最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●記憶の老化

2011-09-07 07:29:10 | 日記

●9月7日(記憶のメカニズム)

 昨日、「9月6日」と知って驚いた。
「もう6日!」と。

 何もしないまま、6日も過ぎてしまった。
そして今日は、7日。
水曜日。

 昨夜は0時過ぎまで、ビデオのUPLOADなどをしていた。
だから今朝は、午前8時起き。
運動も2単位(40分x2)をこなした。
そのせいか、頭痛というより、細い神経痛がときどき、左の喉の奥からこめかみにかけて起こる。
先日、はげしい急性咽頭炎(医師の診断)が起きて以来、それがつづいている。

 「新しい電子製品を買えば、治るんだけどな」と私。

ワ「何がほしいの?」
私「やっぱり、パソコンかな?」
ワ「どんな?」
私「メチャメチャ、高性能なのがいい」と。

 ・・・ということで、今朝は自分でいろいろな薬を選んでのんだ。
今まで医院で処方された薬が、たくさん残っている。
その中から、効能書きを読みながら、選んでのんだ。

●経済情報

 EUでは、銀行株が売られつづけている。
同時に、銀行の貸し渋りがひどくなっている。
今朝の経済新聞を読んで、そんな印象をもった。
つまり、あのリーマンショック時前夜と、同じことがEUで起きている。

 一方、日本の証券会社の株価も急降下。
野村、大和・・・など。
数か月前には500円台だったのが、今朝は300円台。
残念ながら、EUの経済危機は、さらに悪化している。
問題は、何ひとつ、解決していない。
 

Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●記憶について

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数週間ほど前のこと。
若いころ世話になった、IZ氏という
人の名前を、思い出せなかった。
IZ氏……忘れてはならない人の名前だった。
当時の経済界の重鎮だった。
数回だが直接会って、世話になった。

「何という名前だったかな?」とワイフに
聞いたが、ワイフが知る由もない。
そこで「ア」から順に思いつく名前を
口にしてみた。
が、それでも思い出せない。
思い出せないということよりも、忘れた。
そのことにショックを覚えた。
「こうして人は、ボケていくのか!」と。

ところが記憶というのは、不思議なもの。
昨夜、何かの拍子にふとその名前を思い出した。
とくにIZ氏の名前を思い出そうとして
わけではない。
本当に、何かの拍子に、である。
ふと、IZ氏の名前を思い出した。

+++++++++++++++++

●記憶のメカニズム

 記憶のメカニズムは、複雑である。
複雑というより、たとえて言うなら、広い部屋に雑然と本や書類が積み重ねられている状態を思い浮かべれてみればよい。
どこに何があるかさえ、わからない。
図書館のように、本(=情報)が整理され、格納されているわけではない。
だから、こうした現象がときどき、起きる。

●記銘→保持→想起

 記憶は、記銘(記憶として脳に記録される)、保持(記憶として脳に残る)、想起(必要に応じて意識として思い起こすことができる)の3つのプロセスを経て、「記憶として思い出すこと」ができる。

 IZ氏の名前は、どこかに記銘された。
どこかに記憶として保持された。
しかしそれを思い出すことができなかった。
想起する力が鈍ったということになる。
あるいは保持する力そのものが弱くなったのかもしれない。
つまりそれを保持していた神経細胞が死滅した?

 では、そのほかの記憶はどうか?
残念ながら脳には、それを管理する能力はない。
たとえて言うなら、図書館の管理人のようなもの。
そういう部分がない。
だから「この本(=情報)は重要だから、こちらの棚に入れて……」ということができない。
あるいは司書のような人がいればよい。
「あの記憶はどこにありますか」と聞くと、その場所を教えてくれるような司書である。

 ただ記憶を確かなものにする方法がないかというと、そうではない。
たとえばIZ氏という名前を思い出したとき、私は、こうした。
「IZ、IZ……」と、その名前を何度も復唱した。
つぎに、IZという名前を、子どものころの友人の名前と結びつけた。
つまり有機的に関連性をもたせた。
こうすれば記銘力は、ぐんと強くなる。
受験生が何かを暗記する要領である。

 が、実は、これは私たちの年代の者にとっては、深刻な問題でもある。
人は、こうしてボケていく。

●叩き込む

 脳の神経細胞は、減ることはあっても、増えることはない。
再生されることもない。
日々に、どんどんと減っていく。
同時に、記憶された情報も、そのままどこかへ消えていく。
こうした経験は、日常的に、よくする。
わかりやすく言えば、脳というバケツの底に穴があいたような状態になる。
その穴から、知恵や知識、経験が、どんどんとこぼれ出て行く。

 そのためたった数か月前に覚えたことですら、忘れるということもある。

 そこで重要な情報は、そのつど記銘しなおすという操作が必要になってくる。
死滅しかかったA神経細胞から、B神経細胞へ、情報を移動させるとか……。
具体的には、IZ氏の名前のときにそうしたように、「もう一度、頭の中に叩き込む」。

 これは日々の運動に似ている。
運動をやめたとたん、その日を境に、健康は下り坂を下り始める。
若いころは、数週間ほど運動をしなくても、健康を維持することができる。
しかし60歳を過ぎると、そうはいかない。
1週間も運動をサボると、体が鈍(なま)ってしまう。
動くはずの筋肉が動かなくなってしまう。
だから自分の体を奮い立たせる。
奮い立たせて、運動に向かう。

●爽快さ

 こう書くと、老後の「暗さ」ばかりが目立つかもしれない。
しかしそれは正しくない。
それは同時に楽しいことでもある。

 たとえば一日の仕事を終え、自転車にまたがる。
またがる寸前まで、「今夜はやめようか」と思う。
しかしまたがったとたん、足のほうが勝手に動き出す。
とたん、頬がさわやかな風を感ずる。
その爽快さは、ほかにはない。

 が、それだけではない。
こう書くと、そうでない人に申し訳ない気分になるが、事実として、生きている喜びさえ覚える。

 足が動く。
目が見える。
音が聞こえる。
それらひとつひとつが、そのまま喜びとなって、はね返ってくる。

●脳の健康

 脳の健康にしてもそうだ。

 今朝は6時に起きた。
昨夜は、サッカーの日本ーウズベキスタン戦を、深夜1時ごろまで見ていた。
かなり眠かったが、6時に起きた。
起きてそのままウォーキングマシンに。
が、今朝は10分だけ。

 運動も大切だが、それで疲れてしまったのでは、意味はない。
頭がスッキリする。
その程度でよい。
今朝は、これからI市で講演会がある。
公立の幼稚園の先生方が集まってくれる。
ぼんやりと頭では、講演はできない。

●補充

 記憶の話から脳の健康論になってしまった。
が、こうしてものを書く……。
その前にものを考えるということが重要。
それが脳みそを鍛える。

 先ほど「バケツの底の穴」という言葉を使った。
これは事実。
そこで私は考えた。
「こぼれ出た分だけ、あるいはそれ以上のものを、さらに補充していけばいい」と。
そのために、情報を集め、整理し、考える。
それを文として、記録する。

 こうした一連の作業を「闘い」と呼ぶこともできる。
そう、まさに闘い。
言い換えると、老後は、その闘いの連続ということになる。

 さて、今日も、その闘いが始まった。
がんばろう。
はやし浩司 2011-09-07


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小学1年生クラス】

●角度の学習(カメラの位置をかえて、撮影してみました)

(1)
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(2)
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Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司