最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●崩れた人格

2009-11-17 07:51:58 | 日記


●崩れた人格

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私はS氏(当時70歳くらい)を、「詐欺師」と呼んでいた。
預かった香典をネコババする程度のことは当たり前。
自分の土地を、二重売り、三重売りするなどということも朝飯前。
二束三文の骨董品を、「江戸時代のもの」と言って、人に平気で売りつける。
しかもそれを、甥や姪に売りつける。
お金がなくなると、妻の老齢年金手帳を担保に、借金をする。
ウソにウソを重ねるというより、ウソを言いながら、
それをウソとも思っていない。
そのうち愛人との間にできた子どもまで、出てきた!

しかしそう書くからといって、何もS氏を個人攻撃する
つもりはない。
個人的には、S氏に興味はなかったし、関係も浅いものだった。
話題にするのも、不愉快。

が、心理学的には、たいへん興味がある。
S氏ほど、まともで、その一方で、人格的に崩れた人は、
そうはいない。

一例をあげる。

S氏には、愛人がいた。
その愛人をある日自宅へ連れてきた。
そして自分の妻に、こう言い放った。
「今日から、この女も、この家に住む。
めんどうみてやってくれ!」と。
S氏が、40歳を少し過ぎたころのことだった。

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●非常識

 一事が万事というか、S氏には、S氏なりの一貫性がある。
けっして悪人ではない。
悪人ではないが、結果としてみると、詐欺まがいのことばかりしている。
が、その意識がない。
人をだましたという意識そのものが、ない。

 自宅へ愛人を連れてきたときも、そうだ。
S氏にすれば、友人(?)のめんどうをみるくらいの軽い気持ちだったかもしれない。
もともと家父長意識の強い人で、妻について言えば、自分の奴隷のようにしか
思っていなかった。

 だからS氏にすれば、親しい(?)友人が困っているのを助けるということになる。
そして妻は、そういう夫を手伝って、当然ということになる。
しかし全体としてみると、そういった行為そのものが、常識をはずれている。
つまり非常識。

 あとは推して量るべし。
ほかにもいろいろあるが、ここではそれについて書くのが目的ではない。
こうした非常識、もしくは非常識性は、どうして生まれるか。
ここでは、それについて、考えてみたい。

●人格の完成度 

 「人格の完成度」については、たびたび書いてきた。
EQ(Emotional Intelligence Quotient)論ともいう。
直訳すれば、「情動の知能指数」ということになる。

 ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説くEQ論では、
主に、つぎの3点を重視する。

(1)自己管理能力
(2)良好な対人関係
(3)他者との良好な共感性

 一般的には、(1)自己管理能力が低く、(2)他者との良好な人間関係が築けず、(3)
他者との共感性が低い人のことを、「自己中心的な人」という。

 わかりやすく言えば、より自己中心的な人を、人格の完成度の低い人という。
反対に、より利他的な人を、人格の完成度の高い人という。
自己中心性が肥大化した人のことを、「自己愛者」という。

 しかしS氏のようなケースは、特殊。
あまり例がない。
かといって、見た目には、どこにでもいるような、ごくふつうの男性である。
痴呆性を感ずることもない。
反応もそれなりに、早い。
口も達者。
しかしどこかちがう。
おかしい。

●思慮深さ

 最大の特徴は、思慮深さがないということ。
ものの考え方が、短絡的で、演歌風。
(「演歌風」というのは、演歌の歌詞をそのまま口にすることが多いということ。)
そのためものの言い方も、唐突でぶっきらぼう。
もちろん繊細な会話はできない。
またそういうセンスは、もとから持ち合わせていない。

 それについては、血栓性の脳梗塞を起こしたためと説明する人もいる。
しかしS氏について言えば、30代、40代のころから、そうだった。
愛人を家に連れ込んできたときも、S氏は、40歳を少し過ぎたときのことだった。

 ではなぜ、S氏はS氏のようになったか。

 私はいくつかの点で、気になっていたことがある。
ひとつは、S氏の周辺には、文化性を思わせるものが何もないということ。
本や雑誌など、読んだことさえないのでは?
家人の話では、テレビのドラマさえ見たことがないということだった。
が、最大の特徴と言えば、思慮深さそのものの欠落ということになる。

 自己中心的で、わがまま。
常識といっても、一昔前の常識。
会話の中にも、「お前は男だろが……」とか、「女のくせに……」という言葉が
よく出てくる。
が、何と言っても常識そのものが、狂っている。

 預かった香典をネコババしたときも、そうだ。
同居している息子がそれをとがめると、こう言ったという。
「親が、先祖を守るために、甥の金を使って何が悪い!」と。

 まるで罪の意識がない。
ないというより、独特の論理の世界で生きている。

●非常識性

 こんな話を読んだことがある。

 今でもK国から脱出してくる人は、後を絶たない。
「脱北者」と呼んでいる。
そういう人たちが韓国へ逃れてくると、一時的に、そういった人たちを収容し、教育する
施設に入れられる。
そこでのこと。
脱北者たちは、散歩に出ると、近くの畑から、野菜や果物を平気で盗んできてしまう
という。
「盗む」といっても、その意識はないのかもしれない。
K国の中では、そうした食物は、国民みなのものという考え方をするらしい。

