最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●反動形成

2011-02-27 09:15:27 | 日記




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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 28日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【反動形成】2月10日(木曜日)

+++++++++++++++

今日は、木曜日。
よくわかっている。
が、木曜日は、何かと忙しい。
それもあって、木曜日になるたびに、こう思う。
「今日は、だいじょうだろうか?」と。
つまり体力がつづくだろうか、と。

昨日は、朝、30分のウォーキングをした。
午後、約3時間、外を歩いた。
歩きたくて歩いたわけではないが、ともかくも
歩いた。
計3時間30分。
運動量としては、まずまず。

そんなわけで、今は、こう思う。
「今日は、だいじょうぶ」と。

++++++++++++++

●反動形成

 「反動形成」という言葉がある。
何度かそれについて、書いた。

 要するに、本当の自分を隠し、仮面をかぶること。
よくあるのは、こんな例。

ケチな人が、そのケチを隠すために、気前のよい自分をわざとおおげさに見せたりする。
あるいは教育ママが、人には、「私は子どもに勉強しなさいと言ったことはありません」と、
ウソをついたりする。
子どもの世界でも、よく見られる。
よい兄、よい姉を演じながら、その実、裏で陰湿な弟いじめや、妹いじめを繰り返したり
する。

 本当の自分を見抜かれるのがこわく、その反動として、正反対の自分を演ずる。
たとえば内面に潜む攻撃心や、憎悪を隠すため、妙にやさしい人間を演ずるのもそれ。
「仮面(ペルソナ)」とちがうのは、「正反対」という部分。
たとえばショッピングセンターの売り子が見せる、あの笑顔は、仮面である。
仮面をかぶりながら、客にものを売る。

反動形成は、それとはちがう。
心の中に別室をつくり、その中に自分を押し込む。
これを「抑圧」というが、日常的に、心がその抑圧状態になる。
本当の自分をさらけ出したら、自分の立場そのものが、あやうくなる。
正反対の自分を演ずることによって、自分の立場を取り繕う。
意識的な行為というよりは、無意識的な行為。

●ぎこちなさ

 反動形成には、いくつかの特徴がある。
どこか不自然。
どこか変。
どこかぎこちない。

 わざとらしい言葉。
不自然な笑顔。
一貫性のない生活態度、などなど。

 ときに心の別室にたまった、不平や不満が爆発することもある。
ふつうの爆発ではない。
その瞬間、まったくの別人になる。
(……というか、そのときのほうが、その人自身のほんとうの姿ということになるのだが
……。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

少し前に書いた原稿を拾ってみる。
一部、ダブるが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●反動形成(1)(2010年記)

 反動形成は、いろいろな場面で経験する。
よく知られた例として、長男、長女が見せる反動形成がある。
長男や長女は、下の子(弟や妹)に嫉妬しやすい。
親は、「兄も弟も、平等にかわいがっています」と言う。
しかし上の子ども(長男や長女)にしてみれば、その「平等」であることが不満。
それまで100%自分のものだった親の愛情が、半分に減った。

 そこで上の子どもは、赤ちゃんぽい自分を演出して、もう一度親の愛情を、100%、
自分のものとして取り返そうとする。
「赤ちゃん返り」というのは、そうして起こる。
本能的な部分で起こるので、叱ってなおるような問題ではない。
またそれが高じて、反対に、ときとして下の子どもに、攻撃的になることもある。
嫉妬がからんでいるだけに、陰湿かつ動物的。
下の子どもを、「殺す」ということもしかねない。

 が、それでは自分の立場がなくなる。
「あなたはお兄ちゃんでしょ(お姉ちゃんでしょ)!」と言われる。
そういう言葉で、抑圧される。
あるいは自らを抑圧する。
そこで上の子どもは、よい兄やよい姉を演ずるようになる。
「ぼくは弟(妹)が好き」などと、平然と言ったりする。
本当は弟(妹)が憎くてならないのだが、やさしくめんどうをみのよい兄(姉)を
演ずるようになる。

先にも書いたように、本能的な部分に根ざしているため、親はそれが仮面であることに気
づくことはない。
外面だけを見て、こう判断する。
「うちの子は、いい子」と。
これが「反動形成」である。

 ほかに聖職者(牧師や僧侶、教師)と呼ばれる人たちの反動形成も
よく知られている。
みなにあがめられている間に、そういう人間を、自ら作っていってしまう。
たとえばだれかが、性的な話や卑猥な話をしたりすると、ことさらそれを嫌って
見せたりする、など。
これが「反動形成」である。

 それはそれだが、そういった状態が長く続くと、仮面をかぶるようになる。
高徳者を演じているあまり、本当の自分を見失ってしまう。
が、本当の自分が消えるわけではない。
本当の自分は、心の奥に抑圧され、押し込まれる。・・・あるいは、自分を
押し込む。

本当に自分が、別のところで、別の人格となって現れることもある。
欧米では、聖職者による少年や少女に対する暴行や虐待が、問題になら
ない日がないほど、多い。
そういう形で、つまり別の形で、抑圧された自分が外に出てくる。
「反動形成」のこわいところは、ここにある。

●反動形成(2)(2009ー6記)

●もう1人の自分(反動形成)(Another Man in Me)

 自分にとって、受けいれがたい、もう1人の自分を感じたとき、その自分を抑圧するた
めに、人は、それとは正反対の自分を演ずることがある。
これを「反動形成」という。

 その中でも、とくによく知られているのが、牧師や教師による、反動形成。
たとえば、牧師や教師の中には、ことさら、Sックスの話や、露骨な話を嫌ってみせる人
がいる。(S=セ、禁止用語)

 特徴は、「ことさら」、つまり、不自然なほど、大げさな様子を見せること。
信者や生徒が、「Sックス」という言葉を口にしただけで、「オー、NO!」と大声で、叫
んでみせたりする。

 これは自分の職業観とは相容れない、許しがたい欲望を、自分の中で、抑圧しようとし
て起きる現象である。

 ほかに幼児の世界で、よく知られている反動形成の例に、弟(妹)思いの、よい兄(姉)
がいる。本当の自分は、弟や妹を、殺したいほど憎んでいるのかもしれない。
しかしそんな感情を表に出せば、自分の立場がなくなってしまう。

 そこでその兄や姉は、ことさら、人前で、よい兄や姉を演じてみせたりする。
しかしこれは意識的な行為というよりは、無意識下でする行為と考えてよい。本人に、そ
の自覚はない。

 さらに、その醜い本心を偽るために、仏様のように(できた人)を演ずる人もいる。
老人に多い。
自分自身の醜い素性を、隠すためである。このタイプの人は、何十年もかけて(ニセの自
分)をみがきあげているので、ちょっとやそっとでは、他人には、それを見抜くことがで
きない。
何十年も近くで住んでいる親類にすら、「仏様」と思いこませてしまう。

 反動形成であるかどうかは、先にも書いたように、「ことさらおおげさな」様子を見せる
かどうかで判断する。
反動形成による行為は、どこか様子が不自然で、ぎこちない。ときにサービス過剰になっ
たりする。

 本当はその客の来訪を嫌っているにもかかわらず、満面に笑顔を浮かべ、愛想よくして
みせる、など。

 こうして人は、本当の自分を抑圧するために、その反対側の自分を演ずることがよくあ
る。

 たとえば力のない政治家が、わざとふんぞりかえって歩いて見せるなど。
あるいは体の弱い子どもが、みなの前で、かえって乱暴に振る舞ったりするのも、それ。

 ほかにもいろいろな反動形成がある。

 本当は、たいへんケチな人が、豪快に、人に太っ腹なところを見せる。
 心の中では憎しみを感じている社員が、その上司に、必要以上にへつらう。
 自分に自信のない人が、わざと大型の馬力の大きな車に乗ってみせる、など。
 もう少し、その反動形成を、自分なりに、整理してみる。

(嫉妬、ねたみ)→(見えすいた親切、やさしさ)
(欲望、願望)→(見えすいた禁欲者、謙虚さ)
(悪魔性、邪悪な心)→(見えすいた善人、道徳者)
(闘争心、野心)→(見えすいた謙虚さ、温厚さ)
(ケチ、独占欲)→(見えすいた寛大さ、おおらかさ)
(劣等感、コンプレックス)→(見えすいた傲慢さ、大物)
(だらしない性格)→(見えすいた完ぺき主義者、潔癖主義)など。

 わかりやすく言えば、反動形成というのは、自分の心を偽ることをいう。中には、夫を
心の中で憎みながら、その反動として、つつしみ深く、できのよい妻を演ずることもある
そうだ。(私のワイフなどは、その1人かもしれない? ゾーッ!)

 あなたの中には、はたしてその反動形成による部分は、ないか? それを知るのも、ま
た別の自分を発見することにつながるのではないかと思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BW教室 はやし浩司 反動形成 仮面 ペルソナ)

(補足)

 たまたま今日、年長児のクラスで、おっぱいの話になった。
そのときのこと。
私が子どもたちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、みな、おおげさな言い方
で、「嫌いだヨ~」と叫んだ。

 これも反動形成の一つと考えてよい。このころになると、子どもは「恥ずかしい」とい
う言葉の意味がわかるようになる。たとえば、赤ちゃんに見られることは、恥ずかしいこ
とと考える。だから(おっぱいが好き)イコール、(赤ちゃん)と考えて、それをあえてお
おげさに否定してみせたりする。

 しかしおっぱいが嫌いな子どもは、いない。とくに男児においては、そうだ。
が、中に、正直な子どもがいたりして、私が、「ウソをついてはダメだ」と、強くたしなめ
ると、小声で、しかも少し顔を赤らめながら、「好きだよ……」と言う子どももいるにはい
る。
しかしそういう子どもは、例外と考えてよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夫婦のばあい

 よき夫、よき妻。
しかしたがいに反動形成。
内心では、憎しみあい、軽蔑しあっている……。
そういう夫婦は、少なくない。
私たち夫婦がそうかもしれないし、あなたがた夫婦も、そうかもしれない。
そういう「形」にしなければ、自分が、みじめ。
50歳とか60歳とかを過ぎ、「私たちの結婚は失敗でした」とは、とても言えない。
この年齢になると、自己否定ほど、恐ろしいものはない。
敗北感から、絶望感に発展することもある。

 だから妥協し、ほどほどのところで接点を見出し、よい夫婦を演ずる。
いっしょに映画を観に行ったり、旅行に出かけたりする。
世間体というより、ここにも書いたように、たがいに本当の自分を認めたら、夫婦という
より、自分自身が崩壊してしまう。
それがこわい。

 ……と書くと、身も蓋(ふた)もない。
しかし多かれ少なかれ、どんな人も、自分をごまかしながら生きている。
程度の差はある。
つまり反動形成は、みながしている。
していない人はいない。

ただひとり、自分をさらけ出しながら生きている女性と言えば、あの「みさえさん」。
「クレヨンしんちゃん」(コミック本、vol. 1~11前後)のママである。
私はみさえさん以外に、自分をさらけ出しながら生きている女性を知らない。
これは余談。

●さらけ出し

 そこで私自身の反動形成は何か、それを考えなおしてみる。

 たとえば、ウソとインチキ。
私はもともとウソつきで、インチキな男だった。
子どものころは、そうだった。
拾ったお金でも、交番へ届けたことは、めったにない。
(1、2度はあったように記憶しているが……。)

 それにウソつきだった。
……というか、私が住んでいた世界は、ウソが当たり前だった。
今でも、何が本当で、何がウソなのか、よくわからない。
そういう自分がいやになり、私は私なりの経験を通して、そういう世界から抜け出た。
その結果が今。
私はウソとインチキには、妥協しない。
ウソをついたり、インチキをする人を、許さない。
相手が息子でも、許さない。
自分でもときどき「過剰」と思うことがある。
ワイフもときどき、こう言う。
「もう少し妥協したら……」と。

 考えてみれば、これも反動形成。
自分の中に潜む邪悪な人間性を隠すために、(……隠すという意識はあまりないが)、
表では正反対の自分を演じてみせる。
それが長くつづいたため、それが生活態度として、定着してしまった(?)。

 が、それで邪悪な人間性が消えたわけではない。
今でも道路でサイフのようなものを拾ったりすると、頭の中が混乱する。
こんな経験がある。
2007年に書いた原稿である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●勇気(2007年8月記)

+++++++++++++++

昨夜、コンビニの前を通ると、
小さなサイフが落ちていた。

イヤ~ナ気分だった。
私はそれを拾うと、自転車の前の
かごに入れた。

途中、信号待ちのところで、サイフを
開いてみると、何枚かのカードが
入っているのが、わかった。
住所と名前が書いてあった。

イヤ~ナ気分だった。本来なら、
そのままコンビニの店員に渡すべき
だった。

悶々とした気分。
「もらっちゃえ」と言う、自分。
「落としたヤツが悪いんだ」と言う、自分。
そんな自分が、そこにいた。

そんな自分を感じながら、家に着いた。
ワイフがそこにいて、「お帰り!」と
声をかけてくれた。

明るい声だった。

私「サイフを拾っちゃった」
ワ「どこで?」
私「あの○○のコンビニの前」
ワ「……」
私「名前と電話番号が書いているから、
そこへ電話して!」
ワ「うん」と。

あとの処理は、ワイフに任せた。
いくら入っているかは、見なかった。
知りたくもなかった。

かばんをかけて、書斎へ入るとき、
振り返ると、ワイフは、どこかへ
電話をかけていた。

よかった……。

夜、床についてから、私は、ワイフに
こう言った。

「サイフを拾うたびに、いまだに迷う。
子どものころの、あの邪悪な小ズルサ、
それが、いまだに、ぼくの心の中で生きている。

ぼくが子どものころには、拾ったお金は、
そのまま自分のものになった。

ぼくはそういう時代に生きていた」と。

+++++++++++++++

 ほかのことでは迷わない私でも、どういうわけか、拾ったお金については、そうではな
い。迷う。私が子どものころには、終戦直後ということもあって、拾ったお金は、拾った
子どものものだった。当時は、そういう時代だった。

 モラルもルールも、なかった。親たちにしても、食べていくだけで、精一杯。家庭教育
の「か」の字もないような時代だった。

 だから今でも、迷う。「返そう」という自分と、「もらっちゃえ」という自分。その2人
が、自分の中で、はげしく対立する。一度、心にしみついた(汚れ)は、そう簡単には消
えない。昨夜もそうだった。

 で、ここに書いたように、今回は、処理は、ワイフに任せた。数年前にも一度、同じよ
うにコンビニの前で拾ったことがある。そのときは、コンビニの店員に届けた。しかし今
回は、自転車のかごに入れて、もち帰ってしまった。

 つまり、このあたりに、私の善人としての限界がある。が、限界といっても、このとこ
ろ、輪郭(りんかく)が、ぼやけてきた。以前は、コンクリートの壁のようだったが、今
は、木の柵のようになった。簡単に乗り越えられる。

 おかげで、今朝は、どこかすがすがしい。さわやかな気分。心の中で、掃除機をかけた
ような気分といってもよい。それに少しだが、自分に自信がついた。

 世の中には、こわいものはいくらでもある。子どもたちは、「お化け」「幽霊」というが、
それもそうかもしれない。

 しかしほんとうにこわいのは、自分自身である。自分自身の中に潜む、邪悪な自分であ
る。この邪悪な自分に毒されると、人生そのものを無駄にしてしまう。前にも書いたが、「今、
生きている」という、その一時(いっとき)一時の時間ほど、貴重な財産はない。その財
産を、無駄にしてしまう。

 その邪悪な自分と戦うためには、勇気がいる。どういうわけだか、勇気がいる。しかし
その勇気を実感したとき、それが今度は、喜びに変わる。ここに書いた、「自信」も、そこ
から生まれる。

 「よかった!」と思ったところで、この話は、おしまい。今日(8月31日)も、始ま
った。

 みなさん、おはようございます!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●終わりに……

 反動形成と仮面。
今日1日は、この2つをテーマに、いろいろ考えてみたい。
どうして人は(私は)、反動形成をするのか。
仮面をかぶるのか。

 では、今日は忙しいので、ここまで。
推敲しないまま、BLOGに原稿をアップする。
ごめん!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 反動形成 拾ったサイフ 邪悪な自分 邪悪な私 抑圧 心の別室)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●愛する人の死

++++++++++++++++++

NG先生が亡くなって、もう2か月が過ぎた。
早いというか、長かったというか。
NG先生の奥さんから、今朝、メールが
届いていた。
「この2か月は、あっという間でもあり、
20年にも長く感じます」と。

自分の死を受け入れるのは、むずかしい。
いわんや、愛する人の死を受け入れるのは、
さらにむずかしい。

ひしひしと迫るくる孤独感。
さみしさ。
悲しさ。
それには理由がある。

「死」を前にした孤独感は、同時に
隔離感をともなう。
いくら近くに愛する人がいて、やさしい
言葉をかけてくれても、それは心に
しみこんでこない。
「死ぬのは、私ひとり」と。

その隔離感が、そばにいる相手にもわかる。
どんなに同情しても、同情しきれない。
あるところまで入ったところで、拒絶
されてしまう。
壁がある。
その壁を乗り越えることはできない。

だから死んでいく人も孤独だが、
しかしそれを近くで見守る人は、もっと
孤独。
さみしい。
悲しい。
足下をすくわれるような空虚感。
つかんでもつかみきれない、自分の心。
怒りと絶望感。
どうしようもない、怒りと絶望感。

死んでいく人も、また残された人も、
その怒りと絶望感と闘わねばならない。

++++++++++++++++++

●老後と孤独

 老後は、孤独との闘い。
先のない袋小路で、暗闇に包まれる。
日々に肉体は衰え、経験しなかった病魔が、つぎつぎとやってくる。
心配と不安。
いや、死ぬのがこわいのではない。
死ぬまでのプロセスが、こわい。
できれば、ポックリと死にたい。

