最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●ダイエット、私のばあいbyはやし浩司

2012-03-04 21:35:11 | 日記
【ダイエット一考】(満腹中枢vs摂食中枢byはやし浩司)

●食欲vs性欲

 ダイエット、4日目。
かなり苦しい。
少し前、夕食を終えた。
が、量は、いつもの4分の1。
あとは、自宅でとれたハッサクで、腹をごまかす。

 食欲と性欲は、よく似ている。
見た目には大きく違うが、脳の中のメカニズムは同じ。
中枢部分は、ともに視床下部にある。
「同居」していると書いて怒る脳科学者はいない。
それくらい近い。
近いだけではない。
たがいに影響しあっている。

(たとえば女性のばあい、食欲を満たすと、性欲がわいてくるそうだ。
反対に男性のばあい、空腹感を覚えると、性欲がわいてくるそうだ。
男の性欲中枢は、摂食中枢の近くにあるという。
反対に女の性欲中枢は、満腹中枢の近くにあるという。※)

●空腹感

 その食欲。
昨夜もそうだった。
腹8分というが、腹4分で、止めた。
止めた直後は、苦しい。
「もっと食べたい」という欲望が、ググーッとわいてくる。
が、お茶を飲んでごまかす。
雑談を繰り返し、気持ちをそらす。

 やがて血中の血糖値が上昇する。
空腹感が和らぐ。

 まさに理性と欲望の死闘。
勝つか、敗れるか。
それでダイエットの成否は決まる。

●満腹感vs空腹感の消失

 今回も、おもしろいことに気がついた。

 2年ほど前のこと。
バスの中で、はげしい尿意を催した。
あるところから、あるところへ行く途中である。

 ふつうなら途中下車をして……ということになるが、バスの便数そのものが少ない。
1日、数本しかなかった。
そこで私は、客がほとんどいなかったこともあり、バスの中ですることにした。
(この話は以前にも書いたが……。)

 もっていたペットボトルのお茶を飲み干すと、それをもって、最後部の座席に移った。
私は最初、こう思った。
「こんな小さなペットボトルで、だいじょうぶかな?」と。

そのときのこと。
尿意を減らすだけなら、全量、放出する必要はない。
ほんの少しでよい。
膀胱に、仮に70~80%の尿が残っていたとしても、尿意はそれで消える。

 目的を達すると、前部の席に戻った。
ワイフが心配そうに、「どうだった?」と聞いた。
「うまくいった」と、私は答えた。

 今回、ダイエットしながら、そのときのことを思い出した。
「全量、食べる必要はない。半分程度食べておけば、やがて空腹感は消える」と。

 要するに、満腹感を覚える必要はない。
空腹感を消せばよい。
そのためには、全量を食べる必要はない。

●権力欲

 わからないのが、権力欲。
どうして時の権力者たちは、ああまで権力に執着するのか。
理由がないわけではない。
ふつう権力者の世界は、常に、ALL or Nothing。
「すべてを手に入れるか、すべてを失うか」である。
そういう世界である。

 が、独裁者の世界は、やや異なる。
All or Die。
「すべてを手に入れるか、死」である。
独裁者は、独裁者になる過程で、多くの反対者をパージ(粛清)している。
それが明るみになれば、反対に「処刑」ということにもなりかねない。
またそういうケースは多い。

 では、民主主義国家の権力者たちは、どうなのか。
程度の差こそあれ、敗れたからといって、自分の地位や立場を明け渡す人は、少ない。
いろいろ立場をこじつけては、その地位を守ろうとする。
ダイエットにたとえるなら、満腹感というのは、ないらしい。
言い換えると、権力欲というのは、際限がないという点で、食欲とはちがう。

●理性

 そこで考える。
「権力欲には、理性の力は働くか」と。
答は、「NO!」。
皮肉なことに、権力の座を求めるような生命力の強い人ほど、一方で、貪欲。
強欲。
お金(マネー)と同じで、あればあるほど、さらにそれを求める。
言い換えると、こういうことになる。

