マッハの貴公子 C1Runner の熱~い日記でつ(¬_,¬)b フフフ・・・

マッハの貴公子 天才タケスィが熱~く語るでつ( ̄ω ̄)ムフ~

楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行することで不可能を可能にした稲盛さん。

2022-09-15 07:10:29 | ビジネス
稲盛さんの哲学。
常に新しいことにチャレンジし、成功させた手腕。

そして、企業を再生させれば、世界で右に出る人はいない。
そして…
その経営手腕は、令和になっても進化してるところが凄い。

その稲盛さんが2017年2月20日に講演した内容があったです。
それは、新しいことにチャレンジする稲盛さんからの
我々に対してのメッセージだったです。


慎重堅実な経営によって会社を安定させるだけにとどまらず、異分野への進出も含め、
「新しいことに挑戦する」「常に創造的な仕事をする」というフィロソフィも経営者には
求められます。

企業の安定は、往々にしてチャレンジ精神を喪失させてしまう原因になりかねません。
しかし、現状に甘んずるということは、すでに退歩が始まっていることを意味します。

経営者が変化を恐れ、挑戦するマインドを失ってしまっては、その集団はやがて衰退の道を
歩み始めることになります。
つまり、経営者が現状に満足することなく、常に変革と創造を行うことができるかどうかが、
集団の運命を左右すると言って過言ではありません。
そして、その変革と創造の中心に位置するのが、経営者本人なのです。

このことは、すでに成長した大企業だけの問題ではありません。
今ここにおられる皆さんの企業においても、皆さん自身が、旧来のやり方にとらわれたり、
新しいことに挑戦する気概を失ったりしていないか、今一度反省し、確認していただきたいと思います。

例えば、かつて成功したビジネスモデルに固執し、新しい事業展開をすることに二の足を踏んでいないか。
創業当初は経営者のトップダウンで迅速に行われていた意思決定が、リスクを恐れるあまり決断が遅くなり、
大きなビジネスチャンスを逃すようなことになっていないか。

もし、皆さんの会社においてそのような傾向が少しでもあるとすれば、すぐに是正していかなければなりません。
経営者自身が易きに流れようとする心を打破し、いかに困難であろうと、常に創造的なことに挑戦していくような
組織風土をつくることが必要です。

ぜひ、変革を恐れず、理想を描き、その実現のために自ら先頭に立って挑戦する、そのような経営者を
めざしていただきたいと思います。

自分の能力を未来進行形でとらえる
 また、そのように新しいことにチャレンジし、それを実現していくためには、「人間の無限の可能性を信じる」と
いうフィロソフィが必要です。

自分の持つ能力を、現時点で判断するのではなく、今から磨きあげることによって、それは限りなく
進歩するものであると信じるのです。

つまり、努力し、一生懸命チャレンジすることによって、人間の可能性は無限に発展していくのだと
いうことを信じるべきです。
現在の自分の能力をもって、「できる」「できない」を判断していては、新しいことは何もできません。
たとえ今はとてもできないと思われるような高い目標であっても、未来のある一点で達成する、と決めてしまい、
それを実現するために、現在の自分の能力を高める努力を日々続けていく。
つまり、「能力を未来進行形でとらえる」ことが大切です。

そのように未来進行形で自分の能力をとらえて、今から努力していけば、自分の能力は未来には
もっと高いものになっていくのだということを信じるべきです。

これは、まさに、京セラが創業以来大切にしてきた精神です。
創業間もない頃の京セラが生産していた製品は、「U字ケルシマ」という、テレビのブラウン管に
使われていた絶縁部品、ただ一点のみでした。

この単品生産のままでは経営は不安定であるため、新製品開発や事業の多角化が求められました。
ただ、当時の京セラに、そのために必要な技術の蓄積があったわけではありません。
市場をかけずりまわり、お客様のニーズをお聞きしながら、ひたすら受注に努めていき、
それを開発していくしかありませんでした。
しかしながら、生まれたばかりの小さな会社に注文を出してくれるようなお客様は、なかなかありません。
引き合いをいただけるのは、どこの会社に頼んでも、「できない」と断られたような、
技術的に難しいもの、あるいは採算が合わないようなものばかりでした。

そういうものでも、「われわれならできます」と言って受注し、設備も技術も人材もない、
まさに「ないないづくし」の状態から、全員で苦心惨憺して採算が合うように製品をつくりあげ、
納品していきました。

しかし、そのような挑戦の日々を続けることで、京セラはこの分野のパイオニアとして、
ファインセラミックスを工業用材料として確立させることができたばかりか、
現在では何兆円という規模を持つ産業分野へと成長させることができているのです。

また、培ってきたファインセラミック技術を核に多角化を図り、今では素材から
部品、機器、サービスに至る、広範な事業展開を実現しています。
その根底に、「能力を未来進行形でとらえる」という考え方があったのです。

そしてもう一つ、誰しも不可能と思えるような、新しいことへの挑戦を、
単なる無謀なチャレンジで終わらせないためには、その進め方が
大切になってきます。
私は経営者として、「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」という
プロセスで、創造的な領域での仕事を進めてきました。

