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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 11月 11日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page007.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【満62歳の懺悔】
+++++++++++++++++++++
10月2x日(2009)、私は満62歳になる。
ちょうど満60歳のとき、「これからの人生は儲けもの」
(友人のS君の言葉)と考えていたので、私は2年、
儲けたことになる。
この2年間、健康で、楽しく過ごせた。
息子たちも健康で、それぞれ、大きな問題もなく、現在も、
元気で暮らしている。
孫たちも元気のようだ。
で、満62歳を迎えるにあたって、この1年間を、
振り返ってみたい。
+++++++++++++++++++++
●BW公開教室
仕事では、教室(=BW教室)の様子を、ほとんど毎日、ビデオカメラに収めている。
それをYOUTUBEにアプロードして、公開している。
視聴者の反応はあまりないが、これはだれのためでもない。
私自身のため。
当初、ビデオに収め始めたときには、心のどこかで、「この先、1年間、無事、仕事がで
きるだろうか?」と、不安に思った。
過去の1年は、短いが、未来の1年は、長い。
で、今月は、10月。
1月から収録を始めたので、あと数か月分を収録すればよい。
(実際には、来年3月までの、5か月分あるが……。)
今は、先のことはあまり考えず、淡々と、ルーティーン(=日常スケジュール)をこな
すだけ。
●古里との決別
私は満62歳にして、はじめて古里と、決別できた。
そういう意味では、この1年……というよりは、2009年は、私の人生においても、特
筆すべき1年ということになった。
肩の荷がおりた。
足腰が軽快になった。
実家の古家も売却したので、気も軽くなった。
今までは、台風や大雨のたびに、実家の心配をしなければならなかった。
今は、それがない。
先週も、超大型台風18号が、実家の近くを通過したが、その夜は、何も考えず、ぐっす
りと眠ることができた。
やれやれ!
●原稿書き
緊張感が薄れたのか、それとも脳みその働きが悪くなったのか、このところあまり原稿
を書いていない。
子育てについて書くのも、疲れた……というより、飽きた。
……というより、書きつくした。
返事を書かなければならない、読者からの相談もいくつかたまっている。
講演用のレジュメも、今夜中に、2組、仕上げなければならない。
が、その緊迫感がわいてこない。
パソコンのカタログをぼんやりとながめて、時間をつぶす。
ときどきウォーキング・マシンで、運動する。
雑誌をパラパラとめくって、テーブルの上の果物をかじる。
ホームページ(メイン)の更新もしたいが、心の方が先に引いてしまう。
つまりめんどう。
●認知症
何と言っても気になるのが、認知症。
昨年亡くなった兄は、晩年、うつ病から、認知症的な症状を示していた。
もうひとり姉がいるが、この姉も、このところおかしな言動が目立つ。
順番からいけば、つぎは私ということになる。
認知症になれば、私が私でなくなってしまう。
そうなれば、私はものを考えられなくなる。
ものを書けなくなる。
それがこわい。
だから毎日のように、ワイフと何かの脳トレをしている。
教室でも生徒を相手に、脳トレをしている。
もう少し若いころには、(遊び)として、それをしていたが、今は、真剣勝負。
中学生や高校生を相手に、数学の問題を解きあっている。
……で、今のところは、だいじょうぶなようだ。
ホッ!
●遊ぶ
とくにスケジュールを決めているわけではないが、ワイフとつぎのようにしている。
(1)週に1度は映画を、劇場で観る。
(2)週に1度は近くの温泉(舘山寺温泉)の大浴場へ行く。
(3)月に2、3度は、軽い旅行をする。
あとは自宅と山荘を行ったり、来たり……。
できるだけ運動を兼ねるようにしている。
今日(10月11日)も、ウォーキング・マシンで40分。
プラス、2キロほど先にある、大型ショッピングセンターまで、歩いて往復してきた。
気になるのは、今の生活に、「だから、それがどうしたの?」という部分がないこと。
現状維持が精いっぱい。
「明日は、ひょっとしたら、何かいいことがあるかもしれない」という淡い期待だけで生
きている。
目標が、生活の中に浮かび上がってこない。
●目標
「目標」という言葉が出てきたので、一言。
10月2x日に、私は満62歳になる。
62年間、生きてきたことになる。
で、その翌日から、「3年目」。
このままダラダラと生きていくのも、1年。
しかしそれでは、ただの(儲けもの)で終わってしまう。
何か、目標をもたなければならない。
作らなければならない。
が、それが浮かび上がってこない。
どうしてだろう?
