最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

7-31(2)

2009-07-31 07:09:49 | 日記


●一貫性の確立

 自分の中に、いかにして一貫性を構築するか。
簡単なことのようで、それが難しい。
私たちはそのときどきの(縁)に応じて、変化する。
自分を作り変える。
よい人間に作り変えることもあるが、ときには、(縁)に応じて、悪い人間に作り
変えることもある。

 たとえば私がたいへんよく知っていた人に、KY氏という人がいた。
私が子どものころ、すでに60歳くらいだった。
そのKY氏は、あの関東軍七三一部隊で、教授を務めていた。
(研究部隊ということで、内部では、「教授」という肩書になっていた。)
関東軍七三一部隊がどんな部隊であったかについては、今さらここに書くまでもない。

 が、私が知るかぎり、KY氏は、穏やかで、やさしい人だった。
私が子どものころには、近くの川に魚釣りに連れていってくれたこともある。
碁の打ち方を教えてくれたこともある。
そのKY氏が関東軍七三一部隊の教授であったことは、幸いにも(?)、KY氏が
亡くなってから、10年ほどしたときのことである。
私はそのとき30歳くらいになっていた。

 そのKY氏を思い浮かべながら、いまだに、それが信じられないでいる。
私が知っていたKY氏から、関東軍七三一部隊で教授職をしていたKY氏は、
とても想像できない。
はたしてその両者は、同一人物だったのか。

中国のハルピンでは、関東軍七三一部隊は、身の毛もよだつような悪業を重ねていた。
関東軍七三一部隊では、中国人や朝鮮人、さらにはロシア人まで、生きたまま解剖して
いたという。
教授職だったKY氏が、善人だったとは、とても思えない。
が、日本へ帰ってきてからは、一転、私が知るかぎり、仏様のような人間になっていた!
そういうKY氏を思い浮かべると、「この世の中には悪人はいない」「悪いのは戦争だ」
ということになる。
戦争が、KY氏をして、KY氏のような人間にした、と、
が、同時に、このことを反対に言うと、こうなる。
「どんな善人でも、戦争に行くと、悪人になる」と。

 もしKY氏に一貫性があったら、関東軍七三一部隊に入隊したとしても、
それをよしとしなかったはず。
反対に、日本へ帰ってきてからも、鬼のような人間のままであったはず。
が、そのつど、KY氏は、大きく変化した。
(善人)から(悪人)、その(悪人)からまた(善人)へと。

 つまりこれが私が言う、「精神的一貫性」ということになる。

●ナチスドイツ
 
 ナチスドイツは、あのアウシュビッツだけでも、1200万人以上ものユダヤ人を
虐殺した。
第二次大戦で死んだ日本人が、300万人。
日本人が殺した外国人が、300万人。
合計しても、1200万人には、とても及ばない。

 そういう事実を知ると、日本人なら、みなこう言う。
「私たちは、そういうことはしない」と。
「日本人は、そんな残虐なことはしない」とも。
しかし本当に、そうか。
そう断言してよいだろうか。
少なくともあなたには、そういう自信はあるだろうか。
(残念ながら、私には、ない。)

 もし仮に、東南アジアからの不法移民が、この日本に、100万人単位で住んでいたら、
どうだろうか。
その数が、200万人、300万人……となり、さらに1000万人、2000万人と
なったら、どうだろうか。
しかもそうした不法移民が、日本の経済を牛耳るようになったとしたら……。
彼らは日本の文化風習には同化せず、自分たちの言葉を話し、自分たちの宗教を信ずる。

 そういう状況になったときでも、あなたは、「人間はみな、平等だ」と言って、平然と
していられるだろうか。
ヒットラーが政権を握る前のドイツは、まさにそういう状況だった。
(だからといって、ナチスドイツのした行為を正当化しているのではない。
誤解のないように!)

