★去る7月27日、まちがえて7月29日号を配信してしまいました。
★改めて、29日号を、内容を変えて、送信します。
★どうか、参考にしてください。
★
☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
. mQQQm 発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
. /~~~\ ⌒ ⌒
. みなさん、 o o β
.こんにちは! (″ ▽ ゛)○
. =∞= //
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 7月 29日(臨時号)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●勉強をしない子どもたち(Children who lose Diligence)
++++++++++++++++++++++
最近の子どもたちは、勉強をしない。
本当にしない。
このあたり(浜松市)でも、「勉強して、いい高校(?)に
入ろう」と考えている中学生は、全体の40%弱と
みてよい。
あるいはそれ以下。
残りの60%は、最初から受験勉強など、考えて
いない。
「がんばって、いい高校をめざしたら?」などと言っても、
「勉強で苦労するから、いや」などと答えたりする。
++++++++++++++++++++++
●異変?
たしかに今、子どもたちの世界がおかしい。
何か、へん。
簡単に言えば、昔風の(まじめさ)が、どんどんと消えつつある。
学校の勉強についても、「やらなければならない」という意識そのものが、急速に
しぼみつつある。
たとえば今は、夏休み。
「学校の宿題は?」と聞いても、確たる返事が返ってこない。
「夏休みの友は?」「工作は?」と聞いても、返ってくるのは、
あいまいな返事だけ。
どうでもよいといったふう。
その一方で、あらゆる面で、ギャグ化が進んでいる。
まじめに考えるという習慣そのものが、ない。
あるいはまじめに考えることを、むしろ避けている。
そんな感じすら、する。
いったい、子どもの世界は今、どうなってしまったのか?
●ギャク化
今さら、理由や原因を並びたてても意味はない。
いろいろあるが、ありすぎて、ここには書ききれない。
つまり結果として、今、そうなってしまった。
言うなれば、子どもたちの世界から緊張感が消え、のびたゴムのようになってしまった。
だらしないというか、しまりがないというか……。
先に「ギャク化」と書いたが、それなりにまじめというか、緊張感をもっている
子どもは、小学3年生レベルで、10~20%前後。
10人に、1~2人程度と考えてよい。
茶化す、おどける、騒ぐ、ふざける、はぐらかす……。
それが現在の平均的な、日本の子ども像。
議論をしようにも、議論にならない。
まじめな話をしようとすると、「ダサ~イ」と言って、はねのけられてしまう。
こういう現実を、いったい、今、どれだけの人たちが知っているのか。
●日本の将来
一足飛びに話を進めるが、日本の将来は、今の子どもたちを見るかぎり、お先
真っ暗。
それもそのはず。
日本の社会そのものが、ギャク化している。
政治にしても、そうだ。
お笑いタレントが、府知事になったり、県知事になったりする。
さらに漢字もロクに読めないような、そして日本語すらまともに話せないような人物が、
総理大臣になったりする。
それについても、私が「おかしい」などと発言すると、「どうしてそれがいけないのか」
という反論が、山のように届く。
何もお笑いタレントに偏見をもっているわけではない。
が、どこかへん。
どこか、おかしい。
総理大臣に至っては、さらにへん。
さらに、おかしい。
そのおかしさが、そのまま子どもの世界にまで、入り込んでいる。
こんな日本で、その未来を、どこにどう求めたらよいのか。
●家庭の教育力
学校教育というより、(教育)そのものが、崩壊してしまった。
かろうじて残っているのは、(学校)という、ワクだけ。
……というのは、少し言いすぎかもしれないが、しかし、教師自身が教育力を
失ってしまった。
これについても、今さら、理由や原因を並びたてても意味はない。
いろいろあるが、ありすぎて、ここには書ききれない。
つまり結果として、今、そうなってしまった。
では、どうするか?
