を開くために紅茶の本は全て読みつくし、海外に何度も足を運んで勉強、勉強の日々…。教室を開く事を夢見てこの本を読んだら、諦めてしまう方も多いのではないかと思うほど徹底した内容でした。だからこそサロンマダムと言えるのだな~と感じました。ただ、著者の教室は自由が丘…。東京の一等地での教室は私みたいな趣味の教室は通用しない。だからこそ、徹底した努力が必要なのだとも思います。

 もう1冊は「憧れのサロンマダム」こちらの本はフラワーアレンジの教室を開いた著者の教室を始めるまでの話や教室を始めて成功した人、失敗した人のたくさんの話が書かれています。中には私のことを言われているような内容も多く、とても共感する部分が多くあり、また教室を始めてからの自分に反省も残る、考え直す事ができる内容でもありました。

 でも、紹介されている方は全てその道で有名な成功者。私のような人でも教室を始める事ができると勇気をもらえる本ではありますが、具体的な例はありません。

 よく、雑誌で友達に声をかけて始める教室「プチ先生」や「プチサロン」が紹介されています。友達を誘って材料費程度で始める教室です。それもいいけど、本当に教室を始める時に値段をあげにくくなったり、材料費がマイナスになるほど手をかけすぎて疲れてしまう人も多いようです。

 私のような小さな町でお菓子教室を始める為に海外留学の日々を過ごしてもそれだけの収入は期待できません。はっきりって無理だと思います。それにお菓子に関しては、海外で学んだ知識や材料を持ち込んでも受け入れてくれる人は少ないと思うのです。私もそれなりに専門学校やお菓子教室に行ったり、お菓子屋さんに勤めたりしたので実現した教室ですが、地元で買う事ができる材料、家庭でも作りやすい作り方などが必要だと感じています。

 あくまで、私の教室の場合なので、自然とそれを求める方が参加してくれているのだと思います。

 何をいいたいのか…というと、教室を始めたいと思った人が本を探すとき、有名な方の例が多く諦めてしまう方も多いのではないのかなと感じたので、ネットを通して、私みたいな人でも夢が実現できるんだ。と言う事を伝えたいなと感じたので書いてしまいました。

 以前書いた、お菓子教室を始めるまでの他にいろいろな思い、努力はありましたが私は比較的簡単に夢を実現してしまった1人だと思います。

 私のような立場のものが教室を始める事を見ている人に伝える事ができるのがネットだと思うので、また機会があったらお菓子教室を始めるまでの日々について書いてみたいと思います。 


10年目を迎えます!!

2008-03-22 | お菓子教室を始めるまで

 もうすぐ、4月…。

ついに、お菓子教室を始めて10年目を迎えます。

 そして、私がお菓子教室を始めてから9年間、ずっと通ってくださって4月からの予約をしてくださった方も5人いらっしゃいます。

 この9年間、同じメニューにならないように常に新しいレシピを考えてはいるものの、同じメニューを繰り返しているものもいくつかあります。それなのに私の教室にずっと通い続けてくれる生徒さんがいらっしゃるからこそ、新しいレシピを考えたり、自分が成長してこれたんだな~と感謝の気持ちでいっぱいです。

 お菓子教室を始めるために5年勤めたお菓子屋さんを辞めた時は、不安の気持ちでいっぱいでした。副業のアルバイトも探さなければ、と思っていました。

 ところが初回の募集で教室に年間で予約してくださった方がなんと70名!予想以上の入会者数に私もびっくりでした。アルバイトをする時間は全くなく、家の台所で始めた為、母が食事の準備をする時間がほとんどないほどだったのです。

 私が講師を務めていた中合友の会のケーキ教室の生徒さんも参加してくださったり、東北電力のお菓子教室で講師をするたびに、電力の担当の方にたくさん開講の宣伝をしてもらったり…2社の広報誌で無料でお菓子教室開講の記事を載せてくれたり、たくさんの方の協力があったからこそ、たくさんの方に参加いただいて今につながっているのだと思います。

