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不祥事続発の神奈川県警が封印した「赤報隊」事件は警察犯行説を追跡!

2006-05-22 22:02:00 | 記事
 『噂の真相』2000年5月号

 不祥事続発の神奈川県警が封印した
 「赤報隊」事件は警察犯行説を追跡!


 「野村秋介の運転手」を名のる男からのタレ込みは、赤報隊事件は現職警官の犯行だったという、実に衝撃的な内容だったが・・・

 不祥事続きの警察に浮上した重大疑惑

「嘘を嘘で塗り固める」という言葉は、まさしく今日のケーサツ官僚のためにあるようなものだ。9年以上にわたって監禁されていた女性が発見された当日、「接待」を優先させ、温泉旅館でマージャンに熱中していた新潟県警の小林幸ニ・元本部長や、「特別監察」などという建前で国民を歎き、血税を使って新潟まで出向いて、マージャンにふけっていただけでなく、「雪が見えるところがいい」などと宿にまで注文をつけた中田好昭・元関東管区警察局長。全自動マージャン卓を持ち込ませたにもかかわらず、そのマージャンに現金ではなく、「図書券を賭けていた」というから笑わせる。あの蛭子能収が安い賭け金で逮捕されたのだからこのメンバーも逮捕したらどうか。
 上も上なら下も下。この女性監禁事件で新潟県警は、女性救出のチャンスを度々逃しただけでなく、それこそ「嘘に嘘を重ねて」責任逃れに終始したのだから呆れ返る。
 不祥事続きの新潟県警といい、本誌が3月号特集で事件屋とのズブズブの癒着を暴露した警視庁といい、まさに「底なし腐敗」の様相を呈しているニッポン警察だが、ここにきて、13年前に起こったある重大事件の”重要参考人”の存在をなんと警察が、組織ぐるみで隠蔽したという新たな疑惑が浮上してきたのだ。
 その重大事件とは、ほかでもない、過去、その事件の捜査に従事した警察関係者、そして取材経験のあるマスコミ関係者からは通称「ロク」と呼ばれる、警察庁広域指定116号事件。そう、13年前に日本全国を震撼させた「朝日新聞阪神支局襲撃事件」である。
 1987年5月3日、朝日新聞阪神支局に、目出し帽を被った男が侵入し、散弾銃を発射、記者一人を殺害し、一人に重傷を負わせ逃走。その3日後、「赤報隊」を名乗るグループから犯行声明が、共同、時事通信社に届いた。この戦後稀にみる言論テロ事件を皮切りに赤報隊の犯行はエスカレートする。
 阪神支局襲撃から4ヵ月後の9月には名古屋本社新出来寮に散弾銃が撃ち込まれ、翌10月には東京本社で弾痕と散弾粒が発見された。88年3月には静岡支局にピース缶爆弾が仕掛けられているのが見つかり、その5ヵ月後の8月には江副浩正・リクルート元会長宅に散弾銃が撃ち込まれた。そして90年5月、名古屋市の愛知韓国人会館放火事件を最後に、赤報隊は忽然と姿を消したのだ。
 それぞれの現場を管轄する警視庁、兵庫、愛知、静岡の各県警捜査本部はこれまで、犯行に使われた散弾銃や犯行声明を作成したワープロの洗い出しなどのブツ捜査を進めているが、未だ特定には至っていない。また犯行声明や脅迫状にみられる右翼的思想に注目し、新右翼とその周辺から捜査対象者をピックアップ。その過程では「広島県在住のアナーキストY」、「大阪府内の中学校教師H」など複数の「不審人物」が浮上したものの、いずれも不発に終わり、時効まで残すところ約3年となった今、その捜査は完全に暗礁に乗り上げていると言っていいだろう。
 ところが、発生から13年を経過した今、この朝日新聞襲撃事件になんと、現職の警察官が関与していたのではないかという大疑惑が浮上してきたのだ。しかもその警官とは、一連の警察不祥事の火ぶたを切った、悪名高き神奈川県警の元巡査部長だというのである。