 権力者と呼ばれる人には、「理性はない」。
逆説的な言い方をすれば、理性による歯止めがきかないからこそ、権力者になれる。
理性による歯止めがきくようなら、もとから権力者など、めざさない。

 話はぐんと現実的になるが、アメリカには、こんな常識があるそうだ。
何かの本で読んだことがある。

(1) 肥満者は意思の弱い人と判断される。
(2) 喫煙者は意思の弱い人と判断される、と。

 太っている人や、喫煙者の方は不愉快に思うかもしれない。
が、そういう面もないわけではない。
欲望に溺れるということは、理性によるコントロールが弱いということになる。
今の私が、そうだ。

●メタ認知能力

 そこでメタ認知能力の発動。
自分の脳の中で働く、空腹感のメカニズムを、自分で知る。

 (血糖値の低下)→(視床下部が認知)→……、と。

 わかりやすいのが性欲。
もっとも60歳を過ぎると、ガクンと性欲が減退する。
「沈没(チン没)」という言葉を使う人もいる。

(そう言えば、最近、タレントの加藤何某氏(69歳)が、女性と結婚したという。
女性は、20数歳だという。
その話を聞いて、まず心配したのが、「だいじょうぶだろうか」ということ。
そんな若い女性を、どうやって満足させるのだろう、と。
が、これはいらぬ心配。
それともひがみ?)

 性欲などは、一度満足させれば、ばあいによっては、数週間、遠ざかることができる。
が、食欲は、そうはいかない。
車のガソリンと同じ。
十分な量が供給されなければ、ガス欠状態になる。
今の私が、そう。
寒さが、何よりも、こたえる。

 ……こうして空腹感の中身を、自分を離れたところから分析する。
それがメタ認知能力。

●政治家

 食欲や性欲は、わかりやすい(?)。
コントロールできなければ、肥満体になる。
コントロールできなければ、家庭を崩壊する。
それこそまさに、「自業自得」。

 しかし権力欲は、そうでない。
1人の強欲者がいると、その何十倍、何百倍もの善良な人たちが犠牲になる。
政治の動きをながめていると、それがよくわかる。
反対にこう思うことも多い。

「あの政治家さえいなければ、もっと政治はよくなるのに」と。

 が、そういう政治家ほど、がんばる。
がんばって、めちゃめちゃなことを言ったり、したりする。

●泥沼の世界

 では、どうするか。

 私は学生時代、多くの政治家と接することができた。
日本から政治家がやってくると、まず領事から電話が入る。
「案内してやってくれませんか」と。

 よいアルバイトになった。
日本人の留学生は、あのメルボルン市(人口300万人、当時)でも、私1人だけだった。
中には、よど号ハイジャック事件で北朝鮮に渡った、YM運輸政務次官もいた。
そういったコネを使えば、私は、そのまま政治家の道に入ることもできた。
が、その入り口で、足を止めてしまった。

 際限のない世界。
わかりやすく言えば、泥沼。
金と権力、それにどす黒い欲望が渦巻く世界。
それが政治家の世界だった。
20歳そこそこの私にも、それがよくわかった。

 結論から先に言えば、権力欲には、ブレーキは働かない。
最後の最後まで、突っ走ってしまう。
そして結果的に、みな、NOTHINGの状態になって終わる。
たとえて言うなら、食べ過ぎて、最後は、体がパンクする。
そうなる。

●ダイエット

 夕食から1時間ほどが過ぎた。
先にも書いたように、いつもの4分の1程度。
空腹感さえ消えれば、それでよい。
あとは、それを繰り返す。

 で、そのダイエット。
1週間前後もつづけていると、胃袋そのものが、小さくなる。
ほんの少量で、そこそこの満腹感を得られるようになる。
そのあたりが、峠。
体重が減り始めるのも、そのころ。
それまでは、なかなか減らない。
が、減り始めると、1週間に1キロ前後ずつ減っていく。

 あとは適正体重。
その適正体重になると、身も、ついでに心も軽くなる。
頭もすっきりとしてくる。
その快感は、ダイエットに成功したものだけが知っている。
いわば(ごほうび)。
それを知っているから、ここはがんばるしかない。

