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小野原の歴史・魅力スポット紹介その11~春日神社の秋祭り

2015年10月21日 | 市政統括

皆様こんにちは。市政統括の稲野です。

晴天の秋空のもと、運動会や体育大会など秋の行事が順調に続いています。気がつけば朝晩だいぶ冷え込んできました。そろそろ山が色づき、紅葉で箕面が最も美しい季節を迎えます。
しかし、早くも風邪やインフルエンザが流行しているようです。手洗い・うがいを心がけ、十分な休息にもご留意をいただき、箕面の秋を満喫してください。

 
(色づきはじめた木々)

 

さて、今回は、「小野原の歴史・魅力スポット紹介」として、去る10月18日(日曜日)に、盛大に行われた小野原・春日神社の秋祭りをご紹介します。

○春日神社と箕面の秋祭り
このブログで何度もご紹介しました小野原・春日神社ですが、いろいろと年中行事がある中でも、最も盛り上がるのが「秋季例大祭」、いわゆる秋祭りです。氏神様に農作物の豊作を感謝し、五穀豊穣を祈る行事です。

春日神社の秋祭りは、かつては毎年10月17日と決まっていました。各地区の秋祭りも定例日は少しずつ日をずらして設定されていて、曜日に関係なく実施されていました。例えば、萱野の為那都比古神社は(私の記憶では)、毎年10月14日でした。私が小学校低学年の頃は、秋祭りの日が平日の場合、学校が午前中だけで、午後は休みとなりました。みんな自転車に乗り、あちらこちらの神社へ露店目当てに遊びに行ったものです。いまでは考えられない、のんびりした時代でした。

これまでもご紹介してきたように、小野原周辺は、当時はほとんどが農地か丘陵で、農業を主に生計をたてておられる家庭がまだたくさんありました。しかし、社会経済状況の変化に伴い、サラリーマン家庭が増えてきたため、生活事情に配慮し、秋祭りは定例日に最も近い日曜日(今年は10月18日)に実施されるようになりました。このため、今年は同じ日に、粟生間谷の素盞嗚尊神社牧落八幡大神宮、桜ヶ丘の阿比太神社でも秋祭りが開催されました。

 
(秋祭りのPRポスターと外国人の参加者)

 

○春日神社の秋祭りと太鼓・神輿運行の歴史
小野原・春日神社の秋祭りには、太鼓1基と神輿2基が運行されます。しかし、太鼓のたたき手となる子どもたち(「乗り子」と呼んでいます。氏子で小学2~4年生ぐらい)が4人以上いない年は、運行しないのが一応のルールとなっています。これは、一辺2人ずつで、計8人まで乗れる櫓の四辺に空きが出て、見てくれも含めてバランスが悪いのと、太鼓のたたき手として、乗り子4人は必要との判断からです。

 
(今年は5人の乗り子が太鼓をたたきました)

そもそも、この太鼓・神輿の運行の歴史は定かではありませんが、少なくとも江戸時代には実施されていたようです。しかし、幾多の戦争で担ぎ手(かつぎて)がいなくなり、長年に亘り中断されていました。大きな事故があったからとも伝えられています。また、太鼓・神輿の運行は、神社や自治会の役員ではなく、「若中」(わかなか)という20歳前後の若者の集団(青年団のようなもの)が仕切ってきたらしいですが、それも消滅していました。

しかし、自治会内では、ずっと太鼓・神輿の復活を望む声があり、「若中」に代わる組織として、消防団のメンバーが立ち上がり、いまから47年前に復活しました。そのときは、あまりにも久しぶりのことでしたので、100人程度必要となる担ぎ手を集めることや、昔のように太鼓・神輿を担いで、無事に街中を練り歩けるかといった不安もありましたので、トラックの荷台に太鼓の櫓を乗せて、運行しました。(じつは、私はその復活第1号の乗り子でした。)

その後、「トラックではつまらない」とか、「太鼓運行はやっぱり若者が担いでするものだ」、「昔のスタイルでやりたい」などの声が強くなり、いまから40年ほど前に、本当に担いで、太鼓・神輿を運行することになりました。衣装も昔のスタイルをできるだけ踏襲し、ゆかたを身にまとい、褌(ふんどし)に足袋(たび)、草鞋(わらじ)という出で立ちでした。

