最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●幼児期に形成される人間性の幹(改)

2011-07-16 19:29:04 | 日記
●子どもの心とその形成期
 ==子どもの心は、いつどのように形成されるか==

【乳幼児期・信頼関係の構築期】(0歳~2歳前後)

●基本的信頼関係

 幼児の心は、段階的に形成されていく。
混然一体となり、一次曲線的に形成されていくのではない。
たとえば0歳から2歳ごろまでの乳幼児期。
エリクソン(※1)という学者は、この時期を「信頼関係の構築期」と位置づけている。
信頼関係…つまり母子の間における信頼関係をいう。

 この信頼関係の構築に失敗すると、いわゆる心の開けない子どもになる。
さらにひどくなると、情意(心)と表情が、一致しなくなる。
指導する側から見ると、「何を考えているか、わからない子ども」ということになる。
これは子どもにとっても、不幸なことである。
良好な人間関係を結べなくなる。
そのためいつも孤独感にさいなまれるようになる。

 そこでその子どもは、外の世界で友を求める。
しかし心が閉じているから、外の世界になじめない。
その分だけ精神疲労を起こしやすい。
ときに傷つく。
それを繰り返す。

 そうした心の状態を、ショーペンハウエルという心理学者は、『2匹のヤマアラシ』という言葉を使って説明した。

2匹のヤマアラシ…ある寒い夜、2匹のヤマアラシは、たがいにくっついて暖を取ろうとした。
が、くっつきすぎると、たがいの針が痛い。
離れると寒い。
だから2匹のヤマアラシは、一晩中、くっついたり離れたりを繰り返した。

●2匹の犬

 私はこのことを、2匹の犬を飼って知った。
1匹は、保健所で処分される寸前の犬。
これをA犬とする。
人間でいうなら、育児拒否、冷淡、無視、虐待を経験した犬ということになる。
もう一匹は、超の上に超がつく愛犬家の家で生まれ育った犬。
私の家に来てからも、しばらくは、私は自分のふとんの中で抱いて寝た。
これをB犬とする。

 2匹の犬は、性格がまったくちがった。
A犬は、だれにも愛想がよく、シッポを振った。
そのため番犬にはならなかった。
おまけに少しでも目を離すと、家の外へ。
道路で見つけても、叱られるのがこわいのか、私からサーッと逃げていった。

 一方B犬は、忠誠心が強く、他人が与えた餌には口をつけなかった。
私の言いつけもよく守った。
もちろん番犬になった。
見知らぬ人が庭へ入ると、けたたたましく吠えた。

 A犬と私の間には、最後まで信頼関係は構築できなかった。
一方、B犬と私は、最後まで深い信頼関係で結ばれていた。

●性格

 が、それだけではすまない。
心は性格として定着する。
「私」がない分だけ、自分を偽る。
仮面をかぶる。
おとなにへつらったり、相手の機嫌を取ったりする。
おとなの前で、いい子ぶったりする。
イプセンの『人形の家』の主人公を例にあげるまでもない。

 …ということで、この時期は、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)を大切にする。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。
つまり子どもの側からすれば、「どんなことをしても許される」という安心感。
母親側からすれば、「どんなことをしても許す」という包容力。
この2つがあいまって、はじめて母子の間の信頼関係が構築される。
が、不幸にして不幸な家庭に育ち、信頼関係の構築に失敗すれば、基本的不信関係となり、生涯に渡ってその子どもは、重い十字架を背負うことになる。

【幼児期前期・自律期】(2~4歳児)

●マシュマロテスト

 1960年代に、スタンフォード大学で、たいへん興味深いテストがなされた。
「マシュマロテスト」というのが、それである。
そのテストを、同大学のHPより、そのまま紹介する。

『スタンフォード大学の附属幼稚園で、4児を対象に、マシュマロテストと題したつぎのような実験がおこなわれた。
実験者が4才児に向って、「ちょっとお使いに行ってくるからね、おじさんが戻ってくるまで待ってくれたら、ごほうびに、このマシュマロを2つあげる。
でも、それまで待てなかったら、ここにあるマシュマロ1つだけだよ。
そのかわり今すぐ食べてもいいけどね」と。