●ドイツ人vs日本人

 「私たち日本人は、ナチスドイツがしたようなことはしない」と言うのは簡単。
「私たちはドイツ人とは、ちがう」と。
しかしそれだけの精神的一貫性を、私たち日本人は、ほんとうにもっているだろうか。
が、私の印象では、もし日本が同じような状況になったとしたら、ひょっとしたら
日本は、ナチスドイツがしたよりも、もっとひどいことをするかもしれない。
悲しいかな、日本には、それだけの文化的な蓄積すらない。
忘れてならないのは、ゲーテやシラー、さらにはベートーベンを生み出したドイツですら、
そんなことをしたということ。

 そこで精神的一貫性。
精神的一貫性が確立していれば、まわりの状況が変わったとしても、私は私でいられる。
そうでなければ、そうでない。
一貫性のない人は、まわりの状況に応じて、そのつど主義主張まで、変えてしまう。
カメレオンのように、周囲の色に合わせて、自分の色まで変えてしまう。
考えようによっては、これほど、恐ろしいことはない。
どう恐ろしいかは、先に書いたとおりである。

●精神的一貫性の確立
 
 実は今、私は精神的一貫性の確立について、悩んでいる。
考えようによっては、それほど深刻な問題ではないかもしれない。
しかし悩んでいる。

 私は昨年、実兄と実母を、あいついで亡くした。
2度の葬儀と、それにつづく法要の数々。
四九忌まで、毎週1回ずつの法要、そして百か日忌。
が、それが今度は、1周期!
来年には、また3回忌。
(仏教では、死んだ前の日から年数を数え始めるため、2年目に、3回忌をする。)

 が、こうした法要の根拠は、鎌倉時代にできた『地蔵十王経』という、偽経である。
まっかな偽教である。
どこの寺も、偽教ということを百も承知の上で、それを根拠に法要を私たちに強いてくる。
しかしこうした法要そのものが、私の主義主張と、まっこうから対立する。
「長いものには巻かれろ」式の妥協をすることも考えた。
しかし妥協を繰り返すのも、このところ、疲れた。
だから「悩む」ということになる。

●ケチ
 
 こう書くと、「ケチ」と誤解する人がいるかもしれない。
しかし今、介護費用も、相当な額になった。
当時、救急車で一回、病院へ運ばれただけで、それだけで、15万円前後の費用がかった
(08年)。
救急車は無料だが、病院での検査、治療費などなど。
(無駄な検査の多いのには、驚いた!※)
で、救急車で運ばれると、たいてい特別の個室をあてがわれる。
「大部屋があいていないので、個室で」となる。
この費用が大きい。
1泊するだけでも、3万円弱。
数泊しれば、10万円。
帰りも救急車というわけにはいかない。
寝台つきのタクシーを使うと、料金メーターの数字が、1000円単位であがっていく。
それで15万円前後ということになる。

 そこへもってきて、葬儀。
今、全国平均で、1回の葬儀にかかる費用は、240万円前後。
香典でまかなえる人も多いと聞くが、私のばあいは、香典で集まったのは、実兄のときも、
実母のときも、40万円程度でしかなかった。
あとは私の持ち出しということになった。

が、それで終わったわけではない。
今では、一回の法事ごとに、寺に支払う布施にしても、5万円が相場。
初盆ともなると、いくら安くあげても、数10万円はかかる。

生きている人間にお金を使うのは当然としても、どうして死んだ人間にまで、こうまで
お金を払いつづけなければならないのか。

いや、お金にこだわっているわけではない。
死者にそれだけのお金を使うくらいなら、その分、今、生きている人たちのために
使いたい。
事実、私は息子たちの学費については、一円たりとも惜しんだことはない。

 私はケチではない。
こうした儀式そのものが、私の主義主張に反している!

●私たちは、だいじょうぶか?

 精神的一貫性を保つのは、容易なことではない。
戦地に赴く兵士にしても、そうだ。
先に書いたKY氏にしても、兵士になる前は、私やあなたとどこもちがわない、
ごくふつうの人だったにちがいない。
が、そういう状況に包まれたとたん、その人は、その人になる。
精神的一貫性そのものが、どこかへ吹き飛んでしまう。

 では、私はだいじょうぶなのか?
あなたは、だいじょうぶなのか?

●ではどうしたらよいのか

 では、精神的一貫性を保つためには、どうしたらよいのか。
それについては、2つの方法がある。

(1)適当に妥協して生きる。
(2)徹底的に自分の主義、主張を貫く。

 たとえば法事にしても、私は、そのつど、「旅行の一環」と位置づけてきた。
法事に行くたびに、それを利用して、あちこちを旅行した。
地元の旅館に泊まるのも楽しかった。
「法事」と構えると、疲れる。
角が立つ。

 が、先にも書いたように、このところ妥協するのにも、疲れを覚えるようになった。
そこで「悩む」ということになるが、これについては、今まで書いたとおりである。
そこで(2)の徹底的に自分の主義、主張を貫くということになる。
法事というのは、しなければならないものではない。
だれかに義理立てしてまで、しなければならないようなものではない。
私は私。
そういう私を、あれこれ言う人がいたら、言わせておけばよい。