 全国にお菓子教室はたくさんあるけれど、私なりの説明や作り方、会津で手に入りやすい材料にこだわった配合、他にはないような教室になるように心がけてきました。

 他でお菓子を習ってきた生徒さんもたくさんいらっしゃるけど、『今まで解決しなかった事が理解できた』とか、『すごくわかりやすい』とか、『もうお菓子屋さんで買えないほど美味しい』と言われて、鼻高々になる時もあれば、見本が失敗したり、お菓子の反応が悪かったり、納得いかないレシピになってしまったりして落ち込む事もよくありました。

 でも、その積み重ねがあったからこそ、1年目とは全く違う内容に変わっているように思います。自分の知識を一番まとめた自慢の洋菓子基本コース。1年目も今も内容はほとんど変わりませんが、一番の自信のあった基本コースの説明も経験と共に更にパワーアップしています。作り方だけではなく、どうしてこうするか、どうすると作りやすいかとか…他の教室では、ここまで教えてくれないじゃないかなと勝手に思い込んでいます。

 ほんとに最初の数年間に教室に通ってくださった方には、説明が足りなかったかなと思うほどの内容になっていると思うし、同じレシピでも作り方が変わっているものもけっこうあります。

 応用コースに通ってくださっている方には、その付け加えられた説明や作りやすく変わった内容は、応用でも詳しく説明するように講習しています。

 生徒さんが来なかったら続ける事ができないこの仕事…。こんな私の教室に長く通い続けてくださる方がたくさんいらっしゃるからこそずっと続る事ができました。お菓子教室を始めてから10年以上教室を続けることを目標にしていました。その目標がもうすぐそこに近づいています。今度は、ずっとこの教室を続けていく事を目標に変えたいと思います。

 教室に参加してくださった方全員にお礼をいいたいです。本当にありがとうございました。

そして、これからもよろしくお願いします。 


教室のロゴ

2007-03-23 | お菓子教室を始めるまで

Photo_22  教室開業のプレゼントとして姉夫妻が作ってくれた教室のロゴ

この事をブログに書こうと思っただけなのに、気がついたら自分のなつかしい思い出を書き綴ってしまいました。目を通してくださった方、全部読んでくださった方、ありがとうございました。m(_ _)m

そんなこんなで始めたお菓子教室ですが、今回は、ロゴの誕生秘話をお話したいと思います。

 教室を始める時に姉から電話があり「教室のロゴは考えたの?」と聞かれました。

 ロゴなんて考えようともしていなかったしので「別に~なくてもいいよ」という感じだったのですが、「考えてくれるなら、お願い」というような事になり電話を切りました。

 しばらくすると、次から次へとくるFAX。そこには、姉と姉の旦那様が書いたロゴデザインがたくさん書かれていました。

 そのたくさんのデザインを見ていたら、私ものり気になってきたので電話をかけてこれとこれのデザインをこういう風に書き直してみてと注文しました。そうして選んだ2つののデザインのうち1つに絞られ決まった教室のロゴ。それは、姉の旦那さんが考えたもので姉がロゴらしく描き直したものでした。

 昔から字を使い分けたり、字のデザイン考えるのが好きだった私の姉。私には考えてもできないまとまりのあるロゴになりました。

 教室の名前である『お菓子教室Cakes&Tea』CAKEの文字の中にケーキの象徴!?とも言える苺、TEAの中には、ティーカップが書かれています。そして私の名前『Wakako』と『S』の間にに『.』と『‘』。これは、和歌子のお菓子教室という意味と鈴木和歌子という意味の両方をあわせ持っています。

 ロゴなんて考えてもいなかった私にとって、ただの趣味ではなく本格的な教室としての大きなあかしをもらったような気がしました。

 


カントリーキッチン完成!!

2007-03-15 | お菓子教室を始めるまで

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2002年8月末。約13畳の教室専用キッチンが完成しました!!