家庭教育のもつ(教育力)を、強くするしかない。
「子どもの教育は、親がする」という自覚をもつしかない。
自分で自分の子どもを育てるしかない。
が、悪いことばかりではない。
今は、こういう時代だから、その気にさえなれば、子育てそのものが、むしろ
楽になったとも考えられる。
たとえば今から30年前には、私の教室でも、東大、京大へ進学していく
子どもはほとんどいなかった。
が、今では、本当にみな、ウソみたいに、みな、スイスイと入っていく。
私の教室のレベルがあがったというよりは、周辺の地盤が沈下した。
その分だけ、相対的に、私の教室のレベルがあがった。
(もっとも有名大学へ進学していく子どもが多いから、レベルが高くなった
と考えるのは、正しくない。
また私も、それを目標にしているわけではない。
が、結果としてそうなっているのは、事実。)
●勉強をしない子どもたち
勉強をしない子どもたちが、この先、どんな日本を作っていくのか、私にも
よくわからない。
外国をみながら、その例をさぐろうとするが、参考になるような国は、ほとんどない。
(したくても、教育環境が整っていなく、子どもたちが満足に勉強できない国は
いくらでもあるが……。)
ただ言えることは、この先、この日本に対して、不平、不満をいだく若者たちが
急増するだろうということ。
「あるのが、当たり前」という世界で育ってきた若者たちである。
水も空気も食べ物も。
が、それだけではない。
先にも書いたように、「一度のびたゴムは、元にはもどらない」。
競争力はどうする?
適応力はどうする?
打開力はどうする?
忍耐力はどうする?
協調性はどうする?
社会性はどうする?
「勉強をしない」という言葉の裏には、そういう問題もひかえている。
誤解がないように言っておくが、何も受験勉強をガリガリするほうがよいという
のではない。
つまり「勉強をしない」というのは、あくまでもその結果。
当然、日本の子どもたちの学力は、ますます低下する。
そのとき日本は……?
少し前までは、中国が日本を追い抜くのは、2015年と予測されていた。
しかし実際には、それよりも6年も早く、今年(2009年)に追い抜かれた。
こうしてこの日本は、このアジアの中でも、ごくふつうの小国になっていく。
これも、しかたのないことかもしれないが……。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(350)
●内政不干渉の原則
それぞれの家庭には、外から図り知ることができない複雑な事情がある。一方、私たち
はそれぞれが家庭をもち、子どもをもち、一つの生活をもっている。しかしそれはあくま
でも「一つ」。その一つを基準にして、他人の家庭をのぞいてはいけない。いわんや批判し
たり、節介をしてはいけない。
それぞれの人は、ぞれぞれに懸命に生きている。あなたがそれらの人を、経済的に援助し
ているとか、社会的にめんどうをみているというのなら話は別だが、そうでなければ、内
政干渉はやめたほうがよい。
私にも一人の知人(55歳男性)がいる。実にノー天気な男で、いつも他人の不幸に顔
をつっこんでは、あれこれ説教しては楽しんでいる。自分では、いっぱしの人生経験者だ
と思っているらしい。
昔、私が家を新築するときやってきて、コンクリートの基礎を見ながらこう言った。「ここ
は六畳間ですかあ。六畳間はせまいから、使いものになりませんね。それに廊下が暗いで
すよ。日当たりが悪いから……」と。やがて家が建つとまたやってきて、こう言った。「こ
こは風当たりが強いですね。これではいけない。西側に塀をつくるといい。ははは、やっ
ぱり六畳間は使い勝手が悪いでしょう。それに南側には大きな木を植えるといい」と。
それからも私の家にトラブルが起きるたびに、どこから聞きつけてくるのか、そのつど
やってきてあれこれ説教した。「林君も、郷里にお母さんを残してたいへんですね。子ども
が親のめんどうをみるのは当たり前ですから、そろそろ実家へ帰ることも考えなくてはい
けませんね」と。
こちらの生活の根幹にかかわるような問題を、ズケズケと平気で言う。で、ある日とうと
う私のほうがキレた。キレて、「2度と電話をしてこないでほしい」と言い切った。が、そ
ういうノー天気な人には、こちらの気持ちなどまるでわからない。半年もするとまた電話
