最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

*Why is "Sea of Japan" "Tonghae"?

2012-01-29 13:47:51 | 日記
To the people of USA:(アメリカの人たちへ)

*Exaggerated nationalism of South Koreans(韓国人の過激な民族主義)
Why is Sea of Japan (Japan Sea) “East Sea? (どうして日本海が、「東海」なのか?)


●韓国の人たちよ、どうして「日本海」では、いけないのか?

 私の意見に賛成の人は、下記(A)~(B)までを、コピーし、あなたのBLOGに貼りつけてほしい。
訳文は、この原稿の終わりにつけておく。

(A)

*Why is Sea of Japan (Japan Sea) “East Sea”?
Exaggerated Nationalism of South Korea


We, the Japanese, know that South Korean people dislike “Japan” and now they have been trying to alter the name of “Sea of Japan (Japan Sea)” into “Tonghae” or “East Sea”.
Sea of Japan (Japan Sea) is situated in the east of Korea Peninsula and that is the reason why they insist so.


But if so, there would be hundreds of “East Sea” in the world, since each country has “East”.
In Japan we have a well-known proverb, saying, “If you dislike a priest, you hate his robe too”.


Once A. Einstein wrote in his letter to Prof. T. Kenzi like this: “The exaggerated nationalism is very dangerous”.
Sea of Japan (Japan Sea) has been “Sea of Japan (Japan Sea)” for more than 120 years and used as a common word internationally.
Even according to the map dated in 1855, used by Commodore M.C. Perry, who came to Japan in 1853, Sea of Japan is “Japan Sea”.

http://seaofjapan-noeastsea.blogspot.com/

Or why is Gulf of Mexico (Mexico Gulf) “Gulf of Mexico”?
Why doesn’t USA try to alter the name into “South Gulf”?
Because American people know that this type of nationalism seems to be so stupid.
So please you don’t have to listen to South Korea’s meaningless opinion.


In the website of “Sea of Japan, No East sea” someone writes as follows:


“Refute distorted Korean government and Korean nationalist distorted claims who got brainwashed propaganda in their school and mass media who they cannot master Chinese character and documents.
Those offensive brainwash propaganda spoiled Korean naughty young school kids having hostility toward Japan and Japanese.
I am protesting those stupid Korean's Structural Violence and expansionism, new fascism.”


I agree to this opinion.

Hiroshi Hayashi, Hamamatsu-city, Japan


(B)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【読者のみなさんへ】

●私たちも声をあげよう!


韓国の東亜日報は、つぎのような記事をかかげている。
「『東海・日本海』併記について、バージニア州上院は、1票差で否決した※」(2012年01月28日)と。
つまり「いろいろ働きかけてはみたが、教科書に、『東海・日本海』と併記させることについて、バージニア州では、失敗した」と。

韓国はノ大統領の時代から、世界各国に専門の特使まで派遣し、「日本海」を「東海(トンヘ)」に改名する運動を重ねている。
「日本海」という呼称が、どうにもこうにも気に入らないらしい。
その気持ちはよくわかる。
が、どうして日本海が「東海」なのか?
 
韓国から見れば、確かに「東の海」。
が、日本から見れば、「北西の海」。
ロシアから見れば、「東南の海」。
これほどまでに自己中心性丸出しの呼び方は、そうはない。
もし世界中の国々が、自分の国を中心に、東西南北の海の名前を決めたら、それこそ「東海」という名前は、国の数だけ生まれることになる。

そこで韓国はバランスをとるため、黄海を、独自に、「西海」と呼んでいる。
が、こちらのほうは、目立った運動は、まったくしていない。
つまり「おまけ」。
韓国は、要するに、「日本」という文字がよほど気に入らないらしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「日本海」問題

 日本海の呼称問題については、たびたび書いてきた。
ここでは、もう一歩、さらに話の内容を進めてみたい。
その第一。

 日本人は、あまりにも、おとなし過ぎる!

 どうして日本はもっと積極的に発言し、行動しないのか。
韓国が特使を派遣したら、日本も派遣すればよい。
韓国が騒いだら、日本も同じだけ、騒げばよい。

 昨年(2011年5月)書いた原稿を、もう一度掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「東海(トンヘ)」問題 (동해 vs. 일본해)

 『坊主憎ければ……』とかいうが、韓国は、「日本海」という名称が、よほど、気に入ら
ないらしい。

 で、韓国政府は、全世界の各国に「特使」まで送って、「日本海」を「東海」へ変更しよ
うと努力している。
(「特使」だぞ! わかるか!)

が、どうして「東海」なのか。
これほどまでに自己中心的な発想はない。
もしロシアが、「太平洋を『東方洋』にせよ」と主張したら、世界はロシアをどう思うだろ
うか。

 ついでに韓国は、黄海を、「西海」にしようとしている。
そうでも言わないと、バランス(=整合性)が取れないからだ。
が、無理は無理。
韓国政府も、やっとそれに気づき始めた。

 中央日報(韓国)は、つぎのように伝える。

『韓国政府は国際社会の東海(トンヘ、日本名・日本海)表記と関連し、「東海」と「日
本海」を併記すべきだという意見を国際水路機関(IHO)に提出したと、政府当局者が
1日明らかにした。

当局者は「IHO側が2日までに東海表記に関する公式意見を伝えてほしいと要求してき
た」とし、「東海単独表記主張は成功する可能性がないと判断した」と説明した』(5月4
日)と。

 繰り返すが、どこの国に対して、「東」なのか?
日本にとっては、日本海は、「北海」。
あるいは、「北西海」。
もしこんなメチャメチャな改名が許されるとしたら、それこそ世界は、大混乱。
「東海」だけでも、世界中に、何千も生まれる。

 ついでに……

対馬海峡→(韓国の)南海
東シナ海→(台湾の)北海
台湾海峡→中国海峡
南シナ海→北フィリッピン海
フィリッピン海→グアム海、などなどとしたら、どうか?

そのうちベンガル湾も、インドの東にあるということで、「東海」になるかもしれない。
アラビア海は、パキスタンの南にあるから、「南海」になるかもしれない。

 特使まで送って改名させようとしているところが、すごい。
……というか、バカげている。

 原稿をさがしてみたら、2007年の5月に、同じ原稿を書いているのがわかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●またまた「東海(トンヘ)」?(2007年5月記)

Why should the Japan Sea (Sea of Japan) be the Eastern Sea?
The Japan Sea (Sea of Japan) is situated to the east of Korea,
but is situated to the north to Japan.

++++++++++++++++++

韓国にとっては、東海(トンヘ)かも
しれないが、日本にとっては、「北西海」。
あるいは「北海」。

どうして韓国は、こうまで「東海」に
こだわるのか?

++++++++++++++++++

 『坊主憎ければ、袈裟まで憎い』という諺(ことわざ)を、地で行くような事例が、これ。
今も、つづいている。
韓国は、数年前から世界各国に特使まで送り、「日本海」を、「東海(トンヘ)」に改称しようと運動を重ねている。

 韓国にとっては、たしかに「東海」だが、日本にとっては、「北西海」。
あるいは「北海」。
韓国は、よほど、「日本」という名前が嫌いらしい。
「日本海」ではなく、「日本」という名称が嫌いらしい。

 しかし日本の周辺を見ただけでも、その地域や固有の名前がついた海というのは、いくらでもある。

 北から、東シベリア海、ベーリング海、オホーツク海、東シナ海、台湾海峡、フィリッピン海、南シナ海などなど。

 しかし「東海」などという、自己中心性丸出しの名前は、どこにもない。
英語で言えば、「the Eastern Sea(東海)」。
「トンヘの意味は?」と聞かれたら、韓国の人たちは、何と答えるのか。

 こんな改名がまかり通るなら、まず日本とフィリッピンの間にある「フィリッピン海」を、「南海」としたらどうか。
が、韓国にとっては、それはおもしろくないらしい。
こんな記事が、今朝の朝鮮N報に載っていた。

 『5月7日からモナコで開かれる、国際水路機構(IHO)総会に参加する、加盟国78カ国のうち、大多数が「日本海」の単独表記を支持していることが判明し、韓国政府に緊張が走っている。

 韓国政府当局者は30日、IHO総会に関するブリーフィングを開き、「現在の状況では大多数のIHO加盟国が日本海単独表記を支持しているが、どのような状況であれ、日本海が単独表記されることを絶対に容認することはできないというの、われわれの基本的な立場」と述べた』(07年5月1日)と。

 どうして容認することができないのか? 
韓国側は、その理由も述べたらよい。と、同時に、どうして日本海ではいけないのか。
その理由も述べたらよい。
さらに、どうして「東海」なのか、その理由も述べたらよい。

 仮に「東海」ということになれば、今度は、日本が猛反対するだろう。
「どうして東海なのか」と。

 さすがの韓国政府も、自分たちの愚かさに気づいたのだろう。
今度は、「平和の海」という代案を出してきた。
「平和」という名前は、K国が好んで使う名称でもある。今の今も、あの38度線をはさんで、韓国側にある村を、「自由の村」と呼び、K国側にある村を、「平和の村」と呼んでいる。

 が、その「平和の海」論も、どこかへ消えた。
そこで再び、「東海」。
「併記問題」。
今度は、「日本海と東海を併記せよ」と。

 こうした韓国側の動きを見ていると、反日運動の原点を見ているようで、興味深い。
つまり韓国にとってみれば、日本の存在そのものが、おもしろくないのだ。
理由など、ない。
まさに感情論。
彼らが主張するところの歴史認識問題にしても、そのうちの何割か以上は、その感情論と考えてよい。

 しかし一言。
韓国政府も、いちいちそんな(名称)の問題にこだわらないで、もっと大きな問題に取り組んでみたらどうか? 
たとえば国連への分担金を一人前にふやすとか、そういうことを考えてみたらどうか? あるいは政府開発援助金を、人口比に応じて、せめて日本の3分の1くらいにまで、ふやすとか……。

 そういうことはまったくせず、主張することだけは、一人前。
あるいはそれ以上!

 どちらにせよ、「東海」などという呼称そのものが、私たち日本人にとっては、言語道断。
どうして日本の北にある日本海が、東海なのか。
日本としては、絶対に容認できない呼称である。

ちなみに国際水路機構(IHO)総会では、大多数が、「日本海」の単独表記を支持しているという。
当然のことである。

(付記)今まで、直接的な批判を避け、あえて東海を「西海」などとまぶして、批判記事を書いてきましたが、今日から、正面から、「東海」とすることにしました。

(以上、2007年5月に書いた原稿より)

●グーグル翻訳でも……

 グーグル翻訳サービスを使って、「日本海」を韓国語に翻訳すると、韓国語で「東海」と翻訳される。
韓国政府は、すでにグーグルにまで、こうした手を伸ばしている。
日本よ、油断するな!

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BW はやし浩司 韓国 東海(トンヘ) 日本海名称問題 日本海と東海 韓国の反日感
情 反日運動 はやし浩司 日本海 東海呼称問題)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本人よ、もっと声をあげよう!

 日本人よ、もっと声をあげよう。
方法は、簡単。
もしみなさんがBLOG(Twitter)を書いているなら、以下の文面をコピーし、あなたのBLOGに貼りつけてほしい。

 ネットの世界では、同じ意見でも、数が多ければ多いほど、検索時に上位に表示される。
アメリカをはじめ、世界の人たちの目に留まる。
それが重要。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(A~Bまでの訳文)

●どうして日本海が、「東海」なのか?

