泥だらけのジャージ、時に叩きつける雨、脚に入れたボルトがうずく、厳しいレースだった。
普通の40歳後半のオヤジが3度目のオキナワに挑んだ。トップ選手とはひと味違う市井の
ホビーレーサーの戦いがここにあります。
はや昨年のオキナワから1年経ちました。ツール・ド・沖縄は、シーズンを締めくくる特別な
レース。このオキナワを走り切って、気持ちよく打上げてシーズンを終えるために新年から
走ってきました。しかし、順調に仕上がりつつあった夏から異変が始まりました。
失業した、骨折した。でも心は折れない
8月、外資系ゆえの突然の解雇。お陰で練習三昧の夏を過ごせる事にはなったが・・・。
人生は一度っきり、やりたいことは何でもやってしまおうと前向きに考えて、日本縦断をス
タートしたのが9月16日。大雨での走行に自信を深めた運命の9月21日、雨上がりに落車
して姫路を前にして大腿骨を骨折して神戸で入院。今年のオキナワは終わった。そう思った。
手術は9月26日。それまではベッドの上で全く動けず。腰骨がマットレスに食い込む。
手術後の痛みがキツかった。でも3日目に松葉杖で歩けた。「もしかして」と思った。
術後1週間で退院して東京に戻った。
術後2週間で抜糸して、そこから本格的にリハビリ。3週間目で自転車に乗り始め、少し
ずつ距離を伸ばし、5週間目で筑波山練、なんとかスタートラインに立つめどが立った。
それが10月25日。それからさらに2週間を経て、事故から49日、手術後45日でレース当日
を迎えた。年初の目標は、とうに吹っ飛んだ。もちろん目標は完走。それ以上でもそれ以
下でもない。
1週間前~当日
11月4日に沖縄入り。例年に無く暑い。寒くなり始めた東京とは違い、この暑さが痛む体
には嬉しい。気候に体を慣らす。長い距離は乗らない。淡々と走る。
にわか雨が毎日やってくる。当日の予報が雨なので、雨が降っても走る。1週間の滞在な
ので、カーボンホイールはやめてアルミのDuraホイールをチョイスしてきた。正解。
ゴーグルのコーティング剤もよく利いて雨でも快適視界。立ち漕ぎも、やっと出来るように
なった。ここまで回復してくれた身体に感謝。しかしレース前夜は警報が出るほどの雨。
5時前に起床。やはり夜が明けても雨。3年目で初めての雨のオキナワの始まりだ。
【携行】
水: CCD×1ボトル+ゲータレード×1ボトル
補給食: ゼリー180kcal+SAVASピットインリキッド170kcal
スタート~普久川
クラスは今年も市民130km。
雨で200kmクラスの通過が遅れて、レーススタートも20分遅れるとの通達。これは痛い。
制限時間のある関門通過が難しくなる。でも焦っても仕方ない。いま出来る最大限のこと
をやるだけ。雨で気温が下がっている。震えながらスタートを待っている人も多い。体温
が下がると消耗が激しいので雨具は着たまま。それでもスタート前に袖だけは外した。
寒さは感じないし、雨も走って慣れたから問題ない。周囲にスタートの緊張が高まる。
いざスタート。
アップは全くやっていないので、普久川への上りまでは、前へ出ることは止めて脚を暖
める。集団後方なのでよく周囲が見える。チームメンバーとリラックスして走る。とにかく
落車だけは避ける。序盤から無理はしない。上げるのは坂が始まってから。
普久川を上り始めても抑えて無理はしない。落ちてくる選手の間を淡々と踏む。JCRCの
Cクラスで一緒に走るYMNさんが見えてきた。言葉を交わすと力が湧いてくる。まだ序盤。
抜いても抜かれても気にしない。無事に走りきって完走することが自分にとっての今日の
勝利だから。
先頭は遥か先だが、無事、普久川を上りきった。途中、下りのコーナーで落車している
人、人、人。否が応でも慎重になる。一緒に練習しているSNATさんもここで餌食に。大声
で励ます。彼は屈強のトライアスリート。きっと追いかけてくる。
奥~宜名真
普久川を越えて下りに入ると、周囲はまばら。ここからは向かい風のはず。ひとりでは
消耗が激しいので、下り切るまでに小集団になりたい。しかし下りで踏んでいるのにスピ
ードが上がらない。雨具が邪魔しているのだ。ならば追いつけるのは上りがやってきた時。
思惑は叶って、ローテーションできるほどの集団に合流。海岸線を北上し、奥へ向かって
ひた走る。
思わぬところで200kmのOSMさんが路肩を走っている。山では歯が立たない強脚の人だ。
「落車した」と追い抜きざまに声が聞こえる。一緒に練習してきた仲間が痛んでいるのを
見るのは辛い。落車の辛さが身に染みるだけに辛い。
ここまで水の補給は欠かさずに摂ってきた。そろそろだなとゼリーを流し込む。
奥の上りへと進む内に先ほどのYMNさんが見えてきた。後ろに付いて、とにかく離れない
ように踏ん張る。奥の上りが辛く感じたのはこれが初めてだ。とても長く感じる。この集団
で前の方に出て行けるのは上りだけ。平地へ下ると後方へ下がるを繰り返す。
道路が荒れている。泥と落ち葉で路面の色が変わっている。ここでも下りのあちこちに
落車で止まっている人、人。車体を出来るだけ倒さないようにして、慎重に下る。
雨具を着たままなので、置いて行かれそうになる。辺戸、宜名真を過ぎて一列棒状になっ
て南下する。二つ目のトンネル入り口で「トンネル内落車!」と大声で手を振る選手たち。