 朝日新聞襲撃事件に警察官が関与か

「その元巡査部長の存在を知ったのは、今から10年前、そう、事件から3年後の11月のことだ……」
 こう証言するのは神奈川県警のレッキとした現職捜査員Aだ。Aは機動捜査隊や強行盗犯など主に捜査一課畑を歩み、116号事件発生当時も捜査一課広域担当に在籍していた。そしてこのAによると、全ては深夜、県警本部に入った一本の電話で始まったという。
「その電話は捜査一課あてにかかってきた。電話の主は『野村秋介の運転手』とだけ名乗り、いきなり『オレは朝日新聞襲撃事件の犯人を知っている』と切り出したんだ」
 野村秋介。63年、河野一郎邸焼き打ち事件で懲役12年の刑に服役。75年に出所後、「一水会」の鈴木邦男らと共に新右翼を旗揚げし、77年には経団連本部を武装占拠。再び懲役6年の刑に服し、83年に出獄。その強いカリスマ性で行動右翼の若者に強い影響力を与え、93年、朝日新聞東京本社の役員応接室で、短銃自殺を遂げたことは記憶に新しい。
 前述した通り、赤報隊の犯行声明や脅迫状に見られる右翼的な思想に注目した捜査当局は「新右翼か、その周辺にいる人物・グループの犯行」との見方を強め、新右翼の関係者、特に野村秋介の周辺を徹底的にマーク。
「一水会」元会長、鈴木邦男が『SPA!』の連載で「赤報隊」に触れた5年前にも、「一水会」事務所などの家宅捜索を行うなど、言論弾圧ともいえる捜査を繰り返していることでも分かるように、未だ「野村秋介の周辺の人物の犯行」との基本的な見方を変えていないのが現状だ。
 その「野村秋介の元運転手」を名乗る人物からの情報とはいえ、事件とは直接関わりのない神奈川県警の捜査一課に深夜、しかも匿名でかかってきた電話である。受けた捜査員がイタズラの類いと思ったのも無理はない。が、電話の主が続けて語ったこの言葉に、捜査員は一瞬、息を呑んだという。
「犯人は神奈川県警を最近辞めたXという元警察官だ……」
 Aによると、電話を受けたこの捜査員は、相手のただならぬ雰囲気を察知し、電話の主に対して、捜査一課の直通番号にかけ直してもらうよう依頼したところ、すぐにベルが鳴った。Aが続ける。
「その『野村秋介の元運転手』の話によると、Xは20年以上も前から野村秋介の元に出入りしていたらしいんだが、あの事件の後、Xの態度が急に大きくなり、野村のXに対する態度も変わったというんだ」
 Aがさらに続ける。
「もちろん『元運転手』が何か確証を掴んでいたわけじゃない。ただウチの元警官が名指しで『犯人だ』とする情報が入ってきた以上、こちらとしても調べざるを得なかった」
 そしてこの告発電話を端緒に、神奈川県警の極秘捜査が始まったという。