 つまり常識などといったものは、その時代、その民族、国民によってみなちがう。
決まった常識などというものは、ない。

 愛人を家に連れてきたというS氏だが、そういった話は、明治時代や大正時代には、
あちこちであった。
お金に余裕がある人は、愛人に別宅を与えて、そこに住まわせたりした。

●常識論

 が、今では、それは非常識。
ふつうの常識のある人なら、そういうことはしない。
……と、断言したいが、そうはいかない。
「私は常識的」と思っている人でも、別の場面では、結構非常識なことをしている。
先にも書いたように、「常識」などというものは、その時代、その民族、国民に
よってみなちがう。

では、こうした非常識性と闘うためには、どうするか。
それについて書く前に、もう一歩、話を掘りこんでみる。
というより、人間は、本来、そういう動物であるという前提で考える。

人間が今のような人間になったのは、ここ1000年とか2000年の間ではないか。
それ以前の人間には、道徳も倫理もなかった。
さらに今から5000~6000年前までの新石器時代となると、人間は人間という
より動物に近かった。

 人間は本来的に、S氏のような人間であると考える。
よい例が、戦国武将と呼ばれる人たちである。
NHKの大河ドラマに出てくる武将たちを観ていると、結構、思慮深い人物に描かれて
いる。
が、本当にそうだろうか。
そう考えてよいのだろうか。

 「武将」というためには、同時に平気で人を殺せる人でなければならない。
(人を殺す)という時点で、いくら名君と呼ばれようが、その人の人間性は、
動物と同じと考えてよい。
(動物だって、そんなことはしない!)
よい例が、織田信長ということになる。
徳川家康だって、そうはちがわない。
ただ徳川家康にしても、その後、300年という年月をかけて、徹底的に美化され、
偶像化された。
徳川家康に都合の悪い話は、繰り返し、末梢された。
その結果が今である。

 「盗(と)るか、盗(と)られるか」という時代にあっては、きれいごとなど、
腸から出るガスのようなもの。
きれいごとを並べていたら、その前に自分が殺されてしまう。
S氏の非常識など、戦国武将の前では、何でもない。
ただの冗談ですんだはず。

●では、どうするか

 あなたの周囲にも、S氏のような人はいるかもしれない。
似たような話を耳にしているかもしれない。
そこで大切なことは、そういう人がいたとしても、自分から切り離してしまっては
いけないということ。
「他山の石」もしくは、「反面教師」として、自分の中でそれを消化する。
その第一が、「思慮深くなる」ということ。

 S氏についても、総じてみれば、「思慮深さがない」。
すべては、そこへ行き着く。
もしS氏がもう少し思慮深ければ、S氏はもっと別のS氏になっていたかもしれない。
わかりやすく言えば、人格の完成度にしても、それはあくまでも(結果)。
日ごろから思慮深ければ、人格の完成度は、自ずと高くなる。
そうでなければ、そうでない。

 で、さらにその思慮深さは何で決まるかといえば、(思考を反すうするという習慣)
によって決まる。
それについては、数日前に書いたばかりだから、ここでは簡単にしておきたい。

 つまり自分の考えを、何ども頭の中で反すう(=反芻)するということ。
そしてそれは能力の問題ではなく、習慣の問題ということ。
その習慣を身につける。
それがその人の人格の完成度を、長い時間をかけて決める。

●補記

 同じ命を授かり、同じ時代を生きながら、そこに真理があることにさえ気づかず、
あえてそれに背を向けて生きている……。
私には、S氏という人がそういう人にしか、思えない。
「崩れた人格」というタイトルで、このエッセーを書き始めたが、「かわいそうな人」
というタイトルでもよい。

 さらに興味深いことは、そういうS氏でも、「いい人だ」と評価する人もいるということ。
まったくの悪人かというと、そうでもない。
もともと気が小さい人だから、大きな悪事を働くということはない。
陰に隠れて、コソコソと動き回っているだけ。

 それにどこか「寅さん」的なところがあって、憎めない。
香典をネコババされた人も、「あいつのやりそうなこと」と言って、笑ってすませている。
愛人を連れ込まれた妻にしても、今ではそれを笑い話にしている。
中に偽の骨董品を買わされて怒っている人もいるが、金額はたいしたことない。

 そうそう言い忘れたが、そのS氏は、ごく最近(09年)、他界したという。
久しぶりに知人に電話すると、そう教えてくれた。
享年、80歳。
私には強烈な印象を残して、この世を去っていった。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

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