後で聞いたら、このトンネルで大落車があったそうだ。
ここまでで工程は、ほぼ半分が過ぎた。
普久川(2度目)~高江~平良
2度目の上りは疲れがモロに出るところだ。脚が切れないように淡々と自分のペースで
上ると、周囲が切れていく。頂上を過ぎてからの補給地点までの下り区間は慎重に下り、
早めにボトルを捨てて1本もらう。程なく安波への分岐だ。
普久川を上りきり分岐のT字路を右に折れて下る。友人の85kmに初挑戦のTKさんが前に
いた。お尻を押して声を掛けて下る。この下りは難しいコーナーがないので踏んでいける。
下りきって安波では単独になってしまったが、高江への上りで何人か捕まえればいい。
沿道の応援が嬉しい。手を振って応える。雨が弱くなった。気温も上がってきたようだ。
高江への上りをいくうちに、130km組の青ゼッケンが前に見えてきた。W.V.OTAの方(多分)
と追い抜きざまに「(一緒に)行きましょう!」と声を掛けたら目が合った。そこからは、主に
上りは自分が、それ以外は彼が引いて、ローテーションしながら先を行く選手を、捕まえて
は更に前へ前へと繰り返す。途中、SAVASピットインリキットを飲み干す。これで補給食は完了。
アップダウンを繰り返し、いいペースで距離を稼ぐ。もうゴールまでは40キロ弱。ゆるい上り
で雨具を走りながら脱ぐ。身体が軽くなった。関門時間が何時だったかなど覚えていない。
行ける所までひたすらペダルを漕ぎ続けるだけだ。
下りきって海が見えてきた。ちょっとした集団ができてペースが上がる。ローテーションに
加わり積極的に回す。平良グランド前で大勢の人たちが鳴り物で応援してくれる。もうすぐ
2度目の補給地点だ。
慶佐次~源河~名護ゴール
ボトルは2本差しだが、1本は手付かずのまま。この1本はゴールまでそのままだなと思い
ながら、普久川でもらったボトルを捨てて、慶佐次で代わりをもらう。結局このレースでは
3本のボトルで済むことになる。ここまで積極的に水分補給してきたせいか、足が攣る予
兆がないのが助かる。
源河の上りを前にしてITOさんが見えてきた。ここでもお尻を押して声を掛ける。元気が出
たようだ。この人も上りに強い。一緒に源河を上り始めたのに、ジワジワ遅れて見えなくな
ってしまった。この上りには毎年泣かされる。千切れてしまう前に仲間の様子を聞くと、
KNSKさんもSNAKさんも落車したと。KNSKさんは落車後レース復帰して前を走ってい
ると言う。GIROで無傷なのはITOさんだけか。
入れ替わりに「完走するぞー!」と追いてきたのが、そのSNAKさん。彼は仲間内で一、二
の剛脚。どうしたの?と理由を聞く。先頭集団にいながら普久川で落車して、関門打ち切
りをかいくぐって、ここまで這い上がってきたのだ。瞬く間に視界から消えてしまった。
自分はというと、W.V.OTAの方と前後しつつ源河を苦しいながらも上りきる。やっと下りに
かかったと思ったら雨が強く降り出した。前車の跳ね上げる水もあって、上からも下からも
水攻めだ。それでも踏みながら下って源河の関門を通過した時には、これで完走できると
いう安堵が海の風景とともにやってきた。
ここからは平地。心配した風も気にならない。具合よく青ゼッケンが10台ほど集まったので
ローテーションしてゴールを目指す。
仲尾次の橋が見えてきた。ここはちょっとキツイ上り。前の方に上がっていくと、下る頃には
後ろが切れた。人数が少なくなってローテーションで切れそうになっていると、唯一200km組
で最後尾に付いていた人がお尻を押して前に押し出してくれる。そこでは復帰したが、最後
の緩い丘で千切れて単独走行に。残り僅か。厳しいが最後まで踏んでゴール。終わった。
結果:市民130km 92位 4時間09分52秒 31.23km/h 平均160拍
走り終えて
完走できました。感無量です。
歩くとまだビッコを引いている脚も、レースを走っている最中は前方に意識を集中していたので、
痛みを感じている暇もありませんでした。
仲間と励まし合いながら、一緒に長丁場のレースを走るツール・ド・沖縄。今年は例年になく
数々のドラマがありました。悪天候、仲間の落車や関門打ち切りでのリタイア、なんとかレース
に間に合った自分の脚。e-Streamの他の2名が完走できなかったのは残念。
でも、ここまでの努力や苦悩が、全てリセットされる打上げの宴が好きです。これがあるから
1年間頑張れた。そしてまた1年、頑張れると思います。来年は、2年後に挑戦する市民200km
へ繋がるレースをしたいと思います。
【機材】
フレーム:VELLUM GAUGE
タイヤ:Panaracer Duro
ホイール:Dura WH-7850-SL
フロント:48x34
リア:11-23
コンポ:SRAM Red
さあて再就職だ@b-Stream
決して振り向かない前向きな姿勢・・・
感服致します。
私も2年連続完走して、自分自身にも
驕りが有ったと思います。
来年は、チャレンジャーの精神で参加します。
来年、キッチリ結果を出して 一緒に200km行かせて頂きます。
1ヶ月前の大怪我にも拘らずカムバックしたbyr10311さんの
マインドの強さには、ただただ感心するばかりです。
そして完走できなかった自分を情けなく思うばかり
ですが、次回は再起を図るべく自転車に専念したいと
思います!