がかかってきて、「今度、いっしょに台湾へ行きませんか。安いコースがありますから……」
と。
こういう人は例外だとしても、他人の心に無神経な人はいくらでもいる。先日も私にこ
う言った元幼稚園教師がいた。「林先生の息子さんは、今どちらの大学に? 先生の息子さ
んのことですから、さぞかしいい大学に行っておられることでしょうね」と。思わず「高校は中退で、今は家でゴロゴロしています」とウソを言いそうになったがやめた。こうい
うウソは相手を喜ばすだけだ。
もともとこのタイプの人は、こちらの心配など、何もしていない。いわゆる「アラ(欠点)」
をさがしては、そのアラをまた別の人に伝えては楽しんでいるだけ。先の知人も、口が軽
いことこの上なし。何かを相談したら最後。その話は一夜のうちに皆に伝わってしまう…
…。
内政不可侵の原則。それを守るか守らないかは、あなたの勝手だが、これだけは言える。
それを守らないと、あなたは確実に嫌われる。
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(351)
●孤独論
私のようにもともと「うつ型気質」の人間にとっては、孤独ほど、恐ろしいものはない。
何かの仕事をやり終え、ほっと気を抜いたようなとき、心も弱くなる。ひとりだけポツン
と取り残されたような孤独を覚える。これは私だけが感ずる孤独なのか、それとも人間が
等しく感ずる孤独なのかはわからない。
が、いろいろな人の本を読んでも、それほど大きな違いはないように思う。(本当のところ
は他人の心の中に入ったことがないので、わからないが……。)で、ときどき一番身近にい
る女房に、「お前はどうなのか」と確かめることがある。もっとも私の女房は、本当にタフ
で、精神的にも安定している。「私は体は女だけど、心は男よ」とよく言うが、本当にそう
だと思う。
一方私は、繊細で、そのつどいろいろなことを考える。ときに考えすぎて、身動きがとれ
なくなることもあるが、私はそういうタイプの人間だ。そういう意味では、精神的にもタ
フでないし、情緒も不安定だ。一日のうちにも、周囲の状況に応じて、気分がよく変わる。
で、これから先、どうやってその孤独を処理したらよいのか、ときどき考える。子ども
たちはやがて巣立っていくだろう。女房とて、ひょっとしたら、私より先に死ぬかもしれ
ない。そうなったとき、私はどう過ごせばよいのか。多分そのころは老人ホームかどこか
で、のんびりとはいかないが、まあまあ、そこそこの老人生活を送っているに違いない。
しかしその生活が望ましい生活だとは思っていない。できれば心の許しあえる人と、いつ
までもいつまでも語りあっていたい。死ぬまでというより、夜、床に入ってから、眠るま
で、だ。死ぬときになったら、私はジタバタしたくない。今のところ自信はないが、しか
し今はそう思う。
こういうとき何か、信じられる宗教があればよいと思う。実際、アメリカのジムは、敬
虔なクリスチャンだが、彼は人里離れた牧場で、今は妻だけと暮らしている。ああいう生
活を見ると、彼の宗教が、彼の孤独をやわらげているのではないかと思う。(こういう言い
方は失礼な言い方だが……。)つまり私なら、そのさみしさに、とても耐えられないだろう
と思う。
もちろん孤独に勝つ方法もある。夢や希望をもつことだ。それに友情や、少しキザない
言い方かもしれないが、「愛」だって、それがあれば、孤独はやわらぐ。で、そういうもの
を、総合的に提供してくれるのが、「家族」ということになる。名誉や地位ではない。肩書
きでもない。「家族」だ。
考えてみれば、私の人生はずっと孤独だった。これからも孤独だろう。だからこそ、私
は家族のありがたみを知っている。つまり私の「家族主義」は、こうした私の心の弱さを
補うために生まれたと言ってもよいのではないか。
さて、皆さんは、今、孤独だろうか。それとも孤独でないだろうか。が、もしあなたが
孤独なら、「孤独なのはあなただけではない」ということだけは、わかってほしい。
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(352)
●子どもとの笑い
いつも深刻な話ばかりなので……。最近経験した楽しい話(?)をいくつか……。
(1) ときどきまったく手をあげようとしない子ども(年中女児)がいる。そこで私が「先