 私たち日本人は、韓国人(朝鮮人)が、日本を嫌っていることを知っている。
そして今、日本海という名前を、「トンヘ」つまり、「東海」と改名しようとしていることを知っている。
日本海は、朝鮮半島の東側に位置する。
それが彼らの主張の根拠になっている。

が、もしそうなら、世界中に、何百という「東海」が生まれるだろう。
というのも、それぞれの国に、「東」があるからである。

日本には、『坊主憎ければ、袈裟まで憎い』という諺がある。
あのA・アインシュタインは、田丸謙二先生への手紙の中で、こう書いている。
「過激な民族主義は危険である」と。

「日本海」という名前は、100年以上も、世界の常識として使われている。
1853年に日本に来航した、マシュー・ペリー提督が使った地図でも、日本海は「日本海」になっている。
でないというのなら、どうしてメキシコ湾が「メキシコ湾」なのか。
アメリカは、どうしてメキシコ湾を、「南湾」と改名しようとしないのか。
なぜなら、この種のナショナリズムが、馬鹿げていることを知っているからである。

どうか韓国の、馬鹿げた意見に耳を貸さないでほしい。

『日本海であって、東海ではない』(Sea of Japan, No East Sea)サイトの中には、次のような意見が載っている。

『……アメリカ人は韓国政府および韓国の国粋主義者たちは、漢字や漢字で書かれた書類を読めない子どもやマスメディアの世界において、洗脳プロパガンダ(=政治的情宣活動)を繰り広げている。

これらの攻撃的なプロパガンダは、無邪気な子どもたちをたきつけ、日本や日本人に対する敵意を煽(あお)り立てている。
私はこれらの愚かな、構造的暴力、さらには拡張主義、つまり新しいタイプのファシズムに、抗議する』(以上、同サイトより)と。

私は、この意見に同意する。

浜松市 はやし浩司


++++++++以下、コピーし、あなたのBLOGに貼りつけてほしい++++++

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(A)

*Why is Sea of Japan (Japan Sea) “East Sea”?
Exaggerated Nationalism of South Korea


We, the Japanese, know that South Korean people dislike “Japan” and now they have been trying to alter the name of “Sea of Japan (Japan Sea)” into “Tonghae” or “East Sea”.
Sea of Japan (Japan Sea) is situated in the east of Korea Peninsula and that is the reason why they insist so.


But if so, there would be hundreds of “East Sea” in the world, since each country has “East”.
In Japan we have a well-known proverb, saying, “If you dislike a priest, you hate his robe too”.


Once A. Einstein wrote in his letter to Prof. T. Kenzi like this: “The exaggerated nationalism is very dangerous”.
Sea of Japan (Japan Sea) has been “Sea of Japan (Japan Sea)” for more than 120 years and used as a common word internationally.
Even according to the map dated in 1855, used by Commodore M.C. Perry, who came to Japan in 1853, Sea of Japan is “Japan Sea”.

http://seaofjapan-noeastsea.blogspot.com/

Or why is Gulf of Mexico (Mexico Gulf) “Gulf of Mexico”?
Why doesn’t USA try to alter the name into “South Gulf”?
Because American people know that this type of nationalism seems to be so stupid.
So please you don’t have to listen to South Korea’s meaningless opinion.


In the website of “Sea of Japan, No East sea”, someone writes as follows:


“Refute distorted Korean government and Korean nationalist distorted claims who got brainwashed propaganda in their school and mass media who they cannot master Chinese character and documents.
Those offensive brainwash propaganda spoiled Korean naughty young school kids having hostility toward Japan and Japanese.
I am protesting those stupid Korean's Structural Violence and expansionism, new fascism.”
I agree to this opinion.


Hiroshi Hayashi, Hamamatsu-city, Japan


(B)

++++以上 (A)~(B)をコピーし、あなたのBLOGに貼りつけてほしい++++++

●「教科書」

 ついでに一言。

 東亜日報紙は、この記事※の中で、「教科書」という言葉に、こだわっているのがわかる。
が、アメリカの学校には、「教科書」と呼ばれる教科書は、ない。
「テキスト」はある。
が、教科書はない。
民間の出版社が発刊する、テキストである。
それぞれの学校が、自由に、それぞれのテキストを使っている。

そもそも、日本のような検定制度そのものが、アメリカには、ない。
だから、州議会に働きかけても、意味がない。
州議会で仮に併記を議決したとしても、法的拘束力はない。
それを知ってか知らずか、「教科書」という言葉を使っているところが、恐ろしい。

日本政府は、教科書について、検定済み教科書であって、国定教科書ではないと主張している。
が、これはウソ。
「検定」も「国定」も、英語に翻訳すれば、同じ。

なおついでながら、オーストラリアにも検定制度はある。
民間団体が、自主的にそれを行っている。
行っているが、検定するのは、暴力と性描写のみ。
むしろ逆で、州政府は、「政治的な表現については、検定してはならない」と、釘をさしている(南オーストラリア州)。
小学低学年時には、テキストすら使っていないところもある。

 繰り返す。
アメリカには検定制度そのものがない。
ないから、「教科書」という言い方そのものが、適切ではない。
「テキスト」は「テキスト」。
どうか誤解のないように!

 日本も、教科書制度を廃止したらよい。
戦時中の日本ならいざ知らず、2012年の今、国定教科書とは!
今どき「教科書」を使い、国民の思想統一しているのは、そこらの独裁国家くらいなもの。
日本よ、日本人よ、いいかげんに、目を覚ませ!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※……東亜日報紙の記事・全文)

『米教科書の「東海・日本海」併記、バージニア州上院1票差で否決
米バージニア州議会で推進された「東海(トンヘ)と日本海の教科書併記法案(SB200)」(東海併記法案)が否決された。
15人で構成された州議会上院の教育保健委員会は26日、全体会議を開き、東海併記法案に対する採決を実施し、賛成7票、反対8票で否決した。
同日の採決では、賛成7票と反対7票で拮抗したが、キャスティングボートを握るスティーブン・マーティン委員長(共和)が反対票を投じ、否決された。

デヴィッド・マースデン議員(民主)が11日に提出した同法案は、バージニア州内の公立学校で使用される1年生から12年生用の教科書に東海と日本海を併記することを義務づける内容を含んでおり、16日に教育委小委員会を通過した。

小委員会を通過した時は、全体会議の通過が有力視されたが、共和党議員を中心に親日ムードが生まれ、否決されたという』(以上「東亜日報」より)と。

なお日本のMSN・産経ニュースは、つぎのように伝えている。

『……米ワシントン近郊のバージニア州議会で、州内の公立学校の教科書に日本海を「東海」と併記することを求める州法案の採決が行われ、1票差で否決されたことが分かった。

歴史的事実を知らない地方議員が韓国系団体のロビー活動を受けて法案を提出していた。

米国では最近、韓国系米国人らが日本の教科書の使用中止を求める動きもあり、日本政府は官民を挙げた対策が求められている』(MSNニュース・2012年1月29日)と。

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はやし浩司 2012-01-29朝記


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司




【硬直する思考回路】

●シャッター通り

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2か月前の2011年の11月。
はからずもシャッター通りの内側から、シャッター通りを見る機会を得た。
つまりシャッター通りにある、一軒の旅館(?)に泊まった。
立派な案内書、よくできたホームページ、それにその町の観光課の女性に、だまされた。

「だまされた」という言葉を使っても、まちがっていない。
だまされた。

病臭と悪臭、それに不潔臭。
ワイフは一晩中、ダニの攻撃を受けた。
おまけに通りに面しているため、断続的に、車の走る音。
それが一晩中、ザザーッ、ザザーッと聞こえてきた。

料理も、最悪というより、口に入れることすらできなかった。
おでんが、数点、小皿の煮物が2点。
それだけ。
あとは白いご飯だけで、味噌汁はなし。
もちろんデザートも、なし。
口臭のひどい男で、その男が食事の間中、横から無駄話をしかけてきた。
ビールを頼むと、すかさず、「瓶が割れてしまいました」と。

風呂も、その家人がいっしょに使うもの。
浴室には、家人の洗濯物などが、いっしょに並んでいた。

冒頭で「2か月前」と書いたが、その2か月前には、書けなかった。
が、今なら、書ける。
それから2か月がたった。
時効が成立した。

がまん、ただひたすら、がまん……。
浴衣にも、病臭がしみ込んでいた。
重病の家人がいるとかで、その家人の衣服といっしょに、洗濯をしたらしい。
しかも、ヨレヨレ。
そう言えば、バスタオルもヨレヨレだった。

部屋のテーブルは、手垢で、ベタベタ。
ふすまの桟(さん)には、ホコリがところどころで、丸い塊(かたまり)を作っていた。
もちろん(?)便器は、大便で汚れていたが、ここまでひどいと、それどころではない。
昔のぼっとん便所を思い出しながら、それを使った。

ワイフは「お金を払って、ほかで泊まりましょう」と何度も言った。

朝を待ち、あれこれ理由をつけ、私たちはそそくさと、その旅館(?)を出た。
朝食は遠慮した。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●やる気度

 旅館にかぎらず、商店というのは左前になると、そのまま本気度が消える。
サービスが低下する。
その一方で、たまに来る客から、目一杯、儲けようとする。
そのため客が逃げる。
あとはこの悪循環の中で、商売は、ますます左前になる。
商店主は、さらにやる気をなくす。

 服装もだらしなくなる。
言葉遣いもだらしなくなる。

 今まで、私はそうしたシャッター通りの商店を擁護する原稿を書いてきた。
しかし、そうなるには、そうなるだけの理由がある。
その一例が、先に書いた旅館ということになる。

 1泊8500円だから、安いとか、そういうことではない。
反対に、5万円もらっても、泊まりたくない。
そうなる。

●思考回路

 どんな商売でもそうだが、日々に努力あるのみ。
その努力を怠ったとたん、店はほこりをかぶるようになる。
では、どうするか。

 そのためには、まず、自分のもつ思考回路に気づく。
その前に、思考回路というのが、どういうものであるかを知る。

人間の脳みそは、基本的には怠けもの。
そのつどできるだけ楽な道を選ぼうとする。
その楽な道に沿って、思考回路を作る。
が、この思考回路。
一度、それができると、変更するのは容易なことではない。
年を取ればなおさらで、思考回路そのものが、硬直化する。

●脳の別室

 そこで「学習」ということになる。
が、思考回路が硬直化していると、学習しても、ほとんど意味がない。
たとえば先に書いた旅館の男を、都会のビジネスホテルに連れて行ったとする。
「サービスというのは、こういうもの」と見せたとする。
が、効果は、ほとんどない。……はず。

 脳みそは、自分のつごうのよい情報と、自分につごうの悪い情報を、より分けてしまう。
そして自分に都合の悪い情報は、脳の別室に閉じこめてしまう。
実際、自分につごうの悪い情報を見聞きするのは、不愉快。
避けたい。
「医者嫌い」が、その一例である。

 が、それでも自分につごうの悪い情報に、耳を傾ける。
それがその人に、別の道を示す。
たとえばこんなことがある。

●辛らつなコメント

 私はこうして毎日、いろいろな文章を書いている。
それについて、毎日のように、いろいろなコメントが届く。
たいはんは好意的なものだが、中には、辛らつなものもある。

 当初は、そういう辛らつなコメントが届くたびに、かなりのショックを受けた。
そのあと、怒りと悔しさで、体が燃えるように熱くなったこともある。
恐らくみなさんの中にも、同じような体験をした人は多いと思う。
ネットの世界では、匿名で、相手を非難したり、中傷したりすることができる。

