今日は終戦記念日であり、テレビでも関連のニュースが流れていました。
日本国民として、先の大戦については真摯に受け止めなければいけないでしょう。その昔、韓国に旅行に行った際、ただ、私が日本人というだけで、激怒したハラボジ(おじいさん)に追いかけられたことがあります。何故か、私は「ミヤナミダ、ミヤナミダ」(スイマセン、スイマセン)と逃げることしかできませんでした。
振り返ると、ハラボジは日本語で私を叱責するような話をしてきたのですが、私は韓国語で謝りながら逃げたので、深追いしてこなかったのではないか・・・と思っています。もし、日本語で謝る、あるいは、抗弁するようなことを言えば、手に持っていた杖で殴られていたかもしれません。
日韓には深い問題があり、全てが真実なのか、虚構なのか、私には判断できません。しかし、あの時、追いかけてきたハラボジにとっては、自分の経験として日本から受けた恨みを私にぶつけてきたので、それは、なんら、嘘偽りのないものだったと思っています。
やはり、戦争は悲惨であり、どうすれば回避できるか、そして、どうすれば世界平和を維持できるかを真剣に考えなければならないでしょう。
さて・・・8月15日ですが、もう一つ、大きなイベントがあります。そう、放送大学大学院の出願がスタートします。出願期間は今日から8月31日まで。わずか2週間ほどで締切となってしまいます。そして、今回見送ってしまうと、また1年間待たなければなりません。
お金がないのは辛いもの。研究テーマがあるにもかかわらず、今回、私は出願を見送ることといたします。「社会経営科学プログラム」でイギリスのNVQと日本のビジネスキャリア制度を比較し、現在日本の社会人のキャリア形成について考察する予定でしたが、資金不足で断念します。国立大学文系といえども、長男の学費は結構かかるし、高2の次男も理系を狙っているため、私立進学も睨んで、今のうちに資金を蓄えておかないと、家計は破綻してしまいます。
それにしても、長男の半期の学費で、私の場合、放送大学大学院2年分の学費が賄えるのに・・・そう思うと、複雑な感情が湧き上がってきます。
もし、自分が修士の学位を持ってなければ、定期預金を解約するなり、金融資産を売却するなりしてでも、放送大学大学院への入学を試みたことでしょう。でも、既に4つの修士を持ち、来年には5つ目の修士を取得する予定で、しかも、放送大学大学院は過去に1度修了している立場からすれば、これ以上、自分の大学院のためにお金をかけることはできません。なんせ、修士は1つでも修士、5つでも修士以外の何ものでもないのですから。
とはいえ、修士の学位を持っておらず、将来、何らかの事情で修士の学位が必要かもしれないという方なら、確実に、このチャンスは押さえておいてもらいたい。やはり、放送大学大学院は日本でもトップクラスの廉価な大学院だし、かなり高い確率で修了できますから。こういうときこそ、東進ハイスクールの林先生の「今でしょ!」って言葉を思い出していただければと思います。
日本国民として、先の大戦については真摯に受け止めなければいけないでしょう。その昔、韓国に旅行に行った際、ただ、私が日本人というだけで、激怒したハラボジ(おじいさん)に追いかけられたことがあります。何故か、私は「ミヤナミダ、ミヤナミダ」(スイマセン、スイマセン)と逃げることしかできませんでした。
振り返ると、ハラボジは日本語で私を叱責するような話をしてきたのですが、私は韓国語で謝りながら逃げたので、深追いしてこなかったのではないか・・・と思っています。もし、日本語で謝る、あるいは、抗弁するようなことを言えば、手に持っていた杖で殴られていたかもしれません。
日韓には深い問題があり、全てが真実なのか、虚構なのか、私には判断できません。しかし、あの時、追いかけてきたハラボジにとっては、自分の経験として日本から受けた恨みを私にぶつけてきたので、それは、なんら、嘘偽りのないものだったと思っています。
やはり、戦争は悲惨であり、どうすれば回避できるか、そして、どうすれば世界平和を維持できるかを真剣に考えなければならないでしょう。
さて・・・8月15日ですが、もう一つ、大きなイベントがあります。そう、放送大学大学院の出願がスタートします。出願期間は今日から8月31日まで。わずか2週間ほどで締切となってしまいます。そして、今回見送ってしまうと、また1年間待たなければなりません。