しかしほとんどの人は、そうはいかない。
大病を患えば、なおさら。
オーストラリアの友人は、こう言った。
「さみしいか?」と私が聞いたときのこと。
その友人は、ポツリと、「うれしかった」と。

 友人の妻は、がんで、2年間苦しんだ。
そのあと死んだ。
その苦しみを見ていたからこそ、友人は、そう言った。

●散歩

 NG先生の奥さんの気持ちを察するにつけ、胸が痛む。
どんなにどうがんばっても、奥さんの気持ちの中には、入れない。
そこには、先に書いた隔離感がある。
だから私にできることと言えば、そっと奥さんの心を暖かく包んでやることでしかない。
それで奥さんの気持ちがやすらぐとは、思わない。
さみしさや悲しさが、癒されるとは思わない。
しかしそれしかできない。
その歯がゆさ。

 NG先生が亡くなったと聞いた午後、私は、長い散歩に出た。
例年になく冷たい北風が、吹いていた。
乾いた北風で、道路脇の木々が、それに大きく揺れていた。

通り過ぎる人にも生彩がなかった。
ふだんならけばけばしく見える店の看板も、色彩を失っていた。
……というか、ほとんど顔をあげないで、歩いた。
ときどき前を見、あとは側溝のふたの上を歩いた。
灰色の、どこまでも灰色の、味気ない道。
その上をとぼとぼと、歩いた。

●通夜

 通夜のときも歩いた。
NG先生の自宅までは、40~50キロはある。
電車でも、4つ目の駅。
足が痛くなって、2つ目の駅で、電車に乗った。
それまで歩いた。
歩いているときだけ、私は、さみしさや悲しさを忘れることができる。
子どものころから、ずっとそうだった。
そのときも、そうだった。

 通夜の日は、さらに冷たい風が吹いていた。
身を切るような冷たさだった。
駅を下りてから、それからまた20分ほど、歩いた。
何度か、通った道。

 そう、NG先生だけだった。
NG先生だけは、私の原稿を、隅々まで読んでくれた。
一度の例外もなく、長い感想文をそのつど、送ってくれた。
NG先生という人は、そういう人だった。
そういう人を、私は失った。

 そのさみしさ。
その悲しさ。

●急死

 NG先生の死は、突然だった。
本当に、突然だった。
いつものように近くの病院へ、定期診断に行った。
注射を打ってもらった。
その直後、急変。
そのまま帰らぬ人になった。

 私はそんな死に方を、ほかに知らない。
それまで孫の世話をし、犬と散歩をしていた。
だからそれを認めろと言われても、すぐにはできなかった。
今もできない。

 ただおかしなことに、たいへんおかしなことに、私はNG先生を、うらやましく
思っている。
それを「ポックリ」と言わずして、何という。
そうでなくても、60歳を過ぎると、つぎつぎとやってくる。
経験したことのない、痛み、症状、病気……。
そのたびに「死」の影におびえ、ビクビクする。
70歳になれば、なおさらだろう。
80歳になれば、なおさらだろう。

 63歳の私ですら、ときどき、こう思う。
「もう、いいかげんにしてくれ。
命がほしいなら、さっさと持って行け!」と。

●NG先生の業績

 誤解しないでほしいのは、だからといって、死を望んでいるのではない。
死にたくない。
1回ポッキリの命。
しかし問題は、その生き方。
が、このところ、どう生きるかということよりも、どう死ぬか。
それをよく考えるようになった。

 できればこの世に生きたという証(あかし)を残したい。
かなわぬぜいたくということは、よく承知している。
しかしそれでも残したい。
その方法は、あるのか。
可能なのか。

 ……言い換えると、私がしなければならないこと。
NG先生は、教師であると同時に、学者だった。
その業績には、すばらしいものがある。
その業績をこの世に残すこと。
方法はいろいろある。
が、私ができることは、インターネット上に、先生の論文を残すこと。
このままNG先生が、この世から忘れ去られてしまうことには、耐えられない。
つまりそれが私の、NG先生との死と闘う、ゆいいつの方法ということになる。

 NG先生は、死んでいない。
まだ生きている。

 ……と力んではみたが、やはりさみしい。
このやるせなさを、どうしたらよいのか。
私は今、その怒りと絶望感と闘っている。
勝ち目のない闘いだが、がんばるしかない。


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●TOYOTA プリウス問題

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●希薄になる親子関係(資料)


 自分の子どもが行方不明になれば、親は、必死になってその消息を
求める。
が、子どものほうは、どうか。
つぎの調査結果をみてほしい。
それが結論ということになる。


あるいは親子というのは、もともとそういうものなのか。
またそう考えてよいのか。


 今どきの若者たちに、親が、「親のめんどうはどうするのか?」と聞くと、こう答える。
「お前は(=親は)、見返りを求めて、オレたち(=自分)を育ててきたのか!」と。
あるいは気持ちをたずねただけで、「干渉」という言葉を使って、はねのける。


 日本と韓国は、双子国と揶揄(やゆ)されるほど、中身がよく似ている。
日本人の親子関係も希薄なら、韓国人の親子関係も希薄。
もう一度、日本の内閣府がした調査結果を、よく見比べてみてほしい。


+++++++++++++++


●第8回世界青年意識調査より


(将来、親のめんどうをみるか?)


年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。


★年老いた親を養うことについてどう思うか


『どんなことをしてでも親を養う』(1)
イギリス  66.0%、
アメリカ  63.5%、
フランス  50.8%、
韓国  35.2%、
日本  28.3%


★将来、子どもにめんどうをみてもらいたいか?


自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい日本の青年は5割弱で、韓国に次いで低い。


★「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか


『そう思う』(2)
イギリス  70.1%、
アメリカ  67.5%、
フランス  62.3%、
日本  47.2%、
韓国  41.2%
(以上、内閣府、平成21年調査より)


++++++++++++++++


●何も書きたくない!


 この数字がすべて。
私は、何も書きたくない。
しかしこの問題は、結局は自分人に返ってくる。
それとも今どきの若者たちは、永遠に、若いままと思っているのだろうか。
もしそうだとするなら、これほど、オメデタイ話はない!


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 内閣府 親子関係 どんなことをしてでも親のめんどうをみる 親の
めんどう 親のめんどうをみる 成人男女の意識調査 はやし浩司 将来親のめんどうを
みる 親を養う)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【2月8日という、「今」論】

●時の流れ

 今、この瞬間だけをみる。
遅々として進まない時間。
今朝は風もない。
昨日までの強風は消え、今は、庭の木々も、動きを止めている。

 これが時間か?
時間というものか?

 しかしそこにあるのは、「今」だけ。
過去は、ない。
未来は、ない。
つねに「つぎの今」がやってきて、また「過去の今」へと去っていく。
よい例が、人の死。

 NG先生が亡くなって、もう2か月になる。
早いというよりは、今と2か月前との間に「時間」がない。
「2か月」という数字はあるが、その実感がない。
つい数日前……というよりは、この2か月が、瞬時に消え去った。
……消え去ってしまった。

●人の死

 学研の幼児局に、斉藤洋三氏という編集長がいた。
世話になった。
その人が亡くなって、もう20年以上になる。

 そのあと、その斉藤洋三氏を追うように、本郷左智夫氏という編集長がが亡くなった。
「学習」「科学」という、日本を代表する学習雑誌を創りあげた編集長である。

 これら両氏が、今、ここでどうこうというのではない。
今、そういう人たちを思い出しながら、こう思う。
「瞬時だな」と。
その間に「20年」という時の流れがあるはず。
が、その実感が、どこにもない。

 さらに40年前に亡くなった、伯父がいる。
30年前に亡くなった叔父がいる。
それらのオジにしても、ともにその「時」から、今に至るまで、「瞬時」。
どの人を思い出しても、つい瞬間前に亡くなったような気がする。

 言い換えると、この先、10年、あるいは20年など、その瞬時に過ぎる。
いくら私やあなたが、「私たちは生きている」と実感しても、
その実感は、つぎの瞬時には、またたく間に消える。
時の流れというのは、そういうもの。

●順番

 人の死について、「順番」と考える人がいる。
それはその通りと思う。
うまくいけば(?)、人はその順番に従って、この世を去っていく。
ときどきその順番が狂う人もいる。
若くしてこの世を去る人もいる。
しかしおおむね、「順番」という考え方は、まちがってはいない。

 毎年、私より年上の人たちは、どんどんとこの世を去っていく。
どんどんと消えていく。
とくにこの数年の動きは、はげしい。
人も60歳を過ぎると、それがよくわかるようになる。
そのさみしさ。
そのはかなさ。

 しかしそれが人の世と割り切れば、同時に自分の死も割り切れる。
そのときが来たら、それを受け入れる。
仮にその先10年、長生きしたところで、(あるいは20年、長生きしたところで)、
それがどうだというのか。
瞬時は、瞬時。
だからこそ、私たちは、「今」を懸命に生きる。
一瞬一秒とて、無駄にできる時間はない。
また無駄にしては、いけない。

●死の恐怖

 先日、私は後頭部にはげしい神経痛を覚え、その場に倒れてしまった。
首を不意にひねったようなとき、ときどきそれが起きる。
が、そのときは、ちがった。
太い何百本もの神経が、一度にひねられたような痛さだった。

 私は床に倒れたとき、こう思った。
「ああ、これで死ねる」と。

 けっして死を望んでいたわけではない。
またそういう状況でもなかった。
が、不思議なことに、本当に不思議なことに、何もこわくなかった。
その瞬間だが、私は死をすなおに受け入れていた。
幸い……というか、いつもそうだが、その痛みは、数秒単位の短い時間で収まる。
私はそのあと、ゆっくりと床から、立ち上がった。

 私たちがなぜ死を恐れるか。
これはあくまでも私のばあいだが、私は死ぬまでのプロセスがこわい。
生きるのもたいへんだが、死ぬのもたいへん。
簡単には死なせてくれない。
ワイフもときどき、こう言う。

「ボケ老人になり、みなに、迷惑をかけて死ぬのはいや」と。
同時に、「どうしてこの日本では、安楽死を認めてくれないのかしら」とも。

●ワイフと……

 昨夜は、寝床に入ってから、ワイフとこんな会話をした。

私「もしぼくが死ぬことになっても、悲しまないでよ。
ぼくが死んでも、やがてお前が死ぬときまでは、瞬時だからね」
ワ「私はあなたが死ぬまで、しっかりとめんどうをみるわ」
私「ありがとう。
そのかわり、お前が死ぬときは、かならず迎えに来るよ。
どんなことがあってもね。
神様や仏様が怒っても、迎えに来るよ」
ワ「頼むわ」と。

 そのほかにもいろいろ話した。
時計をみると、午前1時を過ぎていた。
それを最後に、私たちはいつの間にか、眠ってしまった。
 
 私たちは、こうする。

 私が死んでも、葬式などは、いっさい、しない。
だれにも知らせない。
だれも来なくてよい。
ただワイフだけ、一晩、横にいてくれれば、それでよい。
で、そのあと、火葬場で焼かれて、灰になる。
その灰は、ワイフが死ぬまで預かる。

 昨夜もワイフは、それをしっかりと約束してくれた。
私は何度も念を押した。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 遺言 晃子への遺言)

●懸命さ

 私たちはこの宇宙で、瞬時に生まれ、そのまた瞬時に死んでいく。
その間に、長い時間があるように見えるが、もともとそんな「時間」など、存在しない。
100年前に生きた人も、1000年前に生きた人も、みな同じ。
1万年前に生きた人も、10万年前に生きた人も、みな同じ。

 この先の「未来」についても、同じ。
この先10年生きようが、20年生きようが、それがどうだというのか。
50年でもよい。
つぎの瞬時には、私もあなたも、この世から消えてなくなる。
それがわからなければ、私やあなた自身の過去をみればよい。
この10年間は、どうだったか?
この20年間は、どうだったか?
どれも瞬時に過ぎたはず。
そのいとおしさ。
切なさ。

 大切なことは、「今」を懸命に生きること。
懸命に生きて、生きて、生き抜く。
つぎの「今」は、その結果として、からなずやってくる。
が、それでも、「今日はよくがんばった」と思える日など、ない。
一日もない。
が、だからといって、生きるのが無駄というのではない。
その逆。
その(懸命さ)の中から、無数のドラマが生まれる。
人がなぜ、この世界に生まれ、そして死んでいくか。
その答は、シンプル。
無数の人間が織りなすドラマにこそ、価値があるから。
意味があるから。

 不完全でボロボロの世界。
だからこそ、おもしろい。
楽しい。

●はやし浩司 2011-0208

 今朝も5時に起きた。
睡眠時間は4時間(?)。
すぐウォーキングマシンで運動。
今朝は、10分間だけ、した。
書きたいことがたくさんあった。
汗が体ににじんだところで、そのまま書斎へ。

 パソコンを立ち上げ、メールに目を通す。
ニュースを読んで、あちこちのサイトのアクセス数を知る。
そのあと昨日撮影したビデオを、編集。
そのままYOUTUBEにアップ。
原稿を書き始めたのは、そのあと。
そう言えば、昨晩、ふとんの中でワイフがこう言った。

「あなたはいいわね。自分の書いたものが残るから」と。

 ワイフはいつもそう言う。
が、私は、そんな安易な気持ちで原稿を書いているのではない。
原稿イコール、私の墓石。
毎日自分の墓石に文字を刻むようなつもりで、文を書いている。
「私の命」そのもの。
「今」を生きる私の命そのもの。
今という瞬間を、実感のあるものにするためには、それしか方法がない。
だから書く。

●今日も始まった

 ……こうして今日も始まった。
何が書けるかということではない。
どんな新しい発見ができるか。
それが重要。
何か新しい発見ができれば、それでよし。
そうでなければ、そうでない。

 ただ願うことは、夜、床に就いたとき、深い後悔のため息だけは
つきたくないということ。
あれほどつまらない敗北感は、ない。
何としても、それだけは避けたい。
またそうあってはいけない。

 まさに『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』(論語)。
それをもう一度、深く、胸に刻む。


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●アホの上塗り(How are you ashamed of yourselves, Mr. NHTST, USA?)

To: NHTSA, USA

What has been the "TOYOTA" problem?
Please re-read my article which I wrote in 2010.
In that article, I wrote, "Be ashamed NHTSA!"
I also agein write here, "Be ashamed, NHTSA!"

+++++++++++++++++++++++++

Toyota Cars are not Spacecrafts!
Be ashamed, NHTSA!
Why NASA now?

++++++++++++++++++++

このたび、TOYOTAの「シロ」が、
確定した。

まず、YOMIURIの記事から。

+++++++++++++以下、YOMIURI+++++++++++++++

 ラフード米運輸長官は8日の記者会見で、末娘からの問いあわせに“お墨付き”を与え
たことを明らかにした。末娘は、昨年、トヨタ自動車の2011年型ミニバン「シエナ」
を購入したという。

 長官は、「娘は決定的な保証を欲しがった。だから、(安全当局に)チェックした上で、『買
うべきだ』と答えた」と語った。「我々が、トヨタ車が安全と感じているという例だ」とも
述べた。長官は昨年2月、議会で「トヨタ車の運転をやめるように」と発言していた。

+++++++++++++以上、YOMIURI+++++++++++++++

●ラフード米運輸長官

 こんな記者会見程度で、TOYOTAが被った損害が、解消できるのか?
それで責任を果たしたことになるのか。
このラフード米運輸長官は、アホ中のアホ。
TOYOTA車に、宇宙線をあててまで、欠陥を探し出そうとした、その張本人である。
「車に、宇宙線」だぞ。
それもNASAと協力して?!

 ラフード米運輸長官は、「論理学」の「ロ」の字も知らない、アホ。
アホ長官。

●2010年に書いた原稿より

 昨年(2010)に、私が書いた原稿を、もう一度、よく読んでみてほしい。
ここに書いた「アホ」の意味が、よくわかってもらえるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●TOYOTA車は、宇宙船ではない!(Re-written on April 1st)
(改作・10-04-01)

Toyota Cars are not Spacecrafts!
Be ashamed, NHTSA!
Why NASA now?

(2日前の3月30日に書いた、「TOYOTA車は、宇宙線ではない」の
原稿が、あちこちのサイトで紹介され、今までにない波紋を広げている。
その原稿を補足してみる。)
2010年4月1日。

++++++++++++++++++++

交通事故の95%は、運転手の操作ミスに
よるもの。
そのうちの何割かは、アクセルとブレーキの
不適切な操作によるもの。
ところで、こんな仰天ニュースが、読売
新聞に載っていた。
そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、読売新聞、2010-3-30日++++++++++

【ワシントン=岡田章裕】トヨタ自動車の車の急加速問題で、米航空宇宙局(NASA)
と全米科学アカデミー(NAS)が、米高速道路交通安全局(NHTSA)の要請を受け
て事故原因の調査に乗り出すことが30日、明らかになった。
 米ワシントン・ポスト紙が報じた。

 トヨタ車の急加速問題では、ラフード米運輸長官が2月に電子制御系の調査を数か月か
けて行う方針を表明したが、事故原因は特定されていない。放射線などが電子制御系に影
響を与えているとの見方もあり、NHTSAは両機関の協力を得てより科学的な調査を行
う考えだ。

+++++++++++以上、読売新聞、2010-3-30日++++++++++

●悪玉づくり

 米高速道路交通安全局(NHTSA)は、何としても、TOYOTA車を、悪玉に仕立
てあげたいらしい。
つまり引くに引けなくなった。
そこで今度は、NASAに事故調査依頼したという。
「放射線などが電子制御系に影響を与えているとの見方もある」とか?

