カバ社長の日記 caba note

壁画やオブジェの制作会社ビッグアートの社長日記。「面白くなければ人生じゃない」がモットーの熱い熱いカバ社長の物語です。

「好き」を仕事にする

2015-04-18 12:14:54 | カバ的アングル

誰もが「好き」を仕事にしたい

毎年、壁画や造型の仕事を求めて多くの学生がやってきます。

アート系の学生たちは「好きなことを仕事にしたい」という課題をもった人が多いです。

学校では、「好きで絵を描くのと、仕事として絵を描くのは全く違うものだ。

好きだけでは仕事は続かない」と先生に言われているようです。

 

最初から「好き」はわからない

私も若いときまわりの大人たちから良く聞かされました。

大学選びを始める高2の頃から、27歳頃まで進路のことでいつも悶々としていました。

  • 好きなことをやるか。
  • 得意なことをやるか。
  • 将来有望で高収入が見込める仕事をやるか。

私の場合は「好きなこと」以外は、いくらやろうとしても

モチベーションが上がらずに長続きしないですぐ挫折。

学生時代からいろんなアルバイトをやって

自分に何が向いているのか必死にもがいていました。

その職種は35、6種にも及びます。

結局、アルバイトではさわり程度の体験しかできないので、

その仕事の真の魅力というか真骨頂まで届きません。

職種がいくら異なっていても、あまり違いが感じられないのです。

物理、化学、英語が得意で大学は工学部(航空宇宙学科)に進みましたが、

仕事となると気持ちが積極的に向いていかない。

「自分の好きなこと、夢中になれることは何だろう?」

「自然に自分の心が向かうことは何だろう?」

と何年間も自分に問いかけ続けた結果

「映画、演劇の演出」の分野でした。

映画の学校に通ったり、劇団に入ったり、舞台美術のアルバイトをしたり・・・。

その頃は、すでに親から勘当されていましたので、貧困状態がつづき、

住み込みで働いたり、転々と居候生活を続けていました。

結局、食っていける目処がつかず挫折。

住み込みで、小売業の世界に転がり込んだのです。

よりによって、自分が一番苦手意識を持っていたいわば大嫌いな仕事を選んだのです。

住み込みで食事付き、給料がそこそこ、というだけの簡単な理由です。

我慢して働いて少し貯金ができたら、辞めてまた考えようと思いました。

ところが、嫌で苦手だと思っていた仕事が、1年も経たずに一変したのです。

素人ながら、好奇心で商品の陳列やPOP などを工夫していたら、

今まで売れなかった商品が急に売れ始めたり売上が驚くほど上がったりして、

店長に抜擢され、その後私流の売り方を部下に指導して数多くの店長を輩出・・・・。

あれよあれよという間に、出世コースのど真ん中を歩いていました。

私の経歴はドラマのように奇想天外で、

話し始めると長くなるのでここで止めて、話を元に戻します。

 

 人の数だけ職業がある?

私は20年ほど前に、今の会社を起業しました。

航空工学 → 映画 → 小売業 → ビジュアルマーチャンダイジング → アート制作

一見脈絡のない私の経歴ですが、私の中では必要不可欠で密接につながっています。

どんな基準で進路を選択したのかと言うと、「嗅覚」以外の何者でもありません。

 

当初は「壁画制作業」でしたが、あえて「環境アート」と私は呼んでいました。

私はいつも本質をはっきりさせるために、このように「自分の腑に落ちる言葉」で自分の仕事を定義します。

まだこの段階では、これが天職だとは気づいていませんでした。

壁画をデザインする時に、いつも「今回の壁画は何のために描くのか?」と自問自答し、

「集客のため」「動線誘導のため」「業種表現のため」「患者の癒やしのため」「地域の名所づくりのため」など

ゴールを設定して、そのために「どんな要素が必要か」「どんな仕掛けが必要か、」を考えるのが癖でした。

それが、壁画業の中で独自の道を歩き始めるキッカケになったようです。

 

この仕事を始めて約20年、私は正に「一番好きな仕事」にたどり着きました。

既存の業種カテゴリーには当てはまらない独自の仕事です。

しかも、

  • アートを使って世の中で困っている人を助けたい。
  • アートを志す若い人たちに新たな活躍の分野を切り開いていきたい。

という大きな夢と使命を持っています。

 

「好き」を極めたら、世界で一人しかいない職業にたどり着く

よく考えてみたら、40年前にめざしていた「映画、演劇、音楽の演出」に限りなく近くて、しかもオリジナルの仕事です。

外から見たら「アート制作業」に見えますが、「空間演出デザイン業」です。

ある時は、人を楽しませるエンターテインメント空間づくりであったり、

ある時は、建物や空間または街並み景観のネガティブイメージを解決することであり、

またある時は、お店の集客のための外装や看板であったり、

私の中では、過去の独自経験がすべて融合した私のすべてのスキルが活かされる仕事です。

今後は大好きな「映画」や「演劇」「音楽」の要素も、

空間演出デザインのツールとして取り入れていきたいと思います。

多分、今私がやろうとしている仕事は、世界で私だけなのだと思います。

その意味では、自分の「好き」や「好奇心」「疑問」などを追求していくと、

その人しかたどりらない生い立ちや経歴を通して

世界でたった一人の仕事(職業)に到達するのだと思います。

 

