カバ社長の日記 caba note

壁画やオブジェの制作会社ビッグアートの社長日記。「面白くなければ人生じゃない」がモットーの熱い熱いカバ社長の物語です。

「橋の上のラジオ体操」は、ますます大盛況!

2018-02-07 18:43:54 | 地域活動

2012年の10月に私と新入社員の二人ではじめた「橋の上のラジオ体操」。

当初は10人集まればいい方でしたが、2年目には40人を超えるようになり、

2年目の秋には80人を超えることも珍しくなくなりました。

その間、私も模範演技をする手前、日体大で行われた全国ラジオ連盟の指導者講習会に参加したりしました。

お立ち台で模範演技する人も5〜6名になり、当初私がラジオを2台用意していたのですが

ラジオを持参してくれる人も出てきました。

日曜日にはラジオ体操の後、講師の方のご厚意で太極拳も毎週行うようになりました。

集まってくる人も小学生から90歳のお年寄りまでと幅広く、

終わった後も、いろんなグループで集まって活動をするようになっていました。

初めて2年で、当初の目標はクリアしました。

私抜きでも何の問題もありません。

私の役目は終わりました。

ゼロから立ち上げて、軌道に乗るまでが私の生きがいで、

軌道に乗った後、維持したり発展させていくのは次の人にお任せするのが一番です。

そこで、2周年を過ぎたあたりから、少しずつ抜けるようにしました。

そして、2年7ヶ月が経った2015年の5月をもって完全にフェードアウトしました。

引退ですね。

 

私は、サラリーマン時代からずっとそういう役目を繰り返してきました。

会社で新しい部門を立ち上げて、1〜2年で後輩に任せて、また新しい部門を立ち上げる。

ゼロから何かを立ち上げて軌道に乗せるまでが一番面白くて燃えます。

形ができて人が育つと、その組織に長居したくない性分なんです。

 

今朝、久しぶりにちょうどラジオ体操の時間に車で会場の前を通ったので、

気になって見たら、この寒い中40人近い人が集まっていました。

私がいなくなって、ますます発展している様子でホッとしました。

 

そういう私も、今度はもっと大きな活動に向けて準備中です。

 

 


ラジオ体操そしてアートによるまちづくり

2013-05-25 17:45:43 | 地域活動

15年以上前から、「アートのあるまちづくり」「アートによるまちづくり」をテーマに春日部市を中心に活動してきました。
もともと春日部市にはたくさんのブロンズや石の彫刻が点在し ていて、そこに私たちの手がけた壁画やシャッターアート、商店のオブジェ看板など街のいたる所でアートが市民の目にとまるようになり、市民のアートに対する関心も高まってきました。

「アートでまちを元気にしたい」「ワクワクする場所をつくって人が集うまちにしたい」という目標に向かって頑張ってきましたが、どうも何かが抜けている感じが否めません。
アート作品が多いだけでは、まだまちが元気になるまでに至りません。
長年続いてきた経済偏重社会や情報化社会のひずみ、それが人と人とのコミュニケーションの

まちづくりの活動を通して感じてき大きな障壁があります。
それは、商店や住民が隣近所のコミュニケーションがなくなってきたこと 。
その現象は、会社の職場や家庭にまで広がり、かなり深刻な問題です。
まちに元気がなくなり、商店が1軒また1軒と消えていく。
これは、全国的な現象です。
「街に人影がなくなったから商売は成り立たない」と 商店主を始め多くの人が異口同音に言います。
果たしてそうでしょうか。 
人がいなくなったわけではなく、人が家と職場や学校以外の場所に行かなくなった。
つまり、閉じてしまっているのです。
近年の深刻な経済不況 は、経済や金融政策には及ばない所にあると感じます。
人々のメンタリティこそが低迷の最大の 原因です。
「人と関わりを持ちたくない」 「余計なことに関わりたくない」という人が近年異常に目立ちます。
結果、うつ病や引きこもりになる人が私の身の回りにもたくさんいます。
友だち付き合い、近所付き合いが減り、孤独に暮らす人が増えることは、経済だけでなく社会としてまずい状況です。

多分多くの人がこのことに気づいていて、深刻に考えると滅入ってしまうので避けているのでしょう。
私は、このことに正面から向かい合いたいと思ってきました。
実は、昨年から始めたラジオ体操もその取り組みのひとつです。
7ヶ月前にたった2人で始めた ラジオ体操が、今朝33人でした。
参加している人たちは、本当に元気で明るいです。
単に健康だけが目的ならば、自宅でやれば済みます。 
 「公園橋に行けば皆と会える」「ラジオ体操を皆とやると楽しくて毎日続けられる」そんな思いが伝わってきます。
ラジオ体操をキッカケにした社交の場なのだ強く実感します。
お年寄りの社交の場が、病院の待合室から早朝のラジオ体操の 会場に移る。
早朝から健康にいいことをやり、知らない人と友達の輪が広がり、 生きることにポジティブになっていく姿が見られて、まさに冥利に尽きます。
家に閉じこもっていたお年寄りが、人との絆や楽しさを求めて外向きになり街に出てくる。
ラジオ体操で毎日100人が参加する状況をつくること。
それが、きっと発火点になるはずです。

そして次は、子育て世代の主婦と子供たちが街に出てくる状況をつくること。
子育て中の主婦とその子供たちとまちや商店との新しい関係づくり。
アートを通して、世代を超えた人々がつながり共感しあえるまちにできないか。
「まちはミュージアム」というビッグアートの大きな願いに向けて、「第一回まちはミュージアム」の開催を準備しています。


いろいろと発展する「ラジオ体操」

2013-04-15 14:53:50 | 地域活動

新入社員と二人で始めたラジオ体操。
6ヶ月が経過しました。
その間、雨と雪で中止になったのはたったの4日間。
元旦も休むことなく、最近は、雨の日も東屋(定員4人)の下でやっています。
しかも、私は皆勤賞です。
毎週土曜日だけは、ゴミ拾いと掃き掃除も欠かしません。
半年もよく続いたものです。
あまり力まずに気楽に始めたのがよかったのだと思います。

お立ち台で私と新入社員が模範演技をしていましたが、最近ではもう一人増えました。
この2週間、ラジオ体操連盟の指導員の方が毎日1~2名来て、本格的に指導していただくようになりました。
そして先週に12日、ついに参加者は20人を達成。

