● 朋有り、遠方より来たる。また楽しからずや。
「有朋自遠方来 不亦楽 」(論語)
++++++++++++++++++++++++
オーストラリアからの友人を連れ、今日は浜北にある、
樹香庵(森林公園内、森の家)へやってきた。
前から計画していた。
予約を申し込んだのは、2か月以上も前のこと。
台北での学会の途中、この日本に寄ってくれた。
++++++++++++++++++++++++
●入浴
入浴は4時からだった。
着いたのは、ちょうどその少し前。
夕食前に……ということで、風呂に入った。
熱い湯だったが、気持ちよかった。
出ると、風邪が抜けていた。
よかった。
●L君の消息
共通の友人にL君がいる。
そのL君の話になった。
私も、その友人も、もう30年以上会っていない。
「どうしたんだろう?」と。
友「Facebookに書き込みをしておいたが、返事がない」
私「Facebook……。つぎからつぎへと書き込みがあるから、いちいち返事を書くのがめんどうになる。L君も、きっとめんどうなのだろう」
友「でも、ぼくなのだから、返事を書くべきだ」と。
同じ学部だった。
友人は中国学科、L君は日本学科。
当時、メルボルン大学の東洋学部(オリエンタル・スタディズ)には、2つの学科で、10~15人しかいなかった。
その中のL君である。
●樹香庵
樹香庵には、たびたび泊まらせてもらっている。
浜松の北では、イチオシの一軒宿。
(ただしお勧めは、樹香庵だけ。その理由は、あとで……。)
これだけの自然環境を、フルに利用した宿は、そうはない。
半径1~2キロは、深い緑に、すっぽりと包まれている。
また高台にあって、眼下に、旧浜北市の市外を見下ろす。
とくに夜景がすばらしい。
食事は、隣のレストランでとることになっているが、季節もよく、苦にならない。
書き忘れたが、私たち夫婦はその北隣にある別棟の一室に、部屋を借りた。
●夜景
……今は、午後7時39分。
5時半ごろレストランに入り、今までそこで時間を過ごした。
いろいろ話したが、少し疲れた。
日本語と英語を交互に使っていると、疲れる。
疲れるから、よけいに頭の切り替えができない。
「疲れたから……」と言って、早めに自分の部屋に戻ってきた。
内障子を開けると、美しい夜景が目に飛び込んできた。
私は、それをそのままビデオに収めた。
●芸当
二度目の風呂から帰ってきて、ワイフがこう言った。
「老後になって、こんなところに泊まれるなんて、幸せね」と。
珍しくワイフが、本音を漏らした。
めったに手の内を見せない。
自分の弱みを見せない。
そのワイフがそう言った。
楽天的というか、ささいなことの中から、喜びを見出していく。
うつ病とは無縁の世界に住んでいる。
私にはできない芸当。
●満足感
……こういう幸せなときには、何を書いたらよいのかわからない。
頭の中には、甘い陶酔感が残ったまま。
書いて、自分の気持ちを吐き出したくない。
そんなブレーキが働く。
……といことで、今夜は、いやな予感を覚えながらも、午後9時半、就寝。
●ドンチャン騒ぎ
レストランで夕食をとっているとき、東側に、15~7人のグループ。
西側に、10人前後のグループが陣取った。
平日ということもあって、ともに、どこかの作業員?
私たちがちょうど到着するころ、同じようにしてそれぞれの車でやってきた。
レストランでも、大声で騒いでいた。
傍若無人。
その人たちが、ちょうど私たちの部屋の上、つまり2階で、二次会を始めたらしい。
(それとも三次会?)