「好き」は無限のエネルギーの源

最初から「自分の好きな仕事が何なのか」がわかっていた訳ではありません。

ましてや、今の仕事を昔から知っていてめざしてきた訳ではありません。

目の前にある仕事や状況から逃げずに

ただひたすら夢中に取り組んでいたらたどり着いただけです。

「自分が何が好きか」と考えるのを止めました

本当に好きであれば自然にそこに向かっていくだろうと

自分の気持ちに素直に忠実に従いました。

まわりの意見はあまり関係ありませんでした。

それは今でも同じです。

自分の内から沸き上がる疑問や好奇心や情熱に

素直に向き合うこと。

後で後悔しないように、できる範囲で納得するまで取り組むこと。

それを、「自分の能力では無理だ」とか「状況が許さない」とか

いろんな理由を付けて自分のやる気の芽を摘み取ってしまわないことです。

「好きなこと」を思い続けたりやり続けることは一番簡単なことです。

あまり努力しなくても、自然に心も体もそちらを向きますし、

10時間でも20時間でも寝食を忘れて打ち込めるからです。

 

まわりのネガティブシャワーに気をつけろ!

ところが、多くの人にとってそうではないようです。

それは、まわりのネガティブな意見に影響されてしまうからです。

「アートなんて食っていけないよ」

「アートの仕事は不安定で、将来性もないぞ」

自己中心的な思い込みを押しつけて子供の夢を諦めさせる親が、最近目に余ります。

人は、自分の経験から来る思い込みで意見や助言をします。

それが相手の気持ちをどれだけスポイルするかなんてお構いなしです。

でも選択するのは自分、選択に責任をとるのも自分です。

自分の人生には誰も責任を取ってはくれません。

確かに最近はアートで稼ぐのが難しい状況です。

私に言わせれば「だからどうした」です。

どんな職業も、程度の差こそあれ、いい時もあればどん底の時もあります。

古今東西、この世は常にシーソーゲームのようなものです。

ある地域(国)、ある産業が永遠にいい状態が続くことはないのです。

順位はいつも入れ替わっていますし、最上位と最下位が逆転することもあります。

いい時、いい場所だけを狙って職を転々とするのは一番空しいと思います。

どこに住もうとどんな仕事をしようと、いい時もあり悪い時もある。

悪い時は、逃げるのではなく、じっくりと正面から取り組んで行けばいいだけのことです。

それが好きなことであれば、苦になるどころか

闘志が出てきてむしろワクワクします。

他人から言われて諦めるのは、所詮「好き」ではなかったということだと思います。

 

自分の今の姿を見つめてみよう!

若い人たちに「好き」を仕事にすることを理解してもらうために、

こんな図を作ってみました。

  • 「好き」で「できる」こと = 趣味  →問題:社会のニーズがない。
  • 「社会に求められていて」「できる」こと = 労働  →問題:好きではない。お金のため。
  • 「好き」で「社会に求められている」こと =   →問題:自分にできない(スキルがない)。

「 自分が今どこにいるのか?」

「自分のめざす方向はどこか?」

「そのために何が足りないのか?」

を確認するリトマス試験紙のようなものです。

 

「好き」×「できる」×「社会が求めている」の3つが重なるゾーンが

  • 自分が生き生きとして取り組め
  • 自分の能力をフルに活かされ
  • 社会から感謝される(=報酬をいただける)

「好き」を仕事として続けられる条件です。

そこにたどり着けない人は、「労働」しかありません。

 

働くのが楽しくて、

自分のパフォーマンスが最高になって、

達成感や充実感があり心が豊かになれるスイートスポット=めざすゴールです。

 

好きに理由は要らない

ここで大切なことをひとつお伝えしたいと思います。

それは、「好き」に理由は必要ないということです。

と言うより、理由のある「好き」は本物ではないし、

長続きしないと言うことです。

つまり「好き」な理由が壊れた時に、砕け散ってしますのです。

絵が好きだから美大に行ったという人。

大抵は、まわりから「絵が上手いね」とか「絵の才能がある」と言われて

その気になった人が多いと思います。

ところが美大に入ってみると、

自分よりもっとすごい人が全国から集まっている。

自分がその中では特別突出して絵が上手いわけではないことに気づきます。

すると、急に自信をなくし、絵に対して好きという感情が薄れてきます。

こんな若者を嫌と言うほど見てきました。

もしかしたら、美大に入らずに

まわりからほめられる環境で絵を続けていたら成功していたかも知れません。

元々「好き」には理由も根拠も要らないし、単なる思い込みでもいいのです。

要は持続するかどうかだけなのです。

私のまわりには、美大にも専門学校にも行っていないのに

アーチストとして活躍している人が沢山います。

自分に生き方にいちいち理由を求めたり、

他人の了解を求めるのはナンセンスだと思います。

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