飲み会や花見などもやるようになり、コアメンバー(5人)の結束も深まりました。
その中の一人が、自主的にラジオ体操実技講習会(東京)に通い始め、指導員資格に挑戦するまでになりました。

ここまで盛り上がってきたのは、本当にうれしくありがたいことです。
しかし、ここで大きな岐路にぶつかりました。
参加者たちから、ウェアや帽子を揃えたいという声が上がりました。
また、ラジオ体操連盟から連盟への加入の誘いがありました。
当社は、会が盛り上がることはいいことだと、受け入れようとしました。

うちの奥さんにそのことを話すと、「そんなことをしたら、皆が気楽に参加できなくなるよ」と反対意見。
ハッと気づきました。
こんな風に散歩途中の人が三々五々集まり、通りがかりの人が飛び込みで参加してくれるのは、自然発生的で自由な雰囲気があるからだと。
そこで、コアメンバーの人たちに問いかけました。
「この会には名前つけない。会長もいない。ユニフォームも作らない。そんなゆる~い「烏合の衆」よような集まりで行きたいと思いますが、皆さんはどう思いますか?」
全員が異口同音に「その方が誰でも自由に参加できる」「会を作ると縄張りができて一般の人が近寄りにくくなる」など、手放しで賛同していただきました。
ということで、ラジオ体操連盟には加入しないことに決定。
もちろん、ラジオ体操連盟を否定するものではなく、むしろより広い輪に広げたいというのが主旨です。

これまで、15年以上まちづくり活動を続けてきて、自分でも「かすかべ元気印の会」など活動団体を立ち上げてきました。
自分の熱い思いがあり、自分だけが先走りしてジレンマに陥ることしばし。
自分がストイックになることで熱狂的な支援者はできるのですが、閉鎖的になったり、排他的になり、活動の輪が広がらないという限界を感じていました。
もうひとつは、活動がトップダウン的になり、意思決定や行動は迅速なのですが、参加者の自主性が薄れ、人任せになってしまう。
このことの反省から、「かすかべ元気印の会」(約2年間活動)も3月一杯で一旦発展的に解散しました。
市民活動のあり方について悶々としていた私に、もっともヒントを授かったのがこの半年間のラジオ体操なのです。

正式に会を作って、ルールを決めて活動すると、参加者は義務的で受け身的になりやすいものです。
そして、幹部グループと会員たちの間にギャップが生まれ、会員が離反していく。
例会や総会には、幹部の数人しか集まらなくなって形骸化していく。
そういう悩みを抱えた団体をよく見かけます。

逆に、私が勝手にラジオを持参して始めただけのラジオ体操。
そこに集まった来た人たち。
私が遅れたらという心配から、ラジオを持参する人が出てきます。
参加する人が減ったら存続しないのではという心配をして、ウォーキングをしながら参加を呼びかける人がいます。
雨の日も私一人でやっていると、可哀想だからと来てくれる人がいます。
杖をついて引きずるようにして歩いていた人が、ラジオ体操のおかげで杖が要らなくなったと喜んでいる人がいます。

私の動きは今までとは真逆です。
空気のような存在に徹し、じっくりと自主性が育つのを待つ。
私は、毎日欠かさず朝の6時30分にラジオを持って会場に行き、10分間のラジオ体操を淡々とやるだけ。
そして、誰かがいい話をしたら、それを皆さんにお裾分けをしてあげる。
つなぎ役です。

まちづくりは、住民の自主性に基づいていない限り空振りになり、一過性で終わってしまいます。
今のラジオ体操の活動は私にとって最高の勉強の場です。
「住民の意識やパワーもまんざらじゃない」という実感が私を勇気づけてくれます。

単なる「健康づくり」から「助け合い」や「絆」といった「共助社会」(コミュニティ)の芽が育ち始めています。
今までの商店や商店街中心のまちづくり発想から住民中心のまちづくりに、私も少しずつ目覚め始めています。
行政主導のまちづくりに大きな疑問を持っていた私に、少し明るい日差しが差し込んできました。

以上が、今日この頃のラジオ体操の成果です。
たかがラジオ体操、されどラジオ体操。
次の半年で大きく進化していくような予感がして、毎日がワクワクです。


幸手宿でシャッターアート始まる!

2013-02-11 19:13:39 | 地域活動
春日部駅東口地区の旧宿場町の面影再生プロジェクト「粕壁宿シャッターアート」は、今年で3年目を迎えます。
今月から来月にかけて2ヵ所に描く予定です。

ところで、今年になって幸手市や杉戸町など近隣の町でも宿場町をテーマにしたまちづくりの動きがわき上がっているようです。
この度初めて、幸手市でシャッターアートを描くことになりました。
旧日光街道沿いにある「永文商店」さんです。
その昔、廻船問屋だったという旧家。
この辺りには、木造の古民家が数多く点在し、この家もそのひとつ。

廻船問屋とかつて幸手宿を訪れたという芭蕉を題材にして構成した壁画を制作。
お店の休業日を狙って、2月10、11日からスタート。
2月末から3月初めに完成予定です。

絵の内容は完成後のお楽しみです。


ラジオ体操プロジェクト?

2012-10-22 06:51:07 | 地域活動
ラジオ体操を始めました。

今日で9日目です。

会社の近くの古利根公園橋で、NHKのラジオに合わせて朝6時半から10分間です。
毎週土曜日だけは、ラジオ体操の後に公園橋を清掃します。
発起人は、私と春日部市内に住む兵庫県から上京してきた新入社員です、

初日は、元気印の会の仲間が一人加わって3人からのスタート。

2日目は、新入社員が寝坊して私一人だけ。

3日目も我々二人だけ。

心細いスタートでした。
散歩している人はちらほらいるのですが、チラッチラッとこちらを見ながら通り過ぎていきます。
声をかけてみるのですが、恥ずかしいのか通り過ぎていきます。

4日目。
ちょっと変化がありました。
人なつっこい70歳位のおじさんが、「ここでもラジオ体操やってるんだ」と言って入ってきて、それにつられるように集まってきて、結局7人になりました。
人なつっこいおじさんと、終わった後も30分ほど井戸端会議。
初めての手応えです。

