最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●10月9日(3)

2009-10-09 08:44:18 | 日記


●保護と依存

(この間、半日が過ぎた。
私は今、実家へ向かう電車の中にいる。
時は9月2日、午前7時40分。)

 要するに保護と依存の関係。
それができてしまった。
保護する側はいつも保護の側に回る。
依存する側は、いつも依存する側に回る。
最初は感謝されることはあっても、それは一時的。
やがてそれが当たり前になり、さらに時間がたつと、相手、つまり
依存する側が、保護する側に請求するようになる。
「何とかしろ」と。

 さらに時間がたつと、保護する側は、今度は、それを義務に感ずる
ようになる。
こうしてつながりそのものが、保護と依存の関係が結ばれたまま、
固定化する。

●解放

 今の私の立場を一言で表現すれば、「何もかも私」という状況。
だれというわけではないが、みな、そう思っている。
私自身もそう思っている。
そういう中で、みなは、ジワジワと私に迫ってくる。
私はそれにジワジワと苦しめられる。

 が、それが今日という日を境に、終わる。
私は何もかもから解放されたい。
何もかもから、解放される。
法事の問題、墓の問題も、あるにはある。
あるが、いくらでも先延ばしにできる。

●ドラマ

 ところで昨日、郷里住むいとこと、2回、電話で話した。
どちらも1時間以上の長電話になった。
「明日、M町とは縁を切ってきます」と告げると、「それはよかったね」と。

 で、私は自分の心にけじめをつけるつもりで、今までの心境を語った。
弁解とか、言い訳とか、悪口とか、そういうのではない。
今さら私が苦しんだ話など、だれも聞きたがらない。
話しても意味はない。
いとこはいとこで、自分の経験を、あれこれとしてくれた。
それが参考になった。
心に染み入った。
懸命に生きてきた人には、懸命に生きてきた人のドラマがある。
私にもある。
そのドラマが、今、光り輝く。

●社会的重圧感

 金銭的負担感というよりは、社会的負担感。
負担感というよりは、重圧感。
40歳を過ぎるころから、私はそれに苦しんだ。
貪欲なまでに、私のお金(マネー)を求める母。
といっても、そのころになると、そのつど母は、私を泣き落とした。
一方、私は私で、いつしか、そういう母のやり方に疑念をもつようになった。

 疑念をもちながら、それでも仕送りを止めるわけにはいかない。
それが社会的負担感を増大させた。
実家へ向かうたび、私はどこかで覚えた経文を唱えずして、帰る
ことができなかった。

●不安

 が、不安がないわけではない。
親類がもつ濃密な人間関係は、ほかのものには換えがたい。
それを断ち切るには、それ自体、たいへんな勇気が必要。
断ち切ったとたん、そこに待っているのは、孤立感。
「私にはその孤立感と闘う力はあるのか」と、何度も自問する。
……というより、この10年をかけて、少しずつ、親類との縁を
切ってきた。

幸い、その分だけ、ワイフの兄弟たちとは、親しくさせてもらっている。
心の穏やかな、やさしい人たちである。
息子たちの結婚式など、そのつど、みな協力してくれた。
その温もりが、こういうときこそ、私を横から支えてくれる。

●真理

 そう言えば、今朝、目を覚ましたときのこと。
私の心がいつもになく、穏やかなことを知った。
たいてい……というより、ほとんど毎朝、私は旅行の夢で目が覚める。
が、今朝はちがった。
夢の内容は忘れたが、あのハラハラした気持ちはなかった。
そのかわりに、郷里の人たちが、みな、小さな、どこまでも
小さな人間に思われた。

 つい昨夜まで、心を包んでいたあの緊張感が、消えた。
「どういうことだろう?」と、自分に問いかけた。
いや、ときどき、そういうことはある。

 あるひとつのことで、緊張感が頂点に達したとき、突然、
目の前に、別の世界が広がる。
ひとつの(山)を乗り越えたような気分である。

 たとえば人を恨むことは、よくない。
しかし恨みも頂点に達すると、やがて心の水が枯れる。
枯れたとたん、その人を、別の心で包み込むことができる。
あマザーテレサも、同じようなことを言っている。

『愛して、愛して、愛し疲れるまで、相手を愛せよ』と。

 私はそこまで高邁な心境になることはできないが、マザーテレサの
言葉には、いつも真理が隠されている。

●運命

 そんなわけで、今、苦しみのどん底にいる人たちに、こんなことは
伝えられる。
 どんな問題でも、相手が人間なら、時間がかならず解決してくれる、と。
解決してくれるだけではない。
『時間は心の癒し人』。
心も癒してくれる。