 ハア~~~?

 電子制御装置を使用していない車など、いまどき、ない。
何らかの形で、使用している。
TOYOTA車だけが、電子制御装置を使用しているわけではない。
仮に放射線が電子制御装置に影響を与えるとするなら、すべての車に影響を与えるはず。
また与えるとしたら、平均して、すべての車に影響を与えるはず。
すべてのTOYOTA車に影響を与えるはず、でもよい。

 つまりすべてのTOYOTA車が、急加速現象を起こすはず。
そこでまたまた論理学の話。

●疑問

(1)「放射線が影響を与える」というのなら、(仮にそれがわかったとしても)、では、そ
の放射線とやらは、どこから発せられたのか。

そこまで解明しなければならない。
仮に宇宙からの放射線ということであれば、すべての車にまんべんなく、影響を与えるは
ず。
アメリカを走るTOYOTA車全体が、急加速現象を起こしてもおかしくない。

(2)この発想は、絶縁体をはがして、電線をショートさせてみた、どこかのアホ教授の
それと、どこもちがわない。

「通常では起こりえない状態を人為的に作り、それでもって、急加速の原因」と。
もしこんな手法がまかり通るなら、あちこちの電線を切ってつないでみればよい。
それでおかしくならない車など、ない!
つまりバカげている。

(3)米航空宇宙局(NASA)と全米科学アカデミー(NAS)に、調査を依頼したと
か?

TOYOTA車は、宇宙船ではない。
地上を走る車である。
素人の私でも、放射線が、(強弱の程度にもよるのだろうが)、電子制御装置に影響を与え
るかもしれないという程度のことは、おおかた予想がつく。
もしそうなら、さらに宇宙線の影響を受けやすい、航空機はどうなのかという問題がある。
もし「YES」という結果が出たら、車の心配より、飛行機やミサイルの心配をしたほう
がよい。

(4)仮に「YES」という調査結果が出たとしても、それでもって、急加速現象の証拠
とはならない。

もしこんな論法がまかりとおるなら、この先、運転の操作ミスで事故を起こした人は、こ
ぞって、放射線影響説を唱えるようになるだろう。
「運転ミスではない」と。

●論理学(必要・十分条件)

 もう一度、論理学の世界で、この問題を考えてみたい。
つぎの問題を考えてみてほしい。

【問】

 ここに4枚のカードがある。
表には、(△)か(□)が描いてある。
『表が(△)のときは、裏には赤の(●)が、かならず描いてある』。
このことが正しいことを証明するために、あなたはつぎの4枚のカードのうち、
どれをめくってみるか。

1枚目……(△) 
2枚目……(□) 
3枚目……赤の(●) 
4枚目……青の(●)

 単純に考えれば、1枚目と3枚目をめくればよいということになる。
1枚目をめくってみて、赤の(●)。
3枚目をめくってみて、(△)。

 しかしこれでは先の命題を、正しいと証明したことにはならない。
1枚目をめくったとき、裏に赤の(●)があれば、命題の条件に合致する。
3枚目の赤の(●)をめくってみたときも、そうだ。
表に(△)があれば、命題の条件に合致する。
が、これでは十分ではない。
だからといって、「(△)のカードの裏は、赤の(●)」ということが、証明された
わけではない。
つまり先の命題が、正しいことを証明したことにはならない。

 この命題が正しいと証明するためには、この命題はまちがっていない
ことを明らかにしなければならない。
が、その前に書いておかねばならない。
3枚目は、めくっても意味はない。 
仮に3枚目をめくったとき、表に(△)が描いてなくても、(つまり(□)で
あったとしても)、この命題の証明には、影響を与えない。

 では、どれをめくればよいのか。

 1枚目をめくって、赤の(●)が出てくることは、命題の証明には必要。
しかし十分ではない。
そこでこの命題はまちがっていないことを証明しなければならない。
それを決定するのは、4枚目のカードということになる。
4枚目は青の(●)。
もしこのカードをめくってみて、(△)が出てこなければ、この命題はまちがって
いることになる。
そこで4枚目をめくってみる。
表に(△)が出てくる。
この段階ではじめて、命題は、まちがっていないということになる。

 これが「論理」である。

●必要・十分

 話を戻す。

 「放射線が、TOYOTAの車の電子機器に影響を与える」ことを証明するためには、
TOYOTAの車に、放射線を照射して、不具合を起こすだけでは足りない。
「必要な実験」かもしれないが、「十分」ではない。
ほかのメーカーの車にも、照射してみなければならない。
つまり「ほかの車では、何ともなかった」ということを証明しなければならない。

(いまどき何らかの形で、電子機器を搭載していない車は、ない。)
さらに、もし放射線が原因であるとするなら、(放射線というのは、すべてのTOYOTA
車に、まんべんなく降り注いでいるものだから)、「なぜ特定の車だけに、影響が出たのか」
も証明しなければならない。
まだある。

「どうしてアメリカのTOYOTA車だけに、集中的に影響を与えたか」についても、
証明しなければならない。
そこまで証明して、はじめて、「十分」となる。

 また仮に放射線が原因であったとしても、そこまで予測可能であったかという問題も残
る。
私もコンピュータを使うようになって、すでに35年になる。
コモドール社のPETの時代から、使っている。
が、今にいたるまで、一度だって、「放射線の影響」など、考えたこともない。
パソコン雑誌を書かさず読んでいるが、それが話題になった記事を見たこともない。

 「放射線」という言葉は、いったい、どこから出てきたのか?

●振り上げた拳(こぶし)

 調査が進むにつれて、話がおかしくなってきた。
米高速道路交通安全局(NHTSA)は、ふりあげた拳(こぶし)を、おろすにおろせな
くなってしまった。
そこで言うに事欠いて、今度は、NASAに調査依頼?

 バカげているというか、常軌を逸している。
もし米高速道路交通安全局(NHTSA)が調査すべきことがあるとするなら、両足を、
アクセルとブレーキにかけて走っているドライバーが、アメリカには、何%いるか、だ。
飲酒運転をしているドライバーの数や、携帯電話をかけながら走っているドライバーの数
でもよい。

 最後に、現在、TOYOTAのハイブリッド車は、アメリカだけで、600万台以上も
走っている。
そのうちの数百台に急加速現象が起きたという。
が、全体からみれば、1万分の1。
0・01%!
事故の95%は運転手の運転操作ミスという数字は、いったい、どうなるのか。
先にも書いたように、その大部分は、アクセルとブレーキの踏みまちがいによるもの。
アクセルとブレーキを踏みまちがえれば、どんな車だって、急加速する。

●統計的調査(補足)

 ここで私は、冗談ぽく、「両足を、アクセルとブレーキにかけて走っているドライバーが、
アメリカには、何%いるか」を調べたらよいと書いた。
しかしこれは冗談ではない。

 たまたま昨日も、近くのTOYOTAの販売会社のディーラーの人と話した。
その人(50歳くらい)も、こう言っていた。
「アクセルとブレーキを同時に踏んで運転するなどということは、日本では考えられない」
と。
つまり車の運転の仕方が、日本とアメリカとでは、ちがうらしい、と。

 そこでこんなことを調査してみたらどうだろう。

(1)両足を乗せて運転する人の割合(%)と、急加速問題が起きた割合(%)。

 たとえばA国では、両足を乗せて運転する人が、10%いたとする。
そしてそのA国では、TOYOTA車につき、100件の急加速現象が起きたとする。
割合が、全体の、0・01%だったとする。
これが基礎データ。

 つぎにB国について調べる。
B国では、両足を乗せて運転する人が、5%いたとする(A国の10%の半分)。
同じようにB国でも急加速現象が起きたとする。
そのときその割合が、0・01÷2(半分)=0・005%と同じか、かぎりなくその数値
に近ければ、急加速現象は、TOYOTA車の欠陥ではなく、運転の仕方に原因があると
いうことになる。

 同じように、(2)TOYOTA車における、運転操作ミスによる交通事故の割合(%)
と、ほかのメーカーにおける、運転操作ミスによる交通事故の割合(%)でもよい。

●車の欠陥

 交通事故の95%は、ドライバーの運転操作ミスによるものだという(米高速道路交通
安全局(NHTSA))。
残りの5%が、車の欠陥によるものということになる。

 そこで改めて数字を拾ってみる。
 現在、アメリカでは、600万台のTOYOTAのハイブリッド車が走っている。
うち数百台が急加速現象を起こし、事故につながった可能性があるという(米高速道路交
通安全局(NHTSA))。
仮に600台としても、0・01%。

 もし私が米高速道路交通安全局(NHTSA)の幹部なら、TOYOTAの車を問題に
する前に、車の車検制度を考える。
私の二男もアメリカで学生をしているころ、車を買った。
が、ドアを満足に開けることさえできなかった。
そういう日本では考えられないような車が、アメリカでは、平気で走っている。
どうしてそういうことを、問題にしないのか。

 さらにドライバーの教育問題もある。
アメリカでは、高校生のとき、授業のひとつとして、運転教習を受け、免許を手にしてい
る。
どういう教習をしているのかは知らないが、そのあたりにまで一度、メスを入れてみる必
要があるのでは?

●放射線?

 それにしても、今度は、「放射線」というところがすごい!
その少し前にも、TOYOTAのディーラーの人と話したが、この日本では、急加速問題
は起きていないという。

(このところ車の買い換えもあって、たびたびTOYOTAの販売会社に、足を運んでい
る。)

つまり放射線なるものは、どうして日本には降り注がないのか、そのあたりもきちんと証
明しなければならない。
(あるいは大病院の放射線照射ルームの近くで、そういう事故が多発したというデータで
もあれば、話は別だが……。)

 また論理学の世界で考えるなら、先にも書いたように、「放射線が、電子制御装置に影響
を与える」というだけでは、十分ではない。
「ほかの車の電子制御装置が、なぜ影響を受けないか」ということまで証明して、はじめ
て十分となる。
これ、称して、「必要・十分条件」という。
(私たちが子どものころは、こんなことは、中学校で学んだぞ!)

●だいじょうぶか、アメリカ!

 私は、今度ほど、アメリカ人の脳みその程度を疑ったことはない。
また調査依頼を受けたNASAもNASA。
そのあたりの情報は、すでにもっているはず。
改めて調査するまでもなく、その情報を公開したらよい。

 なお私なら放射線より先に、たとえば静電気とか、稲妻とか、あるいは走行中の振動が
与える影響について調べる。
ついでに肉食人種たちが出す、あの臭いおならでもよい。
さらに悪霊のたたりでもよい。
一度、そのあたりも、調査してみてほしい。

 NASAに調査依頼するよりは、スカリーとモウルダーに依頼したほうがよいのでは?
これぞまさしく、X-File!

 ……というのは、少し書き過ぎということはわかっている。
先に「どこかのアホ教授」とも書いた。
しかしアホはアホ。
そういう常識では考えられないような実験を真に受け、それでもって、「急加速現象が証明
できた」とした、米高速道路交通安全局(NHTSA)も、アホ。
まともに相手にするのもバカバカしいほど、常識をはずれている。
だから「アホ」と書いてしまう。

言葉は汚いが、私はそれ以外の言葉を思いつかない。

(はやし浩司 ラフード米運輸長官 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て 
Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 トヨタ車の急加速問題 米高速道路交通安
全局(NHTSA) NASA 放射線の影響 放射線と電子制御装置 宇宙線と電子制
御装置 影響 TOYOTA ハイブリッド車)

●終わりに

 ラフード米運輸長官は、こう言ったという。
「娘は決定的な保証を欲しがった。だから、(安全当局に)チェックした上で、『買
うべきだ』と答えた」と。

 それに応じて、日本の経団連は、「安全性のお墨付きをもらった」とはしゃいでいる。
が、これもおかしい。
日本の車、社会、経済に与えた影響は、計り知れない。
それをさておき、「お墨付き」とは?
どうして日本は、ここまで隷属するのか。
シッポを振るのか。
本来なら、「コノヤロー!」と激怒し、損害賠償を請求してよい事案である。
どうしてそれをしないのか?

 つまりラフード米運輸長官のこの程度のリップサービスで、日本人のあのときの
(怒り)をご破算にしてすませてはいけない。
またそれですむような話ではない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 
■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

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●日本の相撲?

2011-02-27 08:57:03 | 日記




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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 21日祭日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●佐久間象山(1811~1864)と皆神山(長野県長野市)

++++++++++++++++++++

こんなロマンがある。
つまりおとぎ話。
その話というのは……。

佐久間象山という幕末の学者がいた。
幕末の志士たちに、大きな影響を与えたとされる。
その中には、吉田松陰、勝海舟、坂本竜馬
などがいた。
とくに勝海舟とは縁が深い。
勝海舟の妹の順が、佐久間象山の妻である。

たいへんな学者で、国家論のみならず、ガラスの
製造法、電話の研究、地震予知機まで研究して
いたという。

その佐久間象山の生まれ故郷が、長野県松代。
現在は、長野県長野市になっている。
その松代。
ワイフに、「一度は行ってみなければいけないね」と
言うと、「どうして?」と。

+++++++++++++++++++

●皆神山

 松代には、不思議な山がある。
ピラミッドのようでもあるが、上部半分が、火山口のようにもなっている。
名前を「皆神山」という。
昔からその山の地下に、3キロx1・6キロの大空間があるとされる。
人工的に造られた山という説もある。
ウソか本当か?

 今では、インターネットを使えば、簡単に調べられる。
YOUTUBEで、「皆神山」を調べると、ズラリと画像が並ぶ。
その皆神山と佐久間象山の関係は、わからない。
ただ佐久間象山が、そのあたりで、生まれ育ったというだけである。
が、ここで私が「不思議な山」というのは、地下の大空間のことを言うのではない。
実は、皆神山というのは、UFO研究者たちの間では、UFOの出没地として
よく知られているということ。
(以上、「UFOエイリアン」(ダイアプレス参考))。

●佐久間象山

 佐久間象山の写真(国会図書館蔵)を見て、まず驚くのが、その日本人離れした顔。
長い顔。
大きく鋭い目。
日本人というよりは、アラブ系もしくはユダヤ系。
耳たぶが頭部にぴったりくっついているのか、写真では、両耳が見えないこと。
佐久間象山は、遺伝子操作によって宇宙人によって作られた人間……。
……と書くと、何となくあやしげなエッセーになってくる?
しかしこれはロマン。

39-10.jpg

ウィキペディア百科事典には、こうある。

「……象山は兵学のみならず、西洋の学問そのものに大きな関心を寄せるようになる。
ガラスの製造や地震予知器の開発に成功し、更には牛痘種の導入も企図していた。
嘉永6年(1853年)にペリーが浦賀に来航した時も、象山は視察として浦賀の地を
訪れている」と。

 SF小説的に考えだすと、思考が止まらなくなる。
おもしろいというより、ワクワクしてくる。
(ただしロマンの範囲で……。)

私「なあ、今度、長野へ行ったら、皆神山まで足を延ばしてみようか」
ワ「春になったら、ね」と。

 現在は雪の中。
それまでに資料集め。
(ただしロマンの範囲で……。)

●旅行(ロマンを求めて……。)

 ……というようなことを書いたが、佐久間象山がどうのとか、皆神山がこうのとか、
いうのではない。
ただ「こういう話は、おもしろい」という範囲での話。
同じ旅行でも、ロマンを描きながらするのと、そうでないのとでは、おもしろみがちがう。
たとえば伊豆の天城峠。
そこに一本のトンネルがある。
何の変哲もないトンネルだが、(どこにでもあるようなトンネルだが)、「踊り子」
(川端康成)が通ったトンネルと思うだけで、楽しさが倍増する。
それと同じ。

 近く大学時代の友人を訪問しながら、長野まで行く。
そのときここに書いたことを思い出しながら、そのあたりを旅をする。
おもしろさが、倍増するにちがいない。
ワイフと議論を重ねるのも、楽しい。
つまりそれがここでいう「ロマン」。

 佐久間象山は、ひょっとしたら、宇宙人だったかもしれない。
皆神山は、UFOの発着場であったかもしれない。
つまりそれがここでいうロマン。
おとぎ話。
もちろん本気で信じているわけではない。
(UFOの存在は、信じているが……。)

 今日は、2月2日。
将棋(PSP)をしながら、ウォーキングマシンの上で、30分、歩いた。
汗をかいた。
みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【相撲疑獄】(八百長事件)

●国技?

++++++++++++++++++

ときどき、子どもたち聞く。
「相撲を見ている?」と。
が、そのたびにみな、こう言う。
「見ていない」と。

私が知るかぎり、「相撲ファン」の子どもはいない。
ゼロ!

が、そんな相撲中継を、NHKは、毎日午後1時過ぎから、
6時前後まで中継している。
NHKと相撲協会。
何か、あやしい?
何か、臭い?

「国技」とは名ばかり。
ただの「興業」。
金儲けのための興業。
もちろんスポーツではない。

++++++++++++++++++

ちょうど1年前、こんな原稿を書いた。
2010年2月の日付になっている。

++++++++++++++++++

●おかしな投票(日本相撲協会の理事選挙)

+++++++++++++++++

相撲協会が、理事選挙を行った。
その結果を、まずよく見てほしい。

■理事選の各候補得票数

武蔵川 ・・・11票
北の湖 ・・・10票
出羽海 ・・・10票
放駒  ・・・11票
ニ所ノ関・・・11票
大島  ・・・ 8票(落選)
友綱  ・・・10票
陸奥  ・・・10票(新任)
鏡山  ・・・10票(新任)
九重  ・・・10票
貴乃花 ・・・10票(新任)

投票は、111人の評議員
(親方107人、力士2人、立行司2人)によって、
無記名で行われた。

++++++++++++++++

●まちがいさがし

 「まちがいさがし」という遊びがある。
2枚の絵を見比べながら、まちがいをさがす。
で、そのまちがいさがしをするような気持ちで、この投票結果をよく見てほしい。
何か、おかしい?
どこか、おかしい?