生(私)を好きな子は、手をあげなくていい」と言ったら、その子は何を思ったか、
腕組みをして私をにらんだ。「セクハラか?」と思わず後悔したが、そのあと私が「ど
うして手をあげないの?」と聞くと、「だって、私、先生が好きなんだもん」と。マ
レにですが、私も子どもに好かれることがあるのです。
(2) 私が「三匹の魚がいました。そこへまた二匹魚がきました。全部で何匹ですか?」
と聞くと、皆(年長児)が、「五匹!」と答えた。そこで私が電卓を取り出して、「え
えと、三足す二で……」と電卓を叩いていたら、一人の子どもがこう言った。「あん
た、それでも本当に先生?」と。
(3) 指をしゃぶっている子ども(年中児)がいた。そこで私が、「どうせ指をしゃぶるな
ら、もっとかっこよくしゃぶりなよ。おとなのしゃぶり方を教えてあげるよ」と言
って、少しばかりキザなしゃぶり方(指を横から、顔をななめにしてしゃぶる)を
教えてやった。するとその子は、本当にそういうしゃぶり方をするようになった。
私は少しからかってやっただけなのだが……。
(4) 私のニックネームは……? 「美男子」「好男子」「長足の二枚目」。あるとき私に「ジ
ジイー」「アホ」と言う子ども(年長児たち)がいたので、こう話してやった。「も
っと悪い言葉を教えてやろうか。しかし先生や、お父さんに使ってはダメだ。いい
な」と。子どもたちは「使わない、使わない」と約束したので、こう言ってやった。
「ビダンシ」と。それからというもの、子どもたちは私を見ると、「ビダンシ、ビダ
ンシ」と呼ぶようになった。
(5) 算数を教えながら、「○と△の関係は何ですか?」と聞いたら、一人の子ども(小四
男児)が、「三角関係!」と。ドキッとして、「何だ、それは?」と聞くと、「男が二
人で、女が一人の関係だよ」と。すると別の子どもが、「違うよオ~、女が二人で男
が一人だよオ~」と。とたん、教室が収拾がつかなくなってしまった。
私が、「今どきの子どもは、何を考えているんだ!」と叱ると、こんな歌を歌い始め
た。「♪今どき娘は、一日五食、朝昼三時、夕食深夜……」と。「何だ、その歌は」
と聞くと、「先生、こんな歌も知らないのオ~、遅れてるウ~」と。
★改めて、29日号を、内容を変えて、送信します。
★どうか、参考にしてください。
★
☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
. mQQQm 発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
. /~~~\ ⌒ ⌒
. みなさん、 o o β
.こんにちは! (″ ▽ ゛)○
. =∞= //
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 7月 29日(臨時号)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●勉強をしない子どもたち(Children who lose Diligence)
++++++++++++++++++++++
最近の子どもたちは、勉強をしない。
本当にしない。
このあたり(浜松市)でも、「勉強して、いい高校(?)に
入ろう」と考えている中学生は、全体の40%弱と
みてよい。
あるいはそれ以下。
残りの60%は、最初から受験勉強など、考えて
いない。
「がんばって、いい高校をめざしたら?」などと言っても、
「勉強で苦労するから、いや」などと答えたりする。
++++++++++++++++++++++
●異変?
たしかに今、子どもたちの世界がおかしい。
何か、へん。
簡単に言えば、昔風の(まじめさ)が、どんどんと消えつつある。
学校の勉強についても、「やらなければならない」という意識そのものが、急速に
しぼみつつある。
たとえば今は、夏休み。
「学校の宿題は?」と聞いても、確たる返事が返ってこない。
「夏休みの友は?」「工作は?」と聞いても、返ってくるのは、
あいまいな返事だけ。
どうでもよいといったふう。
その一方で、あらゆる面で、ギャグ化が進んでいる。
まじめに考えるという習慣そのものが、ない。
あるいはまじめに考えることを、むしろ避けている。
そんな感じすら、する。
いったい、子どもの世界は今、どうなってしまったのか?