お金がないのは辛いもの。研究テーマがあるにもかかわらず、今回、私は出願を見送ることといたします。「社会経営科学プログラム」でイギリスのNVQと日本のビジネスキャリア制度を比較し、現在日本の社会人のキャリア形成について考察する予定でしたが、資金不足で断念します。国立大学文系といえども、長男の学費は結構かかるし、高2の次男も理系を狙っているため、私立進学も睨んで、今のうちに資金を蓄えておかないと、家計は破綻してしまいます。
それにしても、長男の半期の学費で、私の場合、放送大学大学院2年分の学費が賄えるのに・・・そう思うと、複雑な感情が湧き上がってきます。
もし、自分が修士の学位を持ってなければ、定期預金を解約するなり、金融資産を売却するなりしてでも、放送大学大学院への入学を試みたことでしょう。でも、既に4つの修士を持ち、来年には5つ目の修士を取得する予定で、しかも、放送大学大学院は過去に1度修了している立場からすれば、これ以上、自分の大学院のためにお金をかけることはできません。なんせ、修士は1つでも修士、5つでも修士以外の何ものでもないのですから。
とはいえ、修士の学位を持っておらず、将来、何らかの事情で修士の学位が必要かもしれないという方なら、確実に、このチャンスは押さえておいてもらいたい。やはり、放送大学大学院は日本でもトップクラスの廉価な大学院だし、かなり高い確率で修了できますから。こういうときこそ、東進ハイスクールの林先生の「今でしょ!」って言葉を思い出していただければと思います。
私はとりあえず目先の修士論文に集中して、終わってから考えようかと思ってます。
いずれにしても自分のペースで出来るのが生涯学習の良さですね。
ファンとして応援しています。
とりあえず、放送大学大学院は論文を提出できれば、よほどのことがない限り、修士の学位は授与されると思っています。なんせ、2年で修了する方が6~7割ですので。
とはいえ、生涯学習を志すものは、自分の納得感が大切です。その昔、明星大学大学院に在籍している時に、納得できず、もう1年時間をくださいと指導教官にお願いしたときのことを思い出します。
でも、たかだか2年でできることは限られています。「納得感」と「あきらめ」の調整が難しいのかもしれませんね。
仰せの通り、修士の学位がなくとも研究は可能です。ただ、生来の「怠け者」なので、誰かがお尻を叩いてくれないと、いくらでもサボります。本当、意思が弱く、易きに流されやすい性格なので困ったものです・・・
あと、大学院に在籍している理由は、あわよくば博士課程に進学できないかと、指導教官を探している意味もありました。研究が非常にニッチなので、適切な教育機関と指導教官が見つかりません。
でも、今の段階で指導教官が見つかっても、進学困難ですので、一旦、自分を解放してあげることとしました。
振り返ると、大学院在籍10年間。よく耐えたと思います。ただ、この10年間で未来を決することができなかったのは、不幸というより、自分のふがいなさだと猛省しております。
>「修士」というものを得られなくても、研究はできるのではないでしょうか。
つたない私の経験から言うとやっぱり「目標」と指導教官がないと研究はなかなか進まないものだと思います。
やはり修士のコースで指導教官に尻を叩かれながらやった研究はある程度のレベルになります。
また
私も学位授与機構でいくつかの「学士」を取得しましたが、この場合は「目標」はあっても指導教官がいないのですが、レポートの内容は後から考えれば「それなり」にとどまります。もちろん同一系列の論文をいくつか出していけば論文のレベルはそれなりに向上してくるのですが、、
teraさんなら、指導教官さえいれば、尻を叩かれなくても立派な研究ができることでしょう。
あと、機構の学位についてですが、私は次の10月期がとりあえず、最後の試験となります。teraさんも、学士の学位を山のように取得されいらっしゃいますが、私も、今まで、よく頑張ってきたと自分を誉めてやりたいと思っております。
正直、あと何年かすれば、学士の数もteraさんに追い越されるかもしれませんが、とりあえず、来年からは放送大学の全科履修生となって、楽しみながら生涯学習を継続していきたいと思います。
言うなれば「研究」を控えめにして、「教養」に軸足を置くような感じでしょうか。