 ということで、母の1周忌を最後に、私は縁を切る。
「縁」と言っても、「寺との縁」のことではない。
不確かで、あやふやな自分と「縁」を切る。
その上で、妥協できることについては、妥協する。 
適当にやって、それですますこところは、すます。
それが私にとっての、精神的一貫性ということになる。

●終わりに……
 
 精神的一貫性を保つためには、確固たる信念と哲学をもたねばならない。
が、もつだけでは足りない。
それを自分の中で、熟成させなければならない。
が、熟成させるだけでも足りない。
自分のもつ文化性を高め、その文化性で、自分の心を包まねばならない。
本を読み、芸術をたしなむ。
信念と哲学が、自分を支える強いバネとなるのは、そのあとのことである。

と、同時に、妥協できる部分については、妥協する。
まわりの人たちがそれで安心するなら、妥協する。
お金の問題ではない。
それが人間が、本来的にもつ(やさしさ)ということになる。
また、その(やさしさ)を忘れてはいけない。

……ということで、精神的一貫性についてのエッセーを終わる。
精神的一貫性をもつことが、いかに難しいかということを、このエッセーを通して
読者の方にわかってもらえれば、うれしい。

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(※付記)

救急車で運ばれると、まず検査。
また検査。
検査につぐ検査。
そこである日、私は担当のドクターにこう言った。
「検査していただけるのは、ありがたいですが、その結果、治療していただけるのですか?」
と。
するとそのドクターは、わざわざ私を応接室へ招いて、こう言った。
「治療はしません」「延命処置もしません」と。

そこで私が、「じゃあ、検査しても意味ないではないですか」と言うと、
あっさりと、「そうですね」と。
要するに、老人が、病院の金儲けの道具にされていた。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●消息

 昨日薬局で、20年ぶりに、Mさんという人と会った。
1年ほど、いっしょに仕事をした仲間である。
年齢の話になったとき、「ぼくのほうが、林君より、一回り年上だったのか」と
言った。
歳は、71~2歳ということになる。

 立ち話だったが、当時の人たちの消息を聞くことができた。

(社長)ともによく知っている社長の名前が出た。
ある貿易会社の社長をしていた。
その社長はそのあと、重い精神病を患い、4、5年前に他界したという。
「あの人は注射で殺されたようなものだね」と、Mさんは言った。
病院で暴れたため、いつも注射を打ちつづけられたから」と。

(社長の奥さん)よい人だった。
親切な人だった。
その奥さんも、やはり4、5年前に、他界したという。
最期は脳腫瘍だったという。

(YGさん)その会社で営業部長をしていたのが、YGさん。
テニスで国体にも出たような人だった。
で、ある高校で顧問として指導していたが、そこで女子高校生と関係をもって
しまった。
それで東京へ追放。
……という話は、表の話で、実は、「幼女に性的いたずらをして、刑務所に
入っていた」とのこと。
私にはよくしてくれた人なので、信じられなかった。

(社長の子どもたち)社長には、2人の息子と、1人の娘がいた。
娘のほうは知らないが、2人の息子は、ともに高校を強制退学。
結婚して、それぞれ2人の子どもをもうけたが、浮気が原因で2人とも、離婚。
今は、その子どもたちの養育費すら払えないほど、生活が困窮しているという。

(社長の兄弟たち)社長の兄弟は、2人、いた。
Mさんは、その兄弟たちについては知らないといった。
ただ1人の弟の妻は、電車に飛び込んで、自殺したという。
「新聞にも出ていたから、林君も知っているだろ?」とMさんは言ったが、
私は知らなかった。

 言い忘れたが、Mさんは、その会社で、専務をしていた。
私はときどきその会社で、貿易の手伝いをしていた。

私「当時は、全盛期だったのに……」
M「そうなんだよ。社長が使う電話の電話料金だけで、月に300万円もあった」
私「300万円……?」
M「電話魔でね。一日中、世界中に電話をかけていた」
私「知らなかった……。金払いのいい人とは思っていた。
シンガポールへ電報をその場で打ってやっただけで、チップだといって、10万円を
くれたこともあります」と。

 で、その会社は、そのあとまもなく倒産。
Mさんとは、1、2度、街の中で会ったことがある。
が、それからさらに20年。

 今は、ある会社の経理顧問をしながら、収入を得ているという。
10分ほどの立ち話だったが、人生の重みをズシリと感じた。

 『おごれるもの、久しからず』か?