 元巡査部長Xを巡る数々の不審点

 Aによると当初はさすがに「半信半疑」だったというが、Xの過去、そして周辺を洗っていくうちに数々の不審点が次々と浮かび上がってきたというのだ。
 Aによると、Xは1956年生まれ。茨城県出身で、日本大学を卒業後、79年に神奈川県警警察官を拝命。自動車警ら隊などを経て、磯子署を最後に90年に退職している。Aが当時の捜査資料をめくる。
「Xの過去を洗うとほどなく、あの『元運転手』が言ってた通り、日大在学中に右翼思想に傾倒し、在学中から、野村秋介の元に出入りし始めていたことが分かったんだ」
 Xが野村の元に出入りし始めた時期は、野村が1回目の服役を終え、社会に復帰。新右翼を旗揚げした時期と符合する。Aが続ける。
「しかも拝命後にXは神奈川県警の独身寮『白根寮』で、当時の仲間を新右翼の活動や集会にしきりに勧誘していたことが、当時の同僚の証言で明らかになっている」
 そしてAがXの過去の勤務記録を遡ると、驚くべき事実が浮かび上がってきたというのだ。Aが再び当時の捜査資料をめくる。
「阪神支局襲撃事件、名古屋新出来寮事件、そして静岡支局ピース缶爆弾事件など犯行日時が特定できる5件の事件の発生日、Xの勤務はいずれも公休、非番になっていたんだ」
 この事実に色めき立ったAらは、さらにXの周辺捜査を進めたという。Aが回想する。
「Xの同僚の話から、Xが日大在学中にクレー射撃をしていたという話を掴んだんだ。が、関東一円の射撃場を虱潰しに当たり、過去の利用者の簿冊をくまなく調べたんだが、Xの名前は無かった。もちろん神奈川県内の散弾銃1万5千~2万挺の登録リストを洗い、検査漏れの銃の所有者を調べたんだが、該当なし。過去10年の盗難銃、過去の事件で押収された改造銃などの捜査資料も当たってみたが、Xの名前はヒットしなかった」
 他府県警による朝日新聞襲撃事件の捜査と同様、神奈川県警捜査一課のXに関する極秘捜査もブツ捜査で完全に行き詰まったかにみえた。
「ところが、Xの周辺からなんと、あのドアミラーの白いマークⅡの所有者が浮上してきたんだよ」
 記者2人が殺傷された阪神支局襲撃察件の前日の夕方から当日の午後8時過ぎまでの間、不審な2人組の男が乗った82年型の白色のトヨタ「マークⅡ」が現場近くの駐車場でエンジンをかけたまま停車していたところや、一方通行を逆走したところを複数の住民らに目撃されていた。目撃証言によると、このマ一クⅡは「横浜か静岡のナンバープレートをつけていた」といい、兵庫をはじめ、警視庁、愛知、静岡の各県警は当時、神奈川、静岡の対象車両数千台をピックアップ。不審車両の洗い出しを進めていた。Aが語る。
「阪神支局襲撃事件当時もXは『白根寮』に頻繁に出入りしていた。その仲間の中に、あの事件で目撃されたものと同型のマークⅡを持っている男がいてね。しかもあの事件の直前にXにその車を貸したというんだ。我々がそれを知ったときには、その車は既に廃車になっていたんだが、サッチョウ(警察庁)から回ってきた116の資料にあるマークⅡと酷似していたのは間違いない。その所有者の名前?それは勘弁してやってくれ。何も知らずにXに車を貸したというだけの第三者で、まだ現職だから」
 ブツ捜査と同時に、捜査一課によるXの周辺捜査もさらに進んだという。Aが続ける。
「Xは退職する1年前にYという女性と離婚しているんだが、このYに離婚理由を聞いたところ、Xの極端な右翼思想への傾倒ぶりが明らかになったんだ」
 そして離婚から1年後、前述の通り、Xは磯子署を最後に退職する。
「諭旨免職になったんだ。Xは署に出入りする生命保険の外交員と男女の関係にあっただけでなく、この外交員に同僚を紹介することによってマージンを取っていたんだ。それが発覚し、処分を受けた。ただ、こんなことはウチではよくあることで(笑)、普通はそんな処分じたいに低抗するんだが、Xは不思議にすんなりと辞めていったので、かえって不審がられたんだよ」
 Aによると「この時点でXに関する基礎捜査はほぼ完了し、後はXに対する事情聴取など本格捜査に向けて、上層部のゴーサインを待つだけだった」という。が、Aが満を持して待った「上層部のゴーサイン」は、遂に下ることはなかったのである。