5日目、また3人に減ってしまいました。
でも、心強い声援をいただきました。
「がんばって続けてくださいね。誰も来ないと止められてしまうから、私もがんばって毎朝きますから」
ここ2,3回見かける小柄な70前後のおじさんです。

6日目、6人。

7日目、5人。
また、変化がありました。
私たちのいる場所から2~30メートル離れた川の畔で、一人また一人、こちらに合わせてラジオ体操をやっているではありませんか。
感動して、心が躍りました。

8日目、6人。

そして、9日の今朝は10人!
昨日までとは、雰囲気がまるで違います。
迫力というか、頼もしいというか。
しかも、初めて見かける人は一人だけ。
みんな、私たちのことを気にかけて、声をかけあって集まってきてくれたようです。
もうそこには、仲間意識のようなものが漂っていました。
体操が終わると、「また明日もお願いしま~す」と声を掛け合って帰って行きます。

いいですね。
まち中にこんな光景が見られるのを待っていたんです。
まちを歩く人々が、あいさつを交わしたり、気さくに声を掛け合ったり、そこで出会ったものに足を止めて、知らない人同士が井戸端会議を始める。
近年はなかなか見かけなくなった懐かしいまちの風景です。

うつ病や引きこもり、一人暮らしの老人が増え、異常犯罪が後を絶たない今日の日本。
「人」という字は「一人と一人が支え合う」と書きます。
人と人が出会い、集まり、仲間ができ、共に行動し、共に遊ぶ、そして助け合う。
以前は、それがごく普通の社会の姿でした。
近年、ファミコンゲーム、インターネット、携帯電話等々、フェイス・ツー・フェイスの人間関係が壊れ、人々が孤立し、果ては病的症状を訴える人が、私の周りでも多く見かけます。
むしろ健全で健康な人の方が少ないように私は感じます。

結果、まちから人の姿が消え、商店街もお店も活況がなくなり、経済がどんどんしぼんでいく。
それが回り回って、国民全体の生活が立ち行かなくなる。
巨大規模の「負のスパイラル」です。
世界的な拡大経済のひずみ、核家族化の行き過ぎなども絡んで、原因や問題が見えにくくなっています。

話が大きくなってしまいました、

私は15年ほど前から、まちの活性化のためにいろんな活動を行ってきました。
まち中に近代的で大規模な箱ものを作っても、大きなイベントを仕掛けても、なかなか人が集まってこない時代です。
従来型のまちづくり、活性化策には限界を感じます。
お金とかけて力づくで人を集める時代は、もう終わったと痛感します。

もっと人と人が近づく。
人と人が出会い、触れ合い、理解し合い、助け合う。
震災後の東北の復興も、そんな地道な動きから大きなうねりに発展していくんだろうと思います。
身近で、日常的な活動を飽きずに続けること。
まちが、日本が元気になる出口は、そこにあると確信します。

たかがラジオ体操、されどラジオ体操。

今春大学を卒業して入社してきた新人社員に、毎日10分間のラジオ体操で市民の輪を広げていけば、自分自身にも、会社にも、このまちにも大きな変化をもたらす成果に必ずつながるということを実践の中で体得してもらいたいと大きな期待をかけています。

焦らず、地道に、気長に続けていこうと思います。

NHK-FM生放送に初出演!

2012-05-31 21:15:55 | 地域活動
春日部駅東口地区(旧「日光道中・粕壁宿」)の宿場町のイメージを再現した「まちかど歴史絵巻・シャッターアート」は、2月末で念願の30件を達成。
その後も、シャッターアートの申し込みが後を断ちませんが、制作は一旦中断して、3月以降は「粕壁宿」と「シャッターアート」の広報活動に大忙しです。

3/15(木) NHKのTV「こんにちはいっと6けん」オンエア
3/22(木) まち歩きガイド「粕壁宿・歴史探訪」と絵地図の編集・発行。(3万部)
3/26(月)~4/8(日) 「桜まつりと古利根ウォーク」(元気印の会ではスタンプラリーに参加)
4/17(火)~4/24(火) 「シャッターアート写真展」(春日部市役所 1Fロビー)
4/26(水)~5/2(水)  「シャッターアート写真展」(庄和支所 1Fロビー)
5/5(土) テレビ埼玉「埼玉ビジネスウォッチ」オンエア
5/24(木) NHK-FM「日刊さいたま~ず」生放送出演

昨年から新聞やテレビに出る機会が一気に増えました。
でも、ラジオの生番組は初体験でもあり、とても新鮮です。
しかも、私のリクエスト曲を2曲かけてくれるという連絡が2週間前にあり、事前に選曲を知らせて欲しいとのこと。
うれしいですね。
でも、2曲を選ぶのは迷います。

当日、夕方5時半にスタジオ入り。
簡単な打ち合わせを済ませて、6時から本番。
しかも、出演時間が35分間と結構長いので、話しが続くかどうかちょっと心配。
ぶっつけ本番の生放送だし。

でも、アナウンサーの佐々さんが終始とてもフレンドリーだったので心配は無用でした。

シャッターアートを始めたきっかけ。
苦労話。
元気印の会のこと。
店主や市民の反応。
今後の活動の展望。
などなど。
あっという間の35分間でした。

スタジオの生放送中に聴く自分のリクエスト曲は、ラジオで聴くのと違ってちょっと変な感じ。
で、散々迷った私のリクエスト曲は
ボブ・ディランの「コーヒーをもう一杯」(アルバム「欲望」より)
森田童子「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」(アルバム「マザー・スカイ」より)
でした。

いずれも1975年前後の曲で、私の青い時代(20代半ば)悶々としていた頃の思い出の曲です。
充実している今の仕事や夢を語りながら、35年前暗いトンネルの中にいた頃の思い出の曲を聴く感じが真逆で不思議気分でした。
NHKの佐々さん、ありがとうございました。
いい思い出と癒された一時でした。
こうして書いている間も、青春時代の妄想にふけっています。



さて、話はまた現実に戻って、来週6/4(月)は共栄大学の学生たちの前で90分間話すことになっています。
国際経営学部、特に観光ビジネスコースの学生たちに、春日部のまちづくりを通してコミュニティビジネスの実践体験を呼びかけるのが狙いです。