まさにドンチャン騒ぎ。
ギャーギャー、ドスン、バタン……。
あとで知ったが、この「森の家」は、木造。
二階の騒動が、そのまま階下に伝わってくる。
まずワイフが目を覚ました。
つづいて私も目を覚ました。
時計を見ると、午後11時。
30分ほどがまんしたが、ワイフがギブアップ。
フロントに電話をかけ、苦情を告げた。
しばらくすると、少し静かにはなったが、今度は廊下をドカドカと歩き回る音。
やっと静かになったと思って時計を見ると、12時。
物音は、午前1時ごろまでつづいた。
●宿としては、最悪
私たちはいつも樹香庵に泊まっていた。
先に、「イチオシ(一押し)」と書いたのは、その樹香庵をいう。
私たちが今夜泊まっている部屋は、別棟。
1階の106号室。
「研修所」とあるところからもわかるように、「宿」にはならない。
壁は薄く、1階と2階を隔てる、天井も薄い。
「旅館」というよりは、巨大なバンガロー。
料金が安いのはありがたいが、それを勘案しても、失望感は大きい。
つまり「宿」としては、最悪。
「のんびりと温泉に……」という雰囲気はまったくない。
「宿」として泊まるなら、樹香庵へ。
「二度と宿泊棟には、泊まらないぞ」と、心に決める。
●パソコン
今、時刻は午前2時56分。
障子戸の向こうには、浜北の町が見える。
美しく、宝石のように輝いている。
私はこうして寝損ねて、パソコンを叩いている。
が、こういう時間は、嫌いではない。
パソコンさえ手元にあれば、時間をもてあますということはない。
こうして好き勝手なことを書いていればよい。
●急性咽頭炎
今朝、いつもの医院へ行くと、「急性咽頭炎」と診断された。
今朝、起きるとき、のどが痛かった。
で、そのとき2種類の薬を処方してもらった。
そのどれかが、体に合わないらしい。
起きたときから、軽い不快感。
気持ちが悪い。
手の届くところに、水はない。
お湯もない。
眠りそこねてしまった。
こういうときは、自然体。
このまましばらく、思いつくまま、文を書いてみる。
●協議が行き詰る
たった今、ニュースサイトを開いてみた。
ひとつは円が、とうとう1ドル=75円台に突入したという記事。
もうひとつは、バンコク全体が、浸水する可能性が出てきたという記事。
75円台に突入したということは、EUの代表者会議が不調に終わったということ。
ついでにアメリカのダウ(株式)を見ると、午後2時現在、207ドル安。
Bloombergサイトで調べてみると、こうあった。
「10月26日(ブルームバーグ):第2次ギリシャ救済の一環であるギリシャ債保有者の損失をめぐり、銀行団と欧州連合(EU)の協議が行き詰まり、話し合いは一時中断されている。EU当局者が26日、明らかにした」(日本時間、27日、午前0時10分現在)。
借金の50~60%の棒引きを迫る、欧州連合。
それを拒否する、銀行団。
銀行団がそれに応ずれば、それぞれの銀行の格付けは、大幅にさがる。
あるいはデクシア(先日、経営破綻)のように、つぎつぎと銀行が破綻する。
応じなければ、EUそのものが、崩壊する。
両者ともに、引くに引けない、土壇場に追いつめられている。
その結果が、1ドル=75円台ということか。
●日本は……?
日本とて、無事にすむわけがない。
今のところ「中断」ということだが、これが「決裂」ということにでもなれば、……?