●ギャク化
今さら、理由や原因を並びたてても意味はない。
いろいろあるが、ありすぎて、ここには書ききれない。
つまり結果として、今、そうなってしまった。
言うなれば、子どもたちの世界から緊張感が消え、のびたゴムのようになってしまった。
だらしないというか、しまりがないというか……。
先に「ギャク化」と書いたが、それなりにまじめというか、緊張感をもっている
子どもは、小学3年生レベルで、10~20%前後。
10人に、1~2人程度と考えてよい。
茶化す、おどける、騒ぐ、ふざける、はぐらかす……。
それが現在の平均的な、日本の子ども像。
議論をしようにも、議論にならない。
まじめな話をしようとすると、「ダサ~イ」と言って、はねのけられてしまう。
こういう現実を、いったい、今、どれだけの人たちが知っているのか。
●日本の将来
一足飛びに話を進めるが、日本の将来は、今の子どもたちを見るかぎり、お先
真っ暗。
それもそのはず。
日本の社会そのものが、ギャク化している。
政治にしても、そうだ。
お笑いタレントが、府知事になったり、県知事になったりする。
さらに漢字もロクに読めないような、そして日本語すらまともに話せないような人物が、
総理大臣になったりする。
それについても、私が「おかしい」などと発言すると、「どうしてそれがいけないのか」
という反論が、山のように届く。
何もお笑いタレントに偏見をもっているわけではない。
が、どこかへん。
どこか、おかしい。
総理大臣に至っては、さらにへん。
さらに、おかしい。
そのおかしさが、そのまま子どもの世界にまで、入り込んでいる。
こんな日本で、その未来を、どこにどう求めたらよいのか。
●家庭の教育力
学校教育というより、(教育)そのものが、崩壊してしまった。
かろうじて残っているのは、(学校)という、ワクだけ。
……というのは、少し言いすぎかもしれないが、しかし、教師自身が教育力を
失ってしまった。
これについても、今さら、理由や原因を並びたてても意味はない。
いろいろあるが、ありすぎて、ここには書ききれない。
つまり結果として、今、そうなってしまった。
では、どうするか?
家庭教育のもつ(教育力)を、強くするしかない。
「子どもの教育は、親がする」という自覚をもつしかない。
自分で自分の子どもを育てるしかない。
が、悪いことばかりではない。
今は、こういう時代だから、その気にさえなれば、子育てそのものが、むしろ
楽になったとも考えられる。
たとえば今から30年前には、私の教室でも、東大、京大へ進学していく
子どもはほとんどいなかった。
が、今では、本当にみな、ウソみたいに、みな、スイスイと入っていく。
私の教室のレベルがあがったというよりは、周辺の地盤が沈下した。
その分だけ、相対的に、私の教室のレベルがあがった。
(もっとも有名大学へ進学していく子どもが多いから、レベルが高くなった
と考えるのは、正しくない。
また私も、それを目標にしているわけではない。
が、結果としてそうなっているのは、事実。)
●勉強をしない子どもたち
勉強をしない子どもたちが、この先、どんな日本を作っていくのか、私にも
よくわからない。
外国をみながら、その例をさぐろうとするが、参考になるような国は、ほとんどない。
(したくても、教育環境が整っていなく、子どもたちが満足に勉強できない国は
いくらでもあるが……。)
ただ言えることは、この先、この日本に対して、不平、不満をいだく若者たちが
急増するだろうということ。
「あるのが、当たり前」という世界で育ってきた若者たちである。
水も空気も食べ物も。
が、それだけではない。
先にも書いたように、「一度のびたゴムは、元にはもどらない」。
競争力はどうする?
適応力はどうする?
打開力はどうする?
忍耐力はどうする?
協調性はどうする?
社会性はどうする?
「勉強をしない」という言葉の裏には、そういう問題もひかえている。
誤解がないように言っておくが、何も受験勉強をガリガリするほうがよいという
のではない。
つまり「勉強をしない」というのは、あくまでもその結果。
当然、日本の子どもたちの学力は、ますます低下する。
そのとき日本は……?