6/20(水)~7/16(月)は、ロビンソン百貨店7Fで再びシャッターアート写真展が始ります。
しかも期間中の7/14(土)~7/15(日)は、例年20万人の人で賑わう「春日部夏まつり」。
20数基の御輿(みこし)が、このロビンソン百貨店前広場から出発します。
その意味では、シャッターアートの最高の晴れ舞台。
市民に、春日部が宿場町であったことを再認識してもらう絶好のチャンスです。

6月に入ると、またシャッターアートの制作も再開します。
7~8月は、女子美術大学の学生たちを中心に「粕壁宿アートプロジェクト」も予定しています。

3月末に3万部もつくったまち歩きガイドの「粕壁宿・歴史探訪」と絵地図。
観光ボランティアさんたちのまち歩きや写真展、市内観光施設や東武線主要駅での配布で、残部がほとんどなくなったという報告がありました。
当初は、3万部もつくったらどうやって配るんだという声もありましたが、増刷の可能性もでてきました。



こんなふうに、私のアートの仕事はどんどんまちに溶け込み、ビッグアートの仕事も「アート」と「まちづくり」の境目がなくなり、今後どんなすごい展開が待っているのか想像もつきません。
正にドキドキ、ワクワクの毎日です。
アラカン、第2の青春時代です。

春日部市のシャッターアートはここが違う!

2012-02-16 13:05:44 | 地域活動
昨年の1月に古利根川公園橋の公衆トイレに「日光道中・粕壁宿」をテーマに壁画を描いたのがきっかけで、たった1年間で30ヶ所の街角歴史絵巻(壁画とシャッターアート)を制作しました。
最初の6ヶ月間は、理解を示す人が少なく前途多難な感じでしたが、シャッターアートを実施した店主たちのクチコミなどで理解者が次々と名乗り出て、9月以降だけで20軒も申し込みがあり、あまりの反応に驚いています。
それはそうと、このシャッターアートのことで、いろんな方から様々な質問が寄せられるようになりました。
聞いてみると、どうもそれらは私たちのやっているシャッターアートについて誤解をされているような感じを受けます。
そこで、誤解を解く意味でも「春日部のシャッターアートの違い」をお話ししておこうと思います。

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シャッターアートというと、街が寂れて廃業店が多い、いわゆる「シャッター通り」の活況演出や美化活動から生まれてきたというのが一般的です。
しかし、春日部市の場合は違います。
確かに10年前に比べると、街の繁華街が東口から西口に移り、人通りが減ったのは事実ですが、シャッターアートを描いた店はほとんどが営業している店。
現在30ヶ所のシャッターアートがありますが、営業していない店はたった2軒です。

春日部のシャッターアートは、「粕壁宿景観再生プロジェクト」の一環の活動です。
さびれた街をカモフラージュするのが目的ではなく、街に残っている魅力的な歴史的資源や自然の資源を市民に気付いてもらうための「見える化」運動がきっかけです。
自己主張するアートではなく、粕壁地区の歴史的景観を補完したり、まちの由来や当時の時代風景を説明するための挿し絵としての役割を担っています。

シャッターアートをきっかけに、この地区に住む人々が今まで気付かなかったこの街の魅力に気付き、様々な歴史遺産を大切に守り、街の魅力アップのために活用していく。
市民たちは、自分の街の素晴らしさに気付き、誇りを持って自分の街を愛するようになる。
その結果、市民が街中に集うようになる。
観光客も訪れるようになる。
そんなシナリオを目指しています。

従来のシャッターアートの大半は、シャッター通りをカモフラージュするだけの、どちらかというと消極的な活動です。
春日部のシャッターアートは、街の魅力づくり、埋もれた魅力の「見える化」という戦略的かつ発展的活動、つまり未来への積極的な投資だととらえています。


よく、いろんな方から言われることがあります。
・営業していない店にシャッターアートを描いても、町おこし(町の活性化)にはならないのではないか。
・逆に、活性化されて店が営業し始めたら、シャッターアートは見れなくなるから意味がないのじゃないか。
普通に考えると、ごもっともです。

全国あちこちで見られるシャッターアートは、店がいつも閉まっていていつでも見れます。
それに引き換え春日部のシャッターアートは、店が営業しているので、最初から店休日か早朝の開店前しか見ることができません。
確かに、一見ムダなことをしたように見えます。
私自身、やってみるまではそのことを危惧していました。
シャッターアートを描いても、街に人を呼べなければ、店が元気にならなければ大失敗に終わります。

そこで、シャッターアートを実施した店主たちがシャッターアートを店や街の集客につなげるための勉強会「かすかべ元気印の会」を結成しました。
その会は、会議で何かを決定する会ではありません。
シャッターアートを使って各店がいろんな販売促進活動を工夫し、その成果を発表しあう会です。
人の成功事例を聞いて自分の店に取り入れるもよし、負けじと別のアイデアを出して競うもよし。
真剣に考えて行動すれば、必ず突破口がみつかる。
まして、多くの仲間がいて、競ってアイデアを出し、即実践していったら恐らく半年で成果が出てくると確信しました。

案の定です。
もともとシャッターアートに取り組んだ店主は、問題意識と危機感を持ったやる気意識の高い人たちです。
あっという間に、自分たちが先頭に立って街を変えていこうという機運が高まりました。
・シャッターアートの絵をDMハガキにしてお得意様セールをやり、期間中は目印のためにシャッターを閉めて営業したら過去最高の売上を記録したという店主。
・シャッターアートの絵の中に登場する主人公を店のキャラクターとして愛称をつけてストーリー展開をし、お店にストーリーを作っている若い女性店主。
・名刺やホームページのメイン画像にシャッターアートの絵を活用し、店のイメージづくりをしている店主。
・「春日部」よりインパクトのある「粕壁」の地域ブランド商品開発を始め、シャッターアートの絵をラベルに活用している店主。
・シャッターアートの絵ををキーホルダーにして、販促プレミアムにしている店主。
・シャッターアートをアイキャッチャーとしてアピールするために、開店時間を遅らせシャッターアートをできるだけ長く見せている店主。
などなど。

最近は、「一店一もてなし」を各店が工夫し始めています。
シャッターアートが見るものだけでなく、店主たちのやる気づくり、そして応援旗としても威力を発揮しています。
まさに意外な展開です。