約20分最後までガマンして、ごほうびにマシュマロ2個をもらった子供と、そうでない子供に分かれた。
その4才児を追跡調査した、興味ある結果が出てきた。

マシュマロ2つの子供は1つの子供に比較して、高校において学業の面で、はるかに優秀で、社会人になってからも高い社会性を身につけ対人能力にも優れ、困難にも適切に対処できる人間になっていた』(同サイト)と。

 ダニエル・ゴールマンは、自著「EMOTIONAL INTELLIGENCE」の中で、この実験をつぎのように結んでいる。
いわく、「明日の利益のために、今の欲望を我慢する忍耐力は、あらゆる努力の基礎になっている。きたるべき報酬を予期することで、現在の満足を得ながら目標に向って長期にわたって努力しつづける持続力には、忍耐を要する」と。

●決定的な差

 この実験を少し補足する。
この実験は、1960年代にスタンフォード大学の心理学者ウォルター・ミシェルが大学構内の付属幼稚園で始めたもので、その後も詳細な追跡調査がなされている。

 その結果、すぐマシュマロに手を出したグループと、がまんして2個受け取ったグループの間で、決定的な差が生じたことは先に書いたとおりだが、情動を自己規制できたグループは、たとえば、学業の面でも、SAT(大学進学適正試験)(※2)で、もう一方のグループに200点以上もの大差をつけたという(植島啓司著「天才とバカの境目」(宝島社))。

●忍耐力

 よく誤解されるが、この時期の子どもにとって、忍耐力というのは、「いやなことをがまんしてする力」のことをいう。
一日中、サッカーをしているからといって、忍耐力のある子どもということにはならない。
好きなことをしているだけである。
ためしに子どもに、台所のシンクにたまった生ゴミを手で始末させてみるとよい。
背が届かなければ、風呂場の排水口にたまった毛玉でもよい。
そういった仕事を、何のためらいもなく、ハイと言ってできれば、その子どもはすばらしい子どもということになる。

 もちろんこのタイプの子どもは、学習面でも伸びる。
というのも、もともと(勉強)には、ある種の苦痛がともなう。
その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。

●自律期

 エリクソンは、この時期を「自律期」と呼んだ。
この時期を通して、幼児は、してよいことと、してはいけないこと、つまり自分の行動規範を決める。
正義感も強く、ほんの少し家の模様替えをしただけで、それを目ざとく見つける。
この時期をとらえ、うまく指導すれば、ものの道理をよくわきまえた子どもになる。
そうでなければそうでない。
マシュマロテストでもわかるように、衝動性をコントロールできなくなる。

●では、どうするか

 子どもの忍耐力を養うためには、「使う」。
家庭の中に、ある種の緊張感をつくり、その緊張感の中に巻き込む。
「自分がそれをしなければ、家族のみなが困る」という意識をもたせるようにする。
親がゴロゴロと寝ころんでいて、子どもに向かって、「おい、新聞をもってこい」は、ない。

 ついでながら、この日本では、子どもに楽をさせること、あるいは楽しませることが、子どもへの愛であると誤解している人は多い。
あるいはより高価なプレゼントをすればするほど、親子の絆は太くなると誤解している人も多い。
しかし誤解は誤解。
そんなことを繰り返せば、子どもはますますドラ息子、ドラ娘化する。
やがて手がつけられなくなる。
そこでイギリスでは、こう言う。
『子どもの心をつかみたかったら、釣り竿を買ってやるより、いっしょに、釣りに行け』(イギリスの教育格言)と。

【幼児期後期・自立期】(4~5・5歳児)

●暴言

 この時期の子どもの特徴は、生意気になること。
親が「新聞を取ってきて!」と頼むと、「自分のことは自分でしな」と言い返したりする。
生意気になりながら、自立をめざす。

 で、子どもの自立を促す3種の神器、それが(1)ウソ、(2)暴言、(3)盗み。
ウソについては、2歳前後から始まる。
ウソ寝、ウソ泣きがそれである。
つぎに暴言。
自立期に入ると、親の優位性を打破しようと、子どもは親に向かって暴言を吐くようになる。
「ババア」「ジジイ」「バカ」など。
暴言を許せというのではない。
暴言を言えないほどまで、子どもを抑えつけてはいけない。
適当にあしらい、あとは無視する。
私のばあい、つぎのような方法で、幼児を指導している。

私「……もっと悪い言葉を教えてやろうか」
子「うん、教えて!」
私「でも、この言葉は、使ってはいけないよ。園長先生とか、お父さんに言ってはだめだよ」
子「わかった。約束する」と。

