トトラの馬

元々はエコロジーやスローライフについて書いていましたが、とりとめなくなってきた。

津波のニュースに

2004-12-27 20:21:07 | できごと
昨晩遅く帰宅して、津波のニュースに目を見張りました。
地震自体の規模もさることながら、津波だけでも被害者が1万4000人とのこと。時間が経つにつれ、報道される死者の数もどんどん増えています。
津波に関しては、現地では警報システムが整っておらず、知らずに巻き込まれた人が大勢いるようです。
突然襲ってくる地震という天災は避けることができません。また、防波堤や防潮堤の不備もあったでしょう。でも、警報さえ出ていれば津波による被害者はもっと少なくて済んだのではないかと思うと、本当に胸が痛みます。

わたしの母は宮城県の塩釜市という港町で育ち、チリ津波を体験しています。こどもの頃から、津波の話は母からも、祖母からも、何度も聞きました。

小さな山の上に建った母の実家からは、港が一望できました。
その日は朝から、港の中を船がくるくると回っていて、母はお祭りのようだと思ったそうです。
お祭りの日、湾内の遊覧船がパレードをする様子にそっくりだったのです。

しかし、ふと水平線をみると、向こうの海が盛り上がって真っ黒な壁のようになっていて、お祭りではないと分かりました。「津波というけれど、あんなものが波だとは思えなかった」と言います。
記録を調べると、波の高さは日本では1mから最大でも5mとのことですから、きっと海面自体が盛り上がっていたことと、その後の被害の様子とを合わせ覚えて、より大きく高い恐ろしいものとして記憶されているのかもしれません。
ともあれ、母の記憶の中では、海の壁は近づくにつれてどんどん大きく高く見えるようになり、あっという間に港町に襲い掛かりました。

波が近づく様子も、その波が全てを押し流した様子も、山の上の家からはすべてが見えていました。やがて、人びとが山の上を目指してどんどん逃げてきました。
祖母はその頃には大慌てで家中の釜いっぱいにご飯を炊き、家族総出でおにぎりを作って登ってきた人たちに分けたそうです。

このチリ津波以降、太平洋では国際的な警報システムが整備されたとのことですが、なによりも、地震があればそれが遠い外国の話であっても津波が来る可能性があるということ、そしてその津波がどれだけ恐ろしいものなのかということを実感し、わたし達日本人も含め被害地域の人間は意識が変わったのだと思います。
同じアジアのこんなに近い国にいながら、そしてこんなに情報が伝わりやすい世の中になっているのにもかかわらず、その教訓を共有することなく新たな津波被害が出てしまったことに、悔しい思いを感じます。
日本政府も支援を惜しまないとの報道がされています。
医療、物資や復旧支援はもちろんのこと、警報システムの普及もぜひ力を入れてもらいたいです。