そして9月から、新しいキッチンのお菓子教室がスタートしました。

  無理を言って、斜めにしてもらった天井から見える窓の光が明るくて、部屋を広く見せてくれて他にはない空間になりました。

 そして、壁になるはずだったスペースの大きな棚は、私の理想としている魅せる空間を演出してくれて、しかも部屋を広く見せる、そして収納もできる最高の空間になりました。

 カントリーキッチンといっても完成直後は、流し台と窓以外なにもない、ただ真っ白な空間でしかありません。ここをどんな風に憧れのカントリーキッチンに近づけていくかは、自分自身の腕のみせどころ。

  今までの台所で飾っていた雑貨を飾ると、広くて広くて飾っても飾ってもパッとしない感じがしました。

 今考えると、カントリーというものに目覚め始めたばかりで雑誌にでてくるような有名メーカーのカントリー雑貨はなにひとつ持っていないし、なにしろお金をかけれない状態だったのもあるけど、ディスプレイが下手だったな~と思います。毎年季節ごとにディスプレイをかえたり、手作り雑貨が増えていくうちに少しずつ私の目指すカントリーというものをみつけ、ディスプレイも上手になってきたように思います。

 とにかく、今も昔もお金をかけない、壁に穴を空けないディスプレイに心がけています。

 始めは会議用テーブルを2つ並べての作業台だったのもちょっと安っぽい感じの仕上がりに見えた理由かもしれません。

 窓枠をリフォームした棚のひとつはカップ棚になり、今まで好きで集め続けたブランドのカップ&ソーサーなどを20客並べました。これも憧れの喫茶店風。実習後のティータイムで好きな器を選んでいただけるようになりました。

 入り口付近の背の低い食器棚はもともと私が自分の部屋で使っていたものですが、偶然にも奥の窓をふさがない高さで幅もスペースぴったりでした。就職してから食器を集めていたので、置く場所がなくて買った食器棚。その頃からカントリー風の食器棚に憧れていたのに、母に反対され、丈夫で長持ちする飽きのこないものと勧められ、予算の都合上120㎝の高さのものしか買うことができなくてシブシブ選んだものでした。ところが、新しいキッチンに合わせて買ったようにぴったりで大満足でした。

 改めてこの頃の写真をみると、メインの棚のディスプレイがまとまりがなく飾りすぎのようにも見えるし、全体的に天井が高いのもあって壁面が殺風景にもみえますが、とにかく私にとって、夢の空間の完成の時でした。


カントリーキッチン増築

2007-03-10 | お菓子教室を始めるまで

File0003_3 お菓子教室用のキッチン作りにFile0009_2向けて毎日、設計図を書きながら夢を膨らませていました。

 反対していた私がいつのまにか夢を膨らませて、いつの間にか新しいキッチンに希望を抱いていきました。

 設計図といっても、場所が限られているので、配置を考えるくらいしかできなかったのですが、友達の影響でカントリー雑貨に目覚め始めていた私は、たった1冊買った『カントリーキッチン』(私のカントリー別冊)を何度も何度も眺めながら、余分なお金をかけずに雑誌にでてくるようなカントリーキッチンを目指すことを目標にしていました。高価な材料は使ってもらう余裕がないので、とにかく純白と木目調で部屋を統一することにしました。

 大工さんは、昔から何度も増築や直しをやってもらっていた個人の方で、たった一人で教室用キッチンを全て作ってもらいました。一人でできないところは、私の父が一緒に材木をもったりと梃子になっている状態でした。

 一人で作っていたので小さなキッチンのわりには時間がかかりましたが、だからこそ言えたわがままや大工さんのアイディア、技術、知識も満載で狭い空間からから想像をはるかに超えたキッチンが生まれたのです。

 細長いスペースを5㎝以上広く使えるよう、土間の柱と新しいキッチンの柱をできる限り共有する事により、大工さんの技術とアイディアでできる限り広い部屋を作ってもらいました。 