 そこで私はおもむろに、こう言う。
「ビダンシ(美男子)」と。
それ以後幼児たちは、喜んでその言葉を使う。
私に向かって、「ビダンシ、ビダンシ!」と。

 盗みについても、同じように考えるが、子どもの金銭感覚(ふえた、減った、得をした、損をした)は、年長児から小学2年生ごろまでに完成する。
この時期に、欲望を金銭で満たす方法を覚えると、あとがたいへん。
幼児期には100円で喜んでいた子どもでも、高校生になると1万円、さらに大学生になると10万円になる。
さらに脳の中(線条体)に受容体ができると、条件反射的にものをほしがるようにになる。
買い物依存症がその一例ということになる。

 必要だからそれを買うのではない。
欲しいからそれを買うのでもない。
(買いたい)という衝動を満たすために、それを買う。

 話しが脱線したが、盗みについては、それが悪いことということを、時間をかけ、ゆっくりと説明する。
激しく叱ったり、怒鳴りつけたりすれば、子どもは、いわゆる「叱られじょうず」になるだけ。
いかにも反省していますという様子だけを見せ、その場を逃れようとする。
もちろん説教としての意味はない。

●引き出す(educe)

 が、ここでも誤解してはいけないことがある。
この時期、「自立心」は、どの子どもにも平等に備わっている。
そのため自立心は育てるものではなく、引き出すもの。
が、かえってその自立心をつぶしてしまうものがある。
親の過保護、過干渉、溺愛である。
とくに過干渉が、こわい。

親の威圧的、暴力的、権威主義的な育児姿勢が日常化すると、子どもはいわゆる「過干渉児」になる。
子どもらしいハツラツとした伸びやかさを失い、暗く沈んだ子どもになる。
発達心理学の世界には、「萎縮児」という言葉さえある。
最悪のばあいは、精神そのものが萎縮してしまう。

 (その一方で、同じ家庭環境にありながら、粗放化する子どももいる。
親の過干渉にやりこめられてしまった子どもを萎縮児とするなら、それをたくましくやり返した子どもが粗放児ということになる。
兄が萎縮し、弟が粗放化するというケースは、よく見られる。)

●原因は母親

 原因のほとんどは、母親にある。
子育ての不安が、母親をして過干渉に駆り立てる。
が、簡単に見分けることができる。

私、(子どもに向かって)、「お正月にはどこかへ行ってきたの?」
子「……」
母、(それを横で見ていて)、「おじいちゃんの家に行ったでしょ。行ったら、行ったと言いなさい」
子「……」
私、(再び子どもに向かって)、「楽しかった?」
子「……」
母「楽しかったでしょ。楽しかったら、楽しかったと言いなさい」と。

 子どもの心の内容まで、母親が決めてしまう。
典型的な過干渉ママの会話である。

●過保護と溺愛

 過保護といってもいろいろある。
食事面の過保護、行動面の過保護など。
何か心配の種があり、親は子どもを過保護にする。
「アレルギー体質だから、食事面で気をつかう」など。

 しかし何が悪いかといって、精神面での過保護ほど、悪いものはない。
「あの子は悪い子だから、あの子とは遊んではだめ」「公園にはいじめっ子がいるから、ひとりで行ってはだめ」など。
子どもを、厚いカプセルで包んでしまう。
で、その結果として、子どもは過保護児になる。
いつも満足げで、おっとりしている。
が、社会性がなく、ブランコを横取りされても、それに抗議することもできない。
そのまま明け渡してしまう、など。
だから昔からこう言う。
『温室育ち、外ですぐ風邪をひく』と。

 また溺愛は、「愛」ではない。
たいていは、親側に精神的欠陥、情緒的未熟性があって、親は子どもを溺愛するようになる。
つまり自分の心のすき間を埋めるために、子どもを利用する。
 ある母親は、毎日幼稚園の塀の外で、子どもの様子をながめていた。
また別のある母親は、私にこう言った。
「先生、私、娘(年長児)が病気で幼稚園を休んでくれると、うれしいです。一日中、看病できると思うと、うれしいです」と。

 親の溺愛が度を越すと、子どもの精神の発育に大きな影響を与える。
子どもはちょうど、飼い主の胸に抱かれた子犬のようになる。
だから私はこのタイプの子どもを、「ペット児」(失礼!)と呼んでいる。
飼い慣らされた子犬のように、野生臭が消える。