Hiroshi Hayashi++++++++June09++++++++++はやし浩司
 
●私の、うつ病薬

++++++++++++++++++++

ダイエットと同時に、徐々に私を襲ってきたのが、
うつ病。
脳間伝達物質が不足し、それが脳の機能を低下させる。
行動力が落ちる。
頭の回転が鈍る。
悶々とした気分がつづき、ときに厭世(えんせい)的になる。
血糖値が低下するから、慢性的な低血糖状態にもなる。
ささいなことで、キレやすく、カッとなりやすい。

が、薬がないわけではない。
私のばあい、新しい電子製品を買うと、どういうわけか、
気が晴れる。
そのままうつ状態を脱することができる。

+++++++++++++++++++++

●次期パソコン

 秋に、最新型のパソコンを買う。
そのころWINDOW7も、発売になる。
64ビットマシンで、人間にたとえるなら、脳みそが4人分ついたようなパソコンである。
(実際には、8つの仕事を同時にこなす。)
いまどき、1テラバイトのハードディスクは、常識。
う~~ん。
そういう目標があるから、今は、パソコンを買うこともできない。
こういうときはパソコンでも買うのが、いちばんよいのだが……。

(この間、半日!)

 で、結局、1テラバイトのハードディスクを、今、買ってきた。
値段は、8700円。
韓国のS社製のものもあった。
こちらは値段は7000円だったが、回転数が遅いので、やめた。
(+あのような反日国家の製品を買うのは、どうも気が進まない。)

 今夜、ハードディスクの取り換え作業をするつもり。
毎年夏になると、ハードディスクが1台くらいは、壊れる。
その予防のため。


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●パソコンの修理

+++++++++++++++++++

昨日、1テラバイトのハードディスクを買ってきた。
1テラバイト=1000GBである。

ちょうど10年前、10GBのハードディスクのパソコンが売りに出された。
それを知って、私たちは驚いた。
が、今は、1テラバイト!
それを現在、メインで使っているパソコン(ビスタ)の
ハードディスク(300Gバイト)と、つけ替えることにした。

で、夜になって仕事が一段落したところで、作業、開始!
(その前に、元のハードディスクのエラーチェックと、
新しいハードディスクへのコピーを、すませておいた。
かかった時間は、3時間+2時間の、計5時間。)

そこからは、ハードディスクを入れ替え、配線をしなおすだけの
簡単な作業のはずだった。
が、ここでまたまた失敗。

不自然な姿勢で、ぐいと力を入れて配線を押し込んだとたん、端子が割れてしまった。
ゾ~~~ッ!
マザーボードのばあい、ほんの一部でも欠けたら、マザーボードごとすべて、
取り替えなければならない。
破損したのは、コネクターのコードほうだった。
しかしマザーボードのほうも、同時に、破損したかもしれない。

恐る恐る電源を入れる……。
ハラハラ、ドキドキ……。
やはり、パソコンが、立ち上がらなくなってしまった。
いろいろ試してみたが、やはりだめだった。

……冷や汗、タラタラ……。
……冷や汗、タラタラ……。

途中からワイフが手伝ってくれたが、ウンともスンとも動かない。
1年半ほど前にも、同じ失敗をした。
そのときは、マザーボード側の端子を破損してしまった。
ピンが一本、折れただけだったが、マザーボード全体を交換しなければならなかった。

そのときの悪夢が、フラッシュ・バック!
修理には最低でも、2~3週間はかかる。
仮にリカバリーということにでもなれば、すべてイチから再セットしな
ければならない。

ドキドキ、ハラハラ……。

しかたないので、隣に置いてある、別のパソコン(XP)に電源を入れた。
しばらくそれ使うしかない。
ア~~~ア!

(こういうときのため、データは、2重、3重と、べつの場所に保存してある。
だからデータが失うということはない。
しかし気分は重い。)

 で、今日は日曜日。
朝起きると一番に、もう一度、パソコンを点検。
古いパソコンのコネクターを抜いてきて、壊れたコネクターと交換してみた。
が、何と、である!
あっさりとパソコンが起動したではないか!

 これには驚いた+うれしかった!

 ……ということで、今日は、ついでに書斎を大掃除。
書斎の机の位置を替えた。

 パソコンという化け物は、それなりに、ほどほどに動いているなら、
けっして冒険してはいけない。
いじってはいけない。
いちばんこわいのは、知ったかぶり。
知ったかぶりして、あちこちいじると、とたんに故障する。

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