2、3週間前のある週刊誌(名前は忘れた)に、こうあった。
どこかの経済学者が書いたものだった。
「外債はすぐ売れ。金(ゴールド)は手放すな」と。
すでにいくつかのメガバンク、証券会社の経営危機が取りざたされている。
「何とかなるだろう」と、もしあなたが思っているなら、それは甘い。
ギリシャはともかく、(というのは、ギリシャの経済規模は神奈川県程度)、イタリアやスペインとなると、そうはいかない。
桁が2桁もちがう。
それにしても、銀行は罪なことをしたものだ。
ほんの数年前には、銀行の窓口で、外債の購入を勧めていた。
うるさいほど顧客に勧めていた。
そういう勧めに応じて外債を購入した人たちは、少なくない。
今、例外なく、大きな損失を出している。
●バンコク
バンコク全体が、浸水する可能性が出てきたという。
ニュースなどでは、土嚢を積んで防止しようとしているようだが、下水道などを逆流してくる水もある。
そういった水は、防ぎようがない。
3・11大震災前なら、こうした「ありえない事件」に驚いたが、今は、そうではない。
ありえないことが、つぎつぎと起こる。
日本のメガバンクや、1、2位を争う証券会社が経営破綻に陥っても、今は、驚かない。
バンコク全体が、水没しても、今は、驚かない。
ついでにEUが崩壊しても、今は、驚かない。
もちろんそれを望んでいるわけではない。
できれば世界は平和であってほしい。
しかし同時に、3・11大震災とそれにつづく原発事故が、ただの悪夢であってほしかった。
2011年……今年は、日本にとっては、たたり年だった。
大震災に原発事故。
加えてタイの大洪水。
それにしてもバンコクに、これほどまでに多く、日系企業が進出しているとは知らなかった。
(注:たった今、NIKKEI(日本経済新聞)サイトを見たら、1ドル=76円台に、またアメリカの株式(ダウ)は、プラスに転じている。
少しだけ、ホッとした。)
●10月27日、満64歳
暗い話はやめよう。
今夜は今夜。
ツゥナイト(tonight)。
ワイフはやっと眠りについたようだ。
あの連中たちも、やっと静かになった。
今は、物音ひとつしない。
今日は、10月27日。
私の本当の誕生日は、10月27日。
父が役所に届けるとき、まちがえて10月28日にしてしまった。
それで10月28日が、私の誕生日になってしまった。
当時はそういう時代だった。
私の父は、またそういう人だった。
Happy Birthday to Me!
はやし浩司、満64歳!
●自由と孤独
自由と孤独は、ペアになっている。
よく子どもに、マッチングの問題を出す。
「テーブルと仲がいいのは?」と。
すると子どもたちは、「椅子」と答えたりする。
では、「自由と仲がいいのは?」と聞くと……こんな質問をしても意味はないが、答は「孤独」。
自由であろうとすればするほど、孤独が襲ってくる。
孤独がいやだとするなら、自由を犠牲にするしかない。
人々は、その微妙なバランスを保ちながら、生きている。
●老後
「私はどうだったか?」とよく考える。
「私はどう考えていたか?」と。
私にも青年時代があり、壮年時代があった。
そのとき、私は老人の住む世界を、どう考えていたか、と。
が、それがどういうわけか、ぼんやりとしたままで、輪郭が浮かび上がってこない。
言い換えると、私は、自分の老後はもちろん、老人の世界など、考えたことがなかった。
現在のほとんどの若者と同じように、「私は老人にはならない」と思っていた。
無頓着。
無関心。
が、こう考えていた。
「老人というのは、死んで当然の人たち」と。
が、誤解しないでほしい。
「死ね」ということではない。
「老人というのは、その分だけ、死に近い人たち。
だから死ぬことに対して、心の準備もできている人たち」と。
で、あるとき、恩師の松下哲子先生(幼稚園、元園長)にこう聞いたことがある。
そのとき松下先生は、84、5歳だったと思う。
「先生、年を取ると、死ぬのがこわくなくなりますか?」と。
すると松下先生は、こう言った。
「林さん、いくつになっても死ぬのは、こわいですよ」と。
●情
老後といっても、人によっては、20~25年もある。
1人の子どもが生まれ、成人するまでの年月に等しい。
長いといえば、長い。
その期間を、どう生きるか。
……というより、その準備をどうするか。
脳のCPUそのものが、鈍る。
クロック数も落ちる。
が、だからといって、感情が鈍るわけではない。
むしろ逆で、喜怒哀楽の情は、むしろ繊細になる。
外界の刺激に対して、心がより敏感に反応するようになる。
むしろ若い人たちのほうが、無神経。
前だけを見、前に向かって生きているから、横やうしろが見えない。
見えない分だけ、無神経。
●孤独
老後の最大のテーマは、孤独ということになる。
どう、その孤独を克服していくかということ。
だからこの日本では、昔から、こう言う。
『老後は、庭いじりと、孫の世話』と。
しかしそんなことで、20~25年は、過ごせない。
孫の世話というが、言うなれば、時間つぶし。
勉強がいやな子どもが、フリ勉、ダラ勉するのと同じ。
やらなくてもよいような、簡単な計算問題だけをし、時間をつぶすのと同じ。
「人間関係」とは言うが、相手が孫では、その人間関係もできない。
「老人は死ぬもの」と、子どもたちは考えている。
幼児なら、なおさら。
一度、こんな調査をしたことがある。
「おじいちゃんや、おばあちゃんが死んだとき、泣いた人?」と。
当時、10人前後の幼稚園児にそう聞いたことがある。
が、結果は、みなさんの想像どおり。
「泣いた」という子どもは、ゼロ。
いても、1人いるかいないかという程度。
そのことは祖父母の葬儀の席で、はしゃぎ回る幼児を見ればわかる。
●基礎
が、だからといって、孫の世話が無駄と言っているのではない。
要するに過度の期待と幻想はもたないこと。
孫の世話もよいが、ほどほどに!