少し前までは、中国が日本を追い抜くのは、2015年と予測されていた。
しかし実際には、それよりも6年も早く、今年(2009年)に追い抜かれた。
こうしてこの日本は、このアジアの中でも、ごくふつうの小国になっていく。
これも、しかたのないことかもしれないが……。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(350)
●内政不干渉の原則
それぞれの家庭には、外から図り知ることができない複雑な事情がある。一方、私たち
はそれぞれが家庭をもち、子どもをもち、一つの生活をもっている。しかしそれはあくま
でも「一つ」。その一つを基準にして、他人の家庭をのぞいてはいけない。いわんや批判し
たり、節介をしてはいけない。
それぞれの人は、ぞれぞれに懸命に生きている。あなたがそれらの人を、経済的に援助し
ているとか、社会的にめんどうをみているというのなら話は別だが、そうでなければ、内
政干渉はやめたほうがよい。
私にも一人の知人(55歳男性)がいる。実にノー天気な男で、いつも他人の不幸に顔
をつっこんでは、あれこれ説教しては楽しんでいる。自分では、いっぱしの人生経験者だ
と思っているらしい。
昔、私が家を新築するときやってきて、コンクリートの基礎を見ながらこう言った。「ここ
は六畳間ですかあ。六畳間はせまいから、使いものになりませんね。それに廊下が暗いで
すよ。日当たりが悪いから……」と。やがて家が建つとまたやってきて、こう言った。「こ
こは風当たりが強いですね。これではいけない。西側に塀をつくるといい。ははは、やっ
ぱり六畳間は使い勝手が悪いでしょう。それに南側には大きな木を植えるといい」と。
それからも私の家にトラブルが起きるたびに、どこから聞きつけてくるのか、そのつど
やってきてあれこれ説教した。「林君も、郷里にお母さんを残してたいへんですね。子ども
が親のめんどうをみるのは当たり前ですから、そろそろ実家へ帰ることも考えなくてはい
けませんね」と。
こちらの生活の根幹にかかわるような問題を、ズケズケと平気で言う。で、ある日とうと
う私のほうがキレた。キレて、「2度と電話をしてこないでほしい」と言い切った。が、そ
ういうノー天気な人には、こちらの気持ちなどまるでわからない。半年もするとまた電話
がかかってきて、「今度、いっしょに台湾へ行きませんか。安いコースがありますから……」
と。
こういう人は例外だとしても、他人の心に無神経な人はいくらでもいる。先日も私にこ
う言った元幼稚園教師がいた。「林先生の息子さんは、今どちらの大学に? 先生の息子さ
んのことですから、さぞかしいい大学に行っておられることでしょうね」と。思わず「高校は中退で、今は家でゴロゴロしています」とウソを言いそうになったがやめた。こうい
うウソは相手を喜ばすだけだ。
もともとこのタイプの人は、こちらの心配など、何もしていない。いわゆる「アラ(欠点)」
をさがしては、そのアラをまた別の人に伝えては楽しんでいるだけ。先の知人も、口が軽
いことこの上なし。何かを相談したら最後。その話は一夜のうちに皆に伝わってしまう…
…。
内政不可侵の原則。それを守るか守らないかは、あなたの勝手だが、これだけは言える。
それを守らないと、あなたは確実に嫌われる。
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(351)
●孤独論
私のようにもともと「うつ型気質」の人間にとっては、孤独ほど、恐ろしいものはない。
何かの仕事をやり終え、ほっと気を抜いたようなとき、心も弱くなる。ひとりだけポツン
と取り残されたような孤独を覚える。これは私だけが感ずる孤独なのか、それとも人間が
等しく感ずる孤独なのかはわからない。
が、いろいろな人の本を読んでも、それほど大きな違いはないように思う。(本当のところ
は他人の心の中に入ったことがないので、わからないが……。)で、ときどき一番身近にい
る女房に、「お前はどうなのか」と確かめることがある。もっとも私の女房は、本当にタフ
で、精神的にも安定している。「私は体は女だけど、心は男よ」とよく言うが、本当にそう
だと思う。
一方私は、繊細で、そのつどいろいろなことを考える。ときに考えすぎて、身動きがとれ
なくなることもあるが、私はそういうタイプの人間だ。そういう意味では、精神的にもタ
フでないし、情緒も不安定だ。一日のうちにも、周囲の状況に応じて、気分がよく変わる。
