阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

家つと

2020-08-08 13:35:47 | 家づと
木端の狂歌手なれの鏡をぼちぼち読み進めていたところ、ヤフオクに貞柳の「家づと」が出品されているのを見つけた。貞柳は国会図書館デジタルコレクションにある「貞柳翁狂歌全集類題」を読んではみたけれど、私にとっては難解であった。五七五七七に読めない歌も多くある。貞柳の狂歌集も一冊欲しいかなと思って購入することにした。本体は五千五百円、送料は先方の指定で着払いとなっていて、手数料合わせて201円を対面で払わなければならなかったのはこの時期郵便局の方にとっても気の毒なことであった。しかし、先方の学識者と思われる方はまだまだ狂歌集を持っていらっしゃるようなので、今後のためにも注文をつける訳にはいかない。そして、届いた本は虫食いもなく状態の良い本であった。巻末に享保十四年(1729)七月とあるけれど、後年の再版ということもあるのでこの本の出版年はわからない。この出版の年でいえば、「享保十四年四月長崎より大象大坂に来る」と題した歌が七首入っていて、扉にも、象が月を見上げている絵に讃を入れる貞柳の挿絵が載っている。挿絵の歌は、


       画象讃

  細い目てふりさけ見るはふる里の象山とやらに出し月かも


とある。象の来訪は出版直前の出来事ながら、やはり一大事だったようだ。






最初に書いたリズムが取れない歌のいくつかは、鱗を「うろくず」、絵馬を「えんま」などの読み方で解決できたものもあった。しかし仮名六つで七音というのもあって、まだまだ貞柳は難解である。大田南畝の狂歌を理解するには四書五経など漢籍の知識が必要だが、貞柳の場合はいわゆる浪花の人情に加えて俗謡はやり歌など、上方のリズムが私にとっては大きな壁になっているように感じる。野崎左文は第一人者の貞柳でさえこの程度なのだからと上方狂歌を酷評したが、果たして貞柳は正しく理解されていたのかどうか、その点も疑わしく思える。少し私の能力を超えているような気もするが、読む努力をしてみたい。

難解といえば、貞国の「十八のきみ」の回で紹介した貞柳の藤の歌、「貞柳翁狂歌全集類題」(追記参照)では、


    藤

 松は千代まさいるくとや白藤はねちゑんかうん風にうなつく


子供の頃、クリスマスの歌の「シュワキマセリ」はキリスト教の呪文だと思っていたけれど、この歌も呪文のようにわからない言葉が上の句と下の句にあってお手上げであった。ところが、「家づと」の同じ歌は、


          藤

  松は千代まさいらくとや白藤はねちゑんかうん風にうなつく





と一文字違っていて、「まさいらく」なら書籍検索で引っかかってこれは萬歳楽の事のようだ。これで上の句の呪文は解読できた。下の句は依然として謎であるが、上の句が読めたことによって方向は見えてきた。以前、貞国の「にかのおたとえ」の回で熊膽(くまのゐ)は胃が棒捻(ばうねぢ) するほど苦いという木端の歌を紹介した。「ねち」はねじる、すなわち藤が松に巻き付きながらねじれて登っていく様を表しているのだろう。すると、

 松は千代、萬歳楽でめでたいという理由で白藤よお前は松にねじれて登っていくのか、と問うたら白藤は「うん」と風にうなずいた。

と解釈できるだろうか。その方向だとしても、まだ「ねちゑん」が何かわかっていない。「ねぢれん」が「れぢゑん」と変化したのか。それとも棒捻と同じような捻縁みたいな言葉があるのか、ここは探してみないといけない。全部わかってから書けと言われるかもしれない。専門家の論文ならそうだろうが、素人のブログであるから途中経過が面白いということでご容赦いただきたい。とにかく、和書を手にするとぐんとモチベーションが上がる。これは絶対無理と思っていた歌も、手掛かりが見えてきた。すると次の一冊が欲しくなるところではあるけれども、予算の都合でそうホイホイ買う訳にもいかない。ここは今ある二冊をじっくり読んでみたいものだ。

【追記】
狂歌文庫「貞柳翁狂歌全集類題」の「まさいるく」は、その後手に入れた木版本では「家づと」と同じく「まさいらく」と読めた。


(ブログ主蔵「貞柳翁狂歌全集類題」13ウ・14オ)