 それから、いままで土間にあった3箇所(5つ)の窓は全て活かされました。

 1枚目写真の上に見える窓は、昔、中2階があったらしくかない高い位置にありましたが、その窓を活かす為に天井の途中から斜めにして、その高い窓の光を取り込みたいと大工さんに提案しました。でも、それは技術的にも仕事的にもかなり難しいらしく、断られました。なのに作っていくうちに大工さんもこだわりが出てきて、その難しい技を希望通りにやってくれたのです。

 今までの台所のオーブン側の窓は取り外され、壁を抜いて新しいキッチンと今までの台所とつながる戸がつけられました。外された窓は1枚目の写真で見える窓の部分(子供部屋のあった場所の2つの小さな窓)と交換に取り付けられ、新しいキッチンのシステムキッチン前の窓になりました。子供部屋の窓は、かなり痛んでいたので廃棄されましたが、窓枠が丈夫だったことから、大工さんのアイディアで新しい窓の両脇に棚として活かされました。

 2枚目の写真、中央にある窓も昔からのものですが、これも活かしてもらうため全体的に天井が高い部屋になりました。 

 流し台に関しては、お金をかける余裕がなかったので昔の流し台(台所でシステムキッチンを買う前に使っていたもの)を利用することになりました。雑誌を見ながら、扉を外して純白のタイルを貼ってもらって、下にカーテンを付けようと考えていました。

 そんなとき、売り尽くしセールをやっているホームセンターで憧れの木目調のシステムキッチンを展示品処分で見つけてしまい、悩んだ末購入することになりました。流し台に憧れのタイルは無理、棚を作ったりいろいろ注文した方がかえって高くつく。ということになったのです。

 結局、古い流し台も活かす事になりました。システムキッチン脇に置き、タイルの変わりにデコラの白い板を注文どおりに貼ってもらい、カーテンを取り付けました。30年前の古い流し台が雑誌に出てくるような流し台に生まれ変わりました。その流し台は、パンコースの時のパン捏ね台としても使えるよう、上にコタツ板みたいなぴったりの台を作ってもらいました。普段は作業台、必要に応じて流し台として使用できる多目的スペースと生まれ変わりました。

 ついでに売りつくしセールで全品30~50%OFFになっていたホームセンターで棚やラックなども購入しました。

 家を支えていた、中心にあった柱をカットし部屋の中心に家を支えるために横に太い木が渡されました。これも相当な技術がないとできない技らしく、他の大工さんの頼んだら部屋の中心に柱があったかもしれません。

 狭く長い空間に圧迫感を出さないために通路側に大きな窓が取り付けられました。

 そして、少しずつ完成に近づいていったのです。

 そんな、ある日…いつものように大工さんの帰ったあと、部屋をじっと眺めていました。

 想像を超えた窓枠をリフォームした棚がとっても魅力的で細く狭い部屋を広く見せるその棚があまりにも気に入って新しいキッチンでの教室を想像していました。奥行きを感じさせるその棚の脇は、広い壁のスペース…。そこに圧迫感を感じてしまいました。ここにも同じような棚があったら、壁に穴を空けることもなく、奥行きが出て、好きな雑貨を飾ったり、収納もできる…。でも、すでにそのスペースには、壁板が取り付けられていました。もう少し早く気がつけばよかった。

 でも、あきらめることができず、次の日の朝、おそるおそる大工さんに話しました。

 そしたら、即「いいよ」と答えてくれました。

 そして、一度つけれた壁が抜かれ、大工さんが「どうせなら大きい方がいい」とスペースいっぱいの大きな棚を付けてくれたのです。

 ついでに、全ての窓に少しでも雑貨や物が置けるスペースを頼み、圧迫感のあるくらい細長いはずのキッチンが高い天井と作り付けの棚のお陰で広く見えるキッチンになったのです。

