最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●70様で現役

2010-05-19 07:25:45 | 日記
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【井上ひさし氏と、死生論】

●明日から仕事!

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長い春休みも、終わった。
楽しかった。
で、今日は、5キロ近く、ランニングした。
ほかに30~40分ほどの散歩。
明日からの仕事に、備えた。

体調、OK!
脳みそ、OK!
新年度も、この調子で乗り切るぞ!

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●井上ひさし氏

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井上ひさし氏という作家が、死んだ。
面識はないが、何度か、近くに感じたことはある。
「この喫茶店に、よく来ますよ」と、
そんな話を、ある雑誌社の編集部の人がしてくれたのを
覚えている。
喫茶店というのは、G出版社(大手出版社、大田区)
の本社前にある、喫茶店をいう。

「いつも座る席が決まっていましてね。
ほら、あそこですよ」と。

当時は毎週のようにG社に足を運んでいた。
以来、その喫茶店へ入るたびに、井上ひさし氏を
探した。
が、一度も、見たことはない。
ないが、井上ひさし氏がいつも座るという
席に、ときどきすわってみたことはある。
それで「近くに感じた」。

私は井上ひさし氏の書く文章が好きだった。
あるときは、10冊くらい、本をまとめて買い
したことがある。
ワイフが何かの手術で、3~4日、入院した
ときのことだった。
「井上ひさしの本が読みたい」と言ったので、
そうした。

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●死

 「死」は人生、最大のテーマ。
賢人たちの言葉を拾ってみる。

I live now on borrowed time, waiting in the anteroom for the summons that will
inevitably come. And then ーI go on to the next thing, whatever it is. One doesn't
luckily have to bother about that.
ーAgatha Christie, "An Autobiography" (アガサ・クリスティ、自叙伝)

私は、かならずやってくる召還を、待合室で待ちながら、今は、借りた時間の上で生きて
いる。
どうであれ、私はつぎの世界へ行く。
人は、幸運なことに、それについて心を煩わす必要はない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

I shall tell you a great secret my friend. Do not wait for the last judgement, it
takes place every day.
ーAlbert Camus

友よ、最大の秘密を話してやろう。
最後の審判を待ってはいけない。
それは毎日、なされている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

To the wellーorganised mind, death is but the next great adventure.
ー Albus Dumbledore

たいへんよく組織された心には、死は、ただのつぎの大きな冒険にすぎない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

A Lizard continues it's life into the wilderness like a human into heaven. Our fate
is entirely dependent on our life
ーAndrew Cornish

とかげは、人間が天国で生きるように、野生の中でまた生きる。
我々の運命は、我々の生命次第ということ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Even in the desolate wilderness, stars can still shine.
ー Aoi Jiyuu Shiroi Nozomi

どんな荒野にいても、星は輝き続ける。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

This existence of ours is as transient as autumn clouds.To watch the birth and death
of beings is like looking at the movements of a dance. A lifetime is a flash of lightning
in the sky. Rushing by,like a torrent down a steep mountain.
ー Buddha (c.563-c.483 B.C.)(釈迦)

我々の存在は、秋の雲のように、移りやすいもの。
人の生死を見るのは、踊りの動きを見るようなもの。
人生は、稲妻の閃光のようなもの。
険しい山から流れ落ちる、急流のようなもの。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

100 per cent of us die, and the percentage cannot be increased.
ー C.S. Lewis, "The Weight of Glory"

100%、我々は死ぬ。
そしてそのパーセンテイジは、それ以上増えることはない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●希望

 この中で、私はつぎの言葉に、希望をいだく。

To the wellーorganised mind, death is but the next great adventure.
ー Albus Dumbledore

たいへんよく組織された心には、死は、つぎの大きな冒険にすぎない。

 わかりやすく言えば、しっかりと、スキがないほどまでに、心を準備すれば、死がやっ
てきても、冒険に出かけるように、自分を取り乱すこともなく、死を迎えることができる
ということ。

 ただほとんどの人は、「死はやってくるもの」と思っている。
しかしこれは誤解。
自分自身が内部から崩壊すること。
それが死。
「やってくるもの」ではない。
つまりDNAには、あらかじめ自己崩壊が、プログラムされている。
思春期になって、ひげが生え、初潮を迎えるように、死もまた、プログラムされている。

 が、死を恐れる必要はない。
「死」があるから、今、私やあなたは、ここに存在する。
もし死がなければ、この地球は、生き物だらけになってしまう。
平安時代以後の人間だけを積分しても、たいへんな数になる。
毎年100万人ずつ生まれたとしても、1000年で、20億人!
毎年1000万人ずつ生まれたとしても、1000年で、200億人!