 Xの存在を隠蔽した神奈川県警上層部

 Aによると、Xの極秘捜査は、ある時点を境に完全に頓挫したというのだ。Aが語る。
「Xに関する基礎捜査が固まる前後に、ある事件で、所轄署に逮捕された、右翼に知り合いが多いヤクザものが、『オレは116号事件の犯人を知っている。それについて話すから、なんとか罪を軽くしてくれ』と取り引きを持ちかけたんだ。別の捜査員が行って、そのヤクザの調書を巻いたんだが、調べに対し、そのヤクザも『あの事件には元警官が関与している』と供述したんだ。名前こそ出てこなかったものの、それがXを指していることは明らかだった」
 つまり朝日新聞襲撃事件の犯人を、明確にXだと名指しする、別の証言者が現れたというわけである。
「だがその調書が”上”にあがった時点から、捜査に圧力がかかり始めたんだ、正直言って、それまで上層部は、我々がどんな復命をあげても、本気でXを被疑者とは思っていなかった。だから我々のXに関する極秘捜査も半ば黙認されていたんだ。が、『犯人は元警官だ』と名指しする別の証言者が現れるに至って、さらに言えば、その証言者の調書が巻かれるに至って、いよいよ上層部はビビり始めたんだ。國松孝次警察庁長官を襲撃したと告白したK巡査長を内々で封印したように、ね。それもそうだろう、もしあの事件に当時、現職だった警察官が関与していたとなれば、県警の本部長どころか、警察庁長官の首まで飛びかねない一大不祥事だからね」
 そして、この調書が作成されて以降、神奈川県警捜査一課のXの極秘捜査に従事していた専従班は解散に追い込まれ、Xの捜査はこの時点で完全に消滅したという。
「無論、”上”の意向だよ、はっきりと『捜査を中止せよ』という命令さえ下っていないものの、我々がXの捜査から外されたということは、『これ以上Xに触るな』という無言のメッセージだったんだ。もちろん我々がそれまでに上げた復命はすべて破棄され、おそらく、あの調書も隠滅されていることだろう……」
 断っておくが、本誌はAの証言だけで、Xが「朝日新聞襲撃事件の犯人である」と断定はしない。しかし、少なくとも神奈川県警による朝日新聞襲撃事件の捜査線上に元巡査部長のXという存在が浮かび、「不審人物」として捜査していたことは紛れもない事実なのである。そして当時の神奈川県警の上層部が、「現職警察官が朝日新聞襲撃事件に関与した」という一大不祥事の発覚を恐れるあまり、Xに対して事情聴取さえ行わないまま、捜査を中止、封印したこともまた、動かしがたい事実なのだ。
 しかも、である。前述の通り、朝日新聞襲撃事件は警察庁の広域指定事件で、全国の都道府県警が入手した捜査情報は全て、警察庁に集約されるはずだ。にもかかわらず、神奈川県警は、警察庁はおろか、朝日新聞襲撃事件の捜査に必死になっていた兵庫、警複庁、愛知、静岡のいずれの各県警にも、Xに関して極秘捜査を行っていたという事実自体を未だに隠蔽し続けているのである。Aが再び重い口を開く。
「かくいう私もあの時点で、Xが犯人だと断定する確証を掴んだわけではない。が、逆に『Xが犯人ではない』とする確たる証拠も未だにない。あの捜査が途中で中止になったため、全ては闇の中なんだ。つまり神奈川県警がやったことは、あの女性監禁事件で、捜査線上に身内の警察官が浮かんだだけで捜査を中止した新潟県警と同罪、いやそれ以上の”犯罪”ではないか」
 身内の不祥事の発覚を恐れるあまり、朝日新聞襲撃事件の「不審人物」の存在を永久に闇に葬り去った神奈川県警。暴行に恐喝、痴漢にシャブと犯罪のデパートと化したケーサツに、まともな事件捜査を期待するほうが間違っているということだろうか。

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