これは「依存性」の問題に直結している。
一度、その依存性が一方向性をもつと、それは常に祖父母から孫への一方的なものになる。
孫の側からすれば、「してもらうのが、当たり前」となる。
が、一度、その依存性ができると、それを是正するのは、ほぼ不可能と考えてよい。
これは親子の間でも、同じ。
兄弟、親戚の間でも、同じ。
私たちはいつも、その限度をわきまえながら、生きる。
それがよりよき人間関係の基礎となる。
●もう寝よう
時刻は午前3時30分。
「もう寝よう」と、今、思った。
眠気が襲ってきた。
それにしても、騒々しいグループだった。
「研修」とは名ばかり。
まさに忘年会。
浜北森の家。
旅館としての利用は無理。
いや、ふつうの旅館なら、こういうヘマはしない。
女将なり、支配人が、注意する。
「静かにしてください」程度のことは言う。
とても残念な一夜だった。
今日は軽く眠り、家に帰って寝直そう。
2011年10月27日、朝、3時30分。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 森の家 森林公園 樹香庵)
Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司
「有朋自遠方来 不亦楽 」(論語)
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オーストラリアからの友人を連れ、今日は浜北にある、
樹香庵(森林公園内、森の家)へやってきた。
前から計画していた。
予約を申し込んだのは、2か月以上も前のこと。
台北での学会の途中、この日本に寄ってくれた。
++++++++++++++++++++++++
●入浴
入浴は4時からだった。
着いたのは、ちょうどその少し前。
夕食前に……ということで、風呂に入った。
熱い湯だったが、気持ちよかった。
出ると、風邪が抜けていた。
よかった。
●L君の消息
共通の友人にL君がいる。
そのL君の話になった。
私も、その友人も、もう30年以上会っていない。
「どうしたんだろう?」と。
友「Facebookに書き込みをしておいたが、返事がない」
私「Facebook……。つぎからつぎへと書き込みがあるから、いちいち返事を書くのがめんどうになる。L君も、きっとめんどうなのだろう」
友「でも、ぼくなのだから、返事を書くべきだ」と。
同じ学部だった。
友人は中国学科、L君は日本学科。
当時、メルボルン大学の東洋学部(オリエンタル・スタディズ)には、2つの学科で、10~15人しかいなかった。
その中のL君である。
●樹香庵
樹香庵には、たびたび泊まらせてもらっている。
浜松の北では、イチオシの一軒宿。
(ただしお勧めは、樹香庵だけ。その理由は、あとで……。)
これだけの自然環境を、フルに利用した宿は、そうはない。
半径1~2キロは、深い緑に、すっぽりと包まれている。
また高台にあって、眼下に、旧浜北市の市外を見下ろす。
とくに夜景がすばらしい。
食事は、隣のレストランでとることになっているが、季節もよく、苦にならない。
書き忘れたが、私たち夫婦はその北隣にある別棟の一室に、部屋を借りた。
●夜景
……今は、午後7時39分。
5時半ごろレストランに入り、今までそこで時間を過ごした。
いろいろ話したが、少し疲れた。
日本語と英語を交互に使っていると、疲れる。
疲れるから、よけいに頭の切り替えができない。
「疲れたから……」と言って、早めに自分の部屋に戻ってきた。
内障子を開けると、美しい夜景が目に飛び込んできた。
私は、それをそのままビデオに収めた。
●芸当
二度目の風呂から帰ってきて、ワイフがこう言った。
「老後になって、こんなところに泊まれるなんて、幸せね」と。
珍しくワイフが、本音を漏らした。
めったに手の内を見せない。
自分の弱みを見せない。
そのワイフがそう言った。
楽天的というか、ささいなことの中から、喜びを見出していく。
うつ病とは無縁の世界に住んでいる。