 投票は、無記名でなされたはず。
「投票」ということは、「投票」。
選挙である。
しかしこんな選挙があるか?
土建業者の談合でも、ここまではしない。

●インチキ選挙

 落選した大島は、8票。
が、残る1人は、全員、11票か10票!
きれいに、11票か10票!

 今回の選挙で注目されたのは、貴乃花。
当初、貴乃花を支持を表明したのは、親方6人だけと言われていた。
が、フタをあけてみたら、10票!
この票の動きも、どこか不自然。
もっと言えば、うさんくさい。

 あらかじめ支持を集めながら(?)、理事候補者たちが立候補した。
それはわかる。
しかし結果は、先に書いたとおり。

●闇の奥の日本相撲協会

 日本の相撲協会ほど、闇に包まれた協会はない。
巨額のお金が、その闇の奥で、乱舞している(?)。
ときどきその一端がマスコミに流れ、世間を騒がす。
それはそれとして、こういう選挙結果を見ると、相撲協会とは、いったい何なのか?
さらに踏み込んで言えば、国技とは何なのか?
そこまで考えてしまう。

 そこでさっそく、小学生を中心に、50人ほどの子どもたちに聞いてみた。
「相撲を見ている人?」と。
答は、ゼロ!
「相撲が好きな人?」と。
答は、ゼロ!

 にもかかわらず、NHKだけは、BS放送で、午後1時半前後から夕方6時前後まで、
いつも実況中継している。
NHKと相撲協会は、会長職でつながっている。

 「国技」ということは、わかる。
が、もちろんスポーツではない。
何も、ここまで保護しつづけなければならない理由などない。

 日本相撲協会の理事選挙の結果を見ながら、いろいろと考えさせられた。
つぎの選挙は、(今回が4期8年ぶりだったということを考えるなら)、8年後ということ
になる。
そのときは、もう少し自然な(?)、投票結果になるかもしれない。
こんなインチキ臭い選挙は、見たことがない。
聞いたこともない。
私が書いていることがおかしいと思うなら、もう一度、あなた自身の目で、「まちがいさが
し」をしてみてほしい。
もう一度、選挙結果を、よく見てほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 相撲協会 日本相撲協会 理事選挙)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●八百長事件

 相撲の八百長は、私が学生時代のころからうわさになっていた。
取り組みが終わると、下っ端が、現金を包んで部屋を走り回るというような話もあった。
が、そのたびに相撲協会は、「八百長はない」と。

 しかし今度ばかりは、逃げられない。
物的証拠が出てきた!

 日本経済新聞は、つぎのように伝える。

+++++++++++++以下、日経新聞++++++++++++++

高木義明文部科学相は3日午前の衆院予算委員会で、日本相撲協会の放駒理事長から同日
朝に八百長問題について報告があったと明らかにし「名前があがっている(13人の)力士
のうち、3人が八百長に関与したことを認め、新たに1人の力士の名前があがっている」
と述べた。

 文科相は「相撲協会は弁護士など専門家により徹底した調査を本日から行う。計14人の
力士については6日の理事会までに中間報告を終えて概要を報告する」と説明した。「事の
重大性に鑑み状況を踏まえて厳正に対処していきたい」とも述べた。自民党の斎藤健氏へ
の答弁。

+++++++++++++以上、日経新聞++++++++++++++

●相撲協会

 相撲協会の罪は重い。
またもや、「八百長は今回だけ」などと、うそぶいている。
だいたい「相撲協会からの報告」というのが、おかしい。
今回の八百長は、野球賭博事件を調べていた警察当局筋から明るみになった。
そこで相撲協会。
逃げるに逃げられなくなり、「調査」をした。
その結果が、日経の記事。

 億単位の現金が乱舞する、相撲の世界。
そういうものを「国技」と称して、保護する価値があるのか。
意味があるのか。
毎日実況中継する、意味があるのか。
過去……というより戦後、そのつど八百長疑惑が取りざたされ、そのつど「完全否定」。
逆に、それを追及したライターを逆告発。
裁判で勝ったことを理由に、「無実が証明されました」と。

 八百長などというものは、当事者が口をつぐんでしまえば、だれにもわからない。
こういうことを、繰り返しながら、今に至った。
即刻、「公益認定」を取り消すべきである。
何からなにまで、どんよりと腐った世界。
地元のC新聞は、「氷山の一角」という見出しをかかげた。

+++++++++++++以下、読売新聞++++++++++++++

枝野官房長官は3日午前の記者会見で、大相撲の力士が八百長への関与を認めたことに関
連し、「八百長が蔓延(まんえん)しているような法人であれば、公益認定を得ることは難し
い」と述べた。

 日本相撲協会は新公益法人制度のもとでの公益財団の認定を目指しているが、八百長が
常態化していることが明らかになった場合は認められないとの考えを示したものだ。

 また、枝野長官は日本相撲協会について、「うみをすべて出し、(八百長を行った力士ら
に)厳しい処置をとるよう、(所管する)文部科学省を通じて厳しくやってもらう」と強調
した。

+++++++++++++以上、読売新聞++++++++++++++

Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●2011年2月3日

●街まで歩く

++++++++++++++++++++++

このところ朝食以外は、外食ですますことが多くなった。
ワイフに仕事を手伝ってもらっていることもある。
そのため外食は、できるだけ安く、おしいものをさがす。
美食家といえば、美食家。

……といっても、その一方で、カロリー計算も
しなければならない。
それに「量」。
今、どこでも私たちには、量が多すぎる。
若い人たちを基準にしている。
もっとも量は、食べ残すという方法で対処できる。
しかし私たち団塊の世代には、それができない。
食べ残すということに、罪悪感を覚える。
罪悪感というよりは、損失感か?
だからどうしても一人前、食べてしまう。
つまり食べ過ぎ。

ときどきこう思う。
よくもまあ、この年齢になるまで、糖尿病に
ならなかったな、と。
本来なら、とっくの昔に、糖尿病になって
いてもおかしくない。
美食家の大敵は、糖尿病。

……ということで、このところ運動に気を遣っている。
昨日も、ワイフと2人で、街までの6キロを歩いた。
時間にして、ちょうど1時間。
コースは、自宅→西伊場→根上がり松(地名)まで。
大回りしたのは、途中の雑貨屋に立ち寄るため。
その近くで昼食。

根上がり松近くに、「コンコルド」という、
イタリアン・レストランがある。
Aさんという、私が幼稚園の講師をしていたころからの
友人が、経営している。
雰囲気、味、ともに最高!
ワイフも私も大満足。
で、そこからは、バスに。
Aさんと話し込んでしまった。
それでバスに乗った。
しかし楽しかった。

こうしたレストランでは、それはホテルや旅館にも
通ずることだが、「哲学(=ポリシー)」が大切。
それに本気度。
久々に、哲学と本気度を感じた。
帰り際、「お店の紹介を、HPでしていいですか?」と
聞くと、快く応諾してくれた。

店を出たとき、ぐっと懐かしさがこみあげてきた。
Aさんと知り合って、もう40年になる。
その40年前が、風のように目の前を通り過ぎていった。

コンコルド……浜松市の西、根上がり松から西へ
150メートルほどのところにある。

++++++++++++++++++++++

●暖かい

 今朝は5時ごろ目が覚めた。
肌で気温を感ずる。
「暖かい!」。

 そのまま起きて、ウォーキングマシンへ。
「ウォーキング」といっても、小股で走ることが多い。
いつもは30分と決めているが、今朝は、10分。
早く書斎へ入りたかった。

●花粉症

 目が覚めたとき、鼻の奥がツンツンと痛かった。
花粉症の始まりである。
先週あたりから、様子がおかしかったが、ここにきてはっきりした。
花粉症である。
例年より、1週間程度、早い。

 が、私のばあい、最初の1週間程度で、症状が消えるようになった。
19年ほど前、全身に花粉を浴びるような事件があった。
たまたまその時期に、杉の木の植え替え作業をした。
それ以来、そうなった。
つまりそれまでは、この季節になると、地獄の苦しみを味わった。
こういうのを「減感作療法」というらしい。
GooのHPには、こうある。

「……免疫療法の一種で、今のところ花粉症を根本的に治す唯一の治療法とされています。
アレルギーを起こす花粉の抽出液(エキス)を少しずつ患者さんの体内に注射し、花粉に
対する慣れを体内につくってしまおうという方法です」(Goo HP)と。

 ただし私がしたような方法を、まねしないこと。
へたをすれば、命取りになるという。
専門医師に相談して、「少しずつ、慣れをつくる」(Goo HP)のが安全。

●映画

 この数週間、映画のことは、あまり書かなかった。
しかし劇場へ行かなかったわけではない。

 最近観た映画は、「RED」「ソーシャル・ネットワーク」「グリーン・ホーネット」
「アンストッパブル」。
すべて現在も上映中。
つまりめぼしいものは、すべて観ている。
で、今日から、「ウォール・ストリート」が始まる。
近く、「ヒア・アフター」が始まる。
楽しみ。

 ついでながら、私の星評価。

「RED」……★★★(できすぎ)
「ソーシャル・ネットワーク」……★★(ただのストーリー映画)
「グリーン・ホーネット」……★★(飛びすぎ)
「アンストッパブル」……★★(ハラハラ度が低い)

 ちょっときびしいかな?

 私たち夫婦は、ボケ防止を意識し、週に1、2度は劇場へ足を運んでいる。
「映画を楽しむ」というよりは、「ボケ防止」。
本当にボケ防止になっているかどうかはわからない。
が、映画はたしかに脳みそを刺激する。
つまり肉体の運動と同じ。

●胃カメラ

 来週、胃カメラを飲むことになっている。
軽い逆流性食道炎がつづいている。
医師に相談すると、「一度は飲んでみたほうがいい」と。
それでそうなった。

 散歩のとき、それがワイフと話題になった。

私「なあ、もし胃がんが見つかったら、どうする?」
ワ「切れば、治るわよ」
私「切るのか?」
ワ「まだ早期でしょ」
私「症状が出ているから、もう早期ではないよ」
ワ「今は、がんで死ぬ時代ではないわよ」と。

 ワイフのよいところ。
何ごとも、楽天的。
ワイフのような人間は、うつ病にはならない。
うらやましい。

 で、私のばあい、死ぬのがこわいのではない。
死ぬまでのプロセスがこわい。

「命」というのは、皮肉なもの。
生きるのもたいへん。
しかし死ぬのも、これまたたいへん。
簡単には死なせてくれない。
そのプロセスがこわい。

 独居老人→無縁老人→孤独死。
その「孤独」がこわい。

●ニュースより

(日本の相撲)

 日本の相撲が、揺れている。
激震というより、「やっと……」という感じ。
あの世界は、何からなにまで、うさん臭い。
日本相撲協会は、「八百長は今回だけ」「うみをすべて出す」というようなことを
言っている。

アホ!

だれがそんな話を信ずるか。
うみをすべて出したら、残るのは「皮」だけ。

(エジプト)

 揺れていると言えば、エジプト。
それに民主党。
誤解していけないのは、頂点に立つ権力者というのは、いわば「象徴」。
御輿(みこし)で言えば、御輿。
それを担(かつ)ぐ人間がいるから、御輿が御輿になる。
そういう意味では、頂点に権力者というよりは、それを担ぐ人間のほうが、悪(ワル)。
自分は権力者の陰に隠れて、身の保全を図る。
利益をむさぼる。

 ムバラク大統領にも、小沢一郎氏にも、そういう取り巻きがいる。
そういう取り巻きを崩さないかぎり、政治は変わらない。

(新燃岳)

 それにしてもすごいのが、新燃岳。
爆発。
ワイフに「見に行きたいね」と言うと、叱られてしまった。
「不謹慎よ」と。

 たしかにそうかもしれない。
しかし見たいものは、見たい。
上空2000~3000メートルまで煙があがっているという。
「すごいだろうな」と思ったところで、思考停止。
たしかに不謹慎。

ワ「それにあぶないわよ」
私「そうだな……」
ワ「みんな避難しているというのに、わざわざ見に行くなんて……」
私「そうだな……」と。

 自分の声が、だんだんと小さくなっていくのがわかる。
しかし私には、こんな経験がある。

(伊勢湾台風)

 私は子どものころ、台風が好きだった。
台風が来るのが、楽しみだった。
伊勢湾台風がやってきたときも、私は風向計を作って、遊んでいた。
が、そこへ直撃。
台風の目が、まともに私の住む町を通過した。

 で、そのバチが当たったというか、窓ガラスが割れ、足を大けがするハメに。
今も右足に、そのときの傷跡がはっきりと残っている。
ウィキペディア百科事典には、こうある。

「1959年(昭和34年)9月26日、後に伊勢湾台風と呼ばれる台風15号の接近の為小学
校の運動会は中止となる。
その後、台風は勢力を強め紀伊半島潮岬に上陸、東海地方に甚大な被害をもたらしていた。
伊勢湾は満潮と台風の高波で決壊、木材を押し流し家々を破壊、そして大勢の人々も一緒
に飲み込んでゆく。
ついにはひかり一家も流されるが、ひかりは愛犬の命がけの行動によって翌日神社の大木
にひっかかっているところを発見され無事救出される。
しかし両親や利夫は助からなかった」(映画「伊勢湾台風物語」より)と。

 昭和34年ということだから、私が12歳のとき。
小学6年生ということになる。
しかしこの話は、私だけの秘密だった。
つまり「台風が好き」ということは、その前にもだれにも言わなかった。
伊勢湾台風以後は、さらにだれにも言わなかった。

 しかし、である。
15年ほど前に知り合った、アメリカ人(元高校教師)が、そのときこう言った。
「ヒロシ、ぼくは台風が好きだよ。
台風がやってくると、ベランダに椅子を並べて、それを見ているよ」と。
彼は高層マンションの8階当たりに住んでいた。

 この話を聞いたときには、驚いたというよりは、うれしかった。
「ナーンダ、私だけではなかった!」と。

 で、それ以来、ときどき生徒たち(幼児や小学生)にこう聞く。
「みんなは、台風が好きか?」と。
するとほとんどの子どもたちが、こう答える。
「好き」と。

 理由を聞くと「学校が休みになる」とか、そういうことらしいが、それを聞いて、
私はほっとした。
私は長い間、私の頭はおかしいと思っていた。
「台風が好き」というのは、どう考えても、まともではない。
それに台風といっても、伊勢湾台風のような台風は、例外。
この浜松では、この数十年、台風による被害らしい被害は、ほとんど起きていない。
それもある。

 もっとも私自身は台風の恐ろしさをよく知っている。
伊勢湾台風が、よい経験になった。
だから今でも、台風が近づくたびに、過剰とも言えるほど過剰な防御策を取る。
言い替えると、この浜松の人たちは、無防備過ぎる。
むしろそちらのほうが、心配。

 「台風が好き」と言っても、その範囲での話。
「新燃岳を見たい」と言っても、その範囲での話
つまり「被害が楽しい」と言っているのではない。
どうか誤解のないように!

●おもしろい現象

 現在、私の教室に、ずば抜けて頭の切れる女子(中2)がいる。
鋭いというか、論理的で、少しでも矛盾を覚えると、すかさず私を攻撃してくる。
進学校でも、学年トップクラスの成績を修めている。
その女子の名前を、(尊敬の念をこめて)「Nさん」という。

 そのNさんだが、意外なことに、まじないや占いを信じている。
先日も手相の話をしてやったら、(私自身は、まったく信じていないが)、それを本気に
してしまった。
あらかじめいろいろな情報を別のところから仕入れておいた。
その情報をもとに、「君は……」と。
いろいろと言い当ててやった。

 言うなれば手品のようなものだが、Nさんは、それを信じてしまった。

私、Nさんの手のひらをまじまじと見ながら、「君は……!」
N「何よ、言ってよ!」
私「……言えない」
N「だから、どうなのよ!」
私「言わない方がいい。君も聞かない方がいい……」
「ぼくには君の未来がわかる。だから言わない方がいい……」と。

 Nさんは、それを気にした。
私は遊びのつもりだったが、そのあと、Nさんは勉強どころではなくなってしまった。
そんな感じだった。
ときおり私の方を見て、「どうだったの。教えて。私はどうなるの?」と。
今にも泣きべそをかきそうな雰囲気だった。

 私には、Nさんが、どんな反応を示すか、そちらのほうに興味があった。
ふだんは知性と理性のかたまりのような女子である。
活動的で行動的。
そんなNさんが、手相を信じる?