新しいことに挑戦していこうとする場合、どうしても「それは難しい」と考えてしまいがちです。
それでは、なかなか始めようという気持ちになりません。
ですから私は、最初に計画を立てるときには、「これはできる」「これはやれる」と
楽観的に構想を練りました。
しかし、楽観的に構想しただけでは計画はうまくいきません。
実際にそれを計画に移していくときには、構想段階で簡単に考えたことをもっと悲観的に、
そして綿密かつ緻密に練っていかなければなりません。

そして実行する段階になったら、また楽観的に「いや、これはできるはずだ」と言って実行する。
そういうプロセスで、私は仕事を進めてきました。

創業当時から私は、お客様のニーズに応じて、新製品開発や新市場開拓など、常に新しいテーマを考えていました。
そして、ある程度考えがまとまると、すぐに会社幹部を集めては、みんなの意見を求めました。

そのとき、目を輝かせてうなずいてくれる人もいますが、私がいくら情熱を傾けて話をしても、
冷ややかに聞いている人もいるわけです。
そんな人ほど、有名大学出身の優秀な人でした。

私は一生懸命に、全員がうなずいてくれるまで、さらに熱を込めて語りかけていきます。
ところが突然、その冷徹な人が、私の構想がいかに無謀であるかということを
言い出すことがありました。

私は、大きな可能性を秘めた新しいビジネスについて、その着想を話しているだけのことですから、
細部に至るまで検証をしたわけではありません。
それだけに、彼の否定的な意見のため、私の熱もその場の雰囲気も冷めてしまい、
もしかしたら大きく花開いたかもしれないビジネスの種が、芽が出ることなく終わってしまう、
そんなことが幾度かありました。

優秀な人は、なまじ豊富な知識があるばかりに、新しいテーマであっても現在の常識の範囲内で判断してしまい、
常に否定的なことばかり考えてしまうものです。

私は、そのような経験を経て、新しい構想を話すときには、頭のいい優秀な人間ではなく、すぐに私の尻馬に乗って、
情熱を燃やしてくれるような、少し腰の軽いおっちょこちょいなタイプの人間を集めて話をするようにしました。
そのようなタイプの人間は、よく理解もしないうちから、「それは面白い。やりましょう」と私のプランに諸手を
あげて賛同してくれます。
ですから、私にしてみれば気持ちがよく、構想はさらに夢あふれるものへと広がっていきます。

私は、新しいことにチャレンジし、それを成就させるには、そのように、まずは楽観的に考える、
ということが大切だと考えています。
新しいことを成し遂げていくには、様々な困難が予想されるだけに、構想段階では、夢と希望を抱き、
「やれる」と信じることができなければ、挑戦しようという気にもなりません。
そのために、まずは超楽観的にとらえることが大切になるのです。

夢と希望を抱ぎ、やれると信じなければ新しい挑戦はできない。
その言葉には、重さがあるです。

ただし、そのまま楽観的に仕事を進めていっては、必ず失敗をしてしまいます。
具体的に計画を練る段階では、悲観的にあらゆる条件を徹底的に考え尽くさなければなりません。
そのために、ここで先ほどの冷徹で優秀な人を集めます。

私が構想を話すと、その優秀な人は「技術がありません、設備もありません」と、
次から次へとネガティブでマイナスな条件を並べてくれます。
プロジェクトのリーダーとして、私はそのようなマイナス要因をすべて列挙させ、
一つずつ、その解決法を考えていきました。そのようにして、改めて計画を綿密に練り直し、
実現の可能性を高めていきました。

そして、問題点をすべて洗い出し、シミュレーションを繰り返し、計画を完全なものにした後、
実行段階では、また楽観的な人間に選手交代させ、計画を推進させました。

新しいことを推進していくときは、往々にして予期せぬ障害が起こるものです。
そのようなときに、悲観的になっていては、仕事が先に進まなくなるからです。

たとえどんな問題が起ころうとも、必ず克服できるはずだと信じ、情熱を傾け、
一途に計画を推進していけるような楽観的な人材が、実行段階では必要となるのです。

第二電電における移動体通信事業、現在の携帯電話事業への進出が、まさに
この「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」ということの実践でした。
第二電電の創業そのものが、京セラにとってはまったく技術も経験もない分野への進出でしたが、
創業間もない頃に議論された、携帯電話の前身である自動車電話事業への新規参入についても、
当時誰もが無謀だと断じていました。

当時の自動車電話は、大きな送受信機がトランクに積んであり、受話器が車内に設置して
あるというものでした。
また、通話料金も非常に高く、大企業の重役でもない限り使えないサービスでした。

京セラはIC用セラミックパッケージを全世界に供給していましたから、
「このままICが小型化していけば、大きな送受信機もやがて1枚の小さなICとなり、
受話器に内蔵されるようになる。
そうすれば普及が進み、何年か先には、必ず携帯電話の時代が来るはずだ」と
確信していました。