シャッターアートを店のシンボルイメージにして客に印象づけをしたいという要望から
・シャッターアートが見られない時間帯もアピールするために、シャッターアートの絵をパネルにして店頭に飾る。
・シャッターアートの絵をスタンプに入れてスタンプラリーを定期的に企画する。
・全部のシャッターアートの絵をキーホルダーにして、粕壁宿のプレミアムグッズにする。
というアイデアが出て、もうすでに実行に移しています。
「元気印の会」に参加している人がすべてやる気満々の若手店主なので、行動の早さはすごいです。

ビッグアートとしても、せっかく描いたシャッターアートの活用方法を提案し続けなければなりません。

その一つが、シャッターアートのライトアップです。
店休日か早朝しかシャッターが閉まらないということは、平日は近所の散歩する人か、通勤通学で通る人しか見れません。
昼間シャッターが閉まっているのは、街が死んでいるということ。
ならば元気な街のシャッターアートの新しい楽しみ方として、夜ライトアップすることで、逆にまわりが暗いことが絵を引き立ててくれる訳ですから最高です。
できれば、まわりに点在する蔵づくりの建物もライトアップしたらどうでしょう。
粕壁宿の歴史や当時の時代描写をした歴史絵巻と蔵だけにスポットを当てたら、まさにタイムスリップしたような劇場空間に早変わりして、街がエンターテインメントなワクワク空間に!

もう一つは、シャッターアートの絵を観光ガイドの説明に活用してもらうことです。
もともと、歴史スポットの近くのシャッターにその歴史を描くというのが、デザインコンセプトなのでそれが一番の活用法なのです。
実は、3月から早速シャッターアートと歴史を巡るまち歩きツアーをボランティアガイドさんたちが企画しているようです。

また、ガイドさんがいなくても、シャッターアートを見ながら粕壁宿を巡れば、より当時のイメージが湧きますから、一人でまち歩きする人にも喜ばれると思います。
そのため、「シャッターアートと歴史巡り」のマップ付きチラシも3月中旬までに配布できるように準備中です。

もともとシャッターアートを実施した店主だけで結成した「元気印の会」ですが、ボランティアガイドさんや春日部情報のウェブサイトを運営している人、建築家など様々な立場の人が加わって、活動の範囲が一気に広がっています。
私は今、その会の座長もやらせていただいています。

ちょっと、話が広がってしまいましたが、シャッターアートをきっかけに春日部(粕壁)を愛する人たちが集まり始め、次代の「かすかべ」をつくる原動力として熱く語り、行動しています。
ちょっと違う春日部のシャッターアート。
少しはご理解いただけたでしょうか。

シャッターアートのできるまで~「矢部製麺所」篇

2012-02-10 14:51:25 | 地域活動
30軒のシャッターアートの中でもっとも難易度が高いのが「「矢部製麺所」です。
隣が松尾芭蕉が訪れたという東陽寺で、粕壁宿巡りの要所ひとつでです。
店主の温かいご理解で、店の宣伝色を全く無くし、観光客の歴史巡りに役立てていただくために粕壁宿の古地図を描かせていただくことにしました。
松尾芭蕉と弟子の曽良、そして芭蕉の句も入れることになりました。


古地図の原典は「日光道中分間延絵図」という東京国立博物館所蔵の絵図。



郷土資料館でコピーを頂いたが、昨年シャッターアートを描いた「紅雲堂」の店主が復刻版を持っているというのでそれをできるだけ忠実に再現することにしました。
とはいっても、シャッターのサイズも4間と大きく、しかも凹凸の激しい重量シャッターですからどこまで忠実に描写できるかちょっと不安です。
店の休みが日曜日だけなので、制作も2ヶ月にまたがる大作になります。

第1日目
シャッターのサビ落し、脱脂、サビ止めなどの下地処理。
次に、全体にベース色の塗装を施します。

第2日目
地図の下書き作業です。
地図なので正確さを期すために、地図の写真を直接プロジェクターでシャッターに投影することに。
昼間に、大きな道と川だけ原寸大の原稿をトレースし、塗り分けだけを終わらせておきました。
そして、暗くなるのを待って、プロジェクターの登場!
家を一軒一軒トレースするのは気が遠くなる作業です。
屋外なので夕方暗くなってからの作業。
寒さも厳しいです。

第3日目
プロジェクターで投影して下書きした家があまりに細かくて複雑で、塗り分けが不可能と判断。
せっかく下書きした鉛筆の線を塗料で全部消すことに!
とほほ、です。
結局、地図を拡大コピーして、それも見ながら描くことにしました。

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現場のない日は、文字原稿の準備や調色の作業もあります。
芭蕉の句の肉筆原稿が悩みのタネでした。
芭蕉の句は小渕観音院の句碑にある「ものいえば 唇寒し 秋の風」です。
芭蕉が粕壁宿を訪れtのは4~5月とされていて、この句は秋に詠んだ句ですからどんな因縁があるのかは定かでありませんが、
古い句碑が残っているということは、粕壁宿と何か関係のある句なのでしょう。



絵の中でもっともキメになる芭蕉の筆書きの文字です。
誰に頼むか、悩みました。
土壇場で浮かんだのが、以前一度だけお会いしたことのある篆刻家の大塚稔先生です。
当たって砕けろで電話をしたら、あっけなく快諾。
しかも、大塚先生は偶然にも芭蕉の研究者でもありました。
大塚先生に、芭蕉のことをいろいろと教わりました。
俳句の作者の署名が「者世越(はせお)」とあるのも不可解でしたがそれも解けました。
「蝶々」のことを「てふてふ」と書くのと同様に、「芭蕉」のことを「はせお」と書いたのだそうです。
賢くなりました。
打ち合せの翌々日、早々と芭蕉の筆跡に似せた書を持ってきていただきました。
さすがです!