で、これから先、どうやってその孤独を処理したらよいのか、ときどき考える。子ども
たちはやがて巣立っていくだろう。女房とて、ひょっとしたら、私より先に死ぬかもしれ
ない。そうなったとき、私はどう過ごせばよいのか。多分そのころは老人ホームかどこか
で、のんびりとはいかないが、まあまあ、そこそこの老人生活を送っているに違いない。
しかしその生活が望ましい生活だとは思っていない。できれば心の許しあえる人と、いつ
までもいつまでも語りあっていたい。死ぬまでというより、夜、床に入ってから、眠るま
で、だ。死ぬときになったら、私はジタバタしたくない。今のところ自信はないが、しか
し今はそう思う。
こういうとき何か、信じられる宗教があればよいと思う。実際、アメリカのジムは、敬
虔なクリスチャンだが、彼は人里離れた牧場で、今は妻だけと暮らしている。ああいう生
活を見ると、彼の宗教が、彼の孤独をやわらげているのではないかと思う。(こういう言い
方は失礼な言い方だが……。)つまり私なら、そのさみしさに、とても耐えられないだろう
と思う。
もちろん孤独に勝つ方法もある。夢や希望をもつことだ。それに友情や、少しキザない
言い方かもしれないが、「愛」だって、それがあれば、孤独はやわらぐ。で、そういうもの
を、総合的に提供してくれるのが、「家族」ということになる。名誉や地位ではない。肩書
きでもない。「家族」だ。
考えてみれば、私の人生はずっと孤独だった。これからも孤独だろう。だからこそ、私
は家族のありがたみを知っている。つまり私の「家族主義」は、こうした私の心の弱さを
補うために生まれたと言ってもよいのではないか。
さて、皆さんは、今、孤独だろうか。それとも孤独でないだろうか。が、もしあなたが
孤独なら、「孤独なのはあなただけではない」ということだけは、わかってほしい。
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(352)
●子どもとの笑い
いつも深刻な話ばかりなので……。最近経験した楽しい話(?)をいくつか……。
(1) ときどきまったく手をあげようとしない子ども(年中女児)がいる。そこで私が「先
生(私)を好きな子は、手をあげなくていい」と言ったら、その子は何を思ったか、
腕組みをして私をにらんだ。「セクハラか?」と思わず後悔したが、そのあと私が「ど
うして手をあげないの?」と聞くと、「だって、私、先生が好きなんだもん」と。マ
レにですが、私も子どもに好かれることがあるのです。
(2) 私が「三匹の魚がいました。そこへまた二匹魚がきました。全部で何匹ですか?」
と聞くと、皆(年長児)が、「五匹!」と答えた。そこで私が電卓を取り出して、「え
えと、三足す二で……」と電卓を叩いていたら、一人の子どもがこう言った。「あん
た、それでも本当に先生?」と。
(3) 指をしゃぶっている子ども(年中児)がいた。そこで私が、「どうせ指をしゃぶるな
ら、もっとかっこよくしゃぶりなよ。おとなのしゃぶり方を教えてあげるよ」と言
って、少しばかりキザなしゃぶり方(指を横から、顔をななめにしてしゃぶる)を
教えてやった。するとその子は、本当にそういうしゃぶり方をするようになった。
私は少しからかってやっただけなのだが……。
(4) 私のニックネームは……? 「美男子」「好男子」「長足の二枚目」。あるとき私に「ジ
ジイー」「アホ」と言う子ども(年長児たち)がいたので、こう話してやった。「も
っと悪い言葉を教えてやろうか。しかし先生や、お父さんに使ってはダメだ。いい
な」と。子どもたちは「使わない、使わない」と約束したので、こう言ってやった。
「ビダンシ」と。それからというもの、子どもたちは私を見ると、「ビダンシ、ビダ
ンシ」と呼ぶようになった。
(5) 算数を教えながら、「○と△の関係は何ですか?」と聞いたら、一人の子ども(小四
男児)が、「三角関係!」と。ドキッとして、「何だ、それは?」と聞くと、「男が二
人で、女が一人の関係だよ」と。すると別の子どもが、「違うよオ~、女が二人で男
が一人だよオ~」と。とたん、教室が収拾がつかなくなってしまった。
私が、「今どきの子どもは、何を考えているんだ!」と叱ると、こんな歌を歌い始め
た。「♪今どき娘は、一日五食、朝昼三時、夕食深夜……」と。「何だ、その歌は」
と聞くと、「先生、こんな歌も知らないのオ~、遅れてるウ~」と。