 そんなわけで2ヶ月近くかかって憧れの教室専用のキッチンが誕生したのです。

 どれをひとつとっても、他の大工さんでは、できなかったことだ思っています。大満足の私のお城になりました。

http://homepage3.nifty.com/cakesandtea/contory.htm


教室専用キッチンができるまで

2007-03-09 | お菓子教室を始めるまで

Photo_12  教室を始めて1年…。ついに教室を続けることができない程のアクシデントが家庭内で起こってしまいました。

 そして、母から教室専用のキッチンを作ることを提案されたのです。その時、その考えを受けいれることができなかったのは、意外にも私だけでした。

 家庭の台所からお菓子教室にお金をかけずに変身させたことが私のなによりもの自慢でなによりもお気に入りだったのに、教室専用キッチンを作るなんて事、想像したくもありませんでした。正直、太郎庵に勤めていた方が収入はあったし、今の状態でどうやって新しいキッチンを作る事ができるんだろう。絶対無理!絶対嫌だ!!その時は、それしか考えられませんでした。

 でも結局、お菓子教室を続ける為には専用キッチンを作るしかない状態だったのです。

 そして、教室を作ると決まった場所は昔、家を増築したとき父が絶対壊さずに残しておくと決めた場所、170年前位の家の柱が立つ天井が高く、広い土間の所でした。

 その場所は、父が古いまま残しておいて、古いものを展示したいとわずかながら夢を抱いていた場所でもありました。そこに教室を作るということは、その夢をあきらめるという事、土間のど真ん中に立つ、古い柱を壊すということでした。

 そこには、小さな倉庫とたくさんの店の品物などやがらくた!?などが積まれていましたのでまずは、それを片付けなければいけません。その広い場所を片付けるのが実は一番の大仕事でをこの話を言い出した母が毎日毎日、片付けました。

 そしてそこにあった倉庫(実は、子供の頃建ててもらった姉と2人の子供部屋)は取り壊され、2000年7月から約1ヶ月半、信頼ある大工さんに来てもらい教室作りが始まりました。


お菓子教室開講!!

2007-03-05 | お菓子教室を始めるまで

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1999年4月ついに夢だったお菓子教室を開業することができました。

家の台所で始めたお菓子教室…。

 その時は、こんなに長く続けることができるなんて、専用の教室を作ることになるなんて、夢にも考えていませんでした。

 今まで、入会案内もレシピも手書きだったので、4月の基本コースのレシピから慣れないワープロで打ち、1枚のレシピを打つのに始めは丸1日かけてしまいました。

 もともと技術派ではなく理論派だった私は、お菓子の作り方の他にどうしてこうするかとか、どうしてこの材料を入れるかなどの語りながらの講習で結構、出だしから好評だったと思います。

 でも、講習の1回1回が自分にとっての勉強で、毎回次はこうしようとか回数を重ねるごとに要領もよくなり、今考えるとあの時、来てくれた方々に悪いなと思ってしまうほど今の自分は作り方も説明の仕方も全てにおいて成長したように思います。

 私が一番教室でやりたかったのは私にしかできない家庭のお菓子作り。

 会津で買うことができる材料で手軽に作ることができるお菓子でした。高校生から始めたお菓子作りで感じていたのは、会津で買えない材料がたくさんあること。お菓子教室を夢見ていた私は、専門学校でもお菓子屋さんでも常にこれを家庭で代用するとしたら…、家庭の道具で作るとしたら…、もっと簡単に作れないか…などなど。常に考えていました。

 だから、始めたころのぎこちない講習の中にも自分なりの自信を持ってどうどうとやっていたと思います。

 中合友の会や東北電力でのお菓子教室をやっている事も信頼につながり、それらの参加者からも私の教室に入会してくださいました。そして、実際に教室に参加してくださった方が友人を誘ってくださったりで、ほぼ毎日教室があるような日々でした。

 8畳の台所にシステムキッチンの他、棚がたくさんあって6人の定員のときは身動きとれない程、窮屈な感じでした。でも、家庭を感じさせないような、狭く感じさせないような収納の工夫やアイディアもいっぱいで、「家でも参考にさせてもらっています」とか「同じもの買って使っています」とい方もたくさんいらっしゃいました。

