瀬淵きゃぶ、JAZZと珈琲、そしていくつかの考える事柄

       日々、時々の事柄に、JAZZを聴き、珈琲を飲みながら考える。

二十一世紀の民主主義

2006年01月01日 01時48分48秒 | ジャーナル

 新年だ。二十一世紀になって六年目だ。
 
 去年のクリスマスの頃、ジャズの渡辺貞夫さんから励ましのお手紙をいただいた。
 正直、驚いた。まさか返事が来るとは………
 ナベサダからだぜ。
 僕の弟たちも喜んでくれた。

 僕は、弟たちと違って、まっとうな生き方をしてこなかったから。

 僕の「バードランドの子守歌」という小説は、四つの短編で構成されている。
 第一話、「バードランドの子守歌」は、ジャズのスタンダードだ。タイトルにも使った。
 バードは、チャーリー・パーカーのニックネームで、パーカーはアルト・サックス奏者だ。渡辺貞夫さんもアルト・サックスだ。

 チャーリー・パーカーという人は、ジャズの世界の坂本龍馬のような人だ。
 現代人の多くが支持しているモダンジャズの基礎を創りあげていった中心的なメンバーのひとりだった。

 明治維新は、坂本龍馬一人でやったわけではない。たくさんの維新の志士たちが頑張ったんだ。でも、その中で、坂本龍馬の存在は、抜きんでている。チャーリー・パーカーもそんな人なんだ。

 そのチャーリー・パーカーのニックネーム、バードの名をつけたバードランドというジャズクラブが、昔、ニューヨークにあったんだ。今はないそうだ。そのジャズクラブにちなんで作られたのが、バードランドの子守歌という曲だ。

 第二話「マーラー交響曲第九番」
 第三話平原綾香さんの「ジュピター」
 第四話「コートにすみれを」 ジョン・コルトレーンのファーストアルバム、「コルトレーン」の二曲目VIOLETS FOR YOUR FURS

 全四話にそれぞれの曲が登場する。そして「抵抗」という小説で四つの話がつながっている。一話、一話、独立して完結しながら、最後の四話で本当に完結するんだ。そして、ラストシーンで、奇跡が起こるというわけだ。 
 僕は、そんな小説を書いてみた。

 渡辺貞夫さんのからの手紙は、僕にとって、とてもいいクリスマスプレゼントだった。あらためて感謝したい。

 話を本題に戻そう。民主主義というものは、日本において、1945年の八月十五日の敗戦から始まる。明治維新によって日本は立憲君主制となった。天皇は、日本の王になった。
 それ以前は、封建時代で、将軍が王だ。

 つまり、日本の民主主義は、ある日突然やって来たんだ。
 ずっと、封建時代の価値観が続いていたといっても、いいすぎではないと思う。
 
 だから、戦後の日本の民主主義は、奇妙な民主主義だった。官僚は、あいかわらずお上だ。国会議員は、先生だ。総理大臣は、国家の最高指導者だ。
 もう、こういう古い価値観は、やめよう。捨てよう。僕はそう思う。

 何回も書いているが、国家というものは、政府と領土と国民によって初めて国家という。
 だが、政府と領土があっても国民がいなければ、国家ではない。
 しかし、政府と領土がなくとも、国民がいれば、国家という概念は、存在する。
 つまり、国家の本質は、国民なんだ。

 そのうえで、あらためて、民主主義とはなんだという基本的なことから、考えてみたい。
 
 まず、最初に主権在民だ。これが、民主主義の基本だ。
 国家の本質は国民だということも、これで明らかだ。
 
 そのうえで、一番いいのが直接民主主義だ。
 
 でも、国民の数が一億二千何百万人という事になると、全員をインターネットでつないで、直接民主主義をやろうとしても、無理だ。
 みんな、一日中、パソコンの前に座ってキーボードを叩きながら、それぞれの問題をどうするか、考えなければならなくなる。
 
 仮に、イエス、ノウ、で答えるようにしても、扱わなければない問題が、多すぎる。
 なにしろ、各省庁が担当するひとつひとつの問題を、片付けていかなくてはならないし、そして、地方自治体の問題も見ていかなければならない。
 
 これじゃ、物理的に無理だ。
 
 それで初めて間接民主主義という考え方になるんだ。
 そして、議会制民主主義という考え方になる。
 そして、初めて、民主選挙による国会議員を選ぶということになる。
 そして、官僚という公務員も必要になってくる。
 つまり、それぞれの事柄のエキスパートだ。

 こうしたものは、すべて国民である僕たちが僕たちのために作ったのであり、選んだということになる。
 
 国会議員も、総理大臣も、官僚も、自分たちがやりたい、やらせてくださいということで、僕たちは、やらせてやっているんだ。また、任せているんだ。

 僕たちは、こういう価値観を持つべきだ。
 
 よろしくお願いしますではない。
 
 いってみれば、僕たちが、日本という会社のオーナーで、社長という総理大臣を雇っている。国会議員という社員を雇っている。官僚という社員を雇っている。
 
 僕たちは、こういう意識を強く持つべきだ。

 そこから、これまでとはまったく違うものが生まれてくる。
 つまり、政治の失敗は、雇った社長、つまり総理大臣に責任を取らせる。当たり前だ。でもそれは、雇った自分の失敗でもある。損をするのは自分だ。その責任は、自分が背負わなければならない。

 官僚はなにをしているのか?くだらない天下りを作っている。これは、もちろん、本人たちを罰しなければならない。でも、見抜けなかった僕たちが、馬鹿だったんだ。なにしろ、オーナーは、僕たちだからだ。