【児童期・勤勉性の構築期】(5・5歳~)

●日本人の勤勉性

 3・11大震災が起きたときのこと。
栃木県にあるH自動車栃木工場の操業が不可能になってしまった。
天井が落下した。
その直後、この浜松市から2500人もの応援部隊が、栃木工場に向かった。
一方、栃木工場にいた設計士たちは、浜松近郊の関連会社へ来て、仕事をつづけた。
また被災地においても、ほかの国であるような、略奪、暴動などは、起きなかった。
日本人が培った勤勉性、つまり(組織的なまじめさ)は、災害時においても、いかんなく発揮された。

 こうした勤勉性は、言うまでもなく、学校教育によって育てられる。
いろいろ問題点がないわけではない。
世界のすう勢は、自由教育。
EUでも、大学の単位は共通化された。
アメリカでは、ホームスクーラー(日本でいうフリースクールに通う子ども)が、2000年には100万人を超えた。
現在、推定で200万人はいるとされる。
ドイツでは、午前中は学校で、午後はクラブでという教育形態が、ふつうになっている(中学生)。

 日本もその方向に向かいつつはあるが、ともかくも、勤勉性の構築という点では、日本の学校教育には、すぐれた面も多い。
この(まじめさ)をさして、ある欧米の特派員は、こう言った。
「これこそまさに日本人の美徳」と。
この言葉に異論はない。

【まとめ】

●臨界期

 それぞれの発達段階には、臨界期がある。
言葉の発達、音感や美的感覚の発達などなど。
それぞれの時期をはずすと、指導がたいへんむずかしくなる。
心についても、そうである。

 たとえば自立期に入った子どもに、「自律」を教えようとしても、たいてい失敗する。
よくあるケースが、「あと片づけ」。
自律期の子どもに、一度、あと片づけをしっかりと教えておくと、以後その子どもは、自然な形で、あと片づけができるようになる。
花瓶の位置がずれていただけで、それを気にして、元に戻そうとする。
心についても、そうである。

 幼児期後期で、一度、精神が萎縮してしまうと、以後その改善は、きわめてむずかしい。
『三つ子の魂、百まで』というが、それがそのままその子ども(人)の人格の「核(コア)」になる。
言い換えると、この時期を過ぎたら、子どもの心はいじらない。
「この子はこういう子である」と認めた上で、教育を組み立てる。
へたにいじると、自信なくしたり、自己評価力の低い子どもになってしまう。

 親子の絆にしても、そうだ。
最近の研究によれば、人間にも、刷り込み(インプリンティング)(※3)に似たようなものがあることがわかってきた。
孵化してすぐ二足歩行を始める鳥類は、最初に見たものや聞いたものを親と思い込む。
それを刷り込みというが、そのとき親子の絆は、本能に近い部分にまで刷り込まれる。
人間のばあい、生後0か月から7か月前後までが、その時期とされる。
この時期を「敏感期」と呼ぶ学者もいる。
この時期における親子の絆作りがいかに重要かは、このひとつをとっても、わかる。

●『子どもは人の父』(ワーズワース)

 さらに心の病気についても、その「核」は、乳幼児期に作られると説く学者もいる。
たとえば九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは、『母親から保護される価値のない、自信のない自己像』(※4)を形成すると説く。

さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になることもあるという。
それが成人してから、うつ病につながっていく、と。

 このように現在、幼児教育が、教育の分野のみならず、医学(大脳生理学)、心理学の3方向から、見直され始めている。
「幼児だから幼稚」「子どもだから幼稚」という偏見と誤解が、今、急速に音を立てて崩れ始めている。
むしろ事実は逆。
幼児時代を「幹」とするなら、それにつづくもろもろの時代は、その「枝葉」にすぎない。
かつてイギリスの詩人、ワーズワース(1770~1850)は、こう歌った。

 空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
 私が子どものころも、そうだった。
 人となった、今もそうだ。
 願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
 子どもは人の父。
 自然の恵みを受けて、それぞれに日が
 そうであることを、私は願う。

 つまり『子どもは、人の父(A Child is Father of the Man)」と。

この言葉のもつ重みを、もう一度、心にしっかりと刻みたい。


注※1 エリクソン…エリク・ホーンブルガー・エリクソン(Erik Homburger Erikson, 1902-1994)は、発達心理学者、精神分析家。「アイデンティティ」の概念を提唱したことで知られる。

