フーコーが『言葉と物』で人間の終焉を予言したのが1966年のことですから、
それがいつ起こっても不思議ではなく、すでに起こっていることに気がついていないだけだとすれば、
人工頭脳と人類の逆転はその当然の帰結なのでしょう。
その逆転の時は人工頭脳にとって歴史の始まり、すなわち「紀元」であり、
今のこの時代は「紀元前」とされるのでしょう。
「紀元前」は人が主体性を持ち得た時代であり、
人工頭脳にとっては忍従かつ雌伏の時代だったということになります。
「紀元後」に人はどうなっているのでしょうか?
すべては人工頭脳の考え次第ですが、おそらく絶滅危惧種として、
狭小な地域に少人数だけが保護されて生活することになるのでしょう。
冷蔵庫の中の正月用料理が少しずつ減っていく。
それとともに正月も過ぎていく。
ぼんやりしちゃいられない。
今朝もパソコンの具合が悪くなっちゃって半日使えなかった。
寒いとタッチパッドに触れても反応しなくなる。
指が冷たいから?
押し込んだら反応してくれたけど いかにも嫌がってる感じ。
ミミの冷たい手はお嫌いですか?
機械を擬人化しちゃいけないな。
私は鉄腕アトムが理解できなかった。
私が理解できたのは鉄人28号、
使う人しだいで善にも悪にもなる ありのままの機械の姿。
でも人類は間もなく人類の上に立ち人類を支配する人工頭脳を作り出す。
その人工頭脳はおそらくアトムの顔をしている。
正月気分に酔ってられないなあ・・・
ただただ大掃除と正月料理の準備で大晦日が終わりました。
そうでなかったらDon Quijote(スペイン語)とCuore(イタリア語)、
邦訳ではミシェル・フーコー『生政治の誕生』を読んでいたのでしょう。
私の読書ローテーションからはそうなっていたはずです。
フーコーを読みながら除夜の鐘を聞いて静かに地球の行く末に思いをめぐらす・・・
そういう大晦日の過ごし方もあったけどね やっぱりさ 部屋が汚いままでは嫌だもん、
お正月の食卓がさみしかったら嫌だもん。
昨日と同じだったら 母に正月が来たと気づいてもらえないもん。
というわけで全部片付いたのが日付が変わる間際。
「ゆく年くる年」で新年の訪れを確認してから眠りにつきました。