私にはできない芸当。
●満足感
……こういう幸せなときには、何を書いたらよいのかわからない。
頭の中には、甘い陶酔感が残ったまま。
書いて、自分の気持ちを吐き出したくない。
そんなブレーキが働く。
……といことで、今夜は、いやな予感を覚えながらも、午後9時半、就寝。
●ドンチャン騒ぎ
レストランで夕食をとっているとき、東側に、15~7人のグループ。
西側に、10人前後のグループが陣取った。
平日ということもあって、ともに、どこかの作業員?
私たちがちょうど到着するころ、同じようにしてそれぞれの車でやってきた。
レストランでも、大声で騒いでいた。
傍若無人。
その人たちが、ちょうど私たちの部屋の上、つまり2階で、二次会を始めたらしい。
(それとも三次会?)
まさにドンチャン騒ぎ。
ギャーギャー、ドスン、バタン……。
あとで知ったが、この「森の家」は、木造。
二階の騒動が、そのまま階下に伝わってくる。
まずワイフが目を覚ました。
つづいて私も目を覚ました。
時計を見ると、午後11時。
30分ほどがまんしたが、ワイフがギブアップ。
フロントに電話をかけ、苦情を告げた。
しばらくすると、少し静かにはなったが、今度は廊下をドカドカと歩き回る音。
やっと静かになったと思って時計を見ると、12時。
物音は、午前1時ごろまでつづいた。
●宿としては、最悪
私たちはいつも樹香庵に泊まっていた。
先に、「イチオシ(一押し)」と書いたのは、その樹香庵をいう。
私たちが今夜泊まっている部屋は、別棟。
1階の106号室。
「研修所」とあるところからもわかるように、「宿」にはならない。
壁は薄く、1階と2階を隔てる、天井も薄い。
「旅館」というよりは、巨大なバンガロー。
料金が安いのはありがたいが、それを勘案しても、失望感は大きい。
つまり「宿」としては、最悪。
「のんびりと温泉に……」という雰囲気はまったくない。
「宿」として泊まるなら、樹香庵へ。
「二度と宿泊棟には、泊まらないぞ」と、心に決める。
●パソコン
今、時刻は午前2時56分。
障子戸の向こうには、浜北の町が見える。
美しく、宝石のように輝いている。
私はこうして寝損ねて、パソコンを叩いている。
が、こういう時間は、嫌いではない。
パソコンさえ手元にあれば、時間をもてあますということはない。
こうして好き勝手なことを書いていればよい。
●急性咽頭炎
今朝、いつもの医院へ行くと、「急性咽頭炎」と診断された。
今朝、起きるとき、のどが痛かった。
で、そのとき2種類の薬を処方してもらった。
そのどれかが、体に合わないらしい。
起きたときから、軽い不快感。
気持ちが悪い。
手の届くところに、水はない。
お湯もない。
眠りそこねてしまった。
こういうときは、自然体。
このまましばらく、思いつくまま、文を書いてみる。
●協議が行き詰る
たった今、ニュースサイトを開いてみた。
ひとつは円が、とうとう1ドル=75円台に突入したという記事。
もうひとつは、バンコク全体が、浸水する可能性が出てきたという記事。
75円台に突入したということは、EUの代表者会議が不調に終わったということ。
ついでにアメリカのダウ(株式)を見ると、午後2時現在、207ドル安。
Bloombergサイトで調べてみると、こうあった。
「10月26日(ブルームバーグ):第2次ギリシャ救済の一環であるギリシャ債保有者の損失をめぐり、銀行団と欧州連合(EU)の協議が行き詰まり、話し合いは一時中断されている。EU当局者が26日、明らかにした」(日本時間、27日、午前0時10分現在)。
借金の50~60%の棒引きを迫る、欧州連合。
それを拒否する、銀行団。
銀行団がそれに応ずれば、それぞれの銀行の格付けは、大幅にさがる。
あるいはデクシア(先日、経営破綻)のように、つぎつぎと銀行が破綻する。
応じなければ、EUそのものが、崩壊する。
両者ともに、引くに引けない、土壇場に追いつめられている。
その結果が、1ドル=75円台ということか。
●日本は……?