そのため、自動車電話事業が解禁になるとき、第二電電の役員会で、「必ず携帯電話の時代が来る。
今この分野に参入すべきだ」と主張しました。

ところが、役員の中にはNTT出身や郵政省出身など、通信事業の専門家たちが多くおり、
当時はまだ米国でも日本のNTTでも移動体通信事業が必ずしもうまくいっていなかったこともあり、
否定的な意見がもっぱらでした。

皆が猛反対する中で、1人だけ「いや、会長が言われる通り、それは面白いと思います」と
言った者がいました。
幾分楽天的で、よくわけが分かっていないようではありましたが、「私は賛成です」と言うのです。

総スカンを食っているところに、1人でも援軍がいたわけですから、私もうれしくなって、
「お前はいいことを言ってくれる。みんなが反対してもいい。俺とお前の2人だけでやろう」と
言いました。
多数決でいけば、私の案は否決だったのかもしれませんが、第二電電の移動体通信事業は、
こうしてたった2人が「楽観的に構想し」、「やろう」と言ったことから始まったのです。

そして、いざ事業を計画する段階では、選手交代して悲観的に考え尽くさなければなりません。
実際に、参入すると決めた当初から大きな壁にぶつかりました。
第二電電に続いて日本道路公団・トヨタ系の日本高速通信も移動体通信事業に参入を表明し、
使用できる周波数帯の割り当ての関係から、同一地区ではNTT以外に1社しか営業できません。

私は、日本列島を単純に東西で分割して抽選によって決める方法を提案しましたが、
相手は首都圏は巨大市場だからぜひほしいし、中京圏は地元なのでどうしても
譲れないと主張します。
一方、郵政省は抽選などは許されないということで、話し合いは平行線のままでした。
このまま角突き合わせていたら、迷惑をこうむるのは国民だと思った私は、
自分が引けば万事収まると考え、相手が望む首都圏と中京圏をあえて譲り、
それ以外の地域で事業を行うことで合意しました。

そのことを帰って第二電電の役員会で報告すると、ソニーの盛田さんやウシオ電機の牛尾さんから
「まんじゅうのアンコは人にあげ、皮だけをもらってきたのか」とあきれられました。
私はそれに対して、「負けて勝つという言葉もある。全力を尽くして、その皮を黄金の皮に変えよう」と
答えました。
私は当時、決してダメ元でそのように言ったわけではありません。
その不利な条件で合意する前に、私の頭の中ではすでにある程度のシミュレーションができていました。

すでに参入した長距離電話回線という軸に、ローカル網となる携帯電話会社を北海道、東北、北陸、近畿、
中国、四国、九州、沖縄と「ぶどうの房」のように全国につくっていく。
そうして長距離からローカルまでNTTの加入電話に依存しない一気通貫の通信ネットワークを形成することで
NTTに対抗していこうという戦略です。
その戦略に立ち、できるだけ悲観的に計画していきます。

つまり、ドル箱である首都圏と中京圏というまんじゅうのおいしいアンコを人に譲ったとしても、
この事業は成り立つのかを綿密にシミュレーションしていくわけです。
そして、その悲観的な計画に立っても、なお事業が成功する見込みがあればこそ、
進んで貧乏くじを引くこともできたのです。
こうして、悲観的に計画した後は、また楽観に戻ることが求められます。

「こんな不利な状況では勝てるはずがない」と思うのではなく、
「国民大衆のためにも、何としてもこの事業を成功させなければならない。
その我々の動機は善であり、私心は一切ない。人事を尽くせば必ず天が助けてくれる」と
純粋に成功を一途に信じることが大切です。

実際に、この使命感をもとに楽観的に事業展開していく中で、首都圏と中京圏以外の地域に
設立したセルラー電話会社8社は、当初の心配とは裏腹に順調に業績を伸ばしていきました。
また、圧倒的に不利な地域分割を克服して、首都圏・中京圏で事業を行うIDOとの差を徐々に縮め、
NTTに対しても想像以上に健闘する勢いを示しました。
このセルラーグループはKDDI発足を通じてIDOを加え、現在はauとなって売り上げ4兆5000億円に迫る
KDDIの事業の中核を支えています。

これも、移動体通信事業という新しい事業に挑戦するに当たり、楽観的に構想し、悲観的に計画し、
楽観的に実行するというフィロソフィを実践したからこそ、成し遂げることができたことだと思います。

企業の発展は、常に新しいことに挑戦し続けることで可能となります。
そのためには、今お話ししたように、構想を練るときは、能力を未来進行形でとらえ、あくまで楽観的に、
計画を練るときは徹底して悲観的に、そして実行するときは、また楽観的に取り組み、必ず達成させる。
このようなプロセスが必要であり、それを統括するのが、経営者なのです。
競争が激化し、それぞれの企業の独創性が問われる昨今、このように、常に新しいことに挑戦し、
それを実現していくことは、今後経営者に求められるフィロソフィとして、さらに大切に
なってくるはずです。

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