最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

1/2場面かん黙児

2011-02-27 12:22:56 | 日記
●場面かん黙児

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家の中では、ふつうに話したり、
騒いだりすることができる。
しかし家を一歩出ると、場面に応じて、
かん黙(緘黙)してしまう。
たとえば幼稚園や、おけいこ塾などでは
貝殻を閉ざしたかのように、まったく
話さない、など。
体が固くなる子どもと、柔和な、意味の
わからない笑みを浮かべる子どもとに
分けて考えることができる。

このタイプの子どもを、「かん黙児」
「場面かん黙児」という。
少し経験のある教師なら、簡単に
見分けることができる。

もちろん診断名を口にするのは、
タブー中のタブー。
できることと言えば、「一度、専門の先生に
談してみてはどうですか?」と提案する程度の
ことでしかない。

が、このかん黙児の指導でむずかしいのは、
本人の問題よりも、家族、とくに
母親に、その理解がないこと。
家の中ではふつうに話すため、それに
気づかない。
気づかないばかりか、「先生が悪い」
「ほかの子どもに圧倒される」などと言って、
他人の責任にしてしまう。
中には、「お前がうちの子を萎縮させて
しまった!」と、先生に抗議していく
親もいる。

さらに……。
本来なら、発症直後、つまり乳幼児の
ときに適切な指導をし、そうした症状
から子どもを、取り出してあげねば
ならない。

(「取り出す」という表現は、私が考えた。
「取り出す」「引き出す」という言い方の
ほうが、「治す」「直す」という言い方より、
事実に近い。)

もっとも簡単な方法は、ほかの子どもたち
といっしょに、ドッと笑わせる。
私はこの方法で、かん黙児(もちろん
親や子どもには、診断名を告げることは
ない)を、なおしている。

が、それすらも理解できない。
親は「話せて当たり前」と考える。
そしてよくしゃべる子どもを、「騒がしい
子ども」として、遠ざけてしまう。
あるいは「できの悪い子ども」として、
遠ざけてしまう。
子どもを見る基準そのものがちがう。

さらにこんなことも……。
せっかく本人が話しても、(最初の
ころは、蚊の鳴くような小さな声だが)、
子どもに向かって、「どうして、あなたは
大きな声で話せないの!」と叱ったりする。

この一撃が、ますます症状を重くする。
が、話はさらに先につづく。

先にも書いたように、乳幼児期に
それに気づき、適切な指導をすれば、
症状は、ほかの子どもと区別ができないほど
まで、改善する。
が、その乳幼児期に、無理をしたりする
ことによって、症状がこじれてしまう。
複合的な症状となってしまう。

が、そのときでも親はそれに気づかない。
そこで私がそれとなく問題点を指摘すると、
たいていの親は、こう言う。

「わかっていたら、どうしてもっと
早く教えてくれなかったのですか!」と。

教える側は、いつも親の身勝手に(=無知)に
振り回される。
そのたびに、大きな挫折感を覚える。

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【場面かん黙児】


●恐怖症は心の発熱

 先日私は、交通事故で、危うく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じたのだ。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった……。恐怖症である。

子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、「学校の怪談」というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。それが恐怖症だが、この恐怖症は子どもの場合、何に対して恐怖心をだくかによって、ふつう、次の三つに分けて考える。

 【対人(集団)恐怖症】子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度の警戒心を持つことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無とんちゃくで、はじめて行ったような場所でも、我が物顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(不登校)などの症状が現れる。

 【場面恐怖症】その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。私も子どものころ、暗いトイレがこわくて、用を足すことができなかった。そのせいかどうかは知らないが、今でもトンネルなどに入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

 【そのほかの恐怖症】動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、手の汚れやにおいを嫌う(疑惑症)、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。ペットの死をきっかけに死を極端にこわがるようになった子ども(年長男児)もいた。

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、しかっても意味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの視点で、子どもの心を考える。無理な誘動や強引な押し付けは、タブー。無理をすればするほど、逆効果。ますます子どもは物事をこわがるようになる。いわば心が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。

症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。私の場合も、その事故から数日間は、車の速度が五十キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」とは分かっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症に対処する。

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●子どもの心

●茨城県のWさんより……

 茨城県のWさん(現在四〇歳、母親)から、娘のかん黙についての、相談をもらった。それについて、考えてみたい。

「現在八月で満六歳になった、一人娘のいる四〇歳の主婦です。

数年前、私の母の介護のため 娘(当時、三歳)を保育園に入園させました。
三か月間泣き、四か月間給食を、一切食べませんでした。

そのうち嫌がらず行けるようになりましたが、約半年後くらいから、あまりにも
嫌がるので休ませようとしましたが、園の方は、「必ず連れて来るように」とのこと。
で、一か月間、泣いているのを抱えて連れて行きました。

そのうち様子がおかしくなり(長くなるので内容は省略します)、 
そのあと、保育園から幼稚園に、転園しました。

ここでも三日目から嫌がり 休ませ 小児精神科に連れて行くと、「場面かん黙」との診断。
その時から、各週に箱庭療法と、二か月に一度カウンセリングを受けています。

ドクターは、私と娘との三人のカウンセリングでは 「娘の話す内容、態度を見る限
り、私との適度な距離がとれているので、私から離れられない、幼稚園に行けないと
は考えられない」と言っています。

昨年は休園させましたが、幼稚園の先生の協力と理解のもと、行事など、本人
の興味のある時だけ、私と一緒に参加させてもらい、今年の四月に、年長組になったの
をきっかけに、本人が「毎日行く」と言って、登園するようになりました。
(ほかの子どもたちとは一切話さず、関わりも、なかなかもてないようです)

お弁当は持っていけず、基本的には昼までに、降園していますが、出席シールだけ
貼って帰ったりと、その日に応じて臨機応変にしています。
最近は、部屋の前の靴箱から、なかなか教室に入れません。

私は本人の納得するまで、つまり子どもが、
帰っていいよと言うまで、その場で待っています。
時には降園までそこで待つときもあります。 
私はこれでいいと思っていますが、これでいいのでしょうか?
昨年と比べると、別人のように良い方向に変わっています。

今一番困っているのが、田舎なので年配の方との関わりが多く、なかなか理解されず
「この子は、おかしな子やな」、と娘に聞こえるように言われます。
その時の対処法に困っています。

かばうようなことを言うと私が責められ、それを見て、娘は大泣きします。
こっそり、「何にも悪いことはないよ。今で充分ですよ」と言っても大泣き。
かといって、知らぬ顔で済ますと、傷ついてしまうようで、それも心配です。

みなにからかわれることもあるようです。

絵日記を見ると、 

『いちりんしゃにのれるようになったよ 
いっしょうけんめいれんしゅうして 
のれるようになったよ 
でも どうして あのこはのれないんだろう』

と書いていました。

そんな、心のやさしい子です。
何かアドバイス頂ければ幸いです。

    茨城県M町、Wより」

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