注※2 SAT…Critical Reading、Writing、Math が、それぞれ200点から800点の表示、合計2400点満点で評価される。

注※3 インプリンティング…(すりこみ imprinting)とは、動物の生活史のある時期に、特定の物事がごく短時間で覚え込まれ、それが長時間持続する学習現象の一種。刻印づけ、あるいは英語読みそのままインプリンティングとも呼ばれる。コンラート・ローレンツの研究で世界に知られるようになった。

注※4 九州大学・吉田敬子・母子保健情報54・06年11月)

はやし浩司(ひろし)
1947年生まれ。金沢大学法、メルボルン大学法学院研究生、三井物産社員を経て、幼稚園講師に。幼児教育歴40年(2011年)。30冊以上の著書と百科事典の編集など。ほかに東洋医学の著書5冊、宗教論の著書5冊など。現在静岡県浜松市在住。BW教室主宰。

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●子どもの心は、いつどのように形成されていくか

2011-07-16 10:54:59 | 日記
●子どもの心とその形成期

【乳幼児期・信頼関係の構築期】(0歳~2歳前後)

●基本的信頼関係

 幼児の心は、段階的に形成されていく。
混然一体となり、一次曲線的に形成されていくのではない。
たとえば0歳から2歳ごろまでの乳幼児期。
エリクソンという学者は、この時期を「信頼関係の構築期」と位置づけている。
信頼関係…つまり母子の間における信頼関係とという。

この信頼関係の構築に失敗すると、いわゆる心の開けない子どもになる。
さらにひどくなると、情意(心)と表情が、一致しなくなる。
指導する側から見ると、「何を考えているか、わからない子ども」ということになる。
これは子どもにとっても、不幸なことである。
良好な人間関係を結べなくなる。
そのためいつも孤独感にさいなまれるようになる。

そこでその子どもは、外の世界で友を求める。
しかし心が閉じているから、外の世界になじめない。
その分だけ精神疲労を起こしやすい。
ときに傷つく。
これを繰り返す。

 そうした状態を、ショーペンハウエルという心理学者は、『2匹のヤマアラシ』という言葉を使って説明した。

2匹のヤマアラシ…ある寒い夜、2匹のヤマアラシは、たがいにくっついて暖を取ろうとした。
が、くっつきすぎると、たがいの針が痛い。
離れると寒い。だから2匹のヤマアラシは、一晩中、くっついたり離れたりを繰り返した。

●性格

 が、それですまない。
心は性格として定着する。
「私」がない分だけ、自分を偽る。
仮面をかぶることもある。
おとなにへつらったり、愛想よくしたりする。
わざとおとなの前で、いい子ぶったりする。
イプセンの『人形の家』の主人公を例にあげるまでもない。

 …ということで、この時期は、(絶対的なさらけ出し)と(絶対的な受け入れ)を大切にする。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。
つまり子どもの側からすれば、「どんなことをしても許される」という安心感。
母親側からすれば、「どんなことをしても許す」という包容力。
この2つがあいまって、はじめて母子の間の信頼関係が構築される。
が、不幸にして不幸な家庭に育ち、信頼関係の構築に失敗すれば、基本的不信関係となり、障害に渡ってその子どもは、重い十字架(業)を背負うことになる。

【幼児期前期・自律期】(2~4歳児)

●マシュマロテスト

 1960年代に、スタンフォード大学で、たいへん興味深いテストがなされた。
「マシュマロテスト」(D・ゴールマン)というのがそれである。
「天才とバカの境目」(植島啓司著・宝島社)に紹介されているので、それを要約させてもらう。

+++++以下、「天才とバカの境目」より、要約+++++

 4歳の子どもに、実験者がこう言う。

「ちょっとお使いに行ってくるからね。おじさんが戻ってくるまで待っていられたら、ほうびに、このマシュマロを2つあげる。
でも、それまで待てなかったら、ここにあるマシュマロを、1つだけあげる。
そのかわり、いますぐ食べてもいいけどね」と。

 4歳の子どもには、大きな試練だ。
さてあなたなら(あなたの子どもなら)、どうするだろうか。

 ゴールマンはこう言う。
『子どもがどちらを選ぶかは、多くのことを語ってくれる。
性格が端的に読み取れるだけではなく、その子どもがたどる人生の軌跡まで想像できる』と。