(脳のエアー・ポケット)

 脳には、エアー・ポケットのような部分がある。
言うなれば「盲点」。
そのことを知ったのは、あるカルト教団の信者と話していたときのこと。
一流大学の理科系の卒業者でも、ある日突然、カルト教団の信者になってしまう。
ほんの少し、常識を働かせれば、「おかしい」と思うようなことでも、わからなく
なってしまう。
それこそ、バチとかタタリとか、そんなことを信じてしまう。
そういうことは珍しくない。

 そういった現象を説明するのが、「エアー・ポケット論」である。
そこへ入ると、知性や理性がそのままどこかへ吹き飛んでしまう。
合理的にものを考えることができなくなってしまう。

(翌朝)

 私は翌朝一番に、Nさんの家に電話を入れた。
父親が出た。
私は事情を話した。
「Nさんが、本気にしてしまうと困るので、早めに説明しておきます。
今夕、Nさんが学校から帰ってきたら、あれは手品だったと、どうか伝えてください」と。

 父親はすぐ納得してくれた。
そしてこんな話をしてくれた。

「Nはね、小学5年生ごろまで、サンタクロースを信じていたんですよ。
それにね、昔の写真……ほら、昔の写真って、白黒でしょ。
それを見てね、昔は白黒の時代だったと信じていたんですよ」と。

 つまり、(頭のよさ)と(脳のエアー・ポケット)とは、別。
頭がよいから、カルトにハマらないということはない。
頭が悪いから、カルトにハマりやすいということもない。
言い替えると、エアー・ポケットはだれにでもある。

 Nさんを見ていて、そんなことを考えた。

●ワイフはテニスに

 朝食後、ワイフはクラブに出かけて行った。
私はひとり、書斎に残された。
軽い睡魔が、私を襲う。
心地よい眠気。

 ひとつだけ困ったことがある。
現在ワードを使って文を書いているが、いつの間にか、上書きモードになってしまった。
以前は(ツール)の(オプション)から、モードを変更できた。
が、今はそれができない。
どうすれば(挿入モード)に戻せるか。

 言語バーを、(IME2007)から(ATOK2007)に変更してみたが、だめ。
一度ワードを閉じ、再び立ち上げてみたが、だめ。
「どうしたらいいのか?」と考えながら、この文を書いている。
パソコン自体を、再起動すればたぶん、再び(挿入モード)に戻るとは思うが、現在、
YOUTUBEに動画をアップ中。

 機能が複雑になった分だけ、ときどきこうしたトラブルが起きる。
かえって簡単なことができなくなってしまう。
ワードだけではない。
カメラにしても、ビデオカメラいしても、さらに携帯電話にしても、そうだ。
 
 ……少し眠ってきます。


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●世界経済(2011年という年)

 まずアメリカ!
それにつづいて、日本、EUが、札(=マネー)を大増刷した。
世界中にバラまいた。
その総額、100兆円とも、それ以上とも言われている。
(アメリカだけで100兆円という説もある。)

 おかげで世界は、ダブダブのお金漬け。
ジャブジャブというより、ダブダブ。
(どちらも同じようなものだが……。)

 で、困ったのは、中進国以下。
中進国以下の国々。
「我も、我も……」と自国通貨を印刷し始めた。
が、悲しいかな自国以外では通用しない。
そのため、インフレ。
ハイパーインフレ。
物価は上昇、食糧の輸入もままならなくなった。
わかりやすい例として、北朝鮮がある。
この1年間だけで、米の価格が50倍も、はね上がったという。

 では、なぜアメリカや日本では、インフレが起きないか?
貨幣価値がさがらないか?
つまりその分だけ、ドルや円が強いということになる。
世界中が、ドルや円をほしがっている。

絵画にたとえてみると、それがよくわかる。
「ピカソ」という署名があるだけで、絵は売れる。
「○△xx」という名前では、絵は売れない。
わかりやすく言えば、先進国には、インフレを吸収するだけの余力がある。
食糧価格にしても、少しくらいならあがっても、どうということはない。

●中進国以下が犠牲に

 結局、しわ寄せは、中進国以下に集まる。
中進国以下の「国々」に集まる。
不況と失業、加えて物価高。
とくに食料品の不足と価格の高騰は、影響が大きい。
直接、市民生活に大きな打撃を与える。
今回のエジプトの騒乱は、起こるべくして起きた騒乱ということになる。

が、エジプトだけで収まるとは、だれも思っていない。
端的に言えば、中進国以下の国々が、先進国の犠牲になる。
そういう「構造」になっている。
今後、こうした騒乱は、世界中で起きる。

 で、私たち日本人は、ひょっとしたらこう思うかもしれない。
「日本人でよかった!」と。
日本は今のところ、一応「先進国」として、その地位を保っている。
(いつ、コケるかわからないが……。)
「円」を増刷しても、それをほしがる人がいる間は、安泰。
が、ここで忘れてはいけないことが、2つある。

(1)ここにも書いたように、私たちの今の生活は、中進国以下の国々の犠牲の
上に成り立っているということ。

(2)やがて回り回って、先進国にも、その影響が及んでくるということ。
すでに北海油田の原油価格は、1バレル、100ドルを突破した。
世界情勢が不安定になれば、世界経済も狂い始める。

●2011年

 今は、まだよい。
ここに書いたような「構造」に、まだ気がついていない。
中進国以下の人たちには、まだそれがわかっていない。
エジプトにしても、抗議の矛先は、ムバラク大統領に向かっている。
アメリカや日本にではなく、ムバラク大統領に向かっている。
しかしやがて気がつく。
「なぜ、私たちは貧しいのか?」と、
それを、そのうち考えるようになる。
そしてその先に、アメリカや日本、EUがいることを知る。
そうなったとき、果たして、アメリカや日本、EUは、どうなるか?
アメリカや日本が、無事でいられるとは、私には思えない。

 アメリカは、(日本もその仲間だが)、本当にズルイ国だと思う。
自国さえよければ、それでよい、と。
自国の救済しか考えていない。
つまり自分勝手。
なりふり構わず、ドルを大増刷している。
その結果、世界を犠牲にした。……している。

 1月に入ってから、アルミ、銅などの素材金属の価格が上昇している。
ジリジリとさがりつづけていた金価格も、エジプト騒乱を境に、上昇に転じた。
ガソリンの価格も、それに同調し始めている。
日本の経済破綻についても、「可能性の問題ではなく、時間の問題」と
ささやかれている。
もしそうなったら、円キャリーで流出した「円」が、日本に逆流する。
わかりやすく言えば、円の大洪水。
それが始まる。
某経済誌によれば、そのため円は大暴落。
1ドルが、300~400円になるという。
もちろんハイパーインフレ。
「タクシーの初乗りが、1万円になるだろう」(某経済誌)と説く学者もいる。

 つまり2011年は、日本にとっても、たいへんな年になりそう。
それがこの2月になって、いよいよはっきりしてきた。

(注:私という、ド素人の書く経済論なので、本気にしないでほしい。
そのためこのままボツにしようかと思ったが、このままBLOGに掲載する。)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●日本相撲協会(疑惑の理事会選挙)

++++++++++++++++++

数日前、日本相撲協会の批判記事を書いた。
BLOGに載せた。
が、その反響というか、アクセス数に驚いた。
いつもの倍以上。

Goo-Blog、楽天など、いつもなら
合計で3000~4000件(1日)だったのが、
1万件を超えた!

つまりそれだけ反響があったということ。
読者のみなさんの関心が大きいということ。

私は、「日本相撲協会ほど闇に包まれた世界はない」と
書いた。
そのひとつが、あの理事会選挙。
昨年(2010年)の2月に書いた原稿を、
再掲載する。

つまりこの理事会あって、日本相撲協会。
その日本相撲協会あって、今回の八百長事件。
テレビでは、八百長相撲をそのまま紹介していた。
あらかじめ示し合わせた通りの、八百長相撲。
八百長を八百長とも知らず、それを解説してみせた
NHKの解説者が、今回ほど、ピエロに見えたことはない。

+++++++++++++++++++

●疑惑の理事会選挙(2010年2月の原稿より)

++++++++++++++++++

●おかしな投票(日本相撲協会の理事八百長選挙?)(改)

+++++++++++++++++

相撲協会が、理事選挙を行った。
その結果を、まずよく見てほしい。

■理事選の各候補得票数

武蔵川 ・・・11票
北の湖 ・・・10票
出羽海 ・・・10票
放駒  ・・・11票
ニ所ノ関・・・11票
大島  ・・・ 8票(落選)
友綱  ・・・10票
陸奥  ・・・10票(新任)
鏡山  ・・・10票(新任)
九重  ・・・10票
貴乃花 ・・・10票(新任)

投票は、111人の評議員
(親方107人、力士2人、立行司2人)によって、
無記名で行われた。

++++++++++++++++

●まちがいさがし

 「まちがいさがし」という遊びがある。
2枚の絵を見比べながら、まちがいをさがす。
で、そのまちがいさがしをするような気持ちで、この投票結果をよく見てほしい。
何か、おかしい?
どこか、おかしい?

 投票は、無記名でなされたはず。
「投票」ということは、「投票」。
選挙である。
しかしこんな選挙があるか?
土建業者の談合でも、ここまではしない。

●インチキ選挙

 落選した大島は、8票。
が、残る1人は、全員、11票か10票!
きれいに、11票か10票!

 今回の選挙で注目されたのは、貴乃花。
当初、貴乃花を支持を表明したのは、親方6人だけと言われていた。
が、フタをあけてみたら、10票!
この票の動きも、どこか不自然。
もっと言えば、うさんくさい。

 あらかじめ支持を集めながら(?)、理事候補者たちが立候補した。
それはわかる。
しかし結果は、先に書いたとおり。

●闇の奥の日本相撲協会

 日本の相撲協会ほど、闇に包まれた協会はない。
巨額のお金が、その闇の奥で、乱舞している(?)。
「年寄株」が数億円で売買されているという話も、聞いたことがある。
(数億円だぞ!)
ときどきその一端がマスコミに流れ、世間を騒がす。
それはそれとして、こういう選挙結果を見ると、相撲協会とは、いったい何なのか?
さらに踏み込んで言えば、国技とは何なのか?
そこまで考えてしまう。

 そこでさっそく、小学生を中心に、50人ほどの子どもたちに聞いてみた。
「相撲を見ている人?」と。
答は、ゼロ!
「相撲が好きな人?」と。
答は、ゼロ!
(どうしてそういう相撲が、文科省の管轄になっているのか?
それもおかしい?)

 にもかかわらず、NHKだけは、BS放送で、午後1時半前後から夕方6時前後まで、
いつも実況中継している。
NHKと相撲協会は、会長職でつながっている。
(何か、臭いぞ!)

 「国技」ということは、わかる。
が、もちろんスポーツではない。
何も、ここまで保護しつづけなければならない理由などない。

 日本相撲協会の理事選挙の結果を見ながら、いろいろと考えさせられた。
つぎの選挙は、(今回が4期8年ぶりだったということを考えるなら)、8年後ということ
になる。
そのときは、もう少し自然な(?)、投票結果になるかもしれない。
こんなインチキ臭い選挙は、見たことがない。
聞いたこともない。

私が書いていることがおかしいと思うなら、もう一度、あなた自身の目で、「まちがいさが
し」をしてみてほしい。
もう一度、選挙結果を、よく見てほしい。

これこそまさに「八百長選挙」ではないか。
某力士は、メールの中で、こう言っていた。
「私らのやることなど、かわいいもんです」(報道)と。
私には、その意味が、よくわかるのだが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 相撲協会 日本相撲協会 理事選挙 疑惑の八百長選挙)

Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●八百長

 八百長と相撲との関係は、深い。
「八百長」という言葉は、もともと「相撲の世界」から生まれた。

 広辞苑には、こうある。

「明治初年、通称八百長という八百屋が、相撲の年寄某との碁の手合わせで、
常に一勝一敗になるように、あしらったことに起こるという。

(1)相撲や各種の競技などで、一方が前もって負ける約束をしておいて、うわべだけの
勝負を争うこと。
なれあい試合。
(2)転じて、内々示し合わせておいて、なれあいで事を運ぶこと」と。

 で、それについて日本相撲協会は、「八百長は、今回が初めて」という煙幕を
盛んに張っている。
が、それを信ずる人はいない。
(私も、信じない。)
そればかりか、昨年、八百長相撲を指摘したライターを、逆告発までしている。
厚顔無恥とは、まさに現在の日本相撲協会のような団体をいう。
その罪は重い。

●時代は変わった

 私が子どものころといえば、野球、相撲、プロレス。
この3つが、最大の関心事だった。
しかし今は、時代も変わった。
今では、相撲中継を見ている子どもは、ゼロ。
「相撲が好き」と言う子どもは、さらにゼロ。

 かわってサッカーがある。
もろもろのスポーツがある。
どうしてこういう時代に、「相撲」なのか?

 伝統的国技として、それなりに残す努力は必要かもしれない。
しかしそれにも限度がある。
あえて比較するなら、相撲とプロレスはどこが、どうちがうのか。
興業なら興業でよい。
金儲けのための興業と割り切ればよい。
が、それを「国技」というカバーをかぶせて、金儲けをごまかす。
その結果が、今。
今回の八百長事件は、まさに「氷山の一角」(某新聞)。

 自浄能力は、現在の日本相撲協会には、ない。
そのことは、先にあげた「理事会選挙」の結果を見ればわかるはず。
これを「八百長選挙」と言わずして、何という?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 日本相撲協会 八百長相撲 八百長選挙)


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●故NG先生へ

2011-02-27 08:50:19 | 日記




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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 18日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●はやし浩司 2011-02-01

+++++++++++++++++

朝、普段着のまま、ランニングをする。
白い朝の光線、春草のかすかな匂いの
混ざった冷気、
それを頬で感じながら、ヒタヒタと走る。

しばらく走ると、目の下から、一番汗。
それがスーッと下に流れた。
時折、自動車が風を切って、走り抜ける。
乾いた風が、体をあおる。

少し前、同じようなランニングをしたとき、
ひざを傷めた。
それを心配しながら、かかとをあげないよう、
すり足で走る。

途中、待ち合わせ場所に来ると、ワイフが
そこにいた。
「早かったわね」とワイフ。
「うん、今朝は走った」と私。
車に乗ると、ドカッと汗が噴き出した。
時計を見ると、40分。
今日一日の運動量の、半分をこなした。

+++++++++++++++++


【かん黙児&過敏児】


悪循環から抜け出る法(身勝手を捨てろ!)
教師が子育ての宿命を感ずるとき


●かん黙児の子ども


 かん黙児の子ども(年長女児)がいた。症状は一進一退。少しよくなると親は無理をす
る。その無理がまた、症状を悪化させる。私はその子どもを一年間にわたって、指導した。
指導といっても、母親と一緒に、教室の中に座ってもらっていただけだが、それでも、結
構、神経をつかう。疲れる。このタイプの子どもは、神経が繊細で、乱暴な指導がなじま
ない。が、その年の年末になり、就学前の健康診断を受けることになった。が、その母親
が考えたことは、「いかにして、その健康診断をくぐり抜けるか」ということ。そしてその
あと、私にこう相談してきた。「心理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学
級に入れてもらえます。ですから心理療法士にかかることにしました。ついては先生(私)
のところにもいると、パニックになってしまいますので、今日限りでやめます」と。「何が
パニックになるのですか」と私が聞くと、「指導者が二人では、私の頭が混乱します」と。


●経過は一年単位でみる


 かん黙児に限らず、子どもの情緒障害は、より症状が重くなってはじめて、前の症状が
軽かったことに気づく。あとはその繰り返し。私が「三か月は何も言ってはいけません。
何も手伝ってはいけません。子どもと視線を合わせてもいけません」と言った。が、親に
は一か月でも長い。一週間でも長い。そういう気持ちはわかるが、私の目を盗んでは、子
どもにちょっかいを出す。一度親子の間にパイプ(依存心)ができてしまうと、それを切
るのは、たいへん難しい。情緒障害は、半年、あるいは一年単位でみる。「半年前とくらべ
て、どうだったか」「一年前は、どうだったか」と。一か月や二か月で、症状が改善すると
いうことは、ありえない。が、親にはそれもわからない。最初の段階で、無理をする。時
に強く叱ったり、怒ったりする。あるいは太いパイプを作ってしまう。初期の段階で、つ
まり症状が軽い段階で、それに気づき、適切な処置をすれば、「障害」という言葉を使うこ
ともないまま終わる。が、私はその母親の話を聞いたとき、別のことを考えていた。


●「そんな冷たいこと言わないでください!」


 はじめて母親がその子どもを連れてきたとき、私はその瞬間にその子どもがかん黙児と
わかった。母親も、それを気づいていたはずだ。しかし母親は、それを懸命に隠しながら、
「音楽教室ではふつうです」「幼稚園ではふつうです」と言っていた。それが今度は、「心
理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れてもらえます」と。母親
自身が、子どもを受け入れていない。そういう状態になってもまだ、メンツにこだわって
いる。もうこうなると、私に指導できることは何もない。私が「わかりました。ご自分で
判断なさってください」と言うと、母親は突然取り乱して、こう叫んだ。「そんな冷たいこ
と言わないでください! 私を突き放すようなことを言わないでください!」と。


●親は自分で失敗して気づく


 子どもの情緒障害の原因のほとんどは、家庭にある。親を責めているのではない。たい
ていの親は、その知識がないまま、それを「よかれ」と思って無理をする。この無理が、
症状を悪化させる。それはまさに泥沼の悪循環。そして気がついたときには、にっちもさ
っちもいかない状態になっている。つまり親自身が自分で失敗して、その失敗に気づくし
かない。確かに冷たい言い方だが、子育てというのはそういうもの。子育てには、そうい
う宿命が、いつもついて回る。


(参考)


●かん黙児


 かん黙児……家の中などではふつうに話したり騒いだりすることはできても、場面が変
わると貝殻を閉ざしたかのように、かん黙してしまう子どもを、かん黙児という。通常の
学習環境での指導が困難なかん黙児は、小学生で一〇〇〇人中、四人(〇・三八%)、中学
生で一〇〇〇人中、三人(〇・二九%)と言われているが、実際にはその傾向のある子ど
もまで含めると、二〇人に一人以上は経験する。


 ある特定の場面になるとかん黙するタイプ(場面かん黙)と、場面に関係なくかん黙す
る、全かん黙に分けて考えるが、ほかにある特定の条件が重なるとかん黙してしまうタイ
プの子どもや、気分的な要素に左右されてかん黙してしまう子どももいる。順に子どもを
当てて意見を述べさせるようなとき、ふとしたきっかけでかん黙してしまうなど。


