穏やかに。

わたしも 世界中 穏やかに・・。

愛ちゃん入院・・

2014-11-25 08:54:16 | にっき
昼過ぎまで ダラダラと 食欲との闘いみたい カンジだったけど

3時ころ 施設から 愛ちゃんが具合が 悪いということで 救急車・・。



有名なT西に 運ばれた。


けど 家から 遠いし 以前も 入院したときに 看護士の態度が すごく 悪い


病院が 超人気ということで 休日でありながら すごく 混んでいる


だから なのでしょうね・・ 看護士の忙しそうな 態度や 受付の人たちも 顔が みんな


怒り顔・・



そこで 2時間 待っていたら  愛ちゃんのかかりつけの 病院へ 移れることになり


救急車での移動




娘親子も 6時過ぎに やってきて


愛ちゃんと 逢うことができ


愛ちゃん やっぱり とても 可愛い!!!


わたしは 医師に 『痛みのある治療は もう やらないでください』


ということで 心臓マッサージ  人工呼吸器とかの 延命はしないと


誓約書を書いた。



愛ちゃんは 孫や 曾孫に逢うと とても 嬉しそうな顔で


 『頑張る』と 普段 声を出すことも なかなかできないのに


はっきりと 言った・・。


顔が どんどん 嘘いつわりのない 実に良い 顔・・。


胸が 一杯になる・・



心臓マッサージで こういう 文章をみつけた


感激・・。




≪幸せな 看取り≫

「先生、テレビでやっているようなことは、一通りやってもらわないと困ります」

ご家族から求められて、少々、呆然としました。蘇生拒否の合意を得ようと説明したときのことです。90


高齢者に心臓マッサージをすれば、肋骨はボキボキ折れます。除細動器で電気ショックを与えれば肉が焦げる臭いがします。気管内に挿管すれば喉は傷つき、歯が折れることもあります。麻酔をしているわけではないので、これらの痛みは、朦朧とした意識のなかでもご本人に伝わります。もしかしたら、最期の記憶とは、こうした激しい痛みに満ちたものとなるのかもしれません。

なんて話、なるべくしたくありません。脅迫するかのように蘇生を拒否させるのは、近しい死に直面したご家族にとって、悲しみを助長することにもなりかねないと思うからです。それでも、ご家族が「医学的にはほとんど無謀とも言える延命処置」を要望されたときには、あるいは要望させないために、こういう話をしてしまうこともあります。いつも後味は悪いですね。

同様の後味の悪さが、最近のメディアの論調にある、延命処置や胃ろうなどを紹介しながら尊厳死を読者に理解させようとする報道にもあります。「病院の死」について無関心だった頃と比べると、とても良いことだとは思うのですが、「死のネガティブキャンペーン」が展開されているような不安を覚えるのは私だけでしょうか? あたかも「だからサッサと死んだ方がマシでしょ」といったメッセージが込められているかのようです。

たしかに「死」とは肉体による「いのち」の排泄行為であり、とても衆目に許せる類のものではありません。ただ、「死」とは黄泉における「いのち」の出産行為ともいえると私は思います。「死とは光に満ちた何か」であると(出産がそうであるように)私たちは希望してもよいのではないでしょうか?

ときに宗教家は、その「光」について涅槃寂静とよんだり、復活への祝福だとしたりして私たちを勇気づけてくれるのですが、残念ながら罪深い無明の私には霞んで見えておりません。ただ、それでも私たちは「幸せな看取りがあること」を忘れてはならないと思うのです。

10年前、こんなことがありました。

私は福岡の国立病院で1年目の研修医をしていました。季節は冬で、病院玄関には大陸からの冷たい寒気が吹き込んでいました。そして、午後7時をまわった頃、心肺停止状態の老人を乗せた救急車が夜間外来に到着しました。