やはり現状維持が精いっぱいということか。
健康で、それなりの生活ができれば、御の字。
それで感謝しなければならない。
今、何か目標をもてと言われても、ひょっとしたら、それはぜいたくな悩みかもしれない。
今、ここにこうして生きているだけでも、ありがたいこと。
あとは、それをどう、みなに還元していくか。
つまりそれが、今の私の目標ということになる。
●楽しみ
近くWINDOW7(=パソコンのOS)が、発売になる。
しばらく様子をみたあと、新型の最先端のデスクトップを購入する。
「しばらく様子をみる」というのは、発売直後は、値段も高いということ。
それに周辺機器との相性も気になる。
プリンターについては、新しく買い換えようと考えている。
ほかに、今使っているソフトは、どうなのか。
そのまま使えるのか。
いろいろ心配な点も、多い。
が、1~2か月もすると、その様子もわかってくる。
値段もさがってくる。
そのころ、デスクトップを購入する。
どの機種にするかは、ほぼ決まっている。
が、今は、TOP・SECRET。
●最後に
……ということで、もうすぐ満62歳。
今年もワイフと長男と私だけの誕生パーティになりそう。
本当のところ、歳を取るというのは、いやなこと。
何もめでたくない。
祝うとしたら、今まで無事に生きてきたこと。
来年の今日、満63歳の誕生日に、今と同じようなことを書けたら、いい。
それを目標に、(目標ができたぞ!)、これからの1年をがんばってみる。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●テレビ電話
++++++++++++++++++++
昨日、アメリカに住む息子たちと、SKYPEを
利用して、2度ほど、テレビ電話を楽しんだ。
孫たちも元気そうだった。
で、そのテレビ電話をしながら、ふと、こんな
ことを考えた。
「あの世とこの世の間で、霊界通信をしているみたい」と。
+++++++++++++++++++++
●あの世vsこの世
どちらが(あの世)で、どちらが(この世)か。
どちらでも構わない。
日本のこちらが(あの世)かもしれない。
息子の住んでいるアメリカが、(あの世)かもしれない。
しかし私たちは小さなパソコンの画面を通して、話をした。
あるいは小さなカガミ(鏡)でもよい。
小さなカガミを通して、話をした。
画面の向こうは、アメリカ。
画面の手前は、日本。
私は画面を通して、孫たちの様子をながめる。
元気そうな様子を見て、安心する。
たぶん、アメリカに住んでいる息子たちもそうだろう。
物理的な距離は、数万キロ。
その数万キロを隔てて、息子たちが、そこに見える。
テレビ電話といっても、性能はまだ不十分。
ときどき音声が途絶えたり、画面がフリーズしてしまったりする。
画像も、荒い。
だからこそよけいに、私は、(あの世)から息子たちの世界をのぞいているような気分にな
る。
「あの世から、この世を見たら、こんな気分かな」と。
●少ない会話
しかしテレビ電話もそこまで。
ワイフと私だったら、一日中でも、ペチャペチャとしゃべりあっている。
しかしテレビ電話では、ある程度の話をすると、そこで会話が止まってしまう。
共通の話題がない。
相互の相談もない。
それよりも、たがいに生活が疎遠になってしまった。
「息子」「孫」「嫁」とはいいながら、今は、細い糸でつながっているだけ。
「元気か?」「元気だよ」で終わってしまう。
が、それではいけない。
いけないと思いつつ、あれこれ話すが、長つづきしない。
どこかに(無理)を感ずる。
(疲れ)を感ずる。
……と言いながらも、合計で、30~40分ほど、話した。
孫たちが、いろいろなおもちゃを並べて見せてくれた。
英語でいろいろ説明してくれるが、あのフニャフニャ英語は、本当に聞きづらい。
半分も理解できない。
が、理解できたような顔をして、その場をとりつくろう。
やはり、向うが、(この世)ということか。
私の住んでいる世界の方が、(あの世)。
「これからパンプキン畑へ遊びに行く」と息子たちは言っていた。
ダイナミズムがちがう。
私たちのほうは、たまたま就寝時刻ということもあって、のんびりとお茶を飲む。
「天国」という雰囲気ではないが、それに近い。
だから、こちらが(あの世)。
私とワイフは、(あの世)にいる。
(あの世)にいて、(この世)にいる息子たちの生活を、のぞいている。
のぞきながら、安心している。