 で、そのときのこと。
実は、そういう辛らつなコメントほど、大切ということに、やがて気づいた。
が、それを読み返すのは、苦痛以外の何ものでもない。
ばあいによっては、そのページを開くだけで、ぞっとする。
が、それでも読み返す。
するとその先に、別の道が見えてくる。

 ……私はそのうち、こんな技術を身につけた。
慇懃無礼な、礼状を書くという技術である。
「あなた様のきびしいご意見は、たいへん参考になりました。これからの執筆活動に、じゅうぶん役立たせていただきます。ありがとうございました」と。

 以来、ネットの世界では、10年が過ぎた。
今ではそうした辛らつなコメントなど、何とも思わない。
またこちらから喧嘩しなければならないような相手でもない。
どうせ相手は、匿名。
犬の遠吠え。

 話が脱線したが、(つごうの悪い情報)に、あえて、身を染める。
それが「学習」ということになる。
けっして、脳の別室に、それを閉じこめてはいけない。

●「あなた殺されるわよ」

 で、もしこの文章を、先にあげた旅館の男が読んだら、どう反応するだろうか。
私の印象では、激怒するにちがいない。
ワイフは、こう言った。
「あなた、殺されるわよ」と。
だから、2か月待った。

 が、しかし、私を殺すのは待ってほしい。
もしその男が、この先も旅館業をつづけようと願うなら、私がここに書いたことについて謙虚に反省したらよい。
自分を見つめなおしたらよい。

その男にとって、何よりも重要なことは、その男自身がもつ思考回路を変えること。
組みなおすこと。
一度できあがった思考回路を変えるということは、それくらい、大変なこと。
ばあいによっては、苦しい。
つらい。
しかしその苦しさやつらさを乗り越えることなしに、その男に明日はない。

●ジー様先生

 ……と書いても、これは私自身の問題でもある。
私の現在の主なる収入源は、「幼児教室」である。
「BW幼児教室」という名前をつけている。

 この不況下、(不況だけが理由ではないのだが)、ご多分に漏れず、左前。
毎年3月になると、それだけで憂うつになる。
「4月から、やっていけるだろうか?」と。

 これには、私の年齢の問題もからんでいる。
私も64歳。
親といっても、若い母親たちばかり。
私のようなジー様先生など、お呼びではない。
それが若い母たちと接していても、よくわかる。
いくらがんばっても、若い先生には、かなわない。
生徒自身が、それを口にすることがある。
「あんた、ジジ臭い!」と。
言うなれば、私自身が、シャッター通りの店主になっている。

●BW幼児教室

 そこで私の思考回路をどう変えていくか。

 ひとつには、常に新しい教育にチャレンジしていくこと。
「今度は、これを教えてみよう」「あれを教えてみよう」と。

 そのことは、私の「BW公開教室」を見てもらえば、わかる。
http://bwopenclass.ninja-web.net/page018.html
この1年間だけでも、いろいろな分野に挑戦してみた。
たとえば幼稚園児に、方程式の解き方まで、教えてみた。
おもしろかった。
楽しかった。
この4月からは、さらに新しい分野に挑戦してみたい。

 「学校で使う教科書に沿って……」などというチンケな教育だけは、したくない。
それも必要だが、(というのも、スポンサーである親たちは、それを求めているから)、それだけには終わりたくない。

 まずいのは、「年齢だから……」というおかしな理由にこだわり、思考回路を硬直させること。
こうしてものを書くことについても、そうだ。
いつも新しい分野に向かって、道を開いていく。
それが私の仕事を、「シャッター通り」にしない、ゆいいつの方法ということになる。

●シャッター通りのみなさんへ

 私は今まで、シャッター通りについて書くたびに、その外側から、行政の不備を攻撃してきた。
私の実家も、そのシャッター通りにあった。
が、実は、どうもそれだけではないようだ。

……ということで、シャッター通りの内側からの意見を書いてみた。
私たちたちは、私たち自身で努力する。
その成功例も、ないわけではない。

 たとえば滋賀県の長浜。
長浜の町。
小さな田舎町だが、都会の~~通りほどの観光客であふれている。
若い店員たちが、思いっきり元気を発散している。
なぜそうなのか。
またそうであるためには、どうしたらよいのか。
もしあなたに学習能力が残っているなら、一度、長浜の町をのぞいてみたらよい。
たった40年前には、さびれにさびれ、「♪イノシシが、逆さまにぶらさっがっている」というような町だった。

 それが今は、あの「長浜の町」になった。

 がんばろう、シャッター通りのみなさん!

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Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司


●子どもと笑い(笑いの持つ、不思議なパワー)

2012-01-27 10:56:13 | 日記
【子どもと遊びについて】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「子どもの遊び」については、いろいろな原稿を書いてきた。
過去に書いた原稿を、集めてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「遊びが子どもの仕事」(中日新聞発表済み) 

「人生で必要な知識はすべて砂場で学んだ」を書いたのはフルグラムだが、それは当たらずとも、はずれてもいない。
「当たらず」というのは、向こうでいう砂場というのは、日本でいう街中の公園ほどの大きさがある。
オーストラリアではその砂場にしても、木のクズを敷き詰めているところもある。
日本でいう砂場、つまりネコのウンチと小便の入りまざった砂場を想像しないほうがよい。
また「はずれていない」というのは、子どもというのは、必要な知識を、たいていは学校の教室の外で身につける。
実はこの私がそうだった。

 私は子どものころ毎日、真っ暗になるまで近くの寺の境内で遊んでいた。
今でいう帰宅拒否の症状もあったのかもしれない。
それはそれとして、私はその寺で多くのことを学んだ。
けんかのし方はもちろん、ほとんどの遊びもそうだ。
性教育もそこで学んだ。

 ……もっとも、それがわかるようになったのは、こういう教育論を書き始めてからだ。
それまでは私の過去はただの過去。
自分という人間がどういう人間であるかもよくわからなかった。
いわんや、自分という人間が、あの寺の境内でできたなどとは思ってもみなかった。
しかしやはり私という人間は、あの寺の境内でできた。

 ざっと思い出しても、いじめもあったし、意地悪もあった。
縄張りもあったし、いがみあいもあった。おもしろいと思うのは、その寺の境内を中心とした社会が、ほかの社会と完全に隔離されていたということ。
たとえば私たちは山をはさんで隣り村の子どもたちと戦争状態にあった。
山ででくわしたら最後。
石を投げ合ったり、とっくみあいのけんかをした。
相手をつかまえればリンチもしたし、つかまればリンチもされた。

しかし学校で会うと、まったくふつうの仲間。
あいさつをして笑いあうような相手ではないが、しかし互いに知らぬ相手ではない。
目と目であいさつぐらいはした。
つまり寺の境内とそれを包む山は、スポーツでいう競技場のようなものではなかったか。競技場の外で争っても意味がない。
つまり私たちは「遊び」(?)を通して、知らず知らずのうちに社会で必要なルールを学んでいた。が、それだけにはとどまらない。

 寺の境内にはひとつの秩序があった。
子どもどうしの上下関係があった。
けんかの強い子どもや、遊びのうまい子どもが当然尊敬された。
そして私たちはそれに従った。
親分、子分の関係もできたし、私たちはいくら乱暴はしても、女の子や年下の子どもには手を出さなかった。

仲間意識もあった。
仲間がリンチを受けたら、すかさず山へ入り、報復合戦をしたりした。
しかしそれは日本というより、そのまま人間社会そのものの縮図でもあった。
だから今、世界で起きている紛争や事件をみても、私のばあい心のどこかで私の子ども時代とそれを結びつけて、簡単に理解することができる。

もし私が学校だけで知識を学んでいたとしたら、こうまですんなりとは理解できなかっただろう。だから私の立場で言えば、こういうことになる。
「私は人生で必要な知識と経験はすべて寺の境内で学んだ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どものいたずら

 ふつう頭のよい子どもは、発想が豊かで、おもしろい。
パンをくりぬいて、トンネル遊び。スリッパをひもでつないで、電車ごっこなど。
時計を水の入ったコップに入れて遊んでいた子ども(小3)がいた。

母親が「どうしてそんなことをするの?」と聞いたら、「防水と書いてあるから、その実験をしているのだ」と。

ただし同じいたずらでも、コンセントに粘土をつめる。
絵の具を溶かして、車にかけるなどのいたずらは、好ましいものではない。
善悪の判断にうとい子どもは、とんでもないいたずらをする。

 その頭をよくするという話で思いだしたが、チューイングガムをかむと頭がよくなるという説がある。
アメリカの「サイエンス」という雑誌に、そういう論文が紹介された。
で、この話をすると、ある母親が、「では」と言って、ほとんど毎日、自分の子どもにガムをかませた。しかもそれを年長児のときから、数年間続けた。
で、その結果だが、その子どもは本当に、頭がよくなってしまった。
この方法は、どこかぼんやりしていて、何かにつけておくれがちの子どもに、特に効果がある。……と思う。

 また年長児で、ずばぬけて国語力のある女の子がいた。
作文力だけをみたら、小学校の3、4年生以上の力があったと思う。
で、その秘訣を母親に聞いたら、こう教えてくれた。「赤ちゃんのときから、毎日本を読んで、それをテープに録音して、聴かせていました」と。
母親の趣味は、ドライブ。
外出するたびに、そのテープを聴かせていた。

 今回は、バラバラな話を書いてしまったが、もう一つ、バラバラになりついでに、こんな話もある。
子どもの運動能力の基本は、敏しょう性によって決まる。
その敏しょう性。

一人、ドッジボールの得意な子ども(年長男児)がいた。
その子どもは、とにかくすばしっこかった。
で、母親にその理由を聞くと、「赤ちゃんのときから、はだしで育てました。
雨の日もはだしだったため、近所の人に白い目で見られたこともあります」とのこと。
子どもを将来、運動の得意な子どもにしたかったら、できるだけはだしで育てるとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●笑い(笑いの科学と効能)

 ついでに、「笑い」について。
何度も書いてきたので、ネットでさがし、その一部を紹介する。
 私は、幼児を教えるとき、何よりも、「笑い」を大切にしている。
ときには、50分のレッスンの間、ずっと笑いっぱなしにさせることもある。

 最近の研究では、「笑いは、心のジョギング」(小田晋、「イミダス」05年度版)とまで言われるようになった。

 「質問紙法で、ユーモアのセンスを評定すると、ユーモアの感覚があり、よく笑う人は、ストレス状況下でも、抑うつ度の上昇と、免疫力の低下が抑制されることがわかっている。

 たとえば糖尿病患者や大学生に、退屈な講義を聞かせたあとには、血糖値は上昇するが、3時間の漫才を聞かせたあとでは、とくに糖尿病患者では、血糖値の上昇を阻害することがわかってきた」(国際科学研究財団・村上・筑波大学名誉教授)と。

 がん患者についても、笑いのシャワーをあびせると、血液中の免疫機能をつかさどる、NK細胞が、活性化することもわかっている(同)。

 子どももそうで、笑えば、子どもは、伸びる。前向きな学習態度も、そこから生まれる。「なおす」という言葉は、安易には使えないが、軽い情緒障害や精神障害なら、そのままなおってしまう。

 私は、そういう経験を、何度もしている。

 大声で、ゲラゲラ笑う。
たったそれだけのことだが、子どもの心は、まっすぐに伸びていくということ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【笑って伸ばす、子どもの心】

●笑うことには不思議な力があります……というようなことは、40年前には謎でした。
が、今では、脳科学の世界で、その有効性が認められ、常識となっています。
私は40年前から、その不思議な力に気づいていました。
簡単な「障害」であれば、笑うことによって、なおってしまいます。
年少から年中期が、とくに有効です。
が、もちろんそれだけではありません。
笑うことによって、子どもの中に前向きな学習姿勢が生まれ、脳の活動を活発化させます。学習効果もその分だけ、高まります。
『笑えば伸びる』……40年前に、幼稚園で配付したパンフに、私はそう書きました。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●今回は、『体積』を教えました。
 小学1年生(一部、幼稚園児)と、小学2年生(一部、1年生)のクラスを紹介します。

(小学1年生)
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(小学2年生)
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/cYjrf6O-QL4" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司


1/2 マガジン(2-1日号)

2012-01-26 22:32:24 | 日記



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 子育て最前線の育児論byはやし浩司   12年  2月  1日号
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2011年月8日1日現在……1552号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【冬休み】(今年は、遊ぼう!)