日本とて、無事にすむわけがない。
今のところ「中断」ということだが、これが「決裂」ということにでもなれば、……?
2、3週間前のある週刊誌(名前は忘れた)に、こうあった。
どこかの経済学者が書いたものだった。
「外債はすぐ売れ。金(ゴールド)は手放すな」と。
すでにいくつかのメガバンク、証券会社の経営危機が取りざたされている。
「何とかなるだろう」と、もしあなたが思っているなら、それは甘い。
ギリシャはともかく、(というのは、ギリシャの経済規模は神奈川県程度)、イタリアやスペインとなると、そうはいかない。
桁が2桁もちがう。
それにしても、銀行は罪なことをしたものだ。
ほんの数年前には、銀行の窓口で、外債の購入を勧めていた。
うるさいほど顧客に勧めていた。
そういう勧めに応じて外債を購入した人たちは、少なくない。
今、例外なく、大きな損失を出している。
●バンコク
バンコク全体が、浸水する可能性が出てきたという。
ニュースなどでは、土嚢を積んで防止しようとしているようだが、下水道などを逆流してくる水もある。
そういった水は、防ぎようがない。
3・11大震災前なら、こうした「ありえない事件」に驚いたが、今は、そうではない。
ありえないことが、つぎつぎと起こる。
日本のメガバンクや、1、2位を争う証券会社が経営破綻に陥っても、今は、驚かない。
バンコク全体が、水没しても、今は、驚かない。
ついでにEUが崩壊しても、今は、驚かない。
もちろんそれを望んでいるわけではない。
できれば世界は平和であってほしい。
しかし同時に、3・11大震災とそれにつづく原発事故が、ただの悪夢であってほしかった。
2011年……今年は、日本にとっては、たたり年だった。
大震災に原発事故。
加えてタイの大洪水。
それにしてもバンコクに、これほどまでに多く、日系企業が進出しているとは知らなかった。
(注:たった今、NIKKEI(日本経済新聞)サイトを見たら、1ドル=76円台に、またアメリカの株式(ダウ)は、プラスに転じている。
少しだけ、ホッとした。)
●10月27日、満64歳
暗い話はやめよう。
今夜は今夜。
ツゥナイト(tonight)。
ワイフはやっと眠りについたようだ。
あの連中たちも、やっと静かになった。
今は、物音ひとつしない。
今日は、10月27日。
私の本当の誕生日は、10月27日。
父が役所に届けるとき、まちがえて10月28日にしてしまった。
それで10月28日が、私の誕生日になってしまった。
当時はそういう時代だった。
私の父は、またそういう人だった。
Happy Birthday to Me!
はやし浩司、満64歳!