 一般的には無言を守り対人関係を避けることにより、自分の保身をはかるために、子ど
もはかん黙すると考えられている。これを防衛機制という。幼稚園や保育園へ入園したと
きをきっかけとして発症することが多く、過度の身体的緊張がその背景にあると言われて
いる。


 かん黙状態になると、体をこわばらせる、視線をそらす(あるいはじっと相手をみつめ
る)、口をキッと結ぶ。あるいは反対に柔和な笑みを浮かべたまま、かん黙する子どももい
る。心と感情表現が遊離したために起こる現象と考えるとわかりやすい。


かん黙児の指導で難しいのは、親にその理解がないこと。幼稚園などでその症状が出たり
すると、たいていの親は、「先生の指導が悪い」「集団に慣れていないため」「友だちづきあ
いがヘタ」とか言う。「内弁慶なだけ」と言う人もいる。そして子どもに向かっては、「話
しなさい」「どうしてハキハキしないの!」と叱る。しかし子どものかん黙は、脳の機能障
害によるもので、子どもの力ではどうにもならない。またそういう前提で対処しなければ
ならない。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


神経質な子どもに対処する法(性質を見ぬけ!)
子どもが神経質になるとき


●敏感(神経質)な子ども 


 A子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだった。人前に出るとオド
オドし、その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはがゆく思っていた。
そして私に、「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してきた。


 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。ふつう「神経質な子」というときは、この
敏感児をいうが、その程度がさらに超えた子どもを、過敏児という。敏感児と過敏児を合
わせると、全体の約三〇%の子どもが、そうであるとみる。一般的には、精神的過敏児と
身体的過敏児に分けて考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。アレルギーや
腹痛、頭痛、下痢、便秘など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児という。A子
さんは、まさにその精神的過敏児だった。


●過敏児


 このタイプの子どもは、(1)感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おと
なの指示に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。(2)耐久性にもろ
く、ちょっとしたことで泣き出したり、キズついたりしやすい。(3)過敏であるがために、
環境になじまず、不適応を起こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのた
め体質的疾患(自家中毒、ぜん息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。(4)症状は、
一過性、反復性など、定型がない。そのときは何でもなく、あとになってから症状が出る
こともある(参考、高木俊一郎氏)。A子さんのケースでも、A子さんは原因不明の発熱に
悩まされていた。


●子どもを認め、受け入れる


 結論から先に言えば、敏感児であるにせよ、鈍感児であるにせよ、それは子どもがもっ
て生まれた性質であり、なおそうと思っても、なおるものではないということ。無理をす
ればかえって逆効果。症状が重くなってしまう。が、悪いことばかりではない。敏感児に
ついて言えば、その繊細な感覚のため、芸術やある特殊な分野で、並はずれた才能を見せ
ることがある。ほかの子どもなら見落としてしまうようなことでも、しっかりと見ること
ができる。ただ精神的な疲労に弱く、日中、ほんの一〇数分でも緊張させると、それだけ
で神経疲れを起こしてしまう。一般的には集団行動や社会行動が苦手なので、そういう前
提で理解してあげる。


●一見鈍感児なのだが……


 ……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子ど
ももいる。見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊
細な感覚をもった子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬと
ころでその子どもの心にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけているから、「ママのおっ
ぱいを飲んでいるなら、ふざけていていい」と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先
生にバカにされた」と泣いてみせたりする。このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつ
つも、それを茶化すことにより、その場をごまかそうとする。心の防御作用と言えるもの
で、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態にある。先生の一言が思わぬ方
向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプと言ってよい。その子ども(年長児)
のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がかかってきた。「母親のおっぱいを
飲んでいるとかいないとか、そういうことで息子に恥をかかせるとは、どういうことです
か!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわからない。


(参考)
●過敏児と鈍感児


 過敏児と対照的な位置にいるのが、鈍感児(知的な意味で、鈍感というのではない)。ふ
つうこの両者は対比して考える。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 かん黙児 緘黙児 場面かん黙児 全かん黙児 過敏児 はやし浩司 
敏感児)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【沼津市での講演会】

●沼津へ

 夜行列車で沼津へ向かう。
今夜は沼津で一泊。
明日の講演会に備える。
地域の学校の先生たちが、集まってくれる。
予定では300人とのこと。

 が、出だしが決まらない。
どこから切り出そうか。
今、そんなことを考える。
……というより、私のばあい、いつもその場の雰囲気で決める。
壇上に立ったその瞬間、その瞬間に、決める。

●夜行列車

 「新幹線にすればよかった」と、先ほどワイフにこぼした。
夜行列車といっても、通勤列車。
客が一列に対峙して座る。
どうも落ち着かない。
横を見ると、ワイフはすでに本を開き、それを読んでいる。

 さっそく客の観察を始める。
これは私のいつものクセ。

反対側左から、40歳くらいの女性。
60歳くらいの女性。
真ん前は、50歳くらいの男性。
この男性は単行本を片手で持ち上げて、それを読んでいる。
5~6人をおいて、若いカップルが一組。
女のほうが、ペチャクチャと何やら話しつづけている。

●乗客

 列車は各駅停車。
そのつど駅に止まり、そのつど冬の冷気が足元に流れてくる。
あとは間断なくつづく電気モーターの音と、ガタンガタンという車輪の音。
軽い眠気が繰り返し私を襲う。

 そう言えば、斜め右前の男が気になる。
65歳くらいか。
浅黒い顔色をし、ときどき小さな魔法瓶に口をつけて、何やら飲んでいる。
職業は何だろう。

……たった今、その男が読んでいる本の表紙が見えた。
パソコン用めがねをかけているので、大きな文字しか見えない。
それには「台湾」とあった。
旅行案内の本か?
右脇に大きな黒いバッグ。
ワイフに「表紙に何と書いてある?」と聞くと、「食べ物の本みたい……」と。

●隣人 

 事務所の隣人が、入院しているという。
それほど親しくはないが、気になる。
穏やかで、誠実な人だ。
ときどき「何か手伝いましょうか?」と声をかけたことがある。
パソコンのことなら、多少の知識がある。
が、相手にしてもらえなかった。
隣人はいつもパソコンを前に、何かをしていた。

 が、見舞いに行くほど、親しくはない。
突然行くのも、好ましくない。
相手の都合もあるだろう。
大家さんの話では、げっそりと痩せていたという。
書き忘れたが、入院してもう1か月になるという。
検査入院とかで、入院した。
それが1か月?

●伯父の他界

 数日前、伯父が他界した。
おととい、香典を届けた。
岐阜の山奥で、峠を越えたら、一面の雪景色。
久しぶりの雪景色。
その美しさに、思わず声をあげた。

 母方の兄弟が13人。
父方の兄弟が5人。
私には18x2=36人のオジやオバがいた。
が、今は、もう2、3人になってしまった。
さみしいというより、「つぎは私たち……」。
そんなふうに考える。
ワイフも、「順番ね」と言った。

 伯父は、自宅のふとんの中で横になっていた。
若いころは色白だった。
大柄な人だった。
が、そこに見た伯父は、小さく、顔色も土色だった。
表情も、別人のようだった。

●封建主義

 その伯父。
よい意味でも、そうでない意味でも、昔の武士のような人だった。
私はいつもその伯父を通して、江戸時代を見ていた。
家父長意識が強く、家意識も強かった。
ものの考え方も権威主義的で、上下意識も強かった。
もちろんプライドも高かった。
封建時代というより、封建主義のかたまりのような人だった。

嫁いできた伯母などは、最初の10年ほどは、「女中」のような存在だった。
妻というよりは、「女中」。
みな、そう言っていた。

 ……あの封建時代を礼賛する人も多い。
「武士道こそ日本の……」と説く人も多い。
しかし封建時代の、「負の側面」を語ることなしに、一方的に武士道なるものを
礼賛してはいけない。
平たく言えば、「人間」を語ることなしで、武士道を語ってはいけない。

●前の男

 列車は掛川を過ぎた。
静岡までの半分の距離を過ぎた。
斜め右側の若いカップルは、相変わらず、ペチャクチャと話しつづけている。
その横の男は、本を読むのをやめ、今は、両手をコートのポケットに入れ、
眼を閉じている。
横には、大きな黒いバッグ。
 
 大きなバッグである。
通勤用ではなさそう。
どこかへ行くのだろうか。
それとも帰ってきたのだろうか。
頬は、ブルドックの顔のように垂れ下がっている。

●文を書く

 この列車は鈍行列車ということになる。
が、私は嫌いではない。
1~2時間の距離なら、いつも鈍行列車を利用する。
こうして列車の中で、文を書くのは楽しい。
新幹線だと、それができない。
……というか、落ち着かない。

 時間はたっぷりとある。
そう言えば、あのカップルが、先ほどの駅で降りた。
とたん、夜行列車独特の静けさが、車内に充満した。
みな、目を閉じて黙りこくっている。
聞こえるのは、車掌の声、笛の音、それに客が動かす荷物の音。

 ……またまたあの眠気。
もしこうしてキーボードを叩いていなかったら、私は眠っていただろう。
横を見ると、ワイフも目を閉じて眠っている?

●OFF

 たった今、ぐるりとあたりを見回した。
そのとき、斜め前の男と、視線が合ってしまった。
気がつかなかったが、向こうは先ほどから私のほうを見ていたらしい。
私は会釈する間も取らず、目をそらした。
そらしながら、左手で首筋をかいた。

 人間というのは、不思議な生き物だ。
こういう世界では、すべての人を、OFFにしてしまう。
人間を人間と見ない。
記憶にも残さない。
記憶にも刻まない。

 相手の男もそうだろう。
私をどう見たかはわからないが、見ると同時に、忘れているはず。
大脳生理学の本によれば、数分の1秒程度で、忘れてしまうそうだ。
でないと、脳みそは記憶だらけになってしまう。
パンクしてしまう。
この文を読んでいるあなたにしても、そうだ。
読んだ先から、内容を忘れていく。
それでよい。

●空想

 では、どうすればよいのか。
どうすれば、この瞬間を、脳に刻むことができるのか。
またこの文を読んでいる読者のみなさんの脳に、どうすればこの文を刻むことが
できるのか。

 何かの事件があれば、それでよい。
それを書けばよい。
何かないか……?

 そう、こんな話はどうか。
実はこの夜行列車は、今日死んだ人を、黄泉(よみ)の国へ運ぶ、死人列車。
昔、そんなようなテレビ映画があった。
「ミステリーゾーン(ツワイトライトゾーン)」というのが、それだった。

 が、列車の中の客たちは、自分が死んでいることに気がついていない。
いつもの自分と思っている。

 あるいは火星に向かう宇宙船でもよい。
ただの宇宙船では退屈するだろう.
そこでわざと夜行列車風に作り変える。
この列車の中の人たちは、みな、それなりの科学者。
外の景色も、作り物。
しかし速度は、秒速数万キロ!  
 
●乗り換え

 この列車は、静岡で乗り換え。
乗り換えて、沼津に向かう。
同じ静岡県なのに、結構、遠い。
少し尻が痛くなってきた。
この一週間、運動量をふやした。
筋肉痛が、あちこちに残る。

 ……それにしても、腹が減った。
沼津で何かを食べる。
それが楽しみ。

 明日は講演のあと、主催者の人たちが、昼食を用意してくれるとか。
先日、電話で「生ものでいいですか?」と聞いてきた。
沼津といえば、魚。
サシミ類なら、毎日でもよい。
私の大先祖は、肉食の魚だった!
楽しみ。
空腹なときは、とくに楽しみ。

●真剣勝負

 私にとって講演というのは、まさに真剣勝負。
集まる人の数には、左右されない。
関係ない。
10人でも、500人でも同じ。
まったく同じ。
「手を抜かない」というよりは、どこでも同じ。
真剣勝負。

 ……といっても、このところ心配なのは、気力。
気力がつづかない。
気力がつづかないと、途中で何を話しているか、わからなくなる。
脱線しても、話を元にもどすことができなくなる。
それが心配。

 だから講演の朝は、食事を抜く。
腹をからっぽにしておかないと、脳みそのほうに血が回らなくなる。
私は低血圧症。
上が110、下が60~70前後。
長生きはできるそうだが、その分、ボケやすい、とか。

 それに中には、同じ話をする人もいるとか。
私のばあいは、いつもちがった話をする。
会場ごとに、ちがった話をする。
で、明日の話は、やはり新家族主義から入る。

●新家族主義

 家族主義もよいが、行き過ぎはよくない。
現在は、その家族主義が行き過ぎている。
「仕事より家族」と言うのは結構だが、貧乏の恐ろしさを知った上でなら、それもよい。
貧乏の恐ろしさを知らないまま、「家族のほうが……」というのは、おかしい。

 たしかにお金では幸福は買えない。
が、お金がなければ、確実に不幸になる。
また多くの親は、子どもに楽しい思いをさせること、あるいは楽をさせることが、
親の愛の証(あかし)と考えている。
親の絆もそれで太くなる、と。

 しかしこれは誤解。
まったくの誤解。
子どもを「よい子」にしたければ、(「よい子」の定義もむずかしいが……)、
子どもには苦労をさせる。
その苦労が、子ども自身を育てる。

●苦労

 が、苦労といっても、二種類、ある。
自分のための苦労と、他人のための苦労。
(1)利己的苦労と、(2)利他的苦労。
よく「私は受験勉強で苦労しました」と言う人がいる。
しかしそれは自分のための苦労。

 子どもは、(おとなもそうだが……)、他人のために苦労を重ねて、自分の人格を
磨くことができる。
できれば無私無欲。
忍耐力も、それで育つ。

 これも誤解がないように、ここではっきりと書いておきたい。
子どもにとっての忍耐力というのは、(おとなにとってもそうだが……)、「いやなことを
する能力」をいう。
たとえばためしにあなたの子どもに、トイレ掃除でもさせてみればよい。
何の抵抗もなく、自然にそれができれば、すばらしい子どもということになる。
つまりそういう「力」は、苦労によって育つ。
「自分のための苦労」ではない。
「他人のための苦労」で育つ。

 ……反対に、よく「うちの子はサッカーだと一日中しています。忍耐力はあるはずです。
そういう力を、勉強面でも伸ばしたい」という親がいる。
しかしそんな力は、ここでいう忍耐力ではない。
自分のために苦労しているだけ。
好きなことをしているだけ。

 親としてはつらいところだが、……というのも、日本人は骨のズイまで、日本人独特
の育児観がしみこんでいる。
そういう常識を変えるのは、容易なことではない。
たとえばニュージーランドでは、学校から帰宅したあと、子どもたちは家事の手伝いを
日課としている。
夕食までの時間が、その時間。
その間に、親の指示に従い、自分の役割を果たす。
私が「学校の宿題があるときは、どうするのか?」と聞くと、その大学生はあっさりと、
こう言った。
「夕食後だ」と。

 それが彼らの常識。

●見返り?

 となると、明日の講演は、このあたりから話したい。
今どき、高校生はもちろん、大学生でも、親に感謝しながら学校へ通っている子どもは、
さがさなければならないほど、少ない。
実際には、いない。
中に、お金を受け取るときだけ、「ありがとう」と言う子どももいる。
が、それだけ。
親がへたに何かを期待(?)しようものなら、すかさず子どものほうが、こう反論する。
「あんた(=親父)は、見返りを求めて子育てをしてきたのか!」と。
子どものほうに、親が叱られる時代である。
また今どきの子どもたちは、それを「干渉」という言葉で表現する。

 「将来、親のめんどうをみる」などと考えている若者は、30%もいない!

●沼津東急ホテル

 沼津は、沼津東急ホテルで一泊。
食事はまだだったので、歩いて100メートルほどのところにあった居酒屋で夕食。
「さえ丸おじさんの店」。

サスガ!

さすが沼津。
私は、カンパチの頭(かしら)焼き。
ワイフは、サシミの5点盛り。
新鮮で、おいしかった。
私もワイフも、大満足。

●エジプト騒乱

 部屋に帰ると、午後11時のニュース。
九州の新燃岳の火山爆発。
全国的なインフルエンザの流行。
エジプトの騒乱。
断片的なニュースが、横にあるテレビから流れてくる。
今日も、あちこちでいろいろなことがあったらしい。

 ……そのエジプト。

先進国は今、自国の経済を守るために、「札」を大増刷している。
世界中が、インフレの荒波にさらされている。
が、当の先進国は、それでよい。
インフレを吸収するだけの余力をもっている。
たとえばアメリカドルにしても、いくら印刷しても、それをほしがる国がある。
自国の通貨よりも、アメリカドルのほうをほしがる国のほうが多いのではないか。
しかしエジプトの通貨は、どうか?

本来なら、同じ割合だけ札を増刷して、アメリカドルに対抗したい。
しかしエジプトの通貨など、だれもほしがらない。
つまりそうしたしわ寄せが、中進国以下に集まり始めている。

不況と高い失業率。
物価の高騰と食料不足。
そのひとつが、エジプトの騒乱となって表面化した。
この先、世界情勢は、ますます混沌としてくる。

●1月29日

 今朝は、よく眠れなかった。
朝、4時に、目が覚めた。
エアコンのせいか、空気がカラカラに乾燥。
目が覚めたとき、喉もカラカラだった。

 冷蔵庫から、スポーツドリンクを取り出して飲む。
ワイフも半分、飲む。
再び電灯を消し、目を閉じる。

 ……頭の中で、巨大な宇宙船を想像する。
円筒形の宇宙船である。
直径は、数100キロ以上、長さは、数1000キロ以上。
実際、それに近いUFOが、土星の環(輪)付近で見つかっている。
「どんなUFOだろう?」と想像する。

 ……いつも眠れない夜は、そんなことを考える。
いつもなら、そのまま眠ってしまう。
が、今朝は反対に、かえって頭が冴えてしまった。

●円筒形の宇宙船

 円筒形の宇宙船。
居住区は、円筒の内側に張りつくように位置する。
もちろん人工の山や海もある。
球体の表面に張りつく地球と、ちょうど逆ということになる。
宇宙船は、ゆっくりと回転する。
その遠心力を利用し、人工重力を生み出す。

 直径が100キロ以上もあるから、空のかなたに、別の都市群が見える。
もちろん地球上と同じような大気の気流もあり、天候も日々に変化する。
空を飛行機が飛び交い、海には船も浮かぶ。
中央にはプラズマ太陽。
それが24時間単位で、明るくなったり、暗くなったりする。

 この程度の大きさがあれば、1億人から数億人ほどの人たちが、居住できる。
で、今朝はこんなことを考えた。

 円筒形の宇宙船は、ゆっくりと回転する。
そのとき回転する方向と逆に、同じ速度で走る列車があったとする。
理屈で考えれば、遠心力はそれによって相殺されることになる。
つまり無重力状態になる。
となると、その列車は、そのまま宙に浮かぶことになる。
……浮かぶことになるのか?