●第1日目

 昨日、岐阜県関市板取村にある、「山の宿・ひおき」に電話を入れた。
コテジ風の民宿である。
宿泊を申し込もうとしたが、「冬の間は、やっていません」とのこと。
つまり休業中。
残念!

 しかたがないので(失礼!)、今朝、浜名湖かんざんじ荘に電話を入れた。
「本日なら、部屋が取れます」と。
ラッキー!
……ということで、冬休み初日は、かんざんじ荘の温泉(温泉だぞ!)で、1泊。
1年のアカ落としを、そこですることにした。

●年賀状

 本日(28日)、年賀状を発送。
元旦に着くことを願いながら、本局まで行って、投函した。

 途中、DVDショップに立ち寄った。
ワイフは旅館ではいつも、DVDを観る。
そのDVDを借りた。

 ついでに郵便局の帰りに、行きつけのざるそば屋で、ざるそばを食べた。
そのとき私はこう宣言した。
「今年の冬休みは、遊んで、遊んで、遊びまくるぞ」と。

●ベトナム

 オーストラリアの友人は、今、ベトナムにいる。
オーストラリアを出発する前、そんな連絡が入った。
「ベトナムかあ……いいなあ」と。

あの国の人たちは、ヒマさえあれば、外国へ出かける。
距離に対する感覚が、日本人のそれとは、まったくちがう。
500キロ、1000キロなど、彼らにしてみれば、隣町。
加えて移民国家。
「外国」という言葉についても、私たちとはちがった概念をもっている。

●舘山寺に向かう

 舘山寺に向かう前、沼津のH会館(ホテル)に電話した。
正月X日の講演のあと、沼津の温泉に一泊する。
あれこれ迷ったあと、H会館にした。

ネットで予約できないからといって、あきらめてはいけない。
電話で直接交渉すると、繁忙期でも部屋が取れるときがある。
H会館にしても、そうだ。
ネットでは、「満室」となっていた。
「念のため……」と思って電話をすると、「空いています」と。

 ラッキー!

 X日は、そのH会館に一泊することにした。

●小食派
 
 若いころは、温泉に泊まるなどということは、考えもしなかった。
どこか老人臭い。
「温泉というのは、老人が泊まるもの」と。
(たしかにそうだが……。)
そう思っていた。
が、今はちがう。
どこへ行っても、まず温泉地をさがす。
そこで一泊する。

 料理には、あまりこだわらない。
そこそこのものであればよい。
ワイフも私も、小食派。

 ところで「小食」と書くのが正しいのか、それとも「少食」と書くのが正しいのか。
が、こういうときは、その反対を考えてみると、わかる。
「大食」とは言うが、「多食」とは言わない。
だから「小食」が正しいということになる。
理屈の上では……。

●講演

 講演をするようになってから、もう20年になる。
当初は近くの小学校や幼稚園でさせてもらった。
もちろん私のほうから頼んで講演をさせてもらったことは、一度もない。
講演というのは、そういうもの。

 ただ政治家とちがい、講演したからといって、メリットはまったくない。
講演には、(そのつぎ……)がない。
いつも話しっぱなしで、終わる。
名誉にはなるが、数週間もすれば、私の話したことなど、人々の記憶からも消えてしまうだろう。

 が、楽しいことも多い。

●講演旅行

 何が楽しいかといって、そのまま旅行ができること。
その地域の名物が食べられること。
それもあって、講演の依頼があると、すぐその地域の温泉や名物を調べる。

 最近では私たちよりワイフのほうが、楽しみにしている。
「今度、○○で講演だよ」と報告すると、「じゃあ、○○温泉ね」と。
のんきな性格で、私の苦労など、ぜんぜんわかっていない。
講演といっても、かなり神経を使う。
緊張する。
講演のあと数時間は、食欲そのものが失(う)せる。

 実際には、講演のある日は、朝から食事を抜く。
胃の中をからっぽにしておかないと、脳みその活動そのものが鈍る。
それに体調。

大きな講演会があるときは、その1週間ほど前から、運動量をふやす。
また当日にしても、どんなに近くても私は電車を利用する。
車だと、渋滞に巻き込まれたりする。
まだある。
約束の電車より、いつも1つ前の電車で現地へ着くようにする。
この仕事には、遅刻は許されない。

 「旅行」と浮かれることができるのは、講演が終わってから。
が、そうでないときもある。
講演のできが悪かったりすると、そのあとガクンと気分が落ち込む。
そうなると旅行気分など、どこかへ吹き飛んでしまう。

●湖上百景・浜名湖かんざんじ荘にて

 かんざんじ荘には、午後4時ごろついた。
軽い悪寒を覚えたので、そのまま温泉に。
温泉には、私、ひとりだけだった。
のんびりできた。
ほぼ夕暮れ時だったが、直線的な白い陽光が、ガラス窓を通して顔に当たった。

 部屋に戻ると、ベランダの椅子に座り、あれこれ考えた。
遠くには、山荘のある山々も見える。
が、この安心感は、どこから来るのか?
……?

 最近、気がついたことがある。
ときどき海ぎわの旅館やホテルに泊まることがある。
そのときのこと。
どうも落ち着かない。
このあたりでも3・11震災並みの大地震が起こるかもしれないという。
もし起これば、同じような津波が海岸地域を襲うはず。
海ぎわの旅館やホテルなど、ひとたまりもない。
それが私を不安にさせる。

 が、このホテルは、山の上。
津波の心配は、まったくない。
それが安心感につながっている。
たぶん……。

●特異現象

 金正日が死んだ日、北朝鮮ではいろいろな特異現象が観察されたという。
たとえば……。

『……冬空に稲妻が走り、タンチョウヅルはこうべを垂れた……。北朝鮮メディアは金正日総書記の死去発表後、特異な自然現象の発生を死去と関連付け相次いで報じている』(ロイター)と。

朝鮮中央通信という公的機関(?)が、そういうことを報道するから楽しい。
いわく『同通信はまた、東部の咸興市に建てられた金日成主席の銅像に20日夜、タンチョウヅルが飛来し、銅像の上を3回、回って木に止まった後、長時間こうべを垂れていたとも伝えた。
目撃者は「ツルも弔意を表したようだ」と話したという』(共同通信)と。

 が、こういう記事を読んで、笑ってはいけない。
この程度の記事なら、カルト教団の機関紙には、いつも載っている。
言い換えると、北朝鮮という国家そのものが、カルト化しているということ。
わかりやすく言えば、「宗教国家」。
核兵器を本尊とする、宗教国家。
またそういう前提で考えないと、あの国を真に理解することはできない。

 だからいくらアメリカや韓国が、がんばっても、北朝鮮は核兵器を放棄などしない。
いくら餓死者が出ても、それはそれ。
カルト教団では、理屈はご法度(はっと)。
理屈で考えたら、教団そのものが崩壊してしまう。
北朝鮮にしてもそうだ。

どうしてタンチョウヅルなのか?
タカやワシでは、だめなのか?
あの種の鳥はどれも、クチバシが長いから、休むときは、みな頭(こうべ)を垂れる。
が、こうして理屈で考えたら、体制そのものが崩壊してしまう。

 もし私が今、北朝鮮に住んでいたら……。
あっという間に、公開処刑!
それを考えると、ゾッとする。

●心の汗?

 肉親や親類の死を知り、ほとんどの人は、その死を悲しむ。
しかし(悲しむ)ことと、(泣く)という行為の間には、大きな距離がある。
個人差もある。
さらに(泣く)といっても、(密かに泣く)という行為と、(公然と泣く)という行為の間には、大きな距離がある。
個人差もある。

 一般論から言えば、人は泣くことによって、抑圧された感情を発散する。
わかりやすく言えば、泣くことによって悲しみを軽減することができる。
が、それにも臨界点がある。

 悲しみもその臨界点を超えると、泣いたくらいでは癒せなくなる。
そのため悲しみを、さらに倍加させてしまう。
このことは泣く子どもを観察してみると、わかる。

 たとえばピアノのレッスンなら、ピアノのレッスンでよい。
そのとき子どもによっては、その前になると、決まってぐずったりする。
が、このばあいの涙は、心の汗のようなもの。
ぐずることによって、心にかかった負担(=ストレス)を発散する。
だからある程度それがすむと、ケロッとし、ピアノのレッスンを始めたりする。

 だから親にはこう教える。
「子どもがぐずるときは、温かく無視し、ぐずりたいだけぐずらせてあげなさい」と。

 こういうケースのばあい、けっして無理をしてはいけない。
叱ったり、強制してはいけない。
が、それでもぐずるようであれば、本人の処理能力を超えたと判断する。
ピアノのレッスンを控える。

 金正日の葬儀の場で、ワーワーと泣く北朝鮮市民の姿をネットで見ながら、そんなことを考えた。
みなの見ているところで、おおげさに泣いて見せる。
ふつうの常識のある人なら、そんなことはしない。
たとえ本当に悲しくても、そんなことはしない。

感情をむき出しにするというのは、怒りであれ、恨みであれ、それだけその人の人格の完成度が低いことを示す。
もちろん大げさに泣くのも、そのひとつ。

●男が男湯で盗撮?

 さらに驚いた事件が、これ。

『……京都教育大学の職員の男が、東京・調布市にある温泉施設の男湯の脱衣所に、盗撮目的で侵入したとして、警視庁に現行犯逮捕されていたことがわかりました』(TBSi-。ニュース)と。

 男が男の脱衣所に侵入し、カメラで男の裸を撮ろうとした、と。
「京都教育大学の職員」という部分は、愛嬌。
私はこの記事を読んだ直後、「何かのまちがいではないか」と思った。
が、何度読んでも「男湯」。

 どうして?
そんなに見たかったら、湯船にでもつかり、ゆっくりと見ればよい。
どうして盗撮なのか?
性癖ほど、摩訶不思議なものはない。
それはよくわかっているが、この事件は、私の常識をはるかに超えている。

私「妻のために、夫が盗撮してやったのだろうか」
ワ「女性は、そんなこと、望まないわよ」
私「わからないよ。中には男の裸を見たいと、夫にねだる妻だっているかもしれないよ」
ワ「いないわよ……」
私「そう、決めつけてはいけないよ」と。

 以前、記憶にある事件には、こんなのがあった。

 男児や少年の裸を盗撮し、それを児童ポルノとして販売していた男がいた。
そういうケースも考えられなくはない。
が、この記事からだけでは、よくわからない。
何か、裏がありそう。

●男心vs女心

 ここでクェスチョン。

 男が女湯に入ってみたいというのは、よくわかる。
男は視覚的に、女性の中に、「女」を感ずる。
が、女はどうか?