 で、4歳児のうち、何人かは実験者が戻ってくるまで、15分ないし20分間を待つことができた。
待っている間、子どもたちはマシュマロを見なくてすむように、両手で目を覆ったり、顔を伏せたりしていた。
自分を相手におしゃべりをしていた子どももいたし、歌を歌っていた子どももいた。
最後までがんばりぬいた子どもは、ほうびにマシュマロを2個もらった。

 同じ4歳児でも衝動性の強い子どもは、目の前のマシュマロに手をのばした。
しかもほとんどのばあい、実験者が、『お使いに行く』と部屋を出た直後にそうした」と。

●決定的な差

 この実験は、1960年代にスタンフォード大学の心理学者ウォルター・ミシェルが大学構内の付属幼稚園で始めたもので、その後も詳細な追跡調査がなされたという(同書)。

 その結果、すぐマシュマロに手を出したグループと、がまんして2個受け取ったグループとでは、決定的な差が生じた。

 情動を自己規制できたグループは、たとえば、学業の面でも、SAT(大学進学適正試験)で、もう一方のグループに200点以上もの大差をつけたという(同書)。

+++++以上、「天才とバカの境目」より、要約+++++

●忍耐力

 よく誤解されるが、この時期の子どもにとって、忍耐力というのは、「いやなことをがまんしてする力」のことをいう。
一日中、サッカーをしているからといって、忍耐力のある子どもということにはならない。
好きなことをしているだけである。
ためしに子どもに、台所のシンクにたまった生ゴミを手で始末させてみるとよい。
背が届かなければ、風呂場の排水口にたまった毛玉でもよい。
そういった仕事を、何のためらいもなく、ハイと言ってできれば、その子どもはすばらしい子どもということになる。

もちろんこのタイプの子どもは、学習面でも伸びる。
というのも、もともと(勉強)には、ある種の苦痛がともなう。
その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。

●自律期

 エリクソンは、この時期を「自律期」と呼んだ。
この時期を通して、幼児は、してよいことと、してはいけないこと、つまり自分の行動規範を決める。
簡単な実験だが、家の中で花瓶の位置がずれていただけで、この時期の子どもは、「どうして?」と聞く。
この時期をとらえ、うまく指導すれば、ものの道理をよくわきまえた子どもになる。
そうでなければそうでない。
マシュマロテストでもわかるように、衝動的行為をコントロールできなくなる。

【幼児期後期・自立期】(4~5・5歳児)

●暴言

 この時期の子どもの特徴は、生意気になること。
親が「新聞を取ってきて!」と頼むと、「自分のことは自分でしな」と言い返したりする。
生意気になりながら、自立をめざす。

で、子どもの自立を促す3種の神器、それが(1)ウソ、(2)暴言、(3)盗み。
ウソについては、2歳前後から始まる。
ウソ寝、ウソ泣きがそれである。
つぎに暴言。
自立期に入ると、親の優位性を打破しようと、子どもは親に向かって暴言を吐くようになる。
「ババア」「ジジイ」「バカ」など。
暴言を許せというのではない。
暴言を言えないほどまで、子どもを抑えつけてはいけない。
適当にあしらい、あとは無視する。
私のばあい、つぎのような方法で、幼児を指導している。

私「……もっと悪い言葉を教えてやろうか」
子「うん、教えて!」
私「でも、この言葉は、使ってはいけないよ。園長先生とか、お父さんに言ってはだめだよ」
子「わかった。約束する」と。

 そこで私はおもむろに、こう言う。
「ビダンシ(ビダンシ)」と。
それ以後幼児たちは、喜んでその言葉を使う。
私に向かって、「ビダンシ、ビダンシ!」と。

●引き出す(educe)

 が、ここでも誤解してはいけないことがある。
この時期、「自立心」は、どの子どもにも平等に備わっている。
そのため自立心は育てるものではなく、引き出すもの。
が、かえってその自立心をつぶしてしまうものがある。
親の過保護、過干渉、溺愛である。
とくに過干渉が、こわい。
親の威圧的、暴力的、権威主義的な育児姿勢が日常化すると、子どもはいわゆる「過干渉児」になる。
子どもらしいハツラツとした伸びやかさを失い、暗く沈んだ子どもになる。
発達心理学の世界には、「萎縮児」という言葉さえある。
最悪のばあいは、精神そのものが萎縮してしまう。