 先人たちが死んでくれたおかげで、そこに「空き」ができ、私たちは、その「空き」の
中で生まれることができた。
言い替えると、私たちが死ななければ、つぎの世代の人たちは、生まれてくることができ
ない。
つまり私たちは死ぬことで、席を、つぎの世代の人たちに譲る。
私たちはこうして、常に新しい生命と、入れ替わる。

●wellーorganised mind

 で、「死」について。
どう考えたらよいのか。
が、それにはいくつか、ポイントがある。

 その第一は、「生命を自分だけのものと考えてはいけない」ということ。
私たちの生命は、私たち個人のものではない。
そうでないと思うなら、一度、自分の手先をじっくりとながめて見たらよい。
あなたは、指一本、自分で作ったわけではない。
爪ひとつ、自分で作ったわけではない。
「生命」という大きな流れを、あなたは受け継いだにすぎない。
その「生命」を、自分のものと思うこと自体、バカげている。

 その第二は、自分の「生命」を、つぎの「生命」に伝えていくこと。
自分のところだけに、とどめてはいけない。
「自分の命は、わたしのもの」と、そう考えてはいけない。
私的所有物か何かのように考えてはいけない。
あなたは、自分の中の(あなた)を、つぎの世代に伝えていく。
方法はいろいろあるだろう。
教育も、そのひとつ。
が、大切なことは、つぎの世代の人たちが、より有意義に、より真・善・美に
近づけるように、その踏み台となること。

 その第三は、今あなたが受け継いだ「生命」を完全燃焼させること。
中途半端はいけない。
完全燃焼。
それは「今」を生きる人間の義務と考えてよい。
つまりこの世の中には、生きたくても生きられない人は、いくらでもいる。
そういう人たちの分まで、生きる。
その一語に尽きる。

これは私の勝手な解釈だが、それが「wellーorganised mind」、つまり、それが
「じゅうぶん組織化された心」ということになる。
言い替えると、それこそが死を克服するための、ゆいいつの方法ということになる。

 ところで、ここでひとつ気になったことがある。

 老齢期をさして、「死の待合室」という。
よくそういう言葉が出てくる。
私も何度か使ったことがある。
その「死の待合室」というのは、アガサ・クリスティの「in the anteroom for the summons
(召喚状を待つ控え室)」という言葉から、出てきたのでは?
「anteroom」というのは、「待合室」を意味する。
少なくとも日本人の発想ではない。
余計なことだが……。

 なお「wellーorganised mind」という言葉を使った、アルバス・ダンブルドアという
人が、どんな人か、私は知らない。
「ハリーポッター」の中に、出てくる老人に、同姓同名の人がいる。
その人のことか?

 さようなら、井上ひさし。
ご冥福をお祈り申し上げます。

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Hiroshi Hayashi+教育評論++April.2010++幼児教育+はやし浩司

●偏頭痛(映画『シャッター・アイランド』)

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朝方、偏頭痛で目が覚めた。
理由は、すぐわかった。
昨夜、映画『シャッター・アイランド』を見てきた。
深夜劇場だった。

激しい光の点滅。
めまぐるしい動き。
それに「超字幕」という字幕。
「超字幕」というのは、ふだんの字幕より、
字数が多いということか?
(ところで字幕の翻訳は、めちゃめちゃ。
字幕英語というのがあるのはわかるが、それにしても……?)

それがよくなかった。
おかげで今朝は、偏頭痛。
評価は、星2つの、★★。
実に思わせぶりの、不親切な映画。
『シックス・センス』『ミラーズ』『ビジター』『マトリックス』
などとは、比較にならない。
意外性を期待していたが、がっかり。

「謎解き」とか、「あなたにはこの謎が解けるか」とか、
映画案内に書いてあった。
しかし謎でないものを、おおげさに謎らしくしただけ。
謎でくるんだだけ。
簡単に言えば、「テディ・ダニエルズ(保安官、ブラッド・ピット)は、
ただのxxの1人」だった。
それですむ話。
(「映画のはじめに、結末を他人に話さないでくれ」と、
おかしな注意書きもあったので、「xx」にした。)

久しぶりに偏頭痛薬をのんで、ふたたび眠りなおす。
それにしても、不親切な映画だった。
観客をもてあそんだだけ。
つまり、もてあそばされただけ。
だから星は2つ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●不忘念(ふもうねん)

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『一念岩をも通す』。
そうした強い意志(=念)を、「不忘念(ふもうねん)」という。
この言葉を頭のどこかに置きながら、自分の過去を
振り返ってみる。

たいしたことはできなかったが、それでも、
私はそのつど、何かをしてきた。
そのひとつが、ある宗教団体を相手に、5冊の本を
書いたこと。
命がけだった。
が、結果として、東洋第一と言われるほど豪華な
正本堂を、私は解体に追い込むことができた。

もうひとつは、山荘。
6年かけて土地作りをし、そこに山荘を建てた。
一度はトラックごと、崖下に落ちて死にかけたこともある。
そういう過去を振り返ってみると、その裏に、私なりの
「不忘念」があったことがわかる。