 ワイフの説によれば、女にはそれがないという。
ならば聞くが、どうして女は、男に体を見られるのをいやがるのか。
「見たい」と思う男。
しかし女は、「見られたくない」と。
私は「見られても減るものではないから、もっと見せてくれてもいい」と思う。
が、現実には、そうでない。

 なぜか?
男に、「見たい」という本能があるとするなら、女には「見られたくない」という本能があるということになる。
が、これはおかしい。
「見られたくない」と言いつつ、女は無意識のうちにも、肌を露出し、男心を誘っている。
誘っておきながら、「見られたくない」とは?
そういう矛盾を、どう理解したらよいのか。

●夕食

 浜名湖かんざんじ荘の夕食は、すばらしい。
今回も、もっともスタンダードなコースを頼んだ。
が、それでも大満足。
景観、料理ともに、これで文句を言う人はいない。
ただ部屋だけは、旧国民宿舎ということもあり、狭い。
8畳+2畳ほどのベランダ。
内湯はなし。
部屋食もなし。

 が、こういうところでは、どうしても食べ過ぎてしまう。
「食べたら、損(そこ)ねる」。
それがわかっていても、食べ過ぎてしまう。

 部屋へ戻ってから、しばし後悔の念で、心が塞ぐ。

●DVD『ロシアン・ルーレット』

 ワイフは、『ロシアン・ルーレット』というDVDを観ている。
発想からして、バカげている。
意味のない殺人映画。
こんなシーンが目に留まった。

 10数人の男が、円になってぐるりと並ぶ。
それぞれがその前の人の後頭部に、ピストルの銃口を向ける。
ピストルには、弾が、1発ずつこめられている。
合図と同時に、ピストルの引き金を引く。
(ピストルは、リボルバー式。
弾が1発のときは、弾が発射される確率は、6分の1となる。)

 ……こうしてそのつど、何割かの男たちが床に倒れていく。
それを見ながら、別の男たちが、だれが生き残るか、お金を賭ける。

 問題は、その合図。
DVDの中では、天井につりさげられた電球が灯ったとき、みながピストルを撃つ。
そのときのこと。
合図の電球が灯ったら、すかさず、すぐ引き金を引いたほうが得なのか。
それとも遅れ気味で引き金を引いたほうが、得なのか。

(1対1のとき)……すぐ撃ったほうが、得。
(3人のとき)……すぐ撃てば、自分の前の男がピストルを撃つ確率は低くなる。
つまり自分を撃つ男の生き残る確率は高くなる。
その分だけ、自分が撃たれる確率は、高くなる。

が、反対に、遅れ気味で撃てば、自分の前の男がピストルを撃つ確率は高くなる。
つまり自分を撃つ男の死ぬ確率は高くなる。
その分だけ、自分が撃たれる確率は、低くなる。

 だから3人のときは、遅れ気味に引き金を引いたほうがよい。
敵の敵は味方。
そう考えると、わかりやすい。

(4人以上のとき)……どちらが得なのだろう?
合図と同時にすかさず引き金を引いたほうが得なのか。
それとも遅れ気味に引き金を引いたほうが得なのか。

 そんなことをぼんやりと考えていたら、眠くなってきた。

●鈴木M氏

 あの鈴木M氏が、仮釈放により出所してきた。
その鈴木M氏が、すかさず始めた運動が、新党結成。
届け出た名前が、ウサン臭い。
「真民主党」。

 その政党がそうというわけではない。
が、人は、自分の醜い意図を隠すため、えてして逆の名前をつけたがる。
「真」という文字も、そのひとつ。
何をもって、「真」というのか?

それに私の記憶にまちがいがなければ、鈴木M氏は、今後5年間は選挙に出られないはず。
法の趣旨からすれば、5年後であれ、今は選挙活動を自粛するのが常識。
が、ことあの鈴木M氏に関していえば、そういった常識が通じない。……らしい。

 受託収賄罪についても、当初から無罪を主張。
最高裁まで争った経緯がある。
その話は別として、私はあの鈴木M氏を見るたびに、こう思う。
「この男を動かしているエネルギーは、いったい、何なのか。どこから生まれるのか」と。

 ふつうのエネルギーではない。
すさまじいばかりのエネルギーである。
私には権力欲に狂った、ただの亡者にしか見えないのだが、亡者なら亡者でもよい。
どこからそういったエネルギーが生まれるのか。

 「日本をよくしたい」と、鈴木M氏は、本気でそう考えているのかもしれない。
それにしても、すさまじいばかりのエネルギーである。
が、フロイト風に考えるなら、リビドー(性的エネルギー)が強い分だけ、サナトス(破滅的エネルギー)も強いはず。
今はまだよくわからないが、「日本をよくしたい」という思いよりは、「日本をメチャメチャにしたい」という思いのほうが強いのではないのか。
鈴木M氏の今までの言動を追ってみると、私には、そう見える。

 あのタイプの政治家の出現には、じゅうぶん注意したらよい。

●深夜

 午後10時ごろ、2回目の入浴をした。
部屋に帰ると、そのまま就寝。
だから10時半ごろ、就寝したことになる。
が、夜中に夢を見た。
……というか、のどの渇きを覚え、目が覚めた。

●リクラゼーション・ルーム

 温泉の右隣に、リクラゼーション・ルームという部屋がある。
夜中に3時に、パソコンをもち、その部屋に移動した。
その部屋でなら、思う存分、パソコンを叩ける。
そう考えた。

入り口の前には、自動販売機があった。
私は2本のペットボトルを買った。

 ルームの中には、2台のマッサージ機と、いくつかのソファ。
本棚と本箱があった。
本棚には、マンガ本がずらりと並んでいた。
本箱には、「司馬遼太郎・街道をゆく」という写真雑誌が、5冊並んでいた。

●「街道をゆく」

 3本目のペットボトルを買うため、立った。
そのついでに、「街道をゆく」を、何冊かパラパラとめくって読んでみた。
一読して、「すごい旅行記だなア」と思った。
思ったが、その中の1ページに、立松和平のコラムが載っていた。
とたん、読みたいという気持ちが、スーッと萎えてしまった。

 立松和平……1度、盗作事件が発覚してからというもの、彼の文章を読みたいとは思わなくなってしまった。
が、2度目があった。
そのとき立松和平は、テレビ画面に向かって、こう言って泣きじゃくっていた。
「許してもらえましたア」と。

 盗作した相手に許してもらえた、と。

 が、この問題は、許すとか、許されるとかいうレベルの問題ではない。
私はいつも逆の立場で考える。
こんな事件があった。

●盗作事件

 ちょうど1年ほど前のこと。
ネットで私の文章を検索していたら、私の書いた原稿がそのまま載っているサイトを見つけた。
1ページや2ページではない。
全体で、10ページ前後。
N県の県警本部が管理するサイトであった。
(N県の県警本部という、県警本部が管理するサイトだぞ!)

 私の文章が3~5段に分割され、前後を入れ替えた状態で、そこに掲載されていた。
しかも丁寧に、いちばん下に、「無断転載禁止」と。
私は即座に、そのN県の県警本部に電話を入れた。
が、電話に出た相手は、逆ギレ。
「証拠があるのか!」というようなことまで言った。

 そこで私は私が書いた文章と、そのサイトに載っている文章を、電話口で読み比べてみせた。
1時間半ほど、かかった。
結果、相手はそれを認め、一転、「浜松まで謝罪に行く」と言い出した。

 力のある者が、力のない者を利用する。
有名人が無名人を、利用する。
私は、それが許せなかった。
つまり立松和平がした行為は、まさにそれに当たる。

 もの書きの世界では、一事が万事。
万事が一事。
立松和平は、日常的に盗作をつづけていた。
そう疑われても、しかたない。
そういうことが平気でできる(作家)というのは、そうはいない。

一般の世界では、「ちょっと他人の文章を拝借して……」ということもあるかもしれない。
しかし(ものを書く人間)には、それはない。
それをしたら、おしまい。

 こんな私でも、……つまりまったく無名で、しがないもの書きの私でも、「盗作」だけはしない。
したら、おしまい。
ものを書く人間には、ものを書く人間の(魂)というものがある。
文に対する、思い入れそのものが、ちがう。

立松和平は、そんなもの書きの心を、自ら土足で踏みにじった。
立松和平はそれでよいとしても、その悲しみ、怒りは、盗作されたものでないとわからない。
「許してもらえましたア」と、泣きじゃくって喜ぶようなレベルの話ではない。

 それにもう一言、付け足すと、こうなる。

 「盗作」などというのは、偶然の、そのまた偶然が重ならないと、発覚しない。
N県の県警本部のサイトにしても、それが見つかったのは、偶然中の偶然だった。
相手がサイトにUPしていたからこそ、わかっただけで、ふつうなら、わからない。

●仮面

 人はだれしも、仮面をかぶっている。
私もかぶっているし、あなたもかぶっている。
仮面が悪いというのではない。
仮面をかぶるからこそ、円滑な人間関係が維持できる。
わかりやすいのは、ショッピングセンターの女子店員。
にこやかな顔をし、やさしい声で、こう言う。
「いらっしゃいませ」と。

 が、そういう女子店員を見て、人間的にすぐれた人と思ってはいけない。
(だれもそうは思わないが……。)
女子店員は、「店員」という仮面をかぶっているだけ。
そういう仮面をかぶりながら、私たちをよい気分にさせる。
それを利用し、私たちから、金(マネー)を、むしり取る。
(と、まあ、そこまで考える必要はないが……。)

 が、中には、仮面をかぶったまま、仮面をかぶっていることを、忘れてしまう人がいる。
仮面の自分を、本物の自分と思い込んでしまう。
「聖職者」と呼ばれる人たちに、このタイプの人が多い。

 そこで大切なことは、私たち自身も、その仮面を見抜く力を養うこと。
仮面にだまされては、いけない。
さらに言えば、仮面の向こうにある、本物の相手を見抜くこと。

 このことは子どもを教えてみると、よくわかる。
たとえば中に、従順で、私の指示にそのまま従う子どもがいる。
が、そういう子どもほど、心配。
いろいろな問題を引き起こす。
教えにくい。

 反対に、そのつど反発する子どもがいる。
プリントを渡したりすると、「また、プリント! いやだ!」と。
このタイプの子どもは、一見生意気で、教えにくい。
が、その実、心がつかみやすい。
教えやすい。

●得体の知れない人

 私の年齢になると、人間関係を総括することが多くなる。
が、それはむずかしい作業ではない。
心の中の印象をさぐってみればよい。

 そのとき、ふと温かい印象が返ってくる人もいれば、そうでない人もいる。
中には、20年とか30年もつきあっているはずなのに、得体の知れない人もいる。
いろいろ思い出してみるのだが、その人の(形)が浮かび上がってこない。
上辺(うわべ)では、よい人ぶっている。
しかしその実、心の中は、ねたみと怒り、恨みと不平不満だらけ。