 だからそこに運命を感じたら、あとは静かに身を負かす。
(運命)というのは、それに逆らえば、牙をむいて、その人に襲いかかってくる。
しかしひとたび受け入れてしまえば、尻尾を巻いて逃げていく。
もともと気が小さい。
臆病。
 
 私もある時期、母を恨んだ。
心底、恨んだ。
しかし私の家に住むようになった直後のこと。
下痢で汚れた母の尻を拭いたとたん、その恨みが消えた。
「こんなバーさんを、本気で相手にしていたのか」と。

 と、そのとき母は私にこう言った。
「お前にこんなことをしてもらうようになるとは思わないんだ」と。
それに答えて、私も、「ぼくも、あんたにこんなことをしてやるように
なるとは、思っていなかった」と。

 まだ正月気分も抜けやらない、1月のはじめの日のことだった。
 
●こうして人生は過ぎていく

 こうして人はやってきて、またどこかへと去っていく。
M町にしてみれば、私はただの通行人。
店先をのぞいて、そのまま通り過ぎる、通行人。
あの実家にしても、明日からは別の人が住み、別の生活が始まる。
みやげもの屋、もしくは町の案内所としては、最適。
実家は実家で、また別の人生を生きる。
あたかも何ごともなかったかのように……。

私「M町へ、再び行くようなことはあるだろうか」
ワ「……何か、あればね。今のあなたの気持ちとしては、もう
ないでしょうね」
私「何もなければいいけどね。行くとしても、素通りするよ」
ワ「そうね」と。

 電車は、豊橋を過ぎると、少しずつ混み始めた。
ちょうどラッシュアワーに重なった。
「名古屋を過ぎれば、またすいてくるよ」と私。
不思議なほど、心は静かなまま。
フ~~~ッと。

Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●夢判断

++++++++++++++++++++

夢判断というのは、たしかにある。
私にとっては、2009年9月2日は、心の大きな転機になった。
そのせいだろうと思うが、その日を境に、夢の内容が、がらりと変わった。

それまでは夢といえば、旅行先の夢ばかりだった。
どこかの旅館やホテルにいて、帰りのバスや飛行機の時刻を心配する
そんな夢ばかりだった。

おかしなことに、夢の、こまかい部分については、そのつど、ちがった。
同じ内容の夢を見ることは、ほとんどない。

が、9月3日は、忘れたが、旅行の夢ではなかった。
9月4日は、兄の夢。
9月5日も忘れたが、旅行の夢ではなかった。
9月6日、つまり今朝は、浜松の自宅に、生徒たちが遊びに来た夢。

夢の内容を判断するかぎり、私の心境は、大きく変化した。

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●深層心理

 心の奥底にあって、人間の意思や意識をコントロールする。
それが深層心理ということになる。
人間のばあい、(人間だけにかぎらないのだろうが)、深層心理のほうが分量的にも、
はるかに大きい。

 一説によれば、脳の中で意識として活動している部分は、脳全体の20万分の1
程度という。
何かの本でそう読んだ。

 つまり私たちの意識は、その20万倍もの無意識や潜在意識によって支配
されている。
私が毎晩、ちがった夢を20年間見たとしても、365x20=7300。
20万倍には、遠く及ばない。

 わかりやすく言えば、私たちの意識は、常に、無意識や潜在意識によって
支配され、コントロールされている。
私が旅行先の夢を見るのは、焦燥感、不安感、心配、不信感などが、ベース
になっているからと考えてよい。
が、それが消えた。

●墓参り

 そのうち心境が変化するかもしれない。
しかし今の私には、墓参りをするという意識そのものがない。
祖父も、父も、墓参りだけは、したことがない。
墓参りした姿さえ、私の記憶にない。
理由はわからない。

 が、墓参りを大切にしている人もいる。
人は、人それぞれだし、それぞれの思いの中で、墓参りをする。
私がしないからといって、それでもって他人のことをとやかく言っては
いけない。
が、同時に、自分が墓参りするからといって、私のことをとやかく言って
ほしくはない。
私は、私。
それでバチ(?)なるものが当たるとしたら、それは私のバチ。
あなたには関係のないこと。

 ただ言えることは、合理的に考えれば、遺骨に霊(スピリチュアル)が
宿るということは、ありえない。
人間の肉体は、骨も含めて、常に新しく生まれ、そして死ぬ。
もし魂が宿るとしたら、むしろ脳みそということになる。
心臓でもよい。
しかし脳みそや心臓は、保存には適さない。
だから「骨」あるいは「髪の毛」ということになった。

