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釜山市民公園にまつわるお話

2014-03-06 | 釜山のニュース

 釜山市民公園にまつわるお話~

釜山市民公園の敷地は1910年に日本によって強制的に占領されてしまった後、2006年に米軍部隊閉鎖により2010年1月、釜山市の返還されました。つまり100年以上も異邦人の所有にあったというわけで、20世紀の屈折した韓国近現代史の象徴的名場所と言えます。

この土地は日帝強占期の初期のころは娯楽施設である競馬場として利用され、その末期には騎馬隊·臨時軍属訓練所など日本の軍用地として使用され、1945年の解放後は、米軍政統治を経て、1950年韓国戦争の勃発により再び駐韓米軍釜山基地司令部(キャンプハヤリア)として利用されました。

1995年以降釜山地域の市民団体が集まり、「我が土地ハヤリア返還市民対策委員会」を結成し、釜山市が所属した返還のための協議を進め、市民·釜山市·市議会·区などの民間が力を合わせ、市民決意大会などを展開し、返還署名運動などをし、大規模な市民運動をしてきました。

2002年から始まった韓米間の連合土地管理計画(LPP : Land Partnership Plan)協商が最終妥結され、既存の部隊移転計画の白紙化および2006年に閉鎖が決定したことにより、市民と釜山市は再び「敷地無償譲与を求める運動」を展開し、政府との根気強い話し合いの末、2005年に支援法を制定し公園造成経費の67%を国費支援とする根拠をつくりました。

釜山市は公園の土地を2004年「クンリン公園地域に指定し、2006年に環境調査と市民へのアンケート、公開討論会などを開催し、公園造成の基本的名構成についての話し合いを経た後、2007年公園の基本設計を完成させ、2009年実施計画の認可を受け、2011年8月、ついに歴史的名釜山市民公園造成起工式に至りました。

公園造成のための基本構成として「流れと積み重ねの充積地を意味する(Alluvium)」の概念を提示したアメリカのジェイムス・コーナーの案をもとに「記憶、文化、楽しさ、自然、参加」という5つのテーマをもつ歴史と文化が共存する未来の希望都市釜山を象徴する公園造成に拍車をかけています。

 


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