 こんな人もいた。

●辛辣(しんらつ)な書き込み

 こうして文や動画を公表していると、ときどき、辛辣な批判が届く。
が、そんなことをいちいち気にしていたら、文や動画など、公表できない。
しかしその批判は、群を抜いていた。
原文のまま、ここに紹介する。

「このおっさんなんですか、全然わかってない。
本人にしかわかんないこともあるんだよ。
このおっさん何でたらめばかり言ってんだ。
ちゃんと勉強してから出直せば・・・・ って言いたいです。
とにかくでたらめ。
やってる子供は気持ちいいって何・・ xx症の娘を持つ母親ですが、この人、何者。
ドーパミン説は知っていますが、なぜ、ドーパミンが過剰分泌されるか(その反対でもよい)、そこに家庭に原因があると解いています。
今は家庭環境のせいではなく、ドーパミンの過剰発生が原因とされているようです。
親の教育が悪いというのは偏見だそうです。
偏見を助長するだけだよ。
娘は辛くて泣きそうなんだよ 浜松のおっさんへ!
育児論で障害を語るなよ」と。

 反論は別の機会にすることにして、私はこの女性に興味をもった。
そこでいろいろなチャンネルを使って、この女性を追跡してみた。

 まずハンドルネームを検索。
そこからその女性が発行している、別のBLOGをヒット。
さらにそこで使っている、別のハンドルネーム(MR)を検索。
最終的に、九州のK県に住んでいる、45歳の女性ということがわかった。
本名もわかった(TM)。
しかもその女性は、1冊だが、育児書を出版していることまで、わかった(「~~日記」)。

「ちゃんと勉強してから出直せば・・・・」という言葉も、そのあたりの(自信?)から出てきたらしい。

 「○○症」という神経症の多くが、家庭環境に原因があると書いたのが、よほど強く癇(かん)に障(さわ)ったらしい。

が、現在では、子どもの問題は、家族の問題と考えるのが常識。
子どもは家族の「代表」にすぎない。
私がそう言っているのではない。
医療機関でも、子どもに何かの問題があると家族全員を集め、家族全員を指導する。
2000年ごろから、そういう傾向がたいへん強くなった。

 それはともかくも驚いたのは、その女性が別のBLOGなどでは、まさにレディ然とした文章を書いていること。
どちらが仮面で、どちらが本物かなどということは、論ずるまでもない。
私はその(落差)に驚いた。

●仮面は仮面

 話を戻す。

 仮面は仮面。
仮面はかぶらないほうがよい。
かぶっても、それが仮面であることを、いつも自覚する。
また相手を見るときも、そうだ。
仮面の向こうにどんな顔があるかを、知る。

 こうした操作を忘れると、人間関係がメチャメチャになってしまう。
みながみな、悪人というわけではない。
しかし同時に、みながみな、善人というわけでもない。

●第2日目

 冬休み、第2日目になった。
12月29日、木曜日。
部屋のカーテンを開けると、真っ青な空が一面に飛び込んできた。
朝食まで、あと15分。
現在時刻は、午前7時15分。
そろそろ帰り支度をしなければならない。

 ……ということで、浜名湖かんざんじ荘とも、そろそろお別れ。

 では、みなさん、おはようございます!
(はやし浩司 2011-12-29朝記)

2/2 マガジン

2012-01-26 22:31:59 | 日記



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【橋下徹市長の行政改革・支持する】「がんばれ、大阪市長、橋下徹氏!」

●あわててダイエット

 ハハハ!
今日から、あわててダイエット!、プラス、運動!
体重が3キロも、オーバー。
現在、67キロ!

 ハハハ!
正月には、いつも太る。
何を食べても、おいしい。
運動も、さぼり気味。
これだから正月は、困る。

●おせち料理

 ワイフは、おせち料理の心配ばかりしている。
毎年、そうだ。
年末になると、そうだ。

HPの更新作業が終わったら、買い物に行くつもり。
まとめて買ったほうが安くつく……という説もある。
が、私たちはいつも、バラバラ。
つまり気に入ったものだけを、個別に買っている。

 今年は、岐阜の従兄(いとこ)が、餅を送ってくれた。
だから、餅つきはなし。
(もともと餅つきをするつもりは、なかったが……。)
何ともさみしい正月。
まったくふだん通りの正月。
平凡であることを、喜ぼう!

●計画

 計画はいくつか、ある。
あるが、こうしたBLOGでは、公表できない。
またしてはいけない。
公表すれば、泥棒に「おいで」を言っているようなもの。
以前は、講演日時を公開していた。
それについて、親切な人が、こう教えてくれた。
「公表しないほうが、いい」と。

 BLOGには、予定や計画を、書いてはいけない。
さて、本題。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●大阪市長

 橋下市長の意気込みには、頭がさがる。
まさに平成の坂本龍馬!
今朝の読売新聞には、「(橋下市長)、労組に闘争宣言」とある。

++++++++++++++以下、読売新聞より+++++++++++++++

原稿に目を落とすことが多かった橋下徹・大阪市長が顔を上げて訴えたのは、職員労働組合との「闘争宣言」だった。

 橋下市長が就任後初の施政方針演説に臨んだ28日の市議会。橋下市長は演説で……「組合が、公の施設で政治的な発言を一言でもするようなことがあれば、断じて許さない」と職員組合批判を繰り出した。

 問題にしたのは、大阪交通労組(大交)など労組による市庁舎内の政治活動。
市長選で争った前市長の推薦者カードを、勤務時間に配布したなどとされる。

 橋下市長は、労組側がこの問題で謝罪文を提出しようとしたことを明かし、「組合は謝罪文1枚で済まそうとした。市民感覚とかけ離れている」とかみついた。
その後も「ギリシャを見てください。公務員の組合をのさばらしておくと国が破綻する」と敵視する発言を繰り返し、最後は「市役所の組合を改善することで、全国の公務員組合を改めることしか、日本再生の道はない」と言い切った。

 労組批判は用意した原稿にはなく、すべてアドリブで、約5分間に及んだ。
さらに、演説後の市の幹部会議でも批判は続き、橋下市長は「組合の言うことを聞かないと人事で冷遇される、という手紙やメールが中堅、若手職員から来ている」と言い放った。

 市の労組出身の民主系市議は苦々しい思いで演説を聴き、「組合を当面の敵役にして、市民受けを狙ったんだろう」と漏らした。

++++++++++++++以上、読売新聞より+++++++++++++++

●目の前で歯磨き

 だれが見ても、現在の公務員社会は、おかしい。
先日も、県の○○局へ書類を取りに行った。
そこでのこと。
12時JUSTになったら、収入印紙の販売窓口が、パタリと閉まった。
収入印紙が買えなければ、自動的にすべての業務が停止する。
……停止してしまった。

 私とワイフは、しかたがないので、午後1時まで、その前の座席で窓口が開くのを待った。
が、私が信じられないような光景を見たのは、そのあとのことだった。

 しばらくすると職員たちが、食事から戻ってきた。
が、そのうちの2人が、私たちの見える場所で、歯を磨き始めた。
そのうち1人は、歯ブラシをくわえたまま、フラフラと歩いていた。

その態度のでかいこと、でかいこと。
民間企業では、ぜったいにありえない光景である。
客である私たちの見ているところで、歯磨き?
私とワイフは、その光景を見て、心底、驚いた。

 仕事に対する感覚そのものが、ずれている。
完全に、ずれている。
市民感覚から、完全にずれている。
大阪市長は、恐らくそういう光景を、毎日のように見ているのだろう。
だからかみついた!

●橋下市長の闘争宣言

 「ギリシャを見てください。公務員の組合をのさばらしておくと国が破綻する」(読売新聞)と。

 現在、公務員が覆面のまま、政治活動をしている例は、たいへん多い。
そういうサイトが、(正確な数はわからないが)、何10とある。
ためしに公務員を批判したBLOGを書いてみるとよい。
そのあと、かならずと言ってよいほど、抗議の書き込みやコメントが届く。

あるいは試しに、「はやし浩司」を検索してみるとよい。
どういう連中が、どのように私をこき下ろしているか、それを読めばわかる。
それが現在の公務員社会である。

 ともかくも、今や、公務員社会に対する怒りは、爆発寸前。
1人ひとりの公務員に責任があるわけではない。
それはよくわかっているが、しかし爆発寸前。

が、悲しいかな、私たち一般庶民は、どうすることもできない。
ワイフはこう言った。

「だって、警察も機動隊も、それに自衛隊も公務員でしょ」と。
つまりいくら騒いでも、勝ち目はない。
私たちはいつの間にか、この日本をそういう国にしてしまった。
詳しくは『おいしい公務員』(週刊ダイアモンド・2011・10・15日号)を読んでみたらよい。
怒る前に、あきれてしまう。

 だからいろいろ問題はあるが、今は、橋下市長に、エールを送りたい。
「めげるな、橋下市長! その旋風を全国にまき起こせ!」と。

 なおこれに対して、読売新聞はつぎのように伝える。

『市の労組出身の民主系市議は苦々しい思いで演説を聴き、「組合を当面の敵役にして、市民受けを狙ったんだろう」と漏らした』(読売新聞)と。

 そうじゃないよ、民主系市議さん。
あなたの感覚は、市民感覚から、完全にずれている!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 大阪市 橋下市長 がんばれ 支持 支持する はやし浩司 橋下 徹 橋下徹)


Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司

●冬休み、3日目(映画『ニュー・イヤーズ・イブ』 (New Year's Eve)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昨日、『ニュー・イヤーズ・イブ』という映画を観てきた。
一言で表現すれば、ゴチャゴチャ映画。
8組の人々が新年に向け、それぞれの思いをもって、動き出す。
……という内容の映画。

最初の90%は、観るに耐えない映画。
何度も席を立って帰ろうかと思った。
ボン・ジョビや、ロバート・デニーロなど、スターは
豪華だが、駄作は駄作。
アメリカ人の軽薄さを、そのまま凝縮したような映画。
恋愛主義、セックス主義……。
星など、つけようもない。

おまけに8組の人々が、同時進行で描かれているため、
場面ごとに頭を切り換えるだけでも、たいへん。
何がなんだか、さっぱり訳が分からない。……分からなかった。
料理にたとえるなら、ラーメンと寿司、スパゲッティと
ドーナツ、(←これで4組)、カツ丼と焼き肉、シャブシャブと
豆腐料理、その8組を同時にテーブルに並べたような映画。

最後の10%は、ほどほどのできだったが、それまでがまん
できる人は、少ない。
劇場だったから最後まで観たが、家庭では無理。
家庭だったら、私なら最初の10分で、DVDをパッケージに
しまっていただろう。

頭の中がゴチャゴチャになる苦痛がどういうものか、
それを知りたい人には、最適の映画。
がまんして、椅子に座っている苦痛がどういうものか、
それを知りたい人には、最適の映画。

私はその『ニュー・イヤーズ・イブ』を観ながら、改めて
こう実感した。

「日本は、完全にアメリカ文化にノックアウトされている!」と。
先に書いた恋愛主義もそのひとつ。
「恋愛がすべて」というものの考え方を、恋愛主義、あるいは恋愛
至上主義という。
(私がそういう名前をつけた)。

プラス、セックス主義……といっても、節度のないフリーセックスだが、
日本もそのセックス主義に毒されてしまった。
恋愛とセックス……それがすべて!