 そんなことを考えていたら、かえって頭が冴えてしまった。

●さらに10兆円?

 現状のままでは、2、3年後には、赤字国債がさらに10兆円ほどふえるという。
寝る前に見たテレビで、解説者がそう言っていた。
これは、もうメチャメチャな額と言ってよい。
わかりやすく言えば、月給40万円しかない人が、毎月90万円近い生活費を使って
いることになる。
差し引き50万円は、借金。
その借金が、さらに10万円増える。

 ただ救いなのは、息子や娘のできがよく、資産を1000万円近くもっていること。
いざとなったら、息子や娘の預貯金を食いつぶせばよい。
一家の親父は、そんなことを考え、借金のことなど、どこ吹く風。
今月も庭の改造や、離れの改築に忙しい……。

 バカげているが、だれもそれを止めることができない。
本来なら親父の小遣いを減らし、道楽をやめさせる。
経済学者たちは、みなこう言っている。
「日本経済の破綻は可能性の問題ではなく、時間の問題」と。

●行政改革

 ここまで来たら、行政改革、つまり官僚制度の是正を断行するしかない。
わかりやすく言えば、公務員数の削減と公務員の給料の削減。
ボーナスにしても、公務員の人たちには、年4回も支払われている。
夏と冬の通常のボーナスのほか、年2回の「調整金」という名目のボーナス。
恩給にしても、「転籍特権」という特権がある。
その人が死んでも、家族は、それ以後も年金を受け取ることができる。
つまりそういう特権が無数に積み重ねあげられ、現在の公務員社会を作っている。

……いったいいくらの給料が支払われているのか。
支払われていないのか、それを正確に知る人は少ない。
が、計算方法がないわけではない。

 総人件費を、総公務員数で割るという方法がある。
いろいろな計算がなされている。
が、それとて、よくわからない。
複雑に入り組んでいる。

 で、昨日、政府は、公務員の給料を総じて2割削減するということを言い出した。
当然のことである。
が、O県のばあい、以前、5%(たったの5%だぞ)削減すると首長が提案しただけで、
大騒動になった。
提案は、そのままつぶされてしまった。

 さて、どうなることやら。
が、このままでは日本の経済は、確実に破綻する。
ある評論家はテレビ報道の中で、「残りの猶予期間は、ここ1、2年です」と言っていた。
それを過ぎると、赤字国債の買い手が見つからない。
つまり国家破綻!

 それぞれの公務員の人に責任があるわけではない。
が、ここまで丸々に肥大化した公務員社会。
そこにメスを入れないかぎり、日本に明日はない。

●会場へ

 会場へは、迎えの車で。
朝食は抜いた。
そうでなくても、眠い。
ここで食事をしたら、本当に眠ってしまう。
一度、そういうヘマをしたことがある。
昼に出された寿司を食べてしまった。
講演は、そのあと。
その講演の途中で、瞬間だが、コクリと眠ってしまった。
以来、講演の前には、食事をしないことにした。

 が、寒いせいか、今朝は、呂律(ろれつ)がよく回らない。
たとえば「きょう(今日)」というのを、「ケウ」などと言ってしまう。
こういうときは、発声練習をする。
脳と口の筋肉をシンクロナイズさせる。
合唱団員のとき、よくした。

 ……あるいは脳の微細脳梗塞が始まっているのかも?
血栓性の脳梗塞。
心配。
本来なら30分でもジョギングできればよい。
脳の回転がよくなる。
が、その時間もなさそう。
今朝はこれからこのまま会場へ。
あと30分。
チェックアウトをすませ、ロビーで待つ。

それでは、みなさん、おはようございます。
(2011年1月29日)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●1月31日朝記

++++++++++++++++++++

昨日、NG先生の奥さんと、私とワイフ、
3人で食事をしてきた。
場所は、いつかいっしょに行ったことがある、
「浜名湖・オーベルジュ・キャトルセゾン」。
広い窓の下に浜名湖を見下ろすことができる、
「すてきな」レストラン。
「すてきな」という、どこか女性的な表現に
ぴったりのレストラン。
静かで、上品で、まるで中世の城を思わせるような
雰囲気。

NG先生は、昨年の暮れ、12月1日に亡くなった。
あまりにも突然の死だった。
いつものように日課をこなし、いつものように
医院へ……と。
そこでそのまま亡くなってしまった。
そのNG先生が、そのレストランを紹介してくれた。
覚えにくい名前だが、一度行ったら、忘れることの
できないレストラン。
それが「浜名湖・オーベルジュ・キャトルセゾン」。

私とワイフは、奥さんをなぐさめるつもりで、
奥さんを誘った。
奥さんはあれこれ都合をつけ、私たちの申し出を
快く受けてくれた。

+++++++++++++++++++

●NG先生

 話はつきなかった。
奥さんの話を聞きながら、そのつど私はNG先生の、あの静かな笑顔を思い浮かべていた。
私にとっては、もっとも大切な理解者だった。
短いエッセーでも、文の向こうにある私の心を読み取ってくれた。
たわいもない旅行記。
そんな旅行記でも、NG先生は、ていねいに読んでくれた。
感想文を届けてくれた。
「さぞかし、つらい旅行だったようですね」と。

 それが私にとって、うれしかった。
そのため毎回、「これは……」と思うエッセーをメールで送った。
NG先生は、かならず返事をくれた。
そのNG先生がいなくなってしまった。
心に穴が開いてしまった。

 私はNG先生の訃報を聞くと、そのまま家を出てしまった。
何時間も、家のまわりを徘徊した。
私は子どものときから、そうしている。
何かさみしいことや、つらいことがあると、決まって徘徊した。
その夜もそうだった。
その夜も家に帰ったのは、午前3時ごろ。
足が痛くなって、歩けなくなってしまった。
コンビニから電話をかけ、ワイフに車で迎えに来てもらった。

●NG先生

 人はなぜ、やさしくなれるか?
やさしさは、どこから生まれるか?
その答をNG先生は、よく知っていた。

幼いころより、苦労の連続。
「不運」というには、あまりにも過酷な人生。
そういう人生を通して、NG先生は、心の中に無数のポケットを作っていった。
そのポケットが、NG先生をやさしくした。
あの奥深い人間性はそこから生まれた。

 ……いつだったか、こんな相談があった。
まだ知り合って、間もないころのことだった。

「私の知人に不幸な女性がいましてね……」と。
その手紙には、その女性の不幸な生い立ちと、心の病が長々と書かれていた。
私はその手紙を読んで、あまりにもありえない境遇に驚いた。
が、それは事実だった。
やがて少しずつわかったことだが、それはNG先生自身のことだった。

 奥さんは、NG先生のことを、断片的に話してくれた。
それが私の頭の中で、ジグソーパズルのようにつながっていった。
NG先生の過去が、そして現在が、頭の中で浮かびあがってきた。
話の途中で、ワイフが奥さんにこう言った。

「先生が亡くなられたと聞いたとき、主人は、へんになってしまったのですよ」と。

●死

 私は基本的には、それがだれの死であれ、「死」を認めない。
たとえその人の葬式に出たとしても、認めない。
それはただの儀式。
その人は、いつもどこかで生きている。
ただ、「会えないだけ」。

 だれでも、事情によって、数か月、あるいは数年、あるいは数十年、会えない
ことはある。
それと同じ。
同じと思うことで、私は人の死を見送ってきた。

 だからNG先生の奥さんからメールが入っても、私はいつものように「NG先生奥様へ」
という書き出して返事を書いていた。
「NG先生は、そこにいる」と。

 それはそのまま私の死生観でもある。
私はいつもワイフにこう言っている。
「私が死んでも、だれにも知らせなくていい」と。
親戚、友人はもちろん、息子たちにも、知らせなくていい、と。
いつか、どこかで、だれかが「あの林は?」と聞いたとき、そのとき死んでいたと
わかればよい。

 さらに言えば、10年前に死んだ人も、50年前に死んだ人も同じ。
明日、死ぬ人も、20年後に死ぬ人も同じ。
この宇宙という時間枠で見れば、100年や200年、瞬時の、そのまた瞬時。
誤差にもならない。
こんな文章を書いている私だって、つぎの瞬間には、この世から煙となって消える。
 
●形見

 奥さんを家に送り届けると、奥さんがこう言った。
「渡したいものがありますから、寄ってください」と。

 気遣いを感じたので、私は遠慮したかった。
が、どういうわけか、私はそれに素直に応じてしまった。
「NG先生の論文集を、HPにまとめて掲載したい」という思いがあった。
それをどこでどう頼むか、その糸口をさがしていた。
しかしそれはあまりにも、恐れ多い。

 奥さんは玄関前にある客間へ通してくれた。
私はそこでNG先生の遺骨を見た。
座って手を合わせた。

 「80歳まで元気でがんばりましょう」と、つい先日、誓いあったばかり。
学年は1級上だったが、年齢は、私と同じ。
享年、63歳だった。

奥さんは「主人は、先生のこと(=私)を尊敬していました」と言ってくれた。
それに答えて、ワイフがかわりにこう言ってくれた。
「主人(=私)も、先生(=NG先生)を尊敬していました」と。

 と、そのとき、奥さんが一着の服を私にうしろからかけ、こう言った。
「主人の形見です。どうか、これを着てください」と。

 奥さんはサイズを気にしていた。
が、サイズなど、問題ではない。
「どうしてサイズが……!」と。
そう思った瞬間、目から涙があふれ出た。
止めどもなく、涙があふれ出た。
そのとき私ははじめて、NG先生の「死」を認めた。
自分の中の死生観が、サラサラと粉のように崩れていくのを感じた。

●帰りに

 ワイフがこう言った。
「あなたにとって、大切な人だったのね」と。
私はただ「うん」と。

そう、大切な人だった。
どこかの部屋に、こんな色紙が飾ってあった。

 「たったひとりでも、あなたをわかってくれる人がいたら、それでいい」と。
たしか「みつを」という署名があった。
人は、その「たったひとり」を探し求めて、人生という荒野をさまよい歩く。
とぼとぼと、あてどもなく、さまよい歩く。

 が、その「ひとり」の人がいなくなってしまったら……。
残された人は、どう生きていけばよいのか。
やっとわかりあえた、……わかりあえそうになったそのときに、NG先生は去って
しまった。
約束の80歳までに、まだ17年もあった。
それを思ったとき、また涙があふれ出した。

 ……いちばん最後のメールで、こんなことを言い合った。
「ぼくは、この先、小さな小さな希望を見つけ、その希望に向かって生きていきます」と。
すかさずNG先生から返事が届いた。
「私もそうです」と。

NG先生は、そのとき絶滅種になっている植物の探索をしていた。
「未発見のシダを見つけるのが、私の希望です」とも。

 NG先生へ

 11年間、ありがとうございました。
最後に奥さんに手紙を見せていただいて驚きました。

 先生と講演先の学校で知り合ったのが、平成11年12月1日、水曜日。
先生が亡くなったのは、平成22年12月1日、水曜日。
これは偶然なのでしょうか?


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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●雑感集

2011-02-27 08:43:33 | 日記





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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 16日
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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●喪失の受容段階論(孤独と真理)「喪失の受容段階論」


●孤独は心のがん細胞


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喪失の内容、程度は、さまざま。
失恋、事業の失敗、健康、離婚、
子どもの巣立ち、肉親の死、配偶者の
死など。


そのつど人は、はげしい喪失感を
覚える。
ときにそれがそのまま絶望感になることもある。
襲い来る孤独感、孤立感、虚無感……。


少し前、「孤独は心のがん細胞」という
記事を書いた。
孤独をけっして軽く見てはいけない。
孤独は、心をむしばみ、やがて自らの死、
つまり自殺へと、心を導く。


が、この孤独。
闘えば闘うほど、キバをむいて
私たちに向かって襲いかかってくる。
もがけばもがくほど、孤独という糸に
からまれ、身動きが取れなくなる。


仏教でも、「無間地獄」と位置づける。
あのイエス・キリストも、孤独に
苦しんだ(マザーテレサ)。


が、受け入れてしまえば、何でもない。
孤独に身を任せ、静かにそれを受け入れる。
それで苦しみが消えるわけではない。
悲しみが消えるわけではない。
孤独であることは、苦しい。
魂が引き裂かれるほど、苦しい。
が、その苦しみを受け入れたとき、
その先に小さな光明が見えてくる。


人は、人生において2度、産道をくぐりぬける。
母胎からの産道。
そして孤独からの産道。
2度目の産道をくぐりぬけたとき、人は、
真理の世界に生まれ出ることができる。


++++++++++++++++++


●喪失


 人は、どう喪失感を受け入れていくか。
その参考となるのが、キューブラー・ロスの「死の受容段階論」。
言うまでもなく、「自分の命」を失うことを超える喪失感は、ない。
まさに死は究極の喪失感ということになる。


●死の受容段階論


 キューブラー・ロスの死の受容段階論(「発達心理学」山下冨美代著、ナツメ社より)は、
つぎのような段階論をいう。


(第1期) 否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病
気は死ぬほど重いものではないと否認しようとする。


(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健
康な人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。


(第3期) 取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引
きを試みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。


(第4期) 抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。


(第5期) 受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の
終わりを静かに受け入れる。(以上、同書より)


●喪失の受容段階論


 喪失感がはげしければはげしいほど、ロスの『死の受容段階論』に似た段階を経て、や
がて人は喪失を受け入れるようになる。
こまかい点ではちがいはあるのだろうが、おおまかに言えば、それに近い。
順に整理してみる。


(第1期) 否認……失ったことを知り、大きなショックを受けたのち、失ってはいないと、
はげしく否認する。ささいなことに希望をつなぎ、「まだ何とかなる」と思う。


(第2期) 怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の幸福そうな人、家族で、相手本人に対する不平不満としても生ずる。


(第3期) 取り引き……喪失の回復の見込みがないことを自覚すると、神や医者、家族と
取り引きを試みる。祈ることでの延命や、喪失の代償として、何かを望む。


(第4期) 抑うつ……喪失感が持続的につづくと、虚無主義に陥ったり、抑うつ状態にな
る。


(第5期) 受容……最後は平静な境地に至る。運命に身を任せ、運命に従い、喪失による
孤独感を静かに受け入れる。(以上、ロスの『死の受容段階論』を一部、改変。)


●孤独をどう受け入れていくか


 孤独というのは、闘っても意味がない。
闘う必要もないし、また人間にはそれに打ち勝つ力はない。
そこで大切なことは、居直る。
「ああ、私は孤独なんだ」と。
同時に、「みな、そうなんだ」と思えばよい。


 一見、派手な世界で愉快そうに振る舞っている人にしても、孤独でない人はいない。
みな孤独を背負っている。
あるいは孤独という氷の上を歩いている。
薄い氷。
その下では孤独が、「おいで、おいで」と手招きしている。


孤独を知らない人というのがいたら、本物のバカか、ものを考えないノーブレイン
(=脳なし人間)。
あるいは孤独をごまかして生きているだけ。
孤独から逃げているだけ。


 もちろん財力や名誉、地位、肩書き、経歴など、孤独の前では、一片の価値もない。
意味もない。
乾いた煙ほどの力もない。
孤独を癒す力など、まったくない。
もがけばもがくほど、孤独の糸がからんでくる。
身動きが取れなくなる。


 が、ひとたび孤独を受け入れれば、周りの世界は一変する。
それまで見えなかったものが、見えるようになる。
何が大切で、何がそうでないか。
何が価値があり、何がそうでないか。
言うまでもなく、私たちが探し求めている真理は、その向こうにある。


●真理探究


 財力や名誉、地位、肩書き、経歴に毒されている間は、真理など求めようもない。
そういう世界で踊っている人は、作りあげられた幻想の世界で、酔いしれているだけ。
それは一時のさみしさを紛らわすために飲む、酒のようなもの。
酒から覚めたら、その何倍もの孤独感が襲ってくる。


 言い替えると、財力や名誉、地位、肩書き、経歴にしがみつけばつくほど、その人は
孤独を前に、もがき、苦しむ。
絶望のどん底へ叩き落とされる。
「自らの死」を選択することにもなりかねない。


 が、孤独は「第二の産道」。
その産道をくぐり抜けることなしに、人は、真理の世界に入ることはできない。
もちろん「真理」は、その人によってちがう。
真理はひとつではないし、真理の向こうにまた別の真理がある。
そこは平和で、満ち足りた世界。
豊かで、おおらかな世界。
が、その世界もまた、無限のかなたへとつづく。


 方法は簡単。
孤独を受け入れる。
静かに受け入れる。
それで苦しみや悲しみが消えるわけではない。
しかしやがて、その先に、一筋の光明が見えてくる。
あとはその光明に向かって歩いていけばよい。