 国の財政に関して、無駄遣いが多い。
 それを見抜けない。やめさせられない。それは、自分たちがだらしがないからだ。

 僕たちは、こうした、自分たちが主権者だという、強烈な意識を持つべきだ。
 
 そうでないと、例えば、社会保険庁の無駄遣い、信じられないような高いお金を出して、役にも立たない箱物を作り、それを、ただ同然で売り払う。そのことを怒っていても、怒り方が足りないんだ。

 もっと、怒っていいはずだ。
 僕たちは、絶対許さないぞ。お前たちは、全員クビだ。生活があるなどいう言い訳は聞かない。
 誰のために働いているのか、わかっているのか!
 そのくらいの、激しい怒りを持つべきだ。

 なぜなら、主権者は僕たちなのだから。

 当然、総理大臣は、国家の最高指導者ではない。どうするかは、最終的には、僕たちが決める。総理大臣は、政治の最高責任者だ。だから、失敗したら、クビだ。
 そして、最後の責任は、任せた自分たちが取らなければならない。

 これは、ある意味では、かなり厳しい。
 今までは、人のせいにしてきた。人のせいにできた。
 政治家が悪いんだ。役人が悪いんだと。
 
 でも、選んだのは、僕たちだ。
 やらせているのは僕たちだ。
 チェックしてこなかったじゃないか。
 オーナーは自分たちなのに。
 
 好きなようにやらせて、いかさまをし放題されても、文句も言わないし、言っても小さな声だ。気がつきもしないこともある。
 これじゃあ、オーナー失格だ。
 
 俺は、選挙に行っていない。政治家を信じていない。
 そういう人は、白紙委任状を渡したんだ。
 どういう結果になってもかまいませんということだ。

 こう考えると、僕たち主権者は、そうとう厳しい立場にあることになる。
 
 だからこそ、政治に関して、主張するべきなんだ。
 黙っていては、いつまでたっても、いいようにやられっぱなしだ。
 このブログを読んでいる人たちなら、ネットで、まず言おう。
 
 文句があるなら、政府にメールを送ろう。各省庁にメールを送ろう。与党にメールを送ろう。
 テレビ局にも、新聞社にも、メールを送ろう。

 自分のアドレスが知られるのが嫌だと思っても、頑張ろう。
 恐れずに、頑張ることだ。
 勇気を出して頑張るんだ。

 僕の世代は、若い頃、七十年代の反体制運動を経験している。
 僕は、まだ高校生の年齢で、理屈がわからず見ていた。
 でも、心情的には応援していた。

 その若者たちの反体制運動が、ボロボロに負けていったんだ。
 その負けっぷりは、ひどかった。
 僕たちの世代は、それを見ていて、三無主義になった。
 無気力、無責任、無関心。

 僕たちより少し上の世代は、権力には勝てないと思い知らされたんだ。
 そしてずっと権力に対して、敗北感と、無力感を持って生きてきた。
 逆らってもだめなんだ。文句を言ってもだめなんだ。
 そう思って生きてきた。

 でも、もう、21世紀だぜ。
 昔は、考えていたこと自体に問題があったんだ。それで、失敗したんだ。

 まず、共産主義が反体制運動の中心的な考え方だった。
 それから、革命幻想を持った。

 革命というのは、若者だけではできないんだ。それをできると信じたのが間違いなんだ。一般市民のおじさん、おばさんが、体を張って、協力してくれなければできないことなんだ。それを、自分たちだけでできると信じたのが、間違いなんだ。

 あのとき、七十年頃は、革命なんて、一般の人たちは願ってなんかいなかった。一部の若者だけが暴走した。

 それが、あの、72年の浅間山荘だ。そのあと、逮捕された連合赤軍たちの口から、榛名山のリンチ殺人事件が明らかになり、反体制運動は終わった。

 まったくやり方を間違えていたんだ。
 革命なんて必要ない。
 
 僕たちにとって必要なことは、僕たちにとって良い社会であることなんだ。
 
 そのためには、自分たちが主権者であるという強い意識を持つことが必要なんだ。
 
 そのことで、当然、政治に対して、厳しくなる。仕方ないなどと諦められなくなる。
 おかしいと思うことは、おかしいと、どんどん言えばいいんだ。
 また、官僚をお上とあがめることもなく、自分たちの権利を堂々と主張するだけでいいんだ。

 なにしろ、よくニュースキャスターや、新聞が、つけは国民にくるとか、結局国民の税金が使われるとか、なにか、国民には責任がないかのように言う。国民が、無理矢理、つけを払わせられるような言い方をするけど、ほんとはすべて僕たちの責任なんだ。

 テレビのニュースキャスターや、新聞は、客は僕たち国民だから、あんたたちに責任があるんだとは言えないんだ。
 それで、視聴率が落ちたり、部数が落ちたら困るからだ。

 でも、僕たちの責任なんだよ。ずっと自民党の一党独裁だった。
 一瞬、瞬間風速が吹いたが、あれは気のせいみたいなものだ。
 でも、自民党を選んできたのは、僕たちなんだ。
 まさか、これまでの選挙は全部いかさまだなんて言わないだろ。

 はっきり言えば、僕たちが、馬鹿だったからこうなんだ。
 無責任だから、こうなったんだ。

 じゃあ、どうする。
 日本には、言論の自由があるんだ。
 言いたいことは、どんどん言おうぜ。
 僕たちには、インターネットがある。

 問題だと思ったら、政府〈各省庁〉、与党、テレビ局、この三つにメールを送ろう。必ず、効果があるはずだ。

 もう21世紀なんだ。20世紀のように、長いものには巻かれろ。お上の言うことには逆らえない。
 いい加減によそうぜ。そんなつまらない価値観。

 僕たちが日本という国の主権者なんだ。


                バードランドの子守歌 著者 瀬淵きゃぶ Amazon
 

 

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