 ……それにしても、どうして私は定期的にダイエットを繰り返すのか。
年中行事にもなっている。
その分だけ、意思が弱いということになるのか。
が、あえて弁解するなら、こういうこと。

 旅行とダイエットは、切っても切れない縁でつながっている。
旅行をすれば、旅館やホテルに泊まる。
そのつど、どうしても食べ過ぎてしまう。
太る。

ア~ア。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(注※……食欲と性欲)

食欲中枢と性欲中枢について書いた原稿が、
つぎのもの。
日付は、2009年7月27日になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●満腹中枢と摂食中枢(男と女)(Man and Woman)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

脳幹に視床下部と呼ばれる部位がある。
その中に、「食欲中枢」と呼ばれる部分がある。
その食欲中枢は、満腹中枢と摂食中枢に分かれる。
満腹中枢というのは、「お腹(なか)がふくれた」という
ことを感じ取る部分。
摂食中枢というのは、「お腹がすいた」ということを
感じ取る部分。

ここまでは私も知っていたが、最近、こんなことを
知った。

女性の性欲本能、つまりSックス中枢は、このうちの
満腹中枢に隣接しているという。
一方、男性の性欲本能、つまりSックス中枢は、
摂食中枢に隣接しているという(「人体の不思議」日本文芸社)。

新しい考え方、ゲット!

(ネット禁止用語に抵触するため、「交尾行為」を、「Sックス」など
というように、表記します。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●男性と女性のちがい

 「人体の不思議」(上述)は、こう書いている。

『……一般に、女性は恋愛をすると食欲を感じなくなることがあるといわれますが、それは、このSックス中枢が活発に働くため、満腹中枢までもが満たされているからとも考えられます。
 
 男性のSックス中枢は、女性とは異なり、空腹を感ずる摂食中枢に隣接しています。
生命の危険を感ずると、男はB起してしまうといわれることもありますが、これもSックス中枢の位置に関係していそうです。

 つまり飢餓で死に直面すると、なんとしてでも種族を保存しなくては、という感情が起こるように脳がつくられているのです』と。

 しかも、だ。
第一性欲中枢(異性を求める性欲中枢)について言えば、男性のそれは、女性のそれの約2倍もの大きさがあるという。
つまりその分だけ、男性のほうが、Sックスに関して、女性より攻撃的ということになる。

 なるほど!

 で、これで今まで私が感じていた謎のいくつかが、解けた。
男性と女性の、(性)がもつ、基本的な(ちがい)といってもよい。
その理由が、わかった。

●男と女

 所詮、人間も動物。
同じというか、どこもちがわない。
動物時代からの本能(脳幹)を、しっかりと保持している。
が、こうした本能、つまり脳自体が構造的にもつ能力のままに行動したら、「人体の不思議」の中にもあるように、人間社会は、メチャメチャになってしまう。

 そこでこうした本能をコントロールするのが、大脳連合野ということになる。
(私はこの仮説を、すでに10年以上も前から、考えていたぞ!)
人間のばあい、大脳連合野の発達がとくに進んでいる。
その大脳連合野が、中心部からわき起きてくる(性欲)を、コントロールする。
それが「知性」ということになる。

 それにもし男性のみならず、女性までもが、性欲について攻撃的になったら、それこそたいへんなこと(?)になってしまう。
人間もいたるところで、交尾を始めるようになるかもしれない。
(反対に女性のように、男性までもが、受動的になってしまっても、困るが……。)
要するに、長い間の進化の過程を経て、人間も、「実にうまく」できているということになる。

●満腹中枢vs摂食中枢

 満腹感を感ずる満腹中枢。
空腹感を感ずる摂食中枢。
何かのタンクの警報機にたとえるなら、満タン警報機と、カラ警報機ということになる。
それを脳の中心部にある視床下部という部位が、担当している。
私自身も、実は、こうした機能について、「本で読んで知った」というだけの立場でしかない。
が、それにしてもおもしろい。

 が、疑問がないわけではない。

 女性のSックス中枢は、満腹中枢の隣にある。
男性のSックス中枢は、摂食中枢の隣にある。
それはわかるが、これらの両社はそれぞれ、どのように関連しあっているのか?
単純に考えれば、女性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に満腹中枢も刺激され、満腹感が生まれるということになる。

 他方、男性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に摂食中枢も刺激され、空腹感が生まれるということになる。

 ……あるいは、その反対なのか?