80代の男性。確認すると瞳孔は完全に散大し、呼吸も心拍もありませんでした。つまり、医学的には死亡を確認できる状態でした。茶色く朽ちたような身体に、パリッと糊の利いた白いシャツが印象的でした。その夜の研修医当直だった私は心臓マッサージを引き継ぎました。救急隊員の説明によると、その老人は自宅の居間でテレビを観ていたはずでしたが、妻が買い物から帰ってきたときには息をしていなかった、とのことでした。

長らく肺気腫を患っていたようで、まあ、老衰による死と受けとめてもよい状態です。私は心臓マッサージを続けながらも、心肺蘇生のプロトコルを先に進めることに葛藤を感じていました。つまり、気管内挿管(チューブを気管のなかに挿入して人工呼吸を効率化する)、静脈路確保(血圧を保つべく点滴を開始する)、エピネフリン注射(強心剤を投与して心拍再開を促す)・・・。「ちょっと待てよ。本当にやるのか?」と私は躊躇していたのです。

そのとき、やはり当直をしていた指導医の中田先生が処置室に入ってきました。患者の妻と思われる高齢女性と一緒です。私は自分にのしかかっていた倫理的責任の重荷から解放されて、肩の力が抜けるのを感じていました。あとは指示に従うだけでいい。情けないことですが、私には決められなかったのです。私がすべきことはマッサージに専念することだけでした。

やがて、中田先生がいろいろと妻に説明しているのが耳に入ってきました。御主人の心臓も呼吸も止まっていたこと。蘇生によって戻る可能性はほとんどないこと。どうやら気管内挿管は免れそうです。あとは、妻が蘇生措置について「もう結構です」と言ってくれるのを待つばかり。心臓マッサージのリズムに白いシャツが揺れていました。

しかし、その腰は折れ、何かに捉まっていなければ立ってすらいられないような妻が5分後に下した判断は、経験の長い中田先生にとっても初めてだったということです。心臓マッサージをしている私のそばに、よろよろと歩いてきてこう言ったのです。

「あの~ すいまっせん。あたしにやらせてはもらえんとでしょうか。すいまっせん。お願いします。教えてください」

私は、あっけにとられて中田先生をふりかえりました。中田先生もびっくりした顔をしていましたが、一言、「教えてさしあげなさい」と私に指示しました。

看護師が、背の低い妻のために、急いで足台を持ってきました。台に昇った妻に、私は手の置き場所と力加減を手短に教えると、「よ~ わかりました。これで良いですか?」と言って、弱々しくはあるけれども正確に心臓マッサージを開始したのでした。白いシャツがふたたび揺れはじめました。私が小さく頷き、「お上手ですよ。それで結構です」と言うと、妻は満足そうに、なんと微笑みすらこぼして、夫に語りかけはじめたのです。

「お父さん。あんたは、な~んも自分のことができんかったけん、あたしがずっと一緒におってやったとよ。しまいにゃ心臓すらあたしが動かしちゃらんといかんごとなって、情けなか人やねぇ でもね、あたしは幸せやった。楽しかった。覚えとるね、中洲であんたが喧嘩したときのこと・・・」

心臓マッサージを続けながら、夫に訥々(とつとつ)と語りだした妻に、救急のスタッフたちは呆然としました。いったい何がはじまったのかと、他の仕事をしていた看護師たちも集まってきたほどでした。

しかし、中田先生は片手を振って、スタッフたち全員に処置室を出ろと合図しました。人工呼吸を担当していた看護師もその場を外されました。私も彼女の後ろであっけにとられていましたが、はたと気がついて急いで外に出ました。こうして、処置室は妻と真の意味で死を迎えつつある夫だけとなりました。

それから10分ぐらいが経過したでしょうか。処置室のドアが開いて妻が出てきまいた。そして、救急スタッフたち全員に繰り返し深々と頭を下げて、妻はこう言いました。

「御迷惑をおかけしました。もう結構です」

妻の目には涙のあとが残されてはいましたが、しかし満足そうな微笑みを浮かべていました。おそらく、逝ったばかりの老人もそうに違いないと、あのとき私は思ったのでした。

※ 個人情報保護の観点から人物背景等を一部改変しています。

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