テレビ電話をしながら、そんなことを考えた。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●意識の連続性(改)091012版
+++++++++++++++++
ちょうど1か月前、「意識の連続性」について書いた。
その原稿が、ずっと気になっていた。
殴り書きしたような原稿で、電子マガジンの
ほうで、そのまま、発表してしまった。
もう一度、それを読み直し、推敲してみたい。
+++++++++++++++++
【生命から生命へ】(From Life to Life)
We live and die and repeat it again and again, conveying out Life to other all living
creatures and things together with our consciousness.(後日、要推敲)
++++++++++++++
あなたの生命は、ほかのありと
あらゆる生命とつながっている。
過去から未来へと、つながっている。
生物、無生物を問わず、ありとあらゆるものと
つながっている。
それがわかれば、あなたは
もう孤独ではない。
もしあなたに「死」というものが
あるとするなら、それはあなたの
「意識」の死に、過ぎない。
もっと言えば、意識の連続性が、
一度、そこで途切れるに過ぎない。
だから、もしあなたが意識の連続性を、
あなたの肉体を超えて感ずることが
できたら、あなたは、もう「死」を
恐れることはない。
++++++++++++++
●生物の連続性
人は日々に死に、日々に生まれ変わる。
細胞の生死を考えれば、それがわかる。
死んだ細胞は、体外へ排出され、ときに
分子レベルにまでばらばらになり、また
別の生物や無生物の中へと、取りこまれていく。
と、同時に、私たちは日々に、ほかの生物や
無生物から、新しい肉体を作り、生きている。
こうして私たちの肉体はありとあらゆる生物と
つながり、「今」というときを生きている。
これを「生物の連続性」という。
●命
では、死んだらどうなるか。
が、基本的には、「死」は存在しない。
その人個人の意識は途絶えるが、生命は、
姿や形を変え、別の生物の中に取りこまれて
生きていく。
虫かもしれない。
花や木かもしれない。
動物や、魚かもしれない。
ともかくも、生きていく。
この連続性を総称して、「生命の連続性」という。
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【満62歳の懺悔】
+++++++++++++++++++++
10月2x日(2009)、私は満62歳になる。
ちょうど満60歳のとき、「これからの人生は儲けもの」
(友人のS君の言葉)と考えていたので、私は2年、
儲けたことになる。
この2年間、健康で、楽しく過ごせた。
息子たちも健康で、それぞれ、大きな問題もなく、現在も、
元気で暮らしている。
孫たちも元気のようだ。
で、満62歳を迎えるにあたって、この1年間を、
振り返ってみたい。
+++++++++++++++++++++
●BW公開教室
仕事では、教室(=BW教室)の様子を、ほとんど毎日、ビデオカメラに収めている。
それをYOUTUBEにアプロードして、公開している。
視聴者の反応はあまりないが、これはだれのためでもない。
私自身のため。
当初、ビデオに収め始めたときには、心のどこかで、「この先、1年間、無事、仕事がで
きるだろうか?」と、不安に思った。
過去の1年は、短いが、未来の1年は、長い。
で、今月は、10月。
1月から収録を始めたので、あと数か月分を収録すればよい。
(実際には、来年3月までの、5か月分あるが……。)
今は、先のことはあまり考えず、淡々と、ルーティーン(=日常スケジュール)をこな
すだけ。
●古里との決別
私は満62歳にして、はじめて古里と、決別できた。
そういう意味では、この1年……というよりは、2009年は、私の人生においても、特
筆すべき1年ということになった。
肩の荷がおりた。
足腰が軽快になった。
実家の古家も売却したので、気も軽くなった。
今までは、台風や大雨のたびに、実家の心配をしなければならなかった。
今は、それがない。
先週も、超大型台風18号が、実家の近くを通過したが、その夜は、何も考えず、ぐっす
りと眠ることができた。
やれやれ!