 そこで自分自身のことを振り返ってみる。
(私も「男」だぞ!)

 腹が減ったときと、満腹のときと、どちらのときのほうが、性欲をより強く感ずるか?
……というより、経験的に、Sックスしたあとなど、よく空腹感を覚えることがある。
(あるいまはげしい睡魔に襲われることも多い。)
「終わったから、食事に行こうか」というような会話を、ワイフとした記憶がある。
……あるいは、その逆かもしれない。

 ともかくもどのように影響しあっているのか、それがよくわからない。
あるいは、影響しあうといっても、そのレベルの話ではないのかもしれない。
たとえばここでいう「空腹感」というのは、「危機状態」をさすのかもしれない。
それも極限的な危機状態。
その本にも書いてあったが、生命の危機を覚えたりすると、B起することもあるそうだ。
「最後に種族を残そう」という本能が働くためらしい。

 どうであるにせよ、たいへん興味深い。
「私は私」と思って、みな、考え、行動している。
が、実際のところ、脳に操られているだけ。
それだけは確かなようだ。

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Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
 

●恩師、平井孝一先生のこと

2012-03-04 13:27:47 | 日記
●映画『ヒューゴの不思議な発明』

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

夕方になって、ワイフが、こう言った。
「『ヒューゴの不思議な発明』を見に行かない?」と。
昨夜、『戦火の馬』を見たばかり。
「2晩つづけてかア?」と私が聞くと、「浜北へ行けばいい」と。

浜北(浜松市の北区)には、もうひとつ、別の東宝映画劇場がある。
「別に劇場の問題ではないのだがなア……」と思いながらも、それに従う。
ネットで調べると、午後6時5分、開演とある。
45分しかない……ということで、あわてて車に飛び乗る。

「どうしてわざわざ遠方の劇場へ行くのか?」と、
そんなことを考えながら、車を走らせる。
浜松市内にも、劇場がある。
市内だったら、20分もかからない。

で、劇場へ着いたのが、6時10分。
チケットを買っていると、カウンターの女性が、こう言った。
「今は、予告編です」と。

最近、予告編の時間が長い。
……長くなった。
1回に、5~6作は、見せる。
時間を計ってみたことがあるが、15~20分。
つまり6時5分といっても、実際、映画が始まるのは、6時25分ごろ。
あわてる必要はない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●映画『ヒューゴの不思議な発明』

 言葉の問題。

「ヒューゴの不思議な発明」というタイトルを見たら、あなたは何を、どう連想するだろうか?
たぶん、こう考えるにちがいない。
「ヒューゴという少年が作った、何か不思議な発明」と。
私も、実は、そう思っていた。

 が、ヒューゴは、実際には何も発明していない。
古い機械人形をフィックスした(=直した)だけ。
つまりタイトルがおかしい。

 そこで原作を調べてみると、「Hugo(ヒューゴ)」となっていた。
ただの「Hugo」だけ。
「ヒューゴの不思議な発明」というのは、「ヒューゴのもっていた」という意味。
つまり所有格。

 主役というより、「柱」は、ベン・キングズレーが演ずるジョルジュ・メリエス。
映画の途中から、私は、同年齢ということもあって、ジョルジュ・メリエスのほうに強くひかれた。
ヒューゴというより、メリエスのほうに、感情移入をしてしまった。
過去の成功や栄華を懸命に忘れようとしている、メリエス。
そこに強く共感した。

 子ども向けの子ども用映画ということであれば、ヒューゴということになる。
ヒューゴが主役。
そういう意味では、子ども向けのファンタジー映画ということになる。
星は文句なしの、5つ星。★★★★★。
『ネバー・エンディング・ストーリー』と並ぶ、名作と考えてよい。