 でも、その舞台裏は大変で、嬉しい悲鳴状態でした。

 実は、家が自営業で1日中家族全員が生活する中心の場である台所が日中の間使えない事は家族にとって大変なことだったのです。

  朝、朝食を食べ終えると大急ぎで片付け、家庭からキッチンに大変身させました。家庭らしい道具はできるだけ、別の部屋に移動させ、教室用の道具に入れ替えました。母は朝から朝食とお昼の両方の食事を用意し、冷蔵庫がないので夏場は発布スチロールの箱に保冷剤を入れ、家族全員座敷で昼食。大忙しでした。

 でも、生活の場を奪われて一番大変だったなのはもうすぐ90歳になるおばあちゃんだったのです。


お菓子教室開業前

2007-02-25 | お菓子教室を始めるまで

Photo_17  実は、お菓子教室を台所でやる事を決心した理由がもうひとつあります。教室を始める前の年にシステムキッチンを購入したのです。それまで30年前に製造された流し台を使っていて、気に入らなくて何度もペンキで塗り替えを繰りえしていました。でも、流し台より気に入らなかったのは、床。10年以上前にその家を建てた時大工さんに進められたピンクの小石模様の床は、たくさんの隙間にゴミがたまってしまい半日かけてブラシでこすってきれいになっても3日ともたない最悪なものでした。それが気持ち悪くて本当は床を直したかったのです。

 システムキッチンをほんとに買ってもらえるなんて思ってもいなかったのですがたまたまガス展で3日間展示したキッチンを激安で売っていたのです。サイズも我が家にぴったり。父を説得してついに購入してしまったのです。ついでに床も木目模様に貼り替えてもらいました。取り付け費用や床も混ぜたら結構いい金額になってしまいましたが薄汚いイメージの台所から憧れのイメージに近づいて、お菓子教室の夢を現実に見るようになったのです。

 お菓子教室を始めるために太郎庵を辞めた直後からお菓子教室の準備を始めました。

 なるべくお金をかけないで始めようと思い古くなった台所の壁紙を自分でペンキで塗ったり、飾りつけ、家庭のものをなるべく隠す大掃除をしたりしました。それまでの家庭のイメージからかわいい教室のイメージに変更するためにお金をかけない工夫をたくさんしました。

そんな事で教室にイメージが出来上がり、太郎庵を辞めて2ヵ月後ついにお試しコースを5ヶ月間に渡って始めました。パソコンもワープロもできない私は、手書きで案内を書いてあちこちにおいてもらえるところを捜しました。そして月刊誌の会津嶺に情報として送ったら掲載してもらいました。

 5ヶ月間にわたるお試しコースは大反響でした。もちろん毎日参加者がいるわけではないので太郎庵を辞めて教室を本格的に始める7ヶ月間は、太郎庵にバイトとして通いながらの日々でした。

 今考えれば、お試しコースのために準備した道具はほとんどありません。安いボールと鍋を数個そして100円ショップで細かな道具などを買ったくらいで今まで好きで集めてきたお菓子の道具をここでまとめて使った状態です。狭いキッチンで6人同時に作ることもあり、要領がよくなるわけがありません。

 それでもたくさんの方に喜んでいただき、アンケートでたくさんの意見をいただきました。

 本格的に教室を始める時には、ミキサーと1ドア冷蔵庫、1万円のオーブン1台、ワープロを買い、入会金の分で泡立て器orパレットナイフ、カード、ゴムベラをプレゼントにしたのでたくさん購入して教室用にもおろしました。今考えるとここまでお金をかけずに仕事開業をする人はいないんじゃないかと思ってしまいます。

 教室開業の案内は再び会津嶺に掲載してもらい、知り合いの紹介で情報紙の週刊あんぐるにも記事として掲載していただき、初年度のみですが広告料0円でした。v(^ ^)v

 そして、想像をはるかに超える入会希望の方からの連絡がきたのです。


お菓子教室を始めるまで

2007-02-24 | お菓子教室を始めるまで

 私がお菓子作りに目覚めたのは、高校生のとき。それまでお菓子を全く作ったこともありませんでした。好きなことといえば、工作。料理やお菓子に関しては全くの無知だったのです。