 言うなれば、人間のご都合主義が、「骨」にした。

●それぞれの思い

 話はそれたが、墓参りを熱心にする人というのは、何かしらの
(わだかまり)が、心の奥にあるためではないか。
罪滅ぼし?
懺悔?
後悔?
うしろめたさ?
何でもよい。

 こう決めてかかると、墓参りを熱心にしている人に対して失礼な
言い方になるかもしれない。
多くの人は、故人をしのび、故人を供養するために、墓参りをする。
「先祖を祭り、大切にするため」と主張する人もいる。
それはそれでわかる。

 しかし私は墓参りも、自然体でよいのではないかと考える。
参りたいと思うときに、参ればよい。
もちろんそれぞれの思いに従えばよい。
罪滅ぼしであっても、また故人の供養でもよい。

ただ遺骨に、必要以上の意味をもたせることは、好ましいことではない。
もっと言えば、墓参りをすることによって、「今」そのものを見失って
しまう。
こんな女性(60歳くらい、当時)がいた。

 その女性の母親が生きている間は、虐待に近い虐待を繰り返していた。
で、その母親は、ある寒い冬の夜、「ふとんの中で眠ったまま」(その
女性の言葉)、死んでしまった。

 その女性の墓参りがつづくようになったのは、しばらくしてからのこと
だった。
一説によると、夜な夜な、母の亡霊が枕元に立ったからという。
あるいはその女性は、罪の意識に苛(さいな)まれたのかもしれない。
それで墓参りをするようになった(?)。

 よくある話である。

●今が大切

 死者を弔うことも大切だが、それ以上に、はるかに大切なことは、
「今」を大切にすること。
これは私の人生観とも深くからんでいるが、母を介護しているときにも、
それを強く感じた。

 介護といっても、そのつど、多額の介護費用などがかかる。
救急車で病院へ一度運んでもらえば、救急車代は別としても、1回につき、
10万円前後の検査費、入院費、治療費がかかった。

 しかしそういう費用が、惜しいとか、そういうふうに考えたことは一度も
ない。
「高額だな」と反感を覚えたことはあるが、それは医療体制に対しての
ものであって、母に対してではない。

 しかし今、法事に、読経をしてもらうだけで、1回5万円ということに
ついては、矛盾というより、バカらしさを覚える。
信仰心のあるなしとは、関係ない。
まただからといって、母の死を軽んじているわけでもない。
この落差というか、(心の変化)を、どう私は理解したらよいのか。

 同じように、私は、「今」を生きている。
懸命に生きている。
もし息子たちに、私やワイフを大切にしてくれる気持ちが少しでもあるなら、
今の私たちを大切にしてほしい。
死んでから、墓参りに来てくれても、うれしくはないし、またそんな
ことをしてくれても、私には意味はない。
またそれで私が地獄へ落ちるとしたら、仏教のほうがまちがっている。
カルト以下のカルト。

 供養するかしないかは、あくまでも(心)の問題。
心があれば、毎日だって墓参りをすればよい。
また心があるなら、墓参りなどしなくても、どこにいても、供養はできる。

 この3日間、いろいろと考えた。
私には、収穫の多い、3日間だった。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●決別、5日目

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古里と決別して、今日で5日目。
この4日間、いろいろあった。
そのせいか、今日になって疲れが
どっと出てきた。

ショックだったのは、むしろ
仲がよかった、K氏(59歳)が、
悪性リンパ腫になっていたこと。
血液のがんである。
今年で闘病生活も3年になるという。
知らなかった。

昨日、はじめて知った。
驚いたというより、3年間も
知らなかった私に、驚いた。

「最近はすぐれた抗がん剤も開発
され、数値をみながらのんでいれば、
何でもありません」と、K氏は笑っていた。
いっしょに笑いたかったが、私は
笑えなかった。

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●「私は健康だ」

 「私は健康だ」と言うときには、そこにある種の優越感がともなう。
自分にはその気がなくても、相手によっては、それがイヤミに聞こえる。
とくに重病で苦しんでいる人には、そうだろう。
だから「私は健康だ」などとは、あまり人に言わないほうがよい。
それはちょうど、「私は金持ちだ」と言うのに似ている(?)。
その日の生活費に困っている人が聞いたら、どれほど不愉快に思うことか。