 (その一方で、同じ家庭環境にありながら、粗放化する子どももいる。
親の過干渉にやりこめられてしまった子どもを萎縮児とするなら、それをたくましくやり返した子どもということになる。
兄が萎縮し、弟が粗放化するというケースは、よく見られる。)

●原因は母親

 原因のほとんどは、母親にある。
子育ての不安が、親をして過干渉に駆り立てる。
が、簡単に見分けることができる。

私、子どもに向かって、「お正月にはどこかへ行ってきたの?」
子「……」
母、それを横で見ていて、「おじいちゃんの家に行ったでしょ。行ったら、行ったと言いなさい」
子「……」
私、再び子どもに向かって、「楽しかった?」
子「……」
母「楽しかったでしょ。楽しかったら、楽しかったと言いなさい」と。

 子どもの心の内容まで、親が決めてしまう。
典型的な過干渉ママの会話である。

【児童期・勤勉性の構築期】(5・5歳~)

●日本人の勤勉性

 3・11大震災が起きたときのこと。
栃木県にあるH自動車栃木工場の操業が不可能になってしまった。
天井が落下した。
その直後、この浜松市から2500人もの応援部隊が、栃木工場に向かった。
一方、栃木工場にいた設計士たちは、浜松近郊の関連会社へ来て、仕事をつづけた。
また被災地においても、ほかの国であるような、略奪、暴動などは、起きなかった。
日本人が培った勤勉性、つまり(組織的なまじめさ)は、こうした場面でも、いかんなく発揮された。

 こうした勤勉性は、言うまでもなく、学校教育によって育てられる。
いろいろ問題点がないとは言わない。
世界のすう勢は、自由教育。
EUでも大学の単位は共通化された。
アメリカでは、ホームスクーラー(日本でいうフリースクールに通う子ども)が、2000年には100万人を超えた。
現在、推定で200万人はいるとされる。
ドイツでは、午前中は学校で、午後はクラブでという教育形態が、ふつうになっている(中学生)。

日本もその方向に向かいつつはあるが、ともかくも、勤勉性の構築という点では、日本の学校教育には、すぐれた面も多い。
この(まじめさ)をさして、ある欧米の特派員は、「美徳」と評した。

【総括】

●臨界期

 それぞれの発達段階には、臨界期がある。
言葉の発達、音感や美的感覚の発達などなど。
それぞれの時期をはずすと、指導がたいへんむずかしくなる。
心についても、そうである。

 たとえば自立期に入った子どもに、「自律」を教えようとしても、たいてい失敗する。
よくあるケースが、「あと片づけ」。
自立期の子どもに、一度、あと片づけをしっかりと教えておくと、以後その子どもは、自然な形で、あと片づけができるようになる。
先にも書いたように、花瓶の位置がずれていただけで、それを気にする。
心についても、そうである。

 幼児期後期で、一度、精神が萎縮してしまうと、以後その改善は、きわめてむずかしい。
『三つ子の魂、百まで』というが、それがそのままその子ども(人)の人格の「核(コア)」になる。
言い換えると、この時期を過ぎたら、子どもの心はいじらない。
「この子はこういう子である」と認めた上で、教育を組み立てる。
へたにいじると、自信なくしたり、自己評価力の低い子どもになってしまう。

 親子の絆にしても、そうだ。
最近の研究によれば、人間にも、刷り込み(インプリンティング)に似たようなものがあることがわかってきた。
孵化してすぐ二足歩行を始める鳥類は、最初に見たものや聞いたものを親と思い込む。
それを刷り込みというが、そのとき親子の絆は、本能に近い部分にまで刷り込まれる。
人間のばあい、生後0か月から7か月前後までとされる。
この時期を「敏感期」と呼ぶ学者もいる。
この時期における親子の絆作りがいかに重要かは、このひとつをとっても、わかる。

●幼児教育の偏見と誤解

 さらに心の病気についても、その「核」は、乳幼児期に作られると説く学者もいる。
たとえば九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは、『母親から保護される価値のない、自信のない自己像』(九州大学・吉田敬子・母子保健情報54・06年11月)を形成すると説く。
さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になることもあるという。それが成人してから、うつ病につながっていく、と。