しかし、また時代の変化とともに、いろいろな課題が出てきました。特に、太鼓・神輿を担ぐ若者たちは、昔の農業で鍛えたかたがたと違い、重いものを肩に担ぐような経験はなく、そのうえで走り回るということは全くの苦手です。また、衣装も普段とはあまりにも違うため、「重たくて肩が痛い」とか、「とても危険だ」、「褌は恥ずかしいので出たくない」などの苦情となって、担ぎ手の確保がとても困難になってきました。

その改善策としては、重さ1トン以上はあると言われている太鼓の櫓に、いまから25年ほど前、特注の台車を取り付けることにしました。神社を出発して広いみちに出たところから宮入りで神社に戻ってくるまでの間は、櫓を台車に乗せて、街中を運行するようにしました。また、衣装も褌をやめて股引(きまた)にし、草鞋もゴム底の足袋に変更されました。

 
(4年前に新調された太鼓櫓と台車)

それでも近年は、氏子である旧小野原地区の若者が少なくなり、太鼓・神輿の運行に必要な人員が確保できないため、小野原交番や豊川南小学校など、いろいろなところへ声掛けし、「喜んで参加するよ」と快諾いただいた非番の警察官や先生方、PTA役員などのご協力により、運行ができています。地域の医師や外国のかた、その他、多種多様な大勢のかたがたがご協力くださっています。なお、倉田市長も何度か担いでおられます。ちなみに私は、数年前までずっと担いでいましたが、体力の限界を感じ、いまは交通誘導員や担ぎ手の接待役をしています。

 

○今年の秋祭り
そんなこんなで続いてきた小野原の秋祭りですが、今年も秋空の晴天のもと、盛大に太鼓・神輿の運行がなされました。

まず、朝7時45分に太鼓のみが神社を出発し、街中に「神輿で氏神様が渡御される」ことを知らせていきます。氏神様が乗られた神輿2基は9時15分に神社を出発し、西国街道で太鼓と合流します。その後、太鼓・神輿は、御旅所での昼休憩を挟んで、午後3時半頃の宮入りまで、街中を練り歩いたり、走ったりします。


(太鼓・神輿運行表。昨年から小野原豊中線も運行しています)

 


(小野原学園の幼児たちも「子ども神輿」で参加します)

 


(青少年を守る会や地域のかたがたが露店で祭りを盛り上げています)

 

太鼓・神輿の運行では、乗り子の子どもたちが「ドンデンドン~ドンデンドン~デン~チョーサ」と昔ながらの掛け声に合わせて太鼓をたたき、担ぎ手が「アァーヨイサー、ヨイサ」と応えます。西国街道では「肩セー」のかけ声が掛かると、振り返って肩を入れ替え、方向転換して「ワッショイ、ワッショイ」と一斉に走り出します。神社境内の階段や狭い路地では、「ヨイサジャー、ヨイサジャー」と声を掛け合い、慎重に太鼓・神輿を運行します。


(西国街道を走る太鼓・神輿) 

 

 
(「神幸祭」氏神様が無事、御旅所に着き、休憩されます)

 


(小野原豊中線を運行する太鼓)

そして、最後は祭りのクライマックス、宮入りです。一日中、走り回ったクタクタの体ですが、「ヨイサジャー、ヨイサジャー」のかけ声で神社の階段をゆっくりと上がり、最後の仕上げとして、大勢の観衆が「がんばれー」と励ます中、太鼓・神輿が境内を7周走ります。最も感動する瞬間ですが、太鼓・神輿が観客席に飛び込んだり、真ん中の提灯の柱にぶつかりそうになったり、最も危険な瞬間でもあります。

そして、7周走り終えた後は、分団長の「サシマセー」の合図により、太鼓・神輿を何度も何度も空高く差し上げます。観客の大きな歓声と拍手が鳴りつづく中、乗り子が最後の太鼓「打ちませ」を披露します。そして、分団長などのお礼のあいさつの後、「小野原締め」という特殊な3本締めでみんなが手合わせをして、秋祭りは終了します。


(宮入り終了後の春日神社境内)

 

「ゆるキャラ(R)グランプリ2015」が8月17日(月曜日)から11月16日(月曜日)まで開催され、市では11月16日までの間「滝ノ道ゆずる」を応援する統一キャンペーンを展開します。

 

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