 姉が製菓学校に進んだ事で私も影響されて、突然目覚めて選んだ高校の家政科…。それが私にとって自分の好きなことを見つけることができる楽しい授業でいっぱいでした。

 高校のときに学校に作って持っていったオーブントースターで焼いたクッキー。それを食べた褒め上手の友達が、「すごい才能ある」とめちゃくちゃ褒めてくれて、本気で才能があるんだと思い込んでしまい。お菓子作りに目覚めてしまいました。(^ ^;

 念願のオーブンレンジを買ってもらった次の日から『平成』になり、テレビが面白くないとお菓子作りをしまくっていたことを懐かしく思えます。(今もそのオーブンを教室で使用しています。)

 今日の料理と3分クッキング、その他の料理番組で週1回お菓子をやっていたのでとにかく録画したりして、見まくっていました。でも、その頃なかなか材料を揃えることもできないとか材料が売っていないものもたくさんありました。

 高校を卒業して販売業に就職しました。高校の頃と違って自分お金でお菓子の材料も本も買うことができたので、いろいろなお菓子作りに挑戦しました。

 2年間勤めた会社を辞め、憧れだった辻製菓専門学校に入学しました。友達には、そんなに好きなら初めから、行けば良かったのに…といわれましたが、私にとって、就職した2年間があったからこそ、お菓子を知って専門学校に行くことができたことがすごくプラスになっています。全くわからないで授業を受けて全てが始めてなことよりも、知っているつもりだったのに知らなかったことを知ることができたり、先生の話してくれるお菓子の雑学が楽しくて、どんどんお菓子の世界に溶け込んでいきました。でも、不器用でのんびりの私は、実際に実習の時間になると、要領が悪かったり、流れをつかんでいなかったり…人より練習したのに、人より仕上がりがよくなかったり…。 器用な人がうらやましい限りでした。

 卒業後、地元に帰り太郎庵に就職しました。ここでも、不器用とのんびりの性格では、かなり苦労しました。でも、いつしか仕事も早くなって自分に自信が持てるようになりました。でも、早いと雑になるのが欠点ですが…(^ ^;

 太郎庵に就職した年に依頼を受けた、茶道の青年部の和菓子講習の依頼…。憧れのお菓子教室の第1歩と思い受けてしまいました。お菓子屋さんの仕事は朝早くて夜遅く、試作やレシピ作りは大変だったけど、なんとかこなし講習をすることができました。要領が悪く、内容も懲りすぎで時間を大幅にオーバーしてしまったけどとにかく私の念願の第1歩を踏むことができました。

 太郎庵に行ってる頃に楽しみにしていた月1回の中合友の会のお菓子教室。その頃は、辻学園の講師を勤めていた中合会津店の店長さんの奥さんが講師を勤めていました。毎回行くことは出来なかったけど、全てが楽しかった。

 ところが数回通った頃、店長さんの転勤で先生が教室を辞めることになり、楽しみの教室がなくなってしまいました。中合さんに聞いても、「先生がいないからもう終わりです」

 そして…悩んだすえ、私は言ってしまいました。「私にやらせてください」と。こうしてお菓子教室の講師とデビューを果たしたのです。正直、始めはずっとぎこちないものでした。でも、少しずつ自信にもつながっていきました。でも、忙しい太郎庵にとって月1回の教室と両立させることはとても過酷な日々でした。

 そんな時、中合教室の会場として使わせていただいていた、東北電力からもお菓子の講師の依頼を受けました。これ以上、講師の仕事を受けるのは、今の自分には無理。でもこれは、私とって最高のチャンスと思い、東北電力の仕事を受けました。そして、同時に5年間勤めた太郎庵を辞めて本格的にお菓子教室を自宅で開くことを決めたのです。