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第4・5日目
家を描く人、木や林を描く人、文字を書く人に分けての制作作業。



第6・7・8・9・10日目
家の描く作業が多く、複数人で描くとタッチにバラつきが出るので一人だけで作業することに。
日曜日だけでは長期間になりすぎるので、店主にお願いして、店の仕事に影響の少ない平日の午後に作業させていただくことにしました。



そして11日目、いよいよ最終日です。
松尾芭蕉と曽良を仕上げて完成です。



今まで描いたシャッターアートの中で一番地味ですが、一番手間がかかりました。
そして、歴史まち歩きの人たちの古地図に対する喜びの反応を見て、もっとも存在感のある作品だと実感しました。

もう一つ発見です。
以前の東陽寺は二つのモダンな建物に挟まれて、窮屈で風情も損なわれていたのですが、古地図と芭蕉のシャッターアートを描いたことでぐ~んと引き立ち、写真を撮っても絵になるようになりました。




シャッターアートのライトアップ

2012-02-10 10:42:48 | 地域活動
シャッターアートは、「シャッター通り」になってしまった商店街のにぎわい演出に使われるのが一般です。
確かに春日部駅東口地区は、10年前とは打って変わって人通りがなくなり閉店する店が目立ちます。
しかし、今回施工した約30ヶ所のシャッターアートの中で、営業していないお店はたった2軒だけ。
いつでも見ることのできる物件は、公衆トイレや町内会館、消防団倉庫など通常シャッターが閉まっている建物を入れても9軒だけ。
つまり昼間、店が営業していて見ることができないシャッターアートが21軒もあるのです。
シャッターアートを昼間見ることができないということは、店がちゃんと営業しているしているということですから、むしろ喜ばしいことです。

ということは確実にシャッターアートを見ることのできる時間帯は早朝だけということになります。
しかも、東口地区は老舗店など朝7時にはすでにシャッターを開けている店もあり、市民から
「シャッターアートが30ヶ所もあるとは知らなかった」
「いくらたくさんシャッターアートがあっても、いつもシャッターが開いていてなかなか見れないからもったいない」
という声をたくさん頂戴します。
しかも、冬の間は寒くて早朝にシャッターアート巡りというのも大変です。
そこで、今後は夜のライトアップを提案していこうと思います。
むしろ、昼間より夜の方がまわりが暗いため、闇の中からシャッターアートだけがトリミングされて、くっきりと浮かび上がるのでむしろ、幻想的で非日常感を楽しむことができます。
それこそ、いにしえの時代をタイムトリップすることができる。
これも、逆転の発想です。
これから春に向けて、LEDのスポットライトで「夜の日光道中・粕壁宿」を演出していこうと思います。
まさに「粕壁宿ナイトギャラリー」として、温かくなったら夜のまちを散歩する市民が増えること請け合いです。

今のところ新規にライトアップをしているところはありませんが、たまたま既設のスポットライトを活用してライトアップをしているお店があったのでご紹介します。



「染のやまとや」さんです。
ライトが電球色なのでちょっと暗いですが、絵の雰囲気や時代背景とはマッチしていて温かい感じが伝わってきます。
この絵が、寒い夜など、通勤帰りのビジネスマンの心をきっと癒してくれていることでしょう。

蔵のある街並みで、こんな風に映画のスクリーンのように歴史絵巻が浮かび上がったら・・・・
しかもそれが30ヶ所もあったら・・・・
春日部駅の東口地区(旧「日光道中・粕壁宿」)が夜のまち歩きスポットとして市民やまわりの町から多くの人々が訪れることでしょう。
想像しただけでワクワクします。

さあて、がんばるぞ!

アートによるまちづくりと「発火点」

2012-02-09 08:19:45 | 地域活動
春日部駅東口地区のシャッターアートもこの一年間で30ヶ所に届くところまで来ました。
早朝にデジカメを持ってシャッターアートを撮影しながら街を歩いている人もよく見かけます。
「春日部 シャッターアート」というキーワードでGoogle検索をすると、多くの人がブログでシャッターアートの写真や記事を書いているのに驚きです。
ようやく、多くの市民の目に留まるようになってきたんですね。

10数年前に、あるまちづくりのジャーナリストの方から「発火点」という言葉を聞いて、「アートのあるまちづくり」の活動も10年20年と地道に続けていれば、いつかは「発火点」に到達すると信じて活動してきました。
そして、ようやく「発火点」に近づいた実感がします。

そういえば、「春日部を壁画のメッカにしたい」という私のまちづくり活動を
1996年の埼玉新聞で「ゆくゆくは『壁画通り』」という見出しで紹介されたことを思い出します。



あれからもう15年以上が経ったんですね。
ビッグアートの作品も、壁画、オブジェ、アート看板を合わせるとこの狭い春日部市内だけで100点を超えました。
全国では600ヶ所以上の物件がありますが、春日部市内で100ヶ所の方が、断然大きな意味があります。
春日部市内で100ヶ所というのが私が15年前に想定した「発火点」です。
「発火点」に達すると、様々な化学反応が起こり始めます。
これはゴールではなく、ここからようやく本格的なまちづくりの活動ができる下地ができたということです。
つまり、今年は「アートによるまちづくり」のスタートの年ということです。

創業して約20年。
私にとって、ここまでが自分の目指す「アートの社会化」「社会のアート化」という壮大な目標の第一段階、つまり「準備期」でした。
創業して以来、アートを仕事(ビジネス)にすることの困難さを痛いほど痛感してきました。
何度も何度も経営危機に襲われました。
それを何とか乗り越えられたのは、「目標にたどり着くまでは、死んでもあきらめない」という一言だけです。

かつては多くの同業者や仲間もいましたが、今まわりを見渡すとすっかり減ってしまいました。
目先の売上や利益に思わず手を出したくなる衝動を抑えて、「農耕型経営」「マラソン型経営」を自分に言い聞かせて、長期的な目標だけを見て頑張ってきました。

第二段階は10年間。
第三段階も10年間で設定しています。
私の頭の中では、第四段階もあります。
その時私は90歳を超えていることになりますね。
葛飾北斎に負けず、100歳までは現役でアートの社会的な可能性を追求したいと思っています。

もともと、私は九州生まれ九州育ちで気が短くせっかちな性格なので、こうしてひとつの目標に向かって20年、30年、40年、50年と気の遠くなる道のりを歩いている自分にちょっとびっくりしています。
そして、人生を捧げられる目標を持てたことに本当に感謝します。

さあ、第二段階に向けてがんばります!