 このように現在、幼児教育が、教育の分野のみならず、医学、心理学の3方向から、見直され始めている。
「幼児だから幼稚」「子どもだから幼稚」という偏見と誤解が、今、急速に音を立てて崩れ始めている。
かつてワーズワースは、こう歌った。

『子どもは、人の父(A Child is Father of the Man)」と。

この言葉のもつ重みを、もう一度、心にしっかりと刻んでほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 エリクソン マシュマロテスト 幼児期前期 児童期 敏感期 臨界期 はやし浩司 吉田敬子 自律期 自立期)2011/07/16記


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

(以下、参考)

●子どもの行動

 ときとして子ども(幼児)は、予期しない行動をする。
私が体験した失敗例をあげてみる。
(1)鉛筆とキャップ
 クレヨンと鉛筆の持ち方は、基本的に、ちがう。
クレヨンは、親指、人差し指、中指の3本ではさむようにしてもつ。
そこで4~5歳になると、鉛筆の持ち方を練習する。
そのとき多くの子どもは、鉛筆を使うとき、キャップを鉛筆の端(芯のないほうの端)にかぶせる。
事故は、そのあとに起る。
鉛筆の使用が終わると、幼児は、鉛筆とキャップの両方を、それぞれの手で握る。
握って両側に引っ張る。
そのときグイと引っ張った勢いで、鉛筆とキャップをもったまま、両手を広げる。
幼児の体はやわらかい。
両手が、ほぼ180度以上、広がる。
そのとき鉛筆の先(芯)が、隣の子どもの顔などを刺す。
一度は、隣の子どもの頬に、鉛筆の芯が突き刺さってしまったことがある。
「目でなくてよかった」と言うのは不謹慎かもしれないが、もしあのときそれが目だったら、今の私はない。
 鉛筆は危険な道具であるという認識を、もってほしい。
なお鉛筆をもったまま、「ハイ」と手をあげるのも、たいへん危険。
子どもによっては、上方にではなく、横に手をあげる子どももいる。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●アメリカの玩具安全基準

 おもちゃについて、アメリカの安全基準は、たいへんきびしい。
それを取り仕切っているのが、「アメリカの消費者安全委員会(U.S. Consumer Product Safety Commission: Washington, D.C. 20207)」(以下、CPSC)。
CPSCの発行しているガイドブックには、つぎのようにある。

(1)電気じかけのおもちゃについて、ショックあるいは熱の危険性があってはならない。
(2)塗装品の鉛の含有量は、きびしく制限されている。
(3)おもちゃの外部、内部には、中毒性の物質があってはならない。
(4)12歳以下の子どもが遊ぶおもちゃの材質については、危険性がないこと、およびASTMD-4236※に従った表示がなければならない。
(5)合成ゴム製の風船やおもちゃについては、誤飲や口に入れることにより、窒息する危険性を表示しなければならない。

 さらにCPSCは、年齢別に、きびしく注意事項を並べている。
たとえば3歳未満の幼児が使うおもちゃについては、つぎのようにある。

(1)まちがって遊んでも、こわれないものであること。
(2)のどに入るほどの、小さな部品はあってはならないこと。
(3)幼児が口の中でガラガラやっても、こまかい部品に分解してはいけないこと。
(4)1・75インチ(4・45ミリ)以下のボール(球)があってはならないこと。

 詳しくは、前述安全委員会のHPを参照にしてほしい。
しかしこうした基準がきびしいということは、それだけ事故も多いということ。

(注※)ASTMD-4236について(ウィキペディア百科事典より)
ASTMは、American Society for Testing and Materialsの略。
「美術・工芸材料の慢性的健康危害に関するラベル表示の標準的実施」をいう。
アメリカでは、健康に悪影響を及ぼす可能性のある商品については、商品に適切なラベル表示をすることが義務付けられている。
ただし表示は、アメリカ国内のみ。

アメリカの団体でACMI(Art and Creative Material Institute)が発行しているマーク。
左の3種類は、デザインが異なるがその意味は同じ。
評価の基準は、会員以外には明らかにされていない。
急性毒性、慢性毒性、皮膚刺激、発ガン性、アレルギー、内分泌かく乱物質等あらゆる面にわたって安全性が審査される。
現在、デューク大学メディカルセンターにおいて、専門の毒物学者が実際の審査にあたっていて、このマークの信頼性は、非常に高い。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2011++++++はやし浩司・林浩司