まず(したい)という思いをもつ。
そのほとんどは、そのまま消えてなくなってしまう。
そこでさらに強く(したい)と思う。
するとその先に道が見えてくる。
が、道が見えたからといって、願いがかなうという
わけではない。
やはりそのほとんどは、そのまま消えてなくなってしまう。
しかしこれだけは言える。

「~~をしたい」という思いがなければ、
何ごとも始まらないということ。
たとえ無駄に終わることがわかっていても、まず、「したい」と
思う。
まず、動く。
機関車にたとえるなら、石炭をくべて、車輪を回す。
人生はそこから始まる。

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●70歳まで現役

 私は決めた。
「70歳まで現役」と。
そのための準備作りも始めた。
とりあえずは、(1)体力作りと、(2)ボケ防止。
健康第一だが、それは当然。

 で、60歳になる少し前、私は、仕事を縮小することばかりを考えていた。
「あと、2~3年働ければ、それでいい」と。
それにどこかの男が、「老齢期を迎えたら、生活をコンパクトにしなさい」と言った。
私は一時、その言葉を、真に受けた。
土地を切り売りしたり、人づきあいを制限したりしようとした。
が、どうしてコンパクトにしなければならないのか。
また、何のために?

 私はまちがっていた。
おかしな寄り道をしてしまった。
そこで一念発起。
「70歳まで現役」と。
心に誓った。
とたん、(やるべきこと)が、ズラズラと並んだ。
その第一が、(1)体力作りと、(2)ボケ防止。

●体力作り

 先月、恩師のTK先生に会った。
その前会ったときは、杖をついて歩いていた。
が、今回は、杖なし。
右足の人工関節の調子も悪くなさそうだった。
万歩計を見せながら、「毎日1万歩、歩いています」と。
横にいた、お嬢さん(立教大学教授)は、こう言った。
「どうしてこうまでがんばるのでしょうね」と。

 それを聞いて、私は心底うれしくなった。
TK先生はいつも、「健康は不可逆的に悪くなる」と。
が、その反対のことが起きた。
健康だって、がんばれば、取り戻せる。
TK先生は、それ教えてくれた。

 で、このところ自転車で、20~30キロ、走破することがある。
暇さえあれば、歩行器の上で歩く。
汗をかく。
70歳まで現役をつづけるためには、それなりの準備が必要。
「かろうじて今日はだいじょうぶ」という程度では、70歳まではがんばれない。
70歳までがんばるためには、50歳の体力を作り上げなければならない。
それではじめて、60歳から70歳までの10年間を、現役を通すことができる。

●ボケ防止

 こわいのは、「ボケ」。
それに「気力の弱化」。
……というわけでもないが、今は、携帯端末に興味をもっている。
現在はE-mobileの携帯端末を使っている。
すでに3年目になる。
が、どうも使い勝手がよくない。

 そこで今度発売になった、DOCOMOの「XPeria」。
それに目をつけた。
超小型のパソコンのようなもの。
昨日もドコモショップへ行って、あれこれと相談してみた。
デザインというか、その洗練された機能に驚いた。
「すごい!」の一言。

 「電話機能だけあればいい」という、怠けた声も聞こえないわけではないが、
それではいけない。
「いけない」と思って、自分の体にムチを打つ。
今度高校生の前で、サッサと、XPeriaを披露してやろう。
高校生たち、びっくりするだろう。
が、それが楽しみ。

 ヒヒヒヒ……。

 つまりボケ防止のためには、どんどんと新しい分野に切り込んでいく。
またそれにまさる方法はない。

●不忘念

 さて、不忘念。
体力と気力は、密接に連動している。
東洋医学でも、そう教える。
というより、体力イコール、気力と教える。
区別していない。

 そんなわけで体力が弱くなると、気力も弱くなる。
気力が弱くなると、何をするにも、おっくうになる。
だからこそ不忘念。
あえて不忘念。
いくつか「念」を立ててみる。

(1)どんなことがあっても、電子マガジンの発行をやめない。

 現在、週に3回、電子マガジンを発行している。
1回で、原稿20枚以上(40字x36行)と決めている。
それを守る。

(2)自転車通勤をふやす。

 現在、週に3~4単位(1単位=40分)にまで少なくなっている。
それをこの4月から、再び、5~6単位にもどす。

 ただし、「結果」は求めない。
やるべきことはやる。
しかしあとは、「なるようになれ!」。

また30~40代のころは、有名になりたいと思ったこともある。
が、今は、もうない。
ないというより、望んでも意味はない。
どうでもよい。

 「結果」として収入があれば、それでハイブリッド車を買う。
老後用の、終の棲家(ついのすみか)を建てる。
終の棲家は、私が死んだあとのワイフのため。

 「不忘念」というほどおおげさなものではないかもしれないが、
そのつもりでがんばる。

 2010年4月10日。
書斎まで朝食のにおいが、あがってきた。
もうすぐワイフが、「できたわよ」と声をかけてくれるはず。
みなさん、今日もがんばりましょう!
「不忘念」で、がんばりましょう!



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