 また、ジョルジュ・メリエスについては、ほぼ実話ではないかと思われる。
ファンタジー映画の、まさに先駆者。

 ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『ジョルジュ・メリエス

 マリー=ジョルジュ=ジャン・メリエス(Marie Georges Jean Méliès、1861年11月8日1938年1月21日)は、フランスの映画製作者で、映画の創生期において様々な技術を開発した人物である。
パリ出身。
「世界初の職業映画監督」と言われている。
SFXの創始者で、多重露光やディゾルブ、ストップモーションの原始的なものも開発した。
もともとはマジシャンで劇場経営者であったが、1895年、同じくフランスのリュミエール兄弟による映画の公開を見て、映画製作に乗り出した。
彼の最も有名な作品は1902年の映画『月世界旅行』である。
題名の通り月へ探検に行く物語だが、1本の映画の中で複数のシーンがあり、物語が存在するという、当時としては画期的なものであった』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

●1861-1938

 ジョルジュ・メリエスは、77歳で没していることになる。
本当にパリ鋭気構内で、おもちゃ屋を営業していたかどうかは、知らない。
映画の中では、そのころヒューゴと知りあったことになる。
が、やはり気になるのは、「過去の成功や栄華を懸命に忘れようとしている、メリエス」という部分。

 彼が手がけていたファンタジー映画は、第一次世界大戦とともに、闇に葬られる。
フィルム(=セルロイド)のほとんどは、再利用され、女性の靴のかかとになったという(映画)。
メリエス自身も、「映画の流行は一過性のもの」と思っていたらしい(映画)。
が、私は、その映画を見ながら、高校時代の恩師、平井孝一先生を思い出していた。
話がぐんと脱線するが、許してほしい。

●平井孝一先生

 私が知りあったとき、平井孝一先生は、70歳を過ぎていた。
75歳前後ではなかったかと記憶している。
美濃市の南、山沿いにあった小さな集合住宅に住んでいた。
本当に小さな集合住宅で、2間ほどしかなかったと思う。
国語の元先生だった。

 私は高校1年から2年まで、その先生から古文を学んだ。
週に1度、先生の家に行き、個人レッスンを受けた。
おかげでというか、当時は全国規模の古文だけの試験があり、私は全国で8位の成績を収めることができた。
(受験者数は、全国で30万人前後だったと記憶している。)

 平井孝一先生は、もともと郷里の美濃市出身だった。
実家から150メートルもない、造り酒屋の身内の1人と聞いていた。
その平井先生と縁をつないでくれたのは、母だった。
母が、平井孝一先生に、家庭教師を頼んでくれた。

 それはともかくも、ある日平井孝一先生は、1冊の本を私にくれた。
古語辞典だった。
それには、「平井孝一編」とあった。
私は驚いた。
今とちがい、当時は、「本」というだけで、たいへんな価値があった。
戦時中に印刷されたもので、見るからに疲れた感じの本だった。
が、本は本。
ズジリと重かった。
その平井孝一先生が、ある日、こう言った。

「私はね、岩国高校で、校長をしていたんですよ※」と。

 岩国高校というのは、広島県岩国市にある高校である。
「ほら、錦帯橋(きんたいばし)という橋があるでしょ。学校は、あの橋のそばにありましたよ」と。

 そのときはじめて、私は、平井孝一先生が、たいへんな人物であったことを知った。
小さな集合住宅に住んでいたから、それまではその程度の人としか思っていなかった。

が、先生は私に古文を教えながら、一言も、それ以外、自慢たらしいことは言わなかった。
自分の過去についても、私に話してくれたのは、2年間で、それだけ。
理由はわからない。
ともかくも、平井孝一先生という人は、そういう先生だった。

(注※……平井孝一先生の略歴・岩国高校ホームページ)
http://www.iwakuni-h.ysn21.jp/soumu/principal/principal.html
岩国高校のホームページによれば、平井孝一先生は、昭和18年4月から、昭和21年3月まで、岩国高校で校長をしていたことがわかる。
(昭和24年に、岩国中学から学制改革により、岩国高校となる。)