私はそのつど、頭の中で、昔の日本と対比させた。
(昔の日本が、かならずしもよいわけではないが……。)
「昔の日本は、こうだったのだがなあ……」と。

『ニュー・イヤーズ・イブ』の中に描かれている世界は、
そっくりそのまま、日本の現代の若い世代の世界ということになる。
享楽主義と快楽追求主義。
親には無私の愛を求めながら、自分たちは勝手し放題。
酒とセックスと金(マネー)。

人間が本来もっているはずの(まじめさ)が、どこにもない。

で、ああいう映画を無批判に観てはいけない。
気がついたつきには、そのままアメリカの低俗文化に、毒されてしまう。
(現代が、そうだが……。)
そのまま恋愛主義、金権主義、ゆがんだ家族主義、さらには
享楽主義、快楽追求主義に、洗脳されてしまう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ニューイヤーズ・イブ ニュー・イヤーズ・イブ ニューイヤーズイブ New Year's Eve 映画評論)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●浜松の言葉

 前にも書いたが、浜松には浜松の、独特の言い方がある。
たとえば、ほかの地方で、「本当ですか?」と言うとき、浜松では、「ウッソー!」と言う。

 浜松の人たちは、ごく日常的にこの言葉を使う。
が、私はそうでなかった。
はじめて浜松へ来たときには、この言葉には心底、面食らった。
「ウソとは何だ!」「失礼ではないか!」と。
本気で、けんか腰になったこともある。

 ほかに、たとえば、「まだ、(あの仕事を)やってるのノ~?」という言葉がある。
「ノ~?」という部分で、尻上がりになる。
「まだ、あの仕事をつづけているのですか?」という意味で、相手に、そう言う。

が、この言葉は、ときとばあいによっては、相手を激怒させる。
浜松に住んで40年以上になるが、今でも、頭にカチンと来る。……ときがある。
たとえば昔の知り合いに、久しぶりに会ったとする。
そのとき、相手が、こう言う。

「まだ、(あの仕事を)やってるのノ~?」と。

 聞き方によっては、「まだ、(あんなつまらない仕事)、つづけているの?」とも取れる。
「いいかげんに、やめたら」とか、「くだらない仕事してるね」とか、そんなふうにも取れる。
だからカチンとくる。

 ほかにもある。

 浜松の人は、相手の行為を傍から見ながら、よくこう言う。

たとえば自転車に乗ろうとすると、それを傍から見ながら、こう言う。
「自転車に乗るのオ~?」と。
とたん、「見ればわかるだろ!」と言い返したくなる。
わかりきったことを、いちいち確認してくる。

 これも聞き方によっては、馬鹿にされたように感ずる。
「今どき、自転車で通勤するなんて!」とも取れる。
「恥ずかしくない?」とも取れる。

 全体としてみると、浜松の言葉は、ぶっきらぼう。
感情をそのままぶつけてくる。
そのため、奥ゆかしさがない。
浜松が、「街道沿いの宿場町」と言われる所以(ゆえん)は、こんなところにもある。

●恋愛主義

 映画『ニュー・イヤーズ・イブ』の話に戻る。

 先に「恋愛主義(恋愛至上主義)」について、書いた。
「恋愛こそ、すべて」と考え、行動の原点にするのが、恋愛主義。
ほかにも出世主義、金権主義、家族主義などがある。

『ニュー・イヤーズ・イブ』に出てくる、8つの組のうち、7組までが、恋愛がらみ。
残り1組だけが、死にいく父親(ロバート・デニーロ)と娘の関係。 
それぞれがそれぞれの立場で、恋愛を成就していく。
が、どうしてそれが「奇跡」(映画案内)なのか。
 
 もちろん私は恋愛を否定する者ではない。
しかしそれにも、限度というものがある。
人間は恋愛のためだけに、生きているのではない。
いわんやセックスのためだけに、生きているのではない。
それぞれがそれぞれの目的や使命をもって、生きている。
が、こうしたアメリカ映画ばかり観ていると、それがわからなくなる。
そこらのイヌやネコと同じことをしながら、それが最高にすばらしいことと錯覚してしまう。

●お涙ちょうだい

 ロバート・デニーロ演ずる父親は、最後に娘と再会し、そのまま息を引き取る。
そのあとのこと。
娘が父親の遺品をみると、そこに自分の子ども時代の写真があることを知る。
娘は、じっとその写真に見入る……。

 おなじみの(お涙ちょうだいシーン)である。
が、現実は、きびしい。

 昨年、こんな話を聞いた。
この話も前に書いたことがあるが、こんな話。

 父親が臨終を迎えた。
そこで娘が、遠くにいる弟に連絡をした。
弟、つまりその父親の息子からは、15年来、音信がなかった。

 息子が病院へかけつけると、それを制したのは、母親だった。
母親はその息子に、こう言った。
「今ごろ、何をしに来たの!」と。
息子は病院の玄関先で、追い返されてしまった。

●幻想

 こういう話を聞くと、若い人ならこう思うにちがいない。
「何てひどい母親なんだ!」と。
が、本当にそうだろうか。
そう思ってよいのだろうか。

 その母親というのは、ワイフの遠い親類にあたる女性だが、ワイフにはこう言った。
「夫(息子の父親)からは、万が一、息子が会いに来ても、部屋へ通すなと言われていましたから」と。

 それぞれの家庭には、それぞれの家庭の、複雑な事情というものがある。
その事情を無視し、第三者が短絡的に判断をくだしてはいけない。
その父親と母親にしても、息子が去ったさびしさを、15年間も堪え忍んだ。
15年間だぞ!
それは想像を絶する苦しみだったにちがいない。
そのため、夫婦関係がおかしくなったこともあるという。
そういう困難を何とか、夫婦で力を合わせ、乗り越えた。
その結果の、15年間である。

 息子は、「親だから……」という幻想でもって、親をみるかもしれない。
「親だから、子どもに深い愛があるはず」と。
しかし親とて、1人の人間。
神や仏ではない。
息子のほうは、神や仏のような愛や慈悲を期待するかもしれない。
が、それは先にもかいたように、「幻想」。

 映画『ニュー・イヤーズ・イブ』の中では、父親と娘が最後の瞬間、抱き合って、(許し合う)。
感動的なシーン(?)のはずだったが、私は感動しなかった。
私なら、こう思っただろう。
「このまま、そっと死なせてくれ」と。

 先に書いた父親と母親だが、ワイフが聞いたところによると、息子を忘れるため、アルバムさえ、すべて燃やしてしまったという。
私はこちらのほうが(現実)だと思う。
恋愛主義、セックス主義の若い人たちには、それが理解できないかもしれないが……。

 もちろんその逆もある。

●山城新吾

 少し前、俳優の山城新吾氏が亡くなった。
生前、山城新吾は、娘にだけは会いたがっていた。
が、娘は、それをがんとして拒否した。

 そのころ、つまり山城新吾氏が亡くなったころ書いた原稿に、こんなのがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「やさしさがないなとは思う」とは?

++++++++++++++++++

俳優の山城新伍が亡くなったことについて、
波紋が広がりつつある。
山城新伍のマネージャー氏は、次のように
語っている(ディリースポーツ・8月15日)。

++++++++++++++++++

『……山城さんは糖尿病に加え、認知症と高血圧を患っていたという。

 07年7月ごろより、都内を徘徊することが多くなり、昨年3月31日に東京・町田市内の老人ホームに入所。
その際に町田市役所が元妻で女優の花園ひろみと一人娘で女優の南夕花に連絡したが、花園は「静かに暮らしていたのに」と連絡にさえ激怒。
山城さんサイドの家族に、電話で怒鳴り散らしたという。

 その後、山城のマネジャーが花園らに連絡を取ったが、ついには音信不通になってしまったという。
S雄さんは「優しさがないなとは思う。わたしから連絡を取ることもない」と肩を落とした。

 生前、山城さんは「引退した者やから何もしなくていい。
このままひっそりとしてほしい。
人と接したくない」と老人ホームを終(つい)の棲家に考えていたというが、「娘には会いたいなあ」とよくこぼしていたが、その願いはかなわなかった。

 なお密葬は近親者のみで18日に京都で行われ、四十九日法要後、大親友の梅宮辰夫が発起人となり都内で「お別れ会」を開く予定。骨は京都市内に、自身が建てた2カ所のお墓に分骨される……』と。

 この中でとくに気になったのは、『S雄さんは「優しさがないなとは思う。
わたしから連絡を取ることもない」と肩を落とした』という部分。
「S雄氏」というのは、山城新伍の弟氏をいう。

 何があったのか?
私たち部外者の知るところではないが、この記事からも、よほどの確執があったらしいことは、容易に察しがつく。
元妻ですら、「静かに暮らしていたのに」と連絡にさえ激怒。
山城さんサイドの家族に、電話で怒鳴り散らした』という。

 この記事を読んで、あなたなら、どう考えるだろうか?
弟のS雄氏のように、「優しさがない」と思うだろうか。
それとも別の考え方をするだろうか。

 こういうケースのばあい、まず念頭に置かねばならないことは、それぞれの家庭には、
言うに言われない複雑な事情があるということ。
表面的な部分だけをみて、それに自分の常識を当てはめて考えてはいけない。
どんなにあなたが社会経験が豊富で、常識豊かな人であっても、こと家庭の問題となると、
話は別。

 こうした問題で、安易にコメントを寄せる人というのは、それだけでノーブレインの人と考えてよい。
(S雄氏がそうであると言っているのではない。誤解のないように!)
いわんや、その家族のことを批判するのは、最小限にしたい。
元妻の花園さんについても、『……花園は「静かに暮らしていたのに」と連絡にさえ激怒。
山城さんサイドの家族に、電話で怒鳴り散らしたという』とある。

 問題は、そうした電話のやり取りを、だれが外部の人に漏らしたかである。
あるいはどうして私が知っているか、でもよい。
記事の内容からすると、マネージャー氏が、マスコミに暴露したと考えてよい。
となると、これまた背信行為ということになる。

 マネージャーという立場上、元妻や娘を批判したい気持ちはよくわかるが、一方的に、このような内容を暴露するのは、どうか?
たとえそうであっても、やはりこうした話は内々で伏せておくべきではないのか。
こんなことを暴露すれば、今度は、花園さんと弟氏の関係も、破壊されてしまう。
つまりこういうことが重なって、先の記事のような内容になったとも考えられる。

 「電話で怒鳴り散らした」とあるから、相当のわだかまりがあるとみてよい。
であるなら、なおさら、そっとしておいてやるべきではないのか。
何も、山城新伍の死を理由にして、ことを荒立てる必要はない。

(日本人は、葬儀という場面になると、どんな無礼なことをしても許されると考える傾向が強い。)

むしろ私も経験があるが、こうした事情をよく知らない人たちが勝手に騒ぎたてると、遺族はそれまで以上に、とことん傷つけられる。
それは身を引きちぎられるような苦痛と表現してもよい。

 恐らくディリースポーツのこの記事を読んで、花園さんや娘さんたちは、さらに激怒しているにちがいない。
傷口に塩を塗りこまれたような状態ではないか。

 私自身は、山城新伍が好きだったし、今も好きだ。
しかしそれはスクリーンを通してでの話。
もちろん実物の山城新伍を知らない。
知る必要もない。
興味もない。
元妻や娘さんに冷たくされたといって、それで私の山城新伍への気持ちが揺らぐわけではない。
どこの家にも、似たような話はある。
だったらなおさら、そっとしておいてやるべきではないのか。
静かに冥福を祈るだけである。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●アメリカ文化の侵襲

