部長ブログ@箕面市役所

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「水」にまつわる名言

2019年10月31日 | 上下水道局

皆さま、こんにちは。上下水道局長の小野啓輔です。

上下水道局は、「水」を扱うサービス業です。 思えば「水」というのは、実に不思議な物質です。

水は、決まった形がなく、固体・液体・気体と、様々な表情を見せながら、いかなる姿かたちにも自在に変化できます。
普段は、無色・透明ですが、いろんな物を溶かし込み、いろんな色に染まり、いろんな流れを作ります。
いかなる容器にも収まり、さらさらと流れ、柔軟で従順である反面、時にはゴウゴウと岩をも突き通し、街をも壊す、恐るべき力を秘めています。
さらに、生物が生きていく上で必要不可欠なもので、人は、生命の源・貴重な循環資源として、水の恵みを受け、水を尊び、水と共に生き、水に笑い、水で争い、水に苦しめられます。

そのため、水に関する故事・格言やことわざが、世界中で生まれています。
そこには、自然の営みや人間の歴史・文化を通じて得られた貴重な知恵や知識の集積があります。

今回は、そんな「水」にまつわる、いくつかの名言を見てみます。

      

●「万物の根源は水である」

古代ギリシャの自然哲学者「タレス」(紀元前625年頃~547年頃)の言葉です。

タレスは、記録に残る最古の哲学者で、ソクラテス(紀元前469年~399年)やアリストテレス(紀元前384年~322年)よりも100~200年以前の人物です。

彼は,幾何学、天文学、地誌、土木技術、政治など広範囲にわたり活動し、ピラミッドの高さを測定したり、日食を予言したりしたことでも知られ、当時から賢人として尊敬を集めていました。

特に、世界は何でできているのか、宇宙の始原やその要素を学問的に追求し、「万物の根源(アルケー)は水である」と説きました。
タレスは、世界すべての存在の根源的原理を問い、自然の姿を実際に観察して、そこに法則性を見いだしていくなかで、その根源は水であるという考えに至りました。

それは、現代科学から見ると、まだまだ誤りの多い不正確な考えでしたが、タレスの功績は、「万物の根源とは何か」という問いを立てて、それを合理的に探求したことにあると言われています。
当時の人々は、神話や超自然的な現象によって世界を捉えていたのに対し、タレスは、初めて神話的観点から離れ、理論によって思索や探求をし、目の前の世界に何らかの原理や法則性があるはずだ、という総合的で合理的なアプローチを実践しました。
これが後に、アリストテレスによって「哲学の出発点」だとされ、タレスは「哲学の父」「哲学の創始者」とも呼ばれています。

水の重要性や普遍性を、科学的に最初に唱えた言葉とも言えるでしょう。

ちなみに、万物の根源を「水」と説いたタレスに対し、「数」としたのがピタゴラス、「万物は流転する」という言葉とともに根源を「火」としたのがヘラクレイトス、「原子」としたのがデモクリトスです(昔、学校で習ったような、忘れたような・・・・)。
 
                  

●「上善は水のごとし」

私の大好きな日本酒の銘柄にもなっているこの言葉。

最高においしい酒は、水のようにピュアだという意味も込められているそうですが、実は、中国春秋戦国時代の思想家「老子」の言葉とされる『老子道徳教』にある名言です。

「上善は水のごとし。水はよく万物を利して争わず。衆人の憎むところにある。ゆえに、道に近し。」

意味は、「最高のあり方は水のようなものだ。水は、あらゆる物に恵みを与えながら、争うことがなく、誰もが嫌がる低いところに落ち着く。だから道に近いのだ。」

老子の哲学は、かなり奥深く、私などが正しい理解には遠く及びませんが、一切の人為を排したあるがままの状態「無為自然(むいしぜん)」を提唱した老子を、多くの人が「無の思想」とともに、「水の哲学」としても解説しています。

