最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●ハナ、さようなら!

2012-01-22 10:15:07 | 日記
【ハナの死】 はやし浩司 2012ー01-21 午後11時40分

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http://youtu.be/t3j9uWTfbms

●ハナの最期

ハナ、さようなら!.jpg

 名前は、「ハナ」。
本当は、「シルビア」とか、「グレイシア」とか、そんなような名前にしたかった。
が、息子が、「花子」にした。
つぎに「華(はな)子」にした。
しかしその直後に、友人に娘が生まれ、名前を「華子」とした。
「まずい」と思い、それで、「ハナ」にした。

そのハナ。
メスの犬だが、どう見ても、男。
ポンター種は、どれもいかめしい顔つきをしている。

 みなは、「怖そうな顔」という。
しかし私は一度も、そう思ったことはない。
我が家の家族になってから、このかた、一度も、そう思ったことはない。
……というか、私にはかわいい。
かわいいというより、美人。

 我が家へ来てから1週間、毎晩、私はハナを懐に抱いて寝た。

●晩年

 そのハナが歩くとき、よろけるようになった。
その前に、食事が細くなった。
やがて好物にも、口をつけなくなった。
同時に、やせ始めた。

●末期

 ハナが、夜中に、ときどき、甘えるように泣くようになった。
痛いのか……?
寒いのか……?

 ハナは、庭で放し飼いにしている。
犬小屋は、母屋の隅にある。
鳴くようになってから、その犬小屋を、別の隅に移した。
私たちの寝室の真横になる。
そこなら電気が引ける。
様子がよくわかる。

私は、そこに電気ストーブを置いた。
温風機も置いた。

●「ぼくの友」

 ワイフに叱られることを覚悟で、私の使っていた布団を一枚、その上に敷いた。
まわりを座布団で囲んだ。
ハナはしばらく、布団を足でこすっていた。
どこかが痛いのか……?

 好物だった、菓子やソーセージを口までもっていった。
ハナは食べなかった。
チーズも食べなかった。
しばらく頭をさすってやった。
「お前は、ぼくの友だちだよ」と。

 とたん大粒の涙が、頬を流れた。

●思い出

 ハナとの思い出は、山のようにある。
ひょっとしたら、息子たちのそれより、濃厚かもしれない。
ハナは、私を一度も裏切らなかった。
一度も、不平や不満を言わなかった。
この19年間、家に帰ると、一度も欠かさず、私を迎えてくれた。
尻尾を振り、飛びついてきてくれた。

 そのしぐさに、どれほど癒されたことか。

 天気のよい日は、いつも近くの海まで散歩した。
自転車で、10分ほどの距離。
中田島砂丘という、砂丘がある。
そこまで行き、首輪をはずしてやった。

ハナは、いつまでも、いつまでも走りつづけた。
小さな点になり、見えなくなるまで、走りつづけた。

●「海!」

 夕方には、ほとんど動かなくなった。
ワイフと息子が、そばにいた。
もう一度、チーズを一切れ、口に入れてみた。
食べなかった。

 ワイフが、水を湿らせたコットンをもってきた。
それは、飲んだ。
そのつど、大きな声で、「ハナ!」と呼ぶと、ひとみを大きく動かした。
「海!」「海!」と叫ぶと、息が荒くなった。

 元気なころは、「海!」の一声で、ハナは、興奮状態になった。

●老齢

 そんなハナだったが、そのうち体力も落ちてきた。
歩いて5分ほどのところに、佐鳴湖という湖がある。
1周すると、6~7キロになるだろうか。

 若いころは、私がこぐ自転車より速く走った。
が、数年前から、途中で、走れなくなってしまった。
そんなハナを、私はカゴに乗せ、家まで戻った。

●涙

 ハナの頭をさすってやった。
「痛いのか……?」と。

 ハナは何も言わなかった。
穏やかな表情で、私を見上げた。
時間が流れた。
10分……、20分……。

 「お前はぼくの友だちだよ」と。
とたん、また大粒の涙がこぼれ落ちた。
そのときのこと。
ハナが私の顔をのぞきこむようにして、見た。
ふだんは、恥ずかしがり屋で、めったに視線を合わせようとしない。
そんなハナが私の顔をみつめた。

 それを見て、また大粒の涙がこぼれた。

 ……居間に戻ると、ワイフがそこにいた。
私は黙ったまま、お茶を飲んだ。
飲みながら、こう言った。

「あんな……犬でもねえ……」と。

それだけ口にするのが、精一杯だった。
「あんな犬でもねえ、……感情が……あるんだよ……」と。

またまた大粒の涙が、頬を伝った。

「あの……ハナがねえ……、ハナがねえ……、ぼくの顔を見てねえ……、涙を流したんだよ……」と。

 あとは言葉にならなかった。

●最期

 夜、6時ごろ。
あたりは真っ暗になった。
電気ストーブの横に、枕元ランプを置いた。
電気アンカも、その下に置いた。

 息子が、ずっと頭をさすっていた。
何も言わず、頭をさすっていた。

 はげしかった息づかいも、静かになった。
ハナは、眠ったように静かになった。
目は閉じたままだった。

 息子は、いつまでもそこにいた。
「風邪をひくから、中に入れ」と言っても、そこにいた。
いつまでも、いつまでもそこにいた。

●死去

 ハナは、午後11時40分ごろ、息を止めた。
最期に大きく首をもたげ、その首を下へ落とすと同時に、呼吸が止まった。
胸に手を当てると、心臓が小刻みにブルブルと震えているのがわかった。
が、やがてその振動も止まった。
私は窓を叩き、ワイフを呼んだ。
息子を呼んだ。

静かな夜だった。
私が泣き、息子も泣いた。
ワイフも窓の向こうで、顔を押さえた。

冷たい小雨の降る夜、ハナは、この世を去っていった。

2012年01月21日午後11時40分。

 さようなら、ハナ!
今まで、ぼくを守ってくれて、ありがとう!
本当にありがとう!
お前は、ぼくの命の恩人だよ!

【補記】以下、2012年01月09日の日記より

●ハナ

 ハナが、今日、玄関の階段を登るとき、足を踏み外し、よろけた。
うしろ足が、体についてこないといったふうだった。

 もう、目は、ほとんど見えない。
今朝も牛乳を温め、そばに置いてやった。
が、それも飲まなかった。

 昼になって、牛肉を炒め、その上にバターをかけてやった。
いつもなら匂いだけで、小屋から飛び出てきた。
が、今日は体を丸めたままだった。

 ワイフに「毛布はないか?」と言うと、ワイフが、毛布をもってきてくれた。
その毛布と、ハナのタオルケットを二枚重ね、ハナの体にかぶせた。
しっぽが、小屋の壁を叩く音がした。
そのとき、ジンと目頭が熱くなり、涙が数滴こぼれた。

 「ハナ、暖かくなったら、また海へ行こうな」と。

 若いころ、ハナは、中田島の砂丘へ連れていくと、数秒も間をおかず、走り回っていた。
カラスを追いかけた。
そんな思い出が、つぎつぎと浮かんでは消えた。

私「最期が近いみたい……」
ワ「……」と。

 夕日を見ていたら、また涙が数滴、私の頬を流れた。

(ハナは、この13日後の、今夜、1月22日、他界しました。
1993年1月1日生まれ。
我が家へ来たのは、1993年3月末、享年 19歳)

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(補記)

 庭を見ると、いつもハナはそこにいた。
そのハナは、もういない。
「3人だけになってしまったね……」とワイフ。
「そうだね」と私。

 ハナ、またあの世で会おうね。
待っていてよ!


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司