●自由と孤独
自由と孤独は、ペアになっている。
よく子どもに、マッチングの問題を出す。
「テーブルと仲がいいのは?」と。
すると子どもたちは、「椅子」と答えたりする。
では、「自由と仲がいいのは?」と聞くと……こんな質問をしても意味はないが、答は「孤独」。
自由であろうとすればするほど、孤独が襲ってくる。
孤独がいやだとするなら、自由を犠牲にするしかない。
人々は、その微妙なバランスを保ちながら、生きている。
●老後
「私はどうだったか?」とよく考える。
「私はどう考えていたか?」と。
私にも青年時代があり、壮年時代があった。
そのとき、私は老人の住む世界を、どう考えていたか、と。
が、それがどういうわけか、ぼんやりとしたままで、輪郭が浮かび上がってこない。
言い換えると、私は、自分の老後はもちろん、老人の世界など、考えたことがなかった。
現在のほとんどの若者と同じように、「私は老人にはならない」と思っていた。
無頓着。
無関心。
が、こう考えていた。
「老人というのは、死んで当然の人たち」と。
が、誤解しないでほしい。
「死ね」ということではない。
「老人というのは、その分だけ、死に近い人たち。
だから死ぬことに対して、心の準備もできている人たち」と。
で、あるとき、恩師の松下哲子先生(幼稚園、元園長)にこう聞いたことがある。
そのとき松下先生は、84、5歳だったと思う。
「先生、年を取ると、死ぬのがこわくなくなりますか?」と。
すると松下先生は、こう言った。
「林さん、いくつになっても死ぬのは、こわいですよ」と。
●情
老後といっても、人によっては、20~25年もある。
1人の子どもが生まれ、成人するまでの年月に等しい。
長いといえば、長い。
その期間を、どう生きるか。
……というより、その準備をどうするか。
脳のCPUそのものが、鈍る。
クロック数も落ちる。
が、だからといって、感情が鈍るわけではない。
むしろ逆で、喜怒哀楽の情は、むしろ繊細になる。
外界の刺激に対して、心がより敏感に反応するようになる。
むしろ若い人たちのほうが、無神経。
前だけを見、前に向かって生きているから、横やうしろが見えない。
見えない分だけ、無神経。
●孤独
老後の最大のテーマは、孤独ということになる。
どう、その孤独を克服していくかということ。
だからこの日本では、昔から、こう言う。
『老後は、庭いじりと、孫の世話』と。
しかしそんなことで、20~25年は、過ごせない。
孫の世話というが、言うなれば、時間つぶし。
勉強がいやな子どもが、フリ勉、ダラ勉するのと同じ。
やらなくてもよいような、簡単な計算問題だけをし、時間をつぶすのと同じ。
「人間関係」とは言うが、相手が孫では、その人間関係もできない。
「老人は死ぬもの」と、子どもたちは考えている。
幼児なら、なおさら。
一度、こんな調査をしたことがある。
「おじいちゃんや、おばあちゃんが死んだとき、泣いた人?」と。
当時、10人前後の幼稚園児にそう聞いたことがある。
が、結果は、みなさんの想像どおり。
「泣いた」という子どもは、ゼロ。
いても、1人いるかいないかという程度。
そのことは祖父母の葬儀の席で、はしゃぎ回る幼児を見ればわかる。
●基礎
が、だからといって、孫の世話が無駄と言っているのではない。
要するに過度の期待と幻想はもたないこと。
孫の世話もよいが、ほどほどに!
これは「依存性」の問題に直結している。
一度、その依存性が一方向性をもつと、それは常に祖父母から孫への一方的なものになる。
孫の側からすれば、「してもらうのが、当たり前」となる。
が、一度、その依存性ができると、それを是正するのは、ほぼ不可能と考えてよい。
これは親子の間でも、同じ。
兄弟、親戚の間でも、同じ。
私たちはいつも、その限度をわきまえながら、生きる。
それがよりよき人間関係の基礎となる。
●もう寝よう
時刻は午前3時30分。
「もう寝よう」と、今、思った。
眠気が襲ってきた。
それにしても、騒々しいグループだった。
「研修」とは名ばかり。
まさに忘年会。
浜北森の家。
旅館としての利用は無理。
いや、ふつうの旅館なら、こういうヘマはしない。
女将なり、支配人が、注意する。
「静かにしてください」程度のことは言う。
とても残念な一夜だった。
今日は軽く眠り、家に帰って寝直そう。
2011年10月27日、朝、3時30分。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 森の家 森林公園 樹香庵)
Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司