それらを総合すると、老子は、理想世界である「道(TAO)」のあり方として、水を賞賛し、水の性質を人の生き方に結びつけているようです。

水は、人々の喉を潤し、大地に恵みを与え、作物をはじめ、あらゆる生命を育むなど、様々な利益を、私たち人間を含む万物に与えてくれます。
また、しなやかに方向を変えながら岩を避けるようにして川を流れていき、日頃はどんな形にも添い、衝突をみずから避けて争いません。
さらに、山に降った雨は、低き下へと流れて一筋の川となり、好んで谷間を流れます。
川はさらに低い方へ向い、やがて海に出ます。陸地にとどまっている水も、低い所に落ち着きます。
低い所は、濁っていたり、湿地であったり、人の嫌がる場所、人々が蔑む低い立場に通じます。
水は、上から下に流れて人よりも最も下に位置して、上へ上へとはいあがろうとはしません。

老子が生きた春秋戦国時代は、国同士の争いが絶えず、争うことで利を得る生き方が一般的でした。
誰もが「戦ってのし上がろう」「人より上に行こう」としていました。
そんな時代にあって老子は、「水」のような「何事にもあらがうことなく争わず、人が嫌がる低い所に留まり、万物を利する生き方」を提唱したのです。

また、古代中国において水は、柔軟なものの代表でした。
水は天下で最も柔らかく、しなやか。しかし、金属や岩石等の重くて堅いものをも動かす大きな力をもっている。これが、弱いものが強いものに勝ち、やわらかいものが堅いものに勝つ水の力だとも説いています。

さらに水の哲学は、指導者や経営者のあり方として解説されることもあります。例えば、こんな感じです。
大河や大海が、幾百ともある谷川の王者となりうるのは、それが最も低い下位にあるからだ。人間も同様で、民の上に立とうとする者は、謙虚な言葉でへりくだる必要があるし、民の先頭に立とうとする者は、身を後におかなければならない。低い所に溜るからこそ、人は大きくなる。

一方、「孔子」に代表される儒家思想でも、「水(川)から学べ」というのがあります。
孔子と老子とでは、水や川のとらえ方が全く異なります。

儒家は、川の流れが尽きることがないことから、水や川を「絶えざる努力の象徴」ととらえ、絶えず流れ動いている様子を、勤勉な人間の姿にたとえています。

これに対し老子は、儒家の人為的な仁義道徳思想が形式化し、それに合わせようとする不自然な努力を否定します。
一切の人為的なものを排した「無為自然」への復帰が、万物の根源「道」へ適合する人間のあるべき姿だと説いたのです。

老子もまた、ギリシャのタレスやアリストテレスらと同じく、「天地や万物が生み出す根本原理」を探求し、人としてのあり方、さらには、この世を動かしている究極の原理として「道(TAO)」にたどり着きました。
その思索は、はるか宇宙にまで及んでいます。

老子については、紀元前500年頃とも400年頃とも言われ、謎が多い人物ですが、少なくとも今から2,000年以上前に、地球の東西で、ともに万物の根本原理として「水」にたどり着いた哲学者がいたことは、とても興味深い巡り合わせだと思います。

                   【銘酒 上善如水】
              


●「水見舞いに水」

次は、がらっと変わって、日本の古いことわざ「水見舞いに水」です。
「水見舞いで一番最適なのは、飲み水」という意味です。

そもそも「水見舞い」の意味がわからないですよね。

水見舞いは、「洪水や浸水など水害に遭った人や地域を気遣い見舞うこと」で、歳時記にも夏の季語として載っています。

暑中見舞い・残暑見舞いや病気見舞いなどは、今でもまだ使う言葉ですが、 水見舞いは、ほとんど使われなくなっているように思います。

井戸に頼った昔は、水害にやられると、何よりも飲み水の確保が最優先でした。
なので水見舞いには、見舞いの品として飲み水を持って行くのが最も適していたそうです。

「見舞う」という言葉の語源は、「見にまいる」が転じて「みまう」になったとか、「舞」と言う漢字には「励ます」と言う意味が含まれているとか、諸説あるようです。
今では、広く人が大変な状況に遭い不安な思いをしているときに訪れて力づけたり、頑張っている人のもとを訪れて励ましたり、また無事かどうかを手紙で尋ねたり慰めたりする場合にも「見舞い」という言葉を使っています。さらに、渡される手紙(見舞い状)や物品(見舞い品)を示す言葉としても「見舞い」は使われています。