 映画を見終ってから、家に着くまで、私は平井孝一先生のことを考えていた。
私が大学生のとき、平井孝一先生は亡くなった。
が、私は葬式にも行かなかった。
そういう負い目を感じていたので、私は、ワイフには、平井孝一先生の話はいっさい、しなかった。

●過去

 メリエスにかぎらず、人には、それぞれ重い過去がある。
が、そうした過去が、正当に評価されるということは、まず、ない。
本当に、一部の、しかも本当に運がよかった人だけが、晩年になって、注目を集める。
再評価される。

 平井孝一先生にしても、そうだ。
岩国高校は、江戸時代の(養老館)藩学校から始まる。
岩国高校のホームページによれば、明治13年創立とある。
たいへんな伝統校と考えてよい。
そんな高校の、元校長だった。

 が、郷里の美濃市で、平井孝一先生を知っている人は、ほとんどいなかった。
元高校の教師だったということを知っている人もいなかっただろう。
私の記憶にまちがいがなければ、そのとき平井孝一先生には、子どもはいなかった。
先に書いた集合住宅にも、妻と2人だけで、静かに……というより、ひっそりと暮らしていた。

 ……どうしてだろう?
平井孝一先生には、子どもはいなかったのだろうか。
ふと今、大きな疑念が私の心の中で、渦を巻き始めた。
どうしてだろう?

●平井孝一先生

 郷里の知人に電話をする。
その結果、平井孝一先生は、美濃市内の今廣酒造店の親類の人とわかった。
電話をすると、電話口の女性は、こう言った。
「平井孝一は、うちの親戚の者です」と。

私「昔、お世話になった、林という者です。平井先生の消息を聞きたくて電話しました」
女「はあ、ずいぶん前に亡くなりましたよ」
私「岩国高校で、校長をなさっておられた平井孝一先生です」
女「そうです。まちがいありません」
私「で、先生のことを調べ、原稿にしているのですが、……先生にはご家族の方がいらっしゃったのでしょうか」
女「いますよ。娘さんですが、今年、88歳になられますよ」と。

 平井孝一先生には、娘さんがいた。
私が知りあったころには、すでに39歳だったとうことになる。
現在は、隣町の関市に、住んでいるという。
よかった!

 娘さんが近くにいたということを聞いただけで、ポーッと心が暖かくなった。
ささやかだが、こうして今、平井孝一先生のことを、記録に残すことができる。

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●ジョルジュ・メリエス

 もし『ヒューゴの不思議な発明』という映画を見なかったら……。
私はここでジョルジュ・メリエスという人を、もう死ぬまで知ることはなかっただろう。
ただ部分的には、記憶に残っていないわけではない。
あのガラス張りのスタジオにしてもそうだ。
何かの記録映画で、それを見たことがある。
あの『月世界旅行』にしても、何度か見たことがある。

 ただ今回、『ヒューゴの不思議な発明』を見て、見方が180度、変わった。

 若いころ、その映画を見たときには、何というチャチな映画だろうと思った。
そう思った記憶が、映画の内容より、しっかりと残っている。
が、今は、ちがう。
当時の人たちは、100%、あの映画を見て、肝を抜かれたにちがいない。
驚き、笑ったにちがいない。
この私だって、小学3年生のころ、テレビなるものを見て、仰天した記憶がある。
テレビにはカーテンがつけられ、みな、正座してそれを見た。
祖父はこう言った。

「浩司、こちらから向こうが見えるということは、向こうからもこちらが見えるということだ」と。

 祖父は本気でそう信じていた。
だからカーテンをつけた。
正座した。
ついでに言えば、テレビの司会者などに向かって、本気であいさつをしていた。

いわんや、第一次大戦前のフランス。
当時の人の気持ちがよくわかる。
わかるだけに、「チャチ」という言葉は、吹き飛んでしまった。
『ヒューゴの不思議な発明』は、そういう点でも、すばらしい映画だった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ヒューゴの不思議な発明)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司