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モンゴル帝国の家系図&先生の努力

2011年05月04日 14時57分06秒 | 歴史の勉強の際に知っておくと良いもの

現在,家庭教師の関係で,世界史を勉強中です。

今日は,モンゴル帝国あたりをノートにまとめていたのですが,

家系図を見ながら,内容を読み進めていくと,

 

なんでこういう風に(ランダムに見えるような形で),

ハン(君主・皇帝)の位をゆずっていってるんだろ?と疑問に感じました。

(先生なのにすみません・・。

 

そこで,モンゴル帝国大好きっぽそうな旦那に聞いたら,あっさり答えてくれました。

 

モンゴル帝国(モンゴル民族)って,

最初は末子相続(一番年下が家を継ぐ)形をしていたそうです。

それで,兄たちは,新たに土地をもらったりして,独立していく,そして,最後に家に残った子,

つまり末子がその家を継ぐ,という形。

 

これって,中国の思想が入る,古代の日本もそうだったとも言われてて,

別にめずらしいことではないそうです。

 

それが,儒教などの「上に従うのを良し」とする考え方や,

神を頂点とする宗教などが誕生したことから,

上をたてる考え方が一般化し,

現在のような長子相続(長男が継ぐ)の形ができた,という説があります。

 

※これはあくまで,数ある説の中の1つの説だと思ってください※

 

モンゴル帝国では,2代目のオゴタイ=ハンのときまでは,

末子相続をしていたため,末子とトゥルイが亡くなったのでオゴタイがチンギス=ハンの跡を継いだ,とか。

そのあと,オゴタイの子のグユクがハンを継いだけど,彼には跡継ぎ(子供)がいなかったため,

つぎが誰になるか?という問題が。

 

そのころには,中国の長子制度も入ってきているので,難しいところ。

オゴタイの血をかんがえれば,オゴタイの孫でグユクのおいであるハイドゥが跡を継ぐ,という考え方もできるし,

本来2代目は,オゴタイではなく,トゥルイが継ぐはずだったのだから,グユクに子供がいなければ

トゥルイの孫が継ぐはず,とか色々考えることができるとのこと。

 

ああ,だから,ハイドゥとフビライが長期にわたる争いもしているのか・・,とか。

※こちらはあくまで,数ある説の中の1つの説です。もし間違いがあったらすみません。※

 

 

そういう相続制度を知ると,系図を読むのが楽しくなります。

 

日本でも,壬申の乱などは家系図を見ながら歴史を読み進めていくと,すっごく理解しやすいし,面白いです!

 

世界史は,点数を取る力はあるけど,

まだまだ知らないことが多いな~と痛感させられます。

でも,1つ1つ新しいことを知ることができるのってうれしい。

 

先生って,ただ解けるだけでなく,

1:いろいろなことを知って,理解し,

2:それを自分なりに再構築して,

3:相手に分かりやすく伝達する,という

3段階の努力が必要なんだな~と思います。

 

 

 

 

 

 



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