 ……この先のことは、私にもわからない。
ただこれだけは言える。


真理などというのは、そんなに遠くにあるものではないということ。
私やあなたのすぐそばにあって、私やあなたに見つけてもらうのを、息をひそめて
じっと待っている。


 さあ、あなたも勇気を出して、孤独の世界に身を横たえてみよう。
声に出して叫んでみよう。
「私はさみしい!」と。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 第二の産道論 真理の探究 真理 孤独論 喪失論 喪失の受容段階
論 はやし浩司 ロス 死の受容段階論 はやし浩司 孤独は心のがん細胞)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●雑感(2011/01/28)

●金価格

 少し前まで天井知らずに見えた金価格が、この数週間、じわじわとなだらかな山をくだ
るように低下している。
が、こういう低下のしかたそのものが、不自然。
「じわじわ」というところが、不自然。
つまり巨大な力が、その裏で動いている。
つまりコントロールしている。

 「巨大な力」というのは、国家的規模の力をいう。
こうした操作をするには、それくらいの規模の力が必要。
「急激に下がりすぎても困る」……そのときは適当に(買い)を入れる。
しかし「現在のような高値で何とか売り抜けたい」……しかし下がりすぎても困る、と。
言い替えると、利食いの売りを入れながら、一方で金価格の暴落を防ぐ。
こんな芸当ができるのは、やはり「巨大な力」だけ。

 アメリカか?
それとも中国か?
現在、グラム3700円前後(田中貴金属)。
が、いつまでも下がりつづけるわけではない。
3500円くらいで底を打つはず。


●窓から小便

 みんなやっている。
男なら、みんなやっている。
窓から、小便。

 私は高校生くらいのときから、よく窓から小便をした。
前に小屋根があって、店の看板がそこに立っていた。
その看板の下あたりを、めがけて小便をした。
それには理由がある。

 ひとつは私の家は細長い家で、私の部屋は二階の一番北側。
便所は一階の一番南側にあった。
だからいつだったか、間に合わないと思ったとき、窓から外に向かってした。
もうひとつは、私は子ども(幼児)のころから、あの便所が怖かった。
ボットン便所で、いつも薄暗かった。
それに臭かった。
で、以後、それが習慣になった。

 で、今でもときどき、窓から外に向かってする。
それについてワイフが、こう言った。

ワ「あなたは窓からしているしね……」と。
私……ドキッ!、「……知っていたの?」
ワ「知っていたわよ。ずっと前から……」
私「だったら、言ってくれればいい」
ワ「言う必要もないでしょ」と。

 ナーンダ!
私だけの秘密かと思っていた。
ワイフは、とっくの昔に知っていた。

私「ぼくね、高校生のときから、していたよ」
ワ「……」
私「でね、ある夜、いつものようにそれをしたら、下の道路から声が聞こえてきたよ」
ワ「その話は、いつか、聞いたわよ」
私「そうだったか? 母親と娘だった。その娘がこう言った。『あら、お母さん、雨よ!』
って」

ワ「……かわいそう……」
私「だろ。だからそれからは、じょうずにするようになった」
ワ「じょうずにって?」
私「左右に振りながら、小出しに、うまく樋(とい)の中に流すんだよ」
ワ「今も、そうしているの?」
私「まあ、ね」と。

 立ち小便は、男の特権。
(女性でも、できなくはないらしいが……。)
尿を膀胱にいっぱいためて、一気に放出する。
あの解放感は、たまらない。

 いちばんよいのは、山の頂上から、下をめがけてする。
そういう場所を見つけて、下をめがけてする。
あの解放感は、たまらない。

●若い人たちのアイデンティティ(同一性の確立)

 私たちの世代では、権力との闘いが、ひとつのテーマになっていた。
安保闘争もそのひとつ。
政治のことは何も知らなかった。
しかし自分たちを抑えつける権力に、抵抗した。
それが私たちにとっての、安保闘争だった。

 が、つぎの世代では、世代との闘いが、ひとつのテーマになっていった。
それをわかりやすく表現したのが、尾崎豊の「卒業」。
「♪夜の校舎、窓ガラス、壊して回った」と。
あの歌の出現に、私たちは少なからず、驚いた。
その歌の向こうに見える、若者たちの猛烈な反発を感じ取ったからだ。

 で、現在はどうかというと、それが「恋愛ごっこ」。
「韓流ドラマ」の流行に、私は、それを見る。
歴史も政治も、どこかへ吹きとんでしまった。
「反日、嫌韓など、どうでもいい」と。
つまり「恋愛こそ、すべて」。

 つまり自我の同一性といっても、「だれを、どの程度好きなのか、それが問題」。
これが現在の若い人たちの「自己概念」。
そしてその人と、どうつきあっているか。
それが「現実自己」。
それが一致した状態を、今の若い人たちがいう、「自我の同一性」ということになる。

 今ではほとんどの男子高校生は、避妊具つまり、コンドームを持ち歩いている。
「放課後の部室、空き部屋はラブホテルのよう」と。
ある高校の教師はそう言った。

これをわかりやすく、チャート化してみる。

(私たちの世代) 権力との闘い
(つぎの世代)  世代との闘い(=古い世代の否定)
(現在の若者)  恋愛ごっこ

 「これでいいのか?」と思ったところで、この話はおしまい。
私たちの世代にしても、その前の世代のこととなると、ほとんど知らない。
たとえば私たちの一世代前の人たちは、国を守るためと、戦場で命を落としていった。
その数、300万人。
(日本人が殺した外国人の数も、同じく300万人。)
そういう人たちから見れば、私たちの世代は、何ともだらしない。
「何が、権力闘争だ!」となる。

 それぞれの世代は、それぞれ勝手なことをしながら、自分たちの世界を作る。
私たちの世代が正しいというわけではない。
私たちの前の世代が正しいというわけでもない。
つぎのつぎの今の世代が、正しいというわけでもない。

●運動のしすぎ

 重要な講演が近づいた。
日を追うごとに、運動量をふやした。
その結果、昨日あたりから、太ももや腰が痛くなり始めた。
ギコギコとした感じ。

 運動もやはり、ほどほどに……。

 では、今日も始まりました。
みなさん、おはようございます。
これからいつもよりやや遅い、朝食です。
1月28日 2011年
はやし浩司 2011-01-28


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林 浩司

【伯父の訃報】

●電車で岐阜へ

昨夜、伯父の訃報が届いた。
「トイレの前で倒れ、そのまま亡くなった」と。
3年前に亡くなった母と、ちょうど12歳違いだったということだから、今年89歳か9
0歳。
よい伯父だった。
いろいろあったが、総括してみると、そうなる。

こう書くと、ほめているのか、けなしているのかはわからない。
が、映画『男はつらいよ』のフーテンの寅さんのような伯父だった。
もちろんよい意味で、寅さんのような伯父だった。
人情豊かで、世話好きだった。
それにやさしかった。

●ワイフの頭痛

 この数日、ワイフはあまり調子がよくない。
花粉症のせいとワイフは言う。
鼻づまりと軽い頭痛。
昨夜も、寝るまで「頭が痛い」と言っていた。
最後に時計を見たのは、午前1時。

 で、今朝、「どうする?」と聞くと、「今朝はだいじょうぶ」と。
顔色はあまりよくない。
元気もない。
話す声も、どこか沈んでいる。

●電車

 電車に乗ると、すぐうしろの男が、さかんにクシャミをし始めた。
私たちはすぐ席を移動した。
幸い、電車はすいていた。

 窓の外はすっかり、冬景色。
枯れた草木の葉が、さらに色を落としている。
残ったわずかな緑も、黒い影のようにしか見えない。
今年の冬も、あと少し。
今、そう思った。

●おかしな計算

 時間がなかったので、浜松→名古屋間の切符を買った。
浜松駅では岐阜までの切符は、自動販売機では買えない。
が、切符売り場(ブース)には、ズラリと客が並んでいた。

 浜松から名古屋まで、1名、1890円。
浜松から岐阜まで、1名、2210円。
車掌が通りかかったので、「乗り越し」を頼むと、差額は1名、450円という。
が、この計算は、おかしい。
で、それを告げると、名古屋から岐阜まで、1名、450円だから、と。

・・・?
差額分だけというのなら、320円でよいはず。
「そういう規則なら、しかたないね」と言うと、「そうなんです」と。

●さざ波

 人生にはいろいろある。
そのつど小さなドラマがさざ波のようにやってきて、また去っていく。
ときどき大きな波もやってくる。
それが繰り返し、繰り返し、つづく。

 で、大切なことは、できるだけ大きな船になること。
大きな船になればなるほど、波に揺れることはない。

・・・とまあ、偉そうなことを書いたが、親類づきあいだけは別。
簡単にON/OFFで割り切ることができない。
理屈や合理が通じない。
ふと油断すると、ささいな問題に巻き込まれ、自分を見失う。
小さなさざ波に、心を煩わされる。

●思い出

 子どものころ、伯父は私をよく遊びに連れて行ってくれた。
川で魚も取ってくれた。
若いときからスポーツマンで、そういう点ではたくましかった。

鉈(なた)一本で、イノシシと対峙し、そのイノシシを倒した話。
猟に行った帰りに、サルを撃ち殺した話。
大水で流れ出た墓場の死体を、背負って帰った話。
ダイナマイトを使って、魚を取った話、などなど。

 今まで思い出したことのないような話が、つぎつぎと脳裏をかすめる。
いろいろあったが、伯父は、私にはよい伯父だった。

●いつもの声

 電車は豊橋を過ぎて、「新快速」になった。
名鉄電車の特急ほどの速さがある。
浜松からは、乗り換えなしで岐阜まで行くことができる。
時刻は今、午前10時37分。

 ワイフはぼんやりと、(多分?)、窓の外の景色を見ている。
昨日も、「どこかへ旅行したいわ」と言っていた。
その希望がかなった?
伯父の死といっても、あぶないという話は、すでに前から聞いていた。
覚悟をしていた。
それもあるのかもしれない。
訃報を知らせてくれた、いとこたちにしても、いつもの声だった。
今朝、別のいとこに道路の雪の状態を問い合わせた。
そのいとこも、いつもの声だった。

 こうして人は去っていく。
あたかも何ごともなかったかのように。
そしてそのあと、また何ごともなかったかのように、また新しい時が始まる。

●タクシーで

 岐阜からⅠ村までは、車で1時間半余り。
タクシーで行くと、片道、1万5000円?
前回、・・・3年ほど前だったが、それくらいかかった。
往復で、3万円。

 「バスで行って、その分で、どこかに泊まってこようか」と言うと、ワイフも、
「そうねエ・・・」と。
あまり乗り気ではなさそう。
どうしようか?
どうしてこんなとき、こんなセコイことを考えるのか。

●寒い

 窓の外が急に曇ってきた。
いつもなら見える遠くの山々も、今日は雪雲に隠れて、見えない。
灰色の、どんよりとした境目のない雲だ。
「雪かもしれないよ」と。

 しばらく黙っていたが、ワイフがこう言った。
「今年は寒いわね」と。
寒いというより、冷たい。
先週、浜松でも40年ぶりと言ってよいほどの降雪があった。
雪はそれほど積もらなかったが、道路が凍結した。
そのためバイパスや東名高速道路は閉鎖。
その朝だけで、何と370件余りもの交通事故が起きたという。
浜松市内だけ、で。
370件余り、だぞ!

●NG先生の奥さん

 今朝、先月亡くなったNG先生の奥さんから、メールが入っていた。
「さみしい」とそれにはあった。
それで今度の日曜日に、食事に誘ってみた。
一度、みなで会食をしたことがあるレストランを提案した。
まだ返事はないが、家に帰ったら、もう一度強引に誘ってみる。

 レストラン・・・名前は忘れたが、丘の上にある外国風のレストラン。
途中の道から、浜名湖が一望できた。
NG先生夫妻が、私たち夫婦を誘ってくれた。
今度は、私たちが、誘う番。

●思考停止

 愛する人が亡くなると、いろいろな段階を経て、やがて現実を受け入れるようになる。
何かの本にそう書いてあった。

 最初は(混乱)。
それが一巡すると、(怒り)。
それが収まると、・・・?
詳しくは忘れたが、キューブラー・ロスの「死の段階論」に似ている。
そのときは、そう思った。

 また同じ「喪失」でも、衝撃度によって、いくつかに分類されている。
その中でも、配偶者の死は、最大級とか。
「そうだろうな」と思ったところで、思考停止。
それ以上のことは、私にもわからない。
興味本位で書くには、あまりにも失礼。
だから思考停止。

●心の余裕

 今日のお供は、TOSHIBAのUX-23。
最軽量のミニ・パソコン。
バッテリーは5時間ほどもつ(?)。
が、たった今見たら、「残り63%」。
もう37%も消費!

 ところで今度、電気自動車が発売になるとか。
その試乗記を、何かの雑誌で読んだ。
フル充電で、120キロ走るそうだ。
そのつど、バッテリーの残量が「%」表示されるそうだ。
しかし・・・。

 私ならそんな車には乗らない。
いつもハラハラ。
ハラハラのしどうし。
今の私の心の状態と同じ。
生活には、いつも「余裕」が必要。
昔、こんな話をしたことがある。

●余裕論

 サラリーマンをしていると友人が、私にこう言った。
「林さん(=私)はいいですねえ。ぼくらの何倍も収入があるから」と。
それに答えて、こう言った。

「サラリーマンの人が手にする20万円(月給)と、ぼくらが手にする20万円は、ちが
いますよ。
ぼくらの20万円は、明日のない20万円です。
来月の保証が、まったくない。
だから予定が立たない。
もしぼくらがサラリーマンの人たちと同じ安心感を得ようとしたら、数倍でも足りないく
らいです」と。

 このパソコンにしても、そうだ。
「まだ100時間、使える」というのなら、安心。
が、「あと5時間」というのは、今の私には心細くてしかたない。

●余裕

 心の余裕について書いた。
が、「余裕」とは何か?
最初に思いつくのが、金銭的な余裕。
つぎに肉体的(健康的)な余裕。
そして心の余裕。

 どうであれ、余裕をもって生きるというのは、大切なこと。
が、だからといって、ぜいたくがよいというわけではない。
ぜいたくをしたいというわけではない。
万事、控えめ。
質素。
そう、「質素を旨とすべし」。
いつもあと一歩という、その手前の状態で、やめる。
それが「余裕」。
つまり余裕というのは、そのときの状態ではなく、自分で作るもの。
2000円しかなかったら、1000円のものを買えばよい。
1000円しかなかったら、500円のものを買えばよい。
それが「余裕」。

 人生も、これまた同じ。

●仕事

 4月からの仕事を考える。
あれこれ考える。
私の仕事は、4月が新年度。
1月という正月ではない。

 仕事があるとか、ないとかいうことではない。
仕事ができるか、どうか。
それが問題。
体力と相談しながら、仕事を考える。
そう言えば、事務所の隣人の姿を、このところ見ない。
今朝、車を駐車しながら大家さんにそれを話すと、「入院なさっています」と。

 私より15歳は、若い。
そんな人が、1か月近くも入院?
「明日はわが身」と、身を引き締める。
廊下で立ち話程度のつきあいしかない。
が、それでも気になる。
心配。
ザワザワとした心配。

●1月27日

 先のところまで書いて、今は、その翌日の1月27日。
昨夜、暗くなってから、家に着いた。
以後、何をするでもなし、しないでもなし……という状態で、夜、床に就いた。
時刻は10時前。

 「ここ数日、原稿が書けない」とワイフにこぼす。
こぼしながら、またまたPSP相手に将棋。
やはり子どもには、PSPなどのゲーム機器は、買い与えない方がよい。
時間が、無駄になる。
将棋ならまだよいが、……というのも、それなりにためになる部分もあるが、怪獣を倒す
とか、動物を闘わせるとかいうのは、そもそも意味がない。
そんな意味のないゲームで、1時間とか2時間を浪費する。

 そんなヒマがあったら、家事の手伝いをさせる。
そのほうがよほど、子どものためになる。

●I村

 I村では、夢のような美しい景色を見た。
白銀の世界を、白い粉雪が舞っていた。
私は夢中でデジタルカメラのシャッターを切った。
タクシーの運転手も、気を利かして、ところどころでスピードを落としてくれた。
ワイフは、「映画の中のシーンみたい」と、何度も言った。
美しかった。
こんな簡単な言葉しか思いつかないが、とにかく、美しかった。

マガジン2月号用の写真ということになる。
マガジン2月号は、その写真で飾りたい。

 ……遠い昔に見た景色。
一点の汚れもない、純白の世界。
顔にかかる粉雪が、心地よかった。

●今日も始まった!

 さて、今日も、始まった。
1月27日、木曜日。

 最後に一言。
昨日乗ったタクシーの運転手は、「ものすごい人」(ワイフの言葉)だった。
ヨボヨボのジーさんだった。
髪の毛がほとんど抜け、残った髪の毛もちぢれていた。
その上やせこけて、色も浅黒かった。

 が、年齢を聞いてびっくりした。
というのも、少し心配になったので、年齢を聞いてみた。
私には、75歳前後の老人に見えた。
すると運転手は、ためらうことなく、こう言った。
「63歳です。昭和23年生まれです」と。

 な、何と、私と同じ年齢!
「あ、そうですか」と言っただけで、つぎの言葉が出てこなかった。
それについて、ワイフは、帰りの電車の中でこう言った。
「タバコのせいよ」と。
「ドアのハンドルも、タバコのヤニで、ベタベタしていたわ」と。

 かなりのヘビースモーカーとみた。
それが老化を早めた?
それにしても、「ものすごい人」だった。
強く印象に残った。
(私は、22年生まれの63歳。)


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