 ……かくして日本人の心の中に、今の今も、アメリカ文化が侵襲しつつある。
ありとあらゆるメディアを使って、侵襲しつつある。
それがよいものであれば、それはそれでよい。
しかしこと恋愛主義、セックス主義については、どこかでブレーキをかけないと、人間が本来的にもっている(まじめさ)まで、破壊されてしまう。

 (まじめさ)というのは、静かな牧歌的な温もりのある(まじめさ)をいう。
時間が今より、はるかにのんびりと流れていたころの(まじめさ)をいう。

私が子どものころには、恋愛といっても、そこにはいつも両親がいたし、親類、近所の人たちがいた。
そういう人たちに支えられて、恋愛というものがあった。
だから恋愛するにしても、そういう人たちの気持ちも考えて、恋愛した。
ここでいう(まじめさ)の中には、そういう人たちへの(思いやり)も含まれる。

 が、今は、ちがう。
若い人たちは、恋愛したとたん、両親はもちろん、親類、近所の人たちを蹴飛ばしてしまう。
「自分たちが幸福なら、それでいい」と。
その返す刀で、「息子や娘が幸福なら、親も喜ぶべき」と。
へたに異議を唱えようものなら、息子や娘のほうが、親を捨ててしまう。
先に書いた、父親と母親にしてもそうだ。
その結果の15年である。

 父親が死ぬ間際になって、のこのことやってきた息子。
それにおめおめと会う父親は、いない。
映画の中では、感動的なラスト・シーンということになる。
しかし映画は映画。
機関銃をバンバンと撃ち合う警官と銀行強盗。
映画の中ではおもしろいシーンだが、それと同じように、現実には、ありえない。

私「許すにも、時間がかかるよ」
ワ「そうね、会った瞬間に、許し合うということは、ありえないわよね」
私「それまでのわだかまりを溶かすというのは、容易なことではない」
ワ「……死ぬ間際だったら、余計に、無理でしょうね」
私「みんな、誤解していることがある。それはね……」と。

●死ぬ間際

 死ぬ間際に、人は、どんな心理状態になるか?

 数は多くないが、私も人に死に、何度か立ち会ってきた。
私自身も、そこに死を、直接感じたこともある。
そういうときの心理を、自分なりに解釈してみると、こうなる。

 死ぬ間際というのは、人はみな、心が抜けたような静けさと穏やかさを覚える。
私もそうだった。
ちょうど2年前、山荘の廊下で倒れたときがそうだった。
あれほどまでに死を恐れていた私だったが、こう感じた。
「ああ、これで死ねる」と。

その瞬間、うらみ、ねたみはもちろん、さみしさや孤独、さらには、家族や親類の人たちへの愛や思いまで、消える。
そこは恐ろしく何もない世界。
まったく何もない世界。

 そんな死の瞬間に、「父親と娘が抱き合って、許し合う」などということは、ありえない。
だから私は、先にこう書いた。
「映画は映画」、つまり作り話、と。

●12月30日、金曜日

 これから大掃除。
庭掃除。
正月の準備。
残すところ、今年も、あと1日。

 私の時間も、ここまで。
……ということで、今日もがんばる。

2011/12/30朝記

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 死の瞬間 臨終の心理 臨終の心理学)


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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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●子どもの心は、笑って直せ!

2012-01-25 09:35:57 | 日記
【頭の中の、脳電流】(人間の欲望と醜さ)

●冷たい風

 冷たい風。
道路へ出たとたん、その風が肌を切る。
思わず、ワイフに手を回す。
ワイフの背中に隠れる。

 毎週、この曜日のこの時刻には、サイゼリアへ。
サイゼリアで空き時間を過ごす。

 急ぎ足。
首をすくめ、黙ったまま、歩く。
ワイフがいろいろ話しかけてくる。
答えるのも、つらい。
ただひたすら黙って、歩く。

 昨夜は全国的に、大雪だったとか。
猛烈な寒気団が、今、日本列島を覆っている。

●サイゼリア(レストラン)にて

 サイゼリア。
ドリンク・バーがある。
最初に注文すると、飲み物類は、飲み放題。
紅茶にジュース。
コーヒーにウーロン茶。

 そのドリンク・バーに並んでいたら、前に立っていた女性が、手づかみでミルクカップをもっていった。
2~3ccほど、ミルクの入った、ミニカップである。
数は、10~15個?

 ふつう、紅茶1杯に1個を入れる。
それを10~15個?

 私の気配を感じていたはず。
私はそれをうしろから見ていた。
が、おくびれる様子もなく、手づかみで……。
ごっそり!

 驚く間もなく、そのままハイヒールのかかとを、カンカンと床に叩きつけながら、自分の席へ。
茶髪の、OL風の女性だった。
見た目には、美しい女性だった。
女性週刊誌から飛び出たようなファッションで、身を包んでいた。

●都会ズレ
 
 「都会ズレ」という言葉がある。
謙虚さが消え、図々しくなる。
欲望の趣(おもむ)くまま、行動が大胆。
YES/NO、ON/OFFが、はっきりしている。

 そのくせ外見だけは、すばらしい(?)。
一説によると、このタイプの女性は、毎日、2時間前後、化粧に時間をかけているという。
ワイフがそう言った。

 ……そう言えば、テレビS局のディレクター氏も、そう言っていた。
「あのAさんね、控室でいつも、2時間以上も化粧していますよ」と。
その女性は、一方で、アフリカの難民救済運動も手がけていた。
私はそういう話を聞くと、頭の中で、脳電流がショートする。
バチバチ……。

 理由は書けない。
が、間接的にこう書けば、理解してもらえると思う。

●盗み

 ずいぶんと昔の話だが、こんな女性(当時、70歳くらい)がいた。
近所を回りながら、気に入った花や植木鉢があると、家にもっていく。
石垣に咲いた花などは、根さら、ごっそりともっていく。
「盗み」というほど、大げさなものではない。
本人にも、罪悪感はなかったのかもしれない。

 それもあって、多くは、堂々と、自分の家の前に飾っていた。
で、盗まれた側の人がそれを見つけ、「私のものだ」と言っても、最後の最後までとぼけてみせた。

 が、私はこの話を聞いて、同じように頭の中で脳電流がバチバチとショートするのを感じた。

「美しい花をめでる」という気持ちと、「盗む」という醜い行為が、どうしても一致しない。
私なら……という言い方は、できるだけ避けたい。
避けたいが、私なら盗んできた花で、自分の心を癒すことはできない。
かえって不愉快になる。

●悪臭プンプン

 万事が一事。

 さて冒頭の女性の話に戻る。
ときどき、私はその女性のテーブルの前を通り、ドリンク・バーへ。
が、10~15個(あるいはそれ以上かも?)あった、ミルクカップは、テーブルの上にはなかった。
おそらくバッグか何かの中に、しまったのだろう。
私はそのときも、頭の中で、脳電流がショートするのを感じた。

 見た目には、美しい女性である。
都会的なセンスで、身のこなしも、優雅?
しかし中身は、薄汚い。
悪臭プンプン。

●両親からの紙を握りつぶす

 さらにこんな女性(=嫁)も。

 現在、その夫婦は東京都に住んでいるという。
夫の実家は、この浜松。
で、実家の両親が手紙やメールを出すのだが、妻(嫁)のほうが、その手紙やメールをすべて、握りつぶしてしまうという。
実家の両親と夫とが、直接連絡を取り合うのを、妨げている。

 理由はわからない。
その話をしてくれた友人は、「私にも理由がわからない※」と。
で、その友人が、ある日、直接出かけていって、夫(=自分の息子)にそれを正すと、息子氏はこう言ったという。

「K子(=嫁)の悪口を言うのは、たとえ親でも許さない」と。

 それでその友人と息子の関係は、切れた。
私は、そのときも、頭の中で、脳電流がショートするのを感じた。
バチバチ、と。

(注※……あとになって友人がこう説明した。
一度、結婚前に、その女性が浜松へ来たとき、友人の妻(=母親)が、その女性のひざのうしろに、妊娠線を見てしまった。
妊娠経験のある女性にできる、白い線である。
で、そのことを、それとなく息子氏に話した。
「どうも、それが原因で、嫁は私たちを避けるようになったのでは」と。)
 
●心の不一致

 心の不一致。

 美しく身を飾りながら、心の中は、薄汚い。
あのAというタレントにしても、そうだ。
何も本番の前に、2時間、化粧するのが悪いと言っているのではない。
ただ「難民救済運動」をするという崇高な精神の持ち主が、2時間もかけて化粧する?
それは私の常識ではない。

 さらに美しい花を愛(め)でるという行為と、盗み。
美しい衣服と、ミニカップをごっそりと持ち帰る。
夫婦が、たがいに偽りあう。

 どれも、心の中が、バラバラ。
連続性がない。
一貫性もない。
心理学の世界では、「きわめて道徳心に欠ける人」ということになる。
マズローの『道徳完成論』をあげるまでもない。
さらに言えば、マズローの『欲求段階論』がある。
自分の欲求がどのレベルにあるかで、自分の道徳の完成度を知ることができる。

●欲求段階論

 マズローは、人間の欲求を、つぎの5つの段階に分けた。

(1)第1段階……生理的欲求(「生きていたい」と思うこと。)
(2)第2段階……安全に対する欲求(身の安全を確保すること。)
(3)第3段階……所属と愛情の欲求(安心してよりかかえるところを求める。)
(4)第4段階……承認と自尊の欲求(より人間らしく生きたいという欲求。)
(5)第5段階……自己実現の欲求(自分をより完成させたいという欲求。)

 マズローは、個人の発達段階として、この段階説を唱えた。
しかし人間の歴史という長いスパンでみると、そのまま人間の歴史にも、この段階説を、当てはめることができる。

 最終的には、「自己実現」の欲求ということになる。
が、その段階まで到達できる人は、少ない。
たいはんの人は、ファッションで心を隠し、化粧で、自分をごまかす。
「美」の追求といっても、うわべだけ。
あとは欲望の趣くまま。
夫婦の誠実さなど、腸から出るガス程度の意味しかない。

●サイゼリア

 私たちは時計をにらみながら、サイゼリアを出た。
あたりは真っ暗になっていた。
それだけに、冬の寒さが、よけいに身にしみた。

 はやし浩司 2012-01-24夜記

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●今週のBW教室より

(1)4歳児の自己主張

 4歳児でも、ここまで自己主張します。
ご覧ください。

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(2)笑って伸ばす、子どもの心

 2011年、私は2人の子どもについて、こんな経験をした。
1人は、それまで2年間、幼稚園で「まったくしゃべらなかった子ども」。
もう1人は、「小学校へ入学するまで、まったくしゃべらなかった子ども」。
が、その2人の子どもは、私の教室へ入るとまもなく、しゃべり始めた。
方法は簡単。
みなで、ゲラゲラと笑いながら、その笑いの渦の中に巻き込んでいく。
見た目には、ふざけたレッスンになるが、そういう私の隠された意図を、この動画の中に見出してくれれば、うれしい。

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【もっと見てくださる方は……】

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