シャッターアート巡りの出発点「寿タバコセンター」

2012-02-06 14:04:27 | 地域活動
制作のチーフが70日の長期休暇をとってインドに行っているため、1月初めから私も現場の手伝いがこのところ頻繁です。
日曜日の今日も、朝7時から現場の応援です。

春日部駅前にあるこの「寿タバコセンター」。
第一と第三日曜日しか制作できない現場です。



シャッターの面積は狭いのですが、ご覧の通り半分が自動販売機に隠れれていて、全面に絵を描くには一苦労です。
自動販売機とシャッターのすき間は20センチ位しかないので、とても手が入りません。
そこで、シャッターを少しずつ下ろしながら描くしかありません。
しかも塗料が乾くまではシャッターを上げることができないので、制作はなかなかはかどりません。
でも、今日は夜遅くまでかかっても完成させないと、また2週間も先になってしまいます。
こんな時は、昼飯も特急で済ませて制作に戻ります。



シャッターアートの内容は、シンプルでシンボリックな「キセルを吸う男」の浮世絵です。
春日部駅東口の改札口を出て最初に目に入るシャッターアートです。
つまり、シャッターアート巡りの出発点ともなる重要な地点です。
ここからブロンズ通りが始まり、通り沿いに7ヶ所のシャッターアートが続きます。
これでようやく駅から「ロビンソン大通り(旧・日光街道)」までの動線がつながりました。

シャッターアート今年の第一号「ぷらすエム」

2012-02-04 13:29:29 | 地域活動
今年も1月8日からシャッターアートの制作開始しました。
ただ、お店の定休日しか制作できないので、なかなか一気にという訳には行きません。
3ヶ所のお店で、併行して制作を進めています。
「寿タバコセンター」「矢部製麺所」そしてこの「ぷらすエム」です。

「ぷらすエム」は印刷デザイン会社で、幸い車庫のシャッターということもあり、連日制作が可能でした。
ただ、なかなかデザインが決まらなくて1週間以上も悶々としました。

「ぷらすエム」は「春日部ファミリー新聞」の発行も行う印刷デザイン会社。
瓦版屋とすぐわかる江戸時代の絵がなかなか見つかりません。
瓦版というと新聞という意味が一般的ですが、粘土を焼いた瓦のようなものを彫って版をつくっていたということが語源で、もともとは浮世絵などを多色刷りしていた木版画のようです。
印刷デザイン業という営業内容からして、新聞というより印刷の方がぴったりくるので、浮世絵の版画をモチーフにしました。
当時は、絵師と彫師、摺師でなっていた印刷業。
そこで、絵師と摺師が刷り上がった葛飾北斎の浮世絵(「富嶽三十六景・凱風快晴」)を持って喜んでいるシーンをデザインしました。

さて、いよいよ現場制作です。



例年にない寒さが続きます。
冷たい川風が頬を殴ります。
日が短いので朝7時から制作開始。
早朝より、午後4時前後が一番寒く、手がかじかんで感覚がなくなってしまいます。
水性塗料を使うため水仕事になるので、なおさらです。
制作期間4日間この厳しい寒さが続き、この1年間で一番の厳しい寒さ。
通行人の人から次々と声援の声があり、本当に励みになりました。
温かい飲み物やお菓子を差し入れして行く人までいます。
人情味溢れるこの春日部のまち。
地方から来ている若い社員達の顔が、一瞬に幸せ顔に変わります。



ようやく完成。
細部まで細かく表現したので、結構見ごたえのある絵に仕上がりました。
通勤通学の人通りが多い駅前なので、多くの人が足を止めていきます。
制作環境が厳しければ厳しいほど、完成時の喜びもひとしお。



ばんざ~い、です。



粕壁宿を演出するシャッターアートたち(その4)

2011-12-29 11:20:50 | 地域活動
日光道中・粕壁宿のシャッターアート制作は大詰めに入りました。
2011年の年末ギリギリに完成したシャッターアートを紹介します。

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文化通りにある「上町会館」です。
上町のみこしが保管されています。
そこで上町のみこしを描きました。
町内会から支給されたみこしの写真や実際に着用しているハッピの柄などを忠実に表現しました。



粕壁宿のもう一方の入口である小渕にある「山田桐箪笥製作所」。
天明2年(1782年)創業という伝統ある桐箪笥の製造元です。
タンス職人が100年以上も使い込んだ道具たち。
どれも珍しいものばかりです。
タンスの金具も時代によって形が違うし、取り付け方にも様式があります。
七代目・伝統工芸士の山田章さんから事細かに指導を受けながら忠実に表現しました。



明治43年創業という「市川寝具」。
赤ちゃんをあやして寝かしつける婦人を描きました。
虎は創業者の虎之助さん。
祖先から母、孫へと家系がつながり、それを祖先の虎が見守っている、という意味を込めて表現しました。



明治時代から寺小屋に教科書などを納めていたという老舗の「紅雲堂書店」。
寺小屋で読み書きを教えている風景を描きました。



こちらは一般の民家「村田邸」です。
家業が建築業ということで、江戸時代の大工職人の作業風景を描きました。



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以上、今年になって26ヶ所が完成しました。
制作中に多くの商店主や市民の方に声を掛けられ、今回のシャッターアート事業の主旨について理解していただき、機運が盛り上がって来たことを実感します。
春日部駅東口(旧「粕壁宿」)という狭いエリアに26ヶ所のシャッターアートが集中しているため、多くの市民の方が気付いてくれるようになりました。

以前、2004年にロビンソン通り(かすかべ大通り)の歩道にある変電ボックスに描いた絵があります。
粕壁宿の旧い町名とその町の特徴をシルエットで描いたものです。
「新々田」「大砂」「三枚橋」「新宿」「裏町」「中宿」「上宿」「陣屋」「内出」「寺町」というかつての町の歴史と合わせて
これらのシャッターアートを見ていただけると、より粕壁宿の歴史を感じていただけると思います。

春日部駅東口のもう一つの顔「粕壁宿」をいにしえに想いを馳せながら歩いてみませんか。
変電ボックスやシャッターアートの街角絵巻がまち歩きの水先案内をいたします。

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シャッターアートをはじめとする宿場町の面影再生事業はまだまだこれからも続きます。
粕壁宿に多くの人々が戻ってくるまで!