以前の日本社会では、親戚や師弟、隣人・知人・縁者などの人間関係が濃厚で、コミュニティもしっかり形成されていたことから、「見舞う」ことが結構頻繁に行われていたようです。

しかも見舞いは、水見舞いをはじめ、風見舞い、雪見舞い、里見舞い、火事見舞いなど、様々な生活変動の全般に及び、親戚づきあい、近所づきあいなど、日本の社交生活・人間関係の結合を維持・更新する重要な機会となっていました。
また、「見舞い」とそれに伴う「見舞い品」の慣習は、いわば互助的な助け合い機能も持っていました。

特に、夏の出水によって被害を受けた人を見舞い、実際に手伝いに出向いて見舞ったり、手紙や電話で激励したりすることがよくあったそうで、だからこそ「水見舞い」が夏の季語ともなっていました。

今年は、九州や東海・関東地方、さらには中部地方・東北地方などを、台風や猛烈な豪雨が繰り返し襲いました。
河川の氾濫や土砂崩れなど、甚大な水害が発生し、広範囲の停電や断水も引き起こすなど、多くの方々が深刻な被害に遭われています。
被害の悲惨さが明らかになる都度、何度も胸がつぶれる思いです。
また、台風の進路が少し違っただけで、自分も被害に遭っていたかもしれず、とても他人事と思えません。
亡くなられた方々のご冥福を謹んでお祈りするとともに、被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます。 一日も早い復旧・復興を願わずにいられません。

こういったときこそ、昔からの「水見舞い」の文化を思い出し、被災地の人々に心を馳せたいと思います。

例えば箕面市でも、相次ぐ台風や豪雨災害への「義援金」を募集しています。

          

『令和元年台風第19号災害義援金』については、現在、箕面市役所本館1階ロビー、止々呂美支所、豊川支所、みのおライフプラザ(総合保健福祉センター総合相談窓口)、みのお市民活動センター、中央図書館、西南図書館で、開館時にいつでも受け付けています。

箕面市内の公共施設での受付場所・時間などは、下表のとおりです。 領収証が必要な場合は、事前に市にご相談ください。

 

また、郵便局や銀行などへの振り込みも可能です。受付口座は、次のとおりです。

日本赤十字社の義援金の受付口座については、こちらをご覧ください。

赤い羽根共同募金の義援金の受付口座については、こちらをご覧ください。

さらには、『令和元年台風第15号』に関して、東京都義援金や千葉県義援金の受付、 『令和元年8月豪雨災害』、『平成30年7月豪雨災害』義援金の受付などについても、ご案内しています。

詳しくは、箕面市ホームページ「義援金・救援金の受付について」をご覧ください。

皆さまの温かい「水見舞い」のご協力をお願い申し上げます。

           【箕面市役所本館1階ロビーの義援金箱です】

         

●水のこころ

最後に、詩人・高田敏子さんの『水のこころ』という詩を引用します。
箕面市の小学校5年生の国語の教科書にも掲載されています。
解説するのも野暮というもの。 どうぞそのまま、ご鑑賞ください。

水のこころ     高田敏子

水は つかめません
水は すくうのです
指をぴったりつけて
そおっと 大切に──

水は つかめません
水は つつむのです
二つの手の中に
そおっと 大切に──

水のこころ も
人のこころ も

        

今回は、水にまつわる名言をいくつか取り上げました。
他にも、「水道哲学」とか、「たらい水哲学」とか、「水五訓」とか、水に関するたくさんの名言が存在します。
どうも水は、人の思いとか、哲学的な思想と相性が良いようです。
機会があれば、またご紹介したいと思います。 

児童虐待をなくすためには、周囲のみなさんが子どものSOSサインに気づき、通報していただくことが、何より重要です。SOSサインに1つでも気づいたら、迷わず自動相談支援センター☎072-724-6233(夜間・休日は自動相談所全国共通ダイヤル☎189)へお電話ください。 

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