阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

阿武山(あぶさん)を語る(補5) 父の病室から

2019-05-18 21:05:53 | 阿武山

 父は働いていた頃から喉のポリープができる体質で、職場の近くの内科の紹介で南区の総合病院で何度か内視鏡の手術を受けた。そして前回9年前の時までは陰性だったのだけど、今回の手術のあとで喉頭がんの診断が出た。放射線治療を受けるにあたって家族は家のある安佐北区内の総合病院への転院を希望した。しかし本人は田舎の病院に良い印象を持っていなくて、そのまま南区の病院で治療を続けることになった。これは治療のモチベーションにも関わることであるから仕方なかった。一日十五分の治療ながら、八十五歳という年齢を考えて入院となった。病室の窓からは、宇品の海や一万トンバースのクルーズ船が見えた。

 ところがその後の経過が思わしくなく、腫れができて気管が狭くなり窒息の危険があるということで喉に穴を開ける手術(気管切開術)を受けた。今日明日は母に代わって私が病院へ、八十三歳の母は心労もあってかなり疲れている。手術から間もないこともあって、父はナース詰所近くの病室に替わっていて、4人部屋の入口の名札には父ともう一人は黄色、あとの二人には赤いマークがついていた。以前の病室にいたときは、土日はとにかく看護師の姿を見かけなかった。しかしこちらに来ると看護師さんは大忙しで走り回っている。うちの父もたんが詰まって大変だけど、他も簡単ではない方ばかりのようだ。父の放射線治療については後悔の二字がつきまとう。高齢で体力も低下傾向であったから、がんでなくてもあと五年生きられるかどうか。がんが再発して転移してというリスクよりも、放射線治療のリスクの方が大きかったのではないか。元々、年齢を考えて体力的に負担の大きい治療は慎重にと考えていた。しかし、初期の癌であるから放射線治療で9割治ると主治医の先生は簡単そうに言った。もっと詳しく、リスクについて尋ねるべきだったのだろう。

 今回のベッドは4人部屋の通路側で窓はない。しかし窓側の隣のベッドの方がカーテンを開けると、窓の向こうに北側の景色、なんと阿武山が見えた。

 

 地獄で仏という気持ちになった。過去を悔やんでも仕方がない。口に出せば母の心的負担が増すばかりだ。もう一度ジャガイモやトウモロコシの収穫を父に見てもらうために、ベストを尽くさないといけない。もちろん、阿武山の観音様には父のことをお願いした。遠く離れた宇品の窓から阿武山に手を合わせるのは私の特権かもしれない。明日もきっと、平常心であの病室にいられると思う。