●原稿書き
緊張感が薄れたのか、それとも脳みその働きが悪くなったのか、このところあまり原稿
を書いていない。
子育てについて書くのも、疲れた……というより、飽きた。
……というより、書きつくした。
返事を書かなければならない、読者からの相談もいくつかたまっている。
講演用のレジュメも、今夜中に、2組、仕上げなければならない。
が、その緊迫感がわいてこない。
パソコンのカタログをぼんやりとながめて、時間をつぶす。
ときどきウォーキング・マシンで、運動する。
雑誌をパラパラとめくって、テーブルの上の果物をかじる。
ホームページ(メイン)の更新もしたいが、心の方が先に引いてしまう。
つまりめんどう。
●認知症
何と言っても気になるのが、認知症。
昨年亡くなった兄は、晩年、うつ病から、認知症的な症状を示していた。
もうひとり姉がいるが、この姉も、このところおかしな言動が目立つ。
順番からいけば、つぎは私ということになる。
認知症になれば、私が私でなくなってしまう。
そうなれば、私はものを考えられなくなる。
ものを書けなくなる。
それがこわい。
だから毎日のように、ワイフと何かの脳トレをしている。
教室でも生徒を相手に、脳トレをしている。
もう少し若いころには、(遊び)として、それをしていたが、今は、真剣勝負。
中学生や高校生を相手に、数学の問題を解きあっている。
……で、今のところは、だいじょうぶなようだ。
ホッ!
●遊ぶ
とくにスケジュールを決めているわけではないが、ワイフとつぎのようにしている。
(1)週に1度は映画を、劇場で観る。
(2)週に1度は近くの温泉(舘山寺温泉)の大浴場へ行く。
(3)月に2、3度は、軽い旅行をする。
あとは自宅と山荘を行ったり、来たり……。
できるだけ運動を兼ねるようにしている。
今日(10月11日)も、ウォーキング・マシンで40分。
プラス、2キロほど先にある、大型ショッピングセンターまで、歩いて往復してきた。
気になるのは、今の生活に、「だから、それがどうしたの?」という部分がないこと。
現状維持が精いっぱい。
「明日は、ひょっとしたら、何かいいことがあるかもしれない」という淡い期待だけで生
きている。
目標が、生活の中に浮かび上がってこない。
●目標
「目標」という言葉が出てきたので、一言。
10月2x日に、私は満62歳になる。
62年間、生きてきたことになる。
で、その翌日から、「3年目」。
このままダラダラと生きていくのも、1年。
しかしそれでは、ただの(儲けもの)で終わってしまう。
何か、目標をもたなければならない。
作らなければならない。
が、それが浮かび上がってこない。
どうしてだろう?
やはり現状維持が精いっぱいということか。
健康で、それなりの生活ができれば、御の字。
それで感謝しなければならない。
今、何か目標をもてと言われても、ひょっとしたら、それはぜいたくな悩みかもしれない。
今、ここにこうして生きているだけでも、ありがたいこと。
あとは、それをどう、みなに還元していくか。
つまりそれが、今の私の目標ということになる。
●楽しみ
近くWINDOW7(=パソコンのOS)が、発売になる。
しばらく様子をみたあと、新型の最先端のデスクトップを購入する。
「しばらく様子をみる」というのは、発売直後は、値段も高いということ。
それに周辺機器との相性も気になる。
プリンターについては、新しく買い換えようと考えている。
ほかに、今使っているソフトは、どうなのか。
そのまま使えるのか。
いろいろ心配な点も、多い。
が、1~2か月もすると、その様子もわかってくる。
値段もさがってくる。
そのころ、デスクトップを購入する。
どの機種にするかは、ほぼ決まっている。
が、今は、TOP・SECRET。
●最後に
……ということで、もうすぐ満62歳。
今年もワイフと長男と私だけの誕生パーティになりそう。
本当のところ、歳を取るというのは、いやなこと。
何もめでたくない。
祝うとしたら、今まで無事に生きてきたこと。
来年の今日、満63歳の誕生日に、今と同じようなことを書けたら、いい。
それを目標に、(目標ができたぞ!)、これからの1年をがんばってみる。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●テレビ電話
++++++++++++++++++++
昨日、アメリカに住む息子たちと、SKYPEを
利用して、2度ほど、テレビ電話を楽しんだ。
孫たちも元気そうだった。
で、そのテレビ電話をしながら、ふと、こんな
ことを考えた。
「あの世とこの世の間で、霊界通信をしているみたい」と。
+++++++++++++++++++++