 ……といっても、つまり健康といっても、今、そうであるというだけで、
明日のことはわからない。
加齢とともに、不可逆的に健康は衰えていく。
仮に優越感をもったとしても、それは一時的。
大切なことは、今ある健康を、かみしめながら生きていくこと。
あとはその状態を、できるだけ、長く保つこと。

●苦痛
 
 古里の話を書こうと思っていたが、健康論になってしまった。
話をもどす。
古里と決別して、先にも書いたように今日で5日目になる。
何かが大きく変わったように感ずる。
が、それが何であるか、今のところ、まだよくわからない。

 平和になったというか、気が抜けたというか……。
心の緊張感は解けた。
正直に告白するが、実兄が死んだときも、実母が死んだときも、
私はホッとした。
実兄や実母の死を喜んだわけではない。
そんな気持ちは、みじんもなかった。

ただそれまでの重圧感には、ものすごいものがあった。
臨終が近づくにつれて、その重圧感が、さらに倍加した。
その重圧感が、スーッと消えた。

 実のところ、実兄も実母も、それぞれ施設に入居していたから、
私への負担は、ほとんどなかった。
精神的負担も、ほとんどなかった。
ときに、「介護が、こんなに楽でいいのか」と思ったことさえある。

私が感じた重圧感というのは、実姉からのものだった。
実姉は、そのつど、狂ったように、私のところに電話をかけてきた。
それが苦痛だった。
受話器を取るたびに、手が震えた。

 今にして思えば、姉は姉で、張りつめた緊張感の中で、もがき苦しんで
いたのだろう。
それはよくわかる。
わかるが、私には、どうしようもなかった。
実姉は、不満や不安をそのまま、私にぶつけた。
私は私で、包容力を失っていた。

 が、それも今となっては、昔話。
1日ごとに、どんどんとそれが過去へ過去へと、遠ざかっていく。

●疲れ

 講演の疲れ。
旅の疲れ。
それが今日になって出てきた。
睡眠薬の世話になっているわけでもないが、このところ毎日、9~10時間
近く眠っている。
昼間も眠い。
そのつど、軽い昼寝をする。

 寝心地は、よい。
どこにいても、気持ちよくうたた寝できる。
何よりも大きな変化は、悪夢から解放されたこと。

●今後のこと

 今後のことは考えていない。
考えても、あま意味はない。
なるようにしか、ならない。
なり行きに任せる。
それしかない。
実家にまつわる問題は、すべて解決した。
「すべて」だ。

 親戚づきあいも、今のところ、するつもりはない。
冠婚葬祭も、遠慮させてもらう。
その前に、だれも知らせてこないだろう。
そのかわりというわけでもないが、私の方のことも、だれにも伝えない。
「私が死んでも、親戚にはだれにも話すな」と、ワイフや息子たちには、
しっかりと伝えてある。

 親戚など、今の私には、「クソ食らえ」(尾崎豊)、だ。
さみしい関係だが、仮面をかぶってつきあうのも、疲れた。
もうたくさん。
いや、それ以上に、私の人生も、刻一刻と短くなっていく。

 そうそう、K氏の病名を聞いたとき、驚いたのには、
もうひとつの理由がある。
「そんな病気もあったのか!」と。

 ひょっとしたら、病名の数のほうが、浜松市の人口(約80万)より
多いのではないか?
がんにしても、体の部位の数だけ、種類がある。
「病気から身を守る」といっても、どうやって守ればよいのか。
たとえて言うなら、浜松中の人たちが、みな悪党になったようなもの。
しかもみな、中身がちがう。
先日は、ほんの半時間ほどだが、視覚野の画像が乱れた。
半円形のチカチカした模様が、視野をじゃました。
あれはいったい、どういう病気によるものなのか?

 言い換えると、私たちの健康は、細い糸でぶらさがっているようなもの。
その下では、無数の病気が、「おいで、おいで」と、手招きしている。
で、私はK氏にこう聞いた。
「どうして、その病気とわかったのですか?」と。

 それについてK氏は、こう言った。
首の下のリンパ腺が腫れたこと。
胃の上に腫れ物ができたこと。
それで病院へ行ったら、悪性リンパ腫とわかった、と。
そして最後にこう話してくれた。

 「おかしいと思ったら、検査だけは、どんどんと受けたほうがいいですよ」と。
しかし……。
おかしいと言っても、おかしなところだらけ。
一応、今のところ自分では健康とは思うが、中身はボロボロ。
何とかごまかしながら生きている。
だからやはり、検査は受けたくない。
受けても、しかたない。
20も30も、ゾロゾロと病名が出てきたら、どうするのか!


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