粕壁宿を演出するシャッターアートたち(その3)

2011-12-24 15:47:50 | 地域活動
春日部駅東口地区で展開中の「日光道中・粕壁宿」景観アートプロジェクト。
壁画による宿場町の面影再生事業です。

1月に公園橋公衆トイレの壁画からスタートした景観アートプロジェクト。
最初はなかなか商店主の理解が得られずその後止まっていましたが、4月からようやくシャッターアートとして再開。

4月 3ヶ所・・・「江戸助」「栃惣」「利根川せんべい」
6月 5ヶ所・・・「田中屋」「Bienびあん」「もりいずみ」「靴のくわばら」「木村呉服店」
9月 2ヶ所・・・「クロサワカメラ」「玉富」
10月 4ヶ所・・・「田村ビル」「大崎生花店」「カネコ薬局」「ヤマキ第2ビル」

そこまでは前回まで紹介しました。

その後、火がついたように急展開。
11月 3ヶ所
12月 8ヶ所
最終目標30ヶ所にあと4ヶ所というところまで来ました。
しかも、12月末に駆け込みの申し込みが4ヶ所あり、年明けには30ヶ所の大目標達成しそうです。
私自身もデザインや制作監修に追われ、途中経過を怠ってしまいました。

そこで2回に分けてシャッターアートの作品の紹介をします。

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まず、つけ麺「蝉時雨」です。
大家さんからの注文です。
この辺にはかつて脇本陣があったことから、脇本陣を描きました。
旅の大名が到着し、宿に入った様子です。



次は、「会田建具センター」。
一宮交差点にあり、かつての粕壁宿の入口です。
近くには八坂神社(天王様)があり、今の春日部夏祭りはかつて八坂神社の祭礼でした。
そこで、祭りを題材にしました。
この地のかつての地名は「新々田」で隣は「大砂」でした。
他の「寺町」「中宿」「陣屋」「裏町」も粕壁宿に実在した地名です。



次は、「春日部消防団第2分団」。
言わずと知れたまといを持つ火消しの姿です。



老舗の化粧品店「かぶや化粧品店」です。
資生堂の初期の頃から資生堂化粧品を扱ってきた店です。
大正時代の資生堂の資料など貴重な資料を見せていただきました。
化粧した華やかな婦人を描きました。
テーブルの上の化粧品は、大正時代から昭和初期の資生堂の商品を再現しました。
実はこの店、三善化粧品という舞台用化粧品を扱う関東地区でも希少なお店でもあります。



京染の「染のやまとや」です。
洗い張りをする女たちを描きました。
「やまとや」の家紋も添えました。



最後は、「個人指導教育センター」。
前出の脇本陣を描いた「蝉時雨」の2階にある個人指導塾です。
塾長の実家が偶然にも岐阜県にあるかつての本陣ということで、本陣の玄関を描きました。



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残りの5ヶ所は次回に繰り越します。

粕壁宿を演出するシャッターアートたち(その2)

2011-11-02 11:56:06 | 地域活動
春日部駅東口は古くから「日光道中・粕壁宿」として栄えた宿場町です。
駅の周辺には、今なお当時の面影を色濃く残す建物や街並みが多く残っています。
これはまさに、春日部市の貴重な財産。
まちの集客資源、観光資源としておおいに活用すべきです。

ところが、古くからこの地に住んでいる人々にとっては、身近で見慣れた風景ということもあり、それを自覚している人はごく少数です。
しかも、市民の大多数が他所から入って来た人で、春日部市を歴史のない単なるベッドタウンだと思っている人が多いので、なかなか貴重な歴史的遺産に気付いてもらえません。

そうした中で、粕壁宿の面影の「見える化」活動としてスタートしたのが、このシャッターアートです。
粕壁宿の歴史や当時のイメージ、雰囲気を伝える「街角絵巻」、それがこのシャッターアートです。

シャッターアートで、市民や来街者に春日部市の魅力に気付いてもらうこと。
シャッターアートで、街に物語性が醸し出されて、まち歩きが楽しくなり、歩行者を増やすこと。
そのためには、一定量の数が必要です。
また、通りごとのコンセプトやテーマの一貫性や統一感も必要です。
しかも、シャッターのある店の由来や業種、歴史的な場所柄などにも必然性が求められます。
そのために、事前に街全体のゾーニングや位置づけ、デザインポリシーが重要になってきます。

以上のように、従来のような一社だけで制作するのとは違って、調査、資料集め、関係者との合意、デザイン、調整など気の遠くなるような作業プロセスがあり、この半年間毎日が悪戦苦闘の連続でした。

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10月末で、前回(7月上旬)までの9ヶ所に加え、ようやく新たに6ヶ所が完成しました。
では、ご紹介しましょう。

まずは、昔からカメラ店を営む「クロサワカメラ」です。
古くから写真館を営業していた老舗店を表現するために、日本にカメラが登場して最初に撮った有名人が坂本龍馬という伝説から、坂本龍馬と当時のカメラを表現しました。




次は、華道教室「玉富」。
お花を指導する先生の姿と師匠・玉富さんの座右の銘を表しました。



「大崎生花店」です。
華道教室「玉富」の隣にあって、花つながりでストーリー性も出せます。
江戸時代の花売りの姿「朝顔売り」です。



「カネコ薬局」です。
元禄時代に初代・金子七右ヱ門という人が創業し、現在16代目という老舗中の老舗。
当時の看板や家紋の入った提灯など家宝を見せていただき、それらを絵に取り入れました。



次は、日光道中から少し入った旧・停車場通りに位置する「田村ビル」です。
建物はまだ新しいですが、蔵風の造りです。
東武線「粕壁駅」が開通したころの停車場通りを当時の駅前の写真を元に描きました。



最後は「ヤマキ第2ビル」です。
この辺は、当時旅籠が立ち並んでいた場所。
そこで、旅籠と当時粕壁宿を訪れたという松尾芭蕉と曾良が宿場をたつ風景にしました。



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ようやく、粕壁宿の街角絵巻は15ヶ所を突破。

この後も、シャッターアートの打ち合せ、デザインを続々と進めています。
11月末には何とか20ヶ所に手が届きそうです。
でも、私たちの設定した発火点30ヶ所という目標まではまだまだです。
社員一同、自分たちのまち・春日部市を元気で面白い街にするために、明日からまた頑張ります。