●あの世vsこの世
どちらが(あの世)で、どちらが(この世)か。
どちらでも構わない。
日本のこちらが(あの世)かもしれない。
息子の住んでいるアメリカが、(あの世)かもしれない。
しかし私たちは小さなパソコンの画面を通して、話をした。
あるいは小さなカガミ(鏡)でもよい。
小さなカガミを通して、話をした。
画面の向こうは、アメリカ。
画面の手前は、日本。
私は画面を通して、孫たちの様子をながめる。
元気そうな様子を見て、安心する。
たぶん、アメリカに住んでいる息子たちもそうだろう。
物理的な距離は、数万キロ。
その数万キロを隔てて、息子たちが、そこに見える。
テレビ電話といっても、性能はまだ不十分。
ときどき音声が途絶えたり、画面がフリーズしてしまったりする。
画像も、荒い。
だからこそよけいに、私は、(あの世)から息子たちの世界をのぞいているような気分にな
る。
「あの世から、この世を見たら、こんな気分かな」と。
●少ない会話
しかしテレビ電話もそこまで。
ワイフと私だったら、一日中でも、ペチャペチャとしゃべりあっている。
しかしテレビ電話では、ある程度の話をすると、そこで会話が止まってしまう。
共通の話題がない。
相互の相談もない。
それよりも、たがいに生活が疎遠になってしまった。
「息子」「孫」「嫁」とはいいながら、今は、細い糸でつながっているだけ。
「元気か?」「元気だよ」で終わってしまう。
が、それではいけない。
いけないと思いつつ、あれこれ話すが、長つづきしない。
どこかに(無理)を感ずる。
(疲れ)を感ずる。
……と言いながらも、合計で、30~40分ほど、話した。
孫たちが、いろいろなおもちゃを並べて見せてくれた。
英語でいろいろ説明してくれるが、あのフニャフニャ英語は、本当に聞きづらい。
半分も理解できない。
が、理解できたような顔をして、その場をとりつくろう。
やはり、向うが、(この世)ということか。
私の住んでいる世界の方が、(あの世)。
「これからパンプキン畑へ遊びに行く」と息子たちは言っていた。
ダイナミズムがちがう。
私たちのほうは、たまたま就寝時刻ということもあって、のんびりとお茶を飲む。
「天国」という雰囲気ではないが、それに近い。
だから、こちらが(あの世)。
私とワイフは、(あの世)にいる。
(あの世)にいて、(この世)にいる息子たちの生活を、のぞいている。
のぞきながら、安心している。
テレビ電話をしながら、そんなことを考えた。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●意識の連続性(改)091012版
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ちょうど1か月前、「意識の連続性」について書いた。
その原稿が、ずっと気になっていた。
殴り書きしたような原稿で、電子マガジンの
ほうで、そのまま、発表してしまった。
もう一度、それを読み直し、推敲してみたい。
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あなたの生命は、ほかのありと
あらゆる生命とつながっている。
過去から未来へと、つながっている。
生物、無生物を問わず、ありとあらゆるものと
つながっている。
それがわかれば、あなたは
もう孤独ではない。
もしあなたに「死」というものが
あるとするなら、それはあなたの
「意識」の死に、過ぎない。
もっと言えば、意識の連続性が、
一度、そこで途切れるに過ぎない。
だから、もしあなたが意識の連続性を、
あなたの肉体を超えて感ずることが
できたら、あなたは、もう「死」を
恐れることはない。
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●生物の連続性
人は日々に死に、日々に生まれ変わる。
細胞の生死を考えれば、それがわかる。
死んだ細胞は、体外へ排出され、ときに
分子レベルにまでばらばらになり、また
別の生物や無生物の中へと、取りこまれていく。
と、同時に、私たちは日々に、ほかの生物や
無生物から、新しい肉体を作り、生きている。
こうして私たちの肉体はありとあらゆる生物と
つながり、「今」というときを生きている。
これを「生物の連続性」という。
●命
では、死んだらどうなるか。
が、基本的には、「死」は存在しない。
その人個人の意識は途絶えるが、生命は、
姿や形を変え、別の生物の中に取りこまれて
生きていく。
虫かもしれない。
花や木かもしれない。
動物や、魚かもしれない。
ともかくも、生きていく。
この連続性を総称して、「生命の連続性」という。