次回はぜひ200kmで!
三河屋さんは本当に強いと思います。それも、ガチガチに強いのではなく、しなやかで柔軟な強さ。あこがれます。
自分は今でもダメなときがあります。でもそんなときに顔を上げる力をもらっています。だから、三河屋さんにはありがとうと心から思います。
骨は折れても心は折れない家主殿、すばらしい。
でもまだ3ヶ月。無理なさらないでください。
そして、こうしてレポートを拝見して、予想以上のサバイバルレースだったことが良くわかりました。
次の峠もきっと無理なく越えて行かれる事でしょう。
コンディションも悪く体調も不十分でも気持ちで完走されたのではないかと読んで感動しておりました
自分は西湖でズブズブだったので、来年に向けて課題満載になりました
とりあえず130kmを平均心拍160で走れるのは凄いです
俺だと1時間ぐらいしかもたないでしょうから
次の峠もがんばって登りましょう
それと近所なんで走りましょう!!
よろしく
うぉー、一緒に200km、嬉しいです。
来年に向けてのキーワードは「鍛え直し」です。
まずは身体を直して、ちゃんと走れるようにしたいと思います。
そのうえで、ひとつひとつ積み上げていきたいです。
一緒に頑張りましょう!
SNATさん:
不滅の馬力と強靭な耐久力のSNATさんにモチベーションをいつも貰っています。
その持ち主が折れてしまったくらいだから、落車のダメージは相当だったはず。
打上げの宴でそんなことを微塵も見せないで笑って吹き飛ばしていた姿に並々ならぬリベンジを感じました。
来年はトライアスロンから自転車1本に絞る宣言。となるとまた「世界のSNAT」の復活近し。
2009年はもう1回130kmを走りますが、再来年から200kmのお供をさせていただきます。
また荒川で、山で、合宿で!
ネロさん:
人生は一度っきり、楽しまなきゃ。それを教えてくれたのはベルギーの友人でした。
心が折れそうになるときは、彼の笑顔を思い出します。
生きていく中で難しかった時の経験の方が、いまの自分にとっての蓄えになっています。
苦悩と努力の後にご褒美がやってくる、ヒルクライムと同じですね。
アオ虫さん:
それはもう阿鼻叫喚の風景があちこちで展開されていました。
落ち着いて後ろから行ったから巻き込まれることなく走り切れましたが、骨折もなく絶好調だったら
落車の只中にいたかもしれないと思うと、何が幸いするか分かりません。
これからも大人の走りでながーく自転車と親しんでいきたいと思います。
やくさん:
「骨折り損のくたびれもうけ」にならなくてよかったと胸をなでおろしています。
長距離が得意なやくさん、再来年はオキナワ200kmを一緒に走りましょう。
またシゴイテやってください。
潮こんぶさん:
西湖、お疲れ様でした。
平均心拍は、これでも低いくらいです。ヒルクライム、富士SWやJCRCだと165bpmまで上がります。
GARMINの測定がどれくらい正確なのかはちょっと微妙ですが・・・。
来シーズン開始までにもっと出力アップしたいと思っています。
もっとラクに坂を走れる、平地も平均速度を上げられるようにトレーニングします。
また、毎週末は荒川を走ると思うので、時間が合えば列車に連結してください。
ユキリンのYでございます。
しかし、バケモンですね。(いい意味ですよ)
あの足にはチタンじゃなくて
多分電動の仕掛けか何かが入ってるに違いない
って思いながら普久川上っておりました。
私は完全にパフォーマンスも気持ちも
負けておりました。
来年はどうにか家主様を見習って
貪欲に行かねばと気持ちを入れ替えております
またチョロチョロと捻ってやって下さい。
骨折って、それでも走るなんて、家主はバケモノではなくてバカモノです。
マッタクもっていい年をして何をシャカリキになっているのかと自分でも思いますが、
でも夢中になれるものがあるのは幸せだなあと思います。
来年はひとつ上のクラスを走られるから、追いつかねば。
またレース会場でお会いしましょう。