明治の時代も学歴なんだなあ、
ということがよくわかる、らんまん。
江戸時代に寺子屋みたいなところで色々教わりました、では通用しなかったのかな❓それに、あの頃は大学もまだできたばっかりで、更には学校教育の制度もまだまだ未熟だったと思うのですが、やっぱり学歴なんですね、と思いました。
今後、東京大学への出入りは禁止となると思うのですが、そこで一つ疑問に思ったことがあるのです。それは、
マキシモビッチ博士への連絡は個人ではできなくなるのでしょうか❓ ということ。
また、今後、マキシモビッチ博士はお亡くなりになると思うのですが、その後は新種の問い合わせは誰にするのでしょうか❓
学歴がなくても、新種の問い合わせ及び発表は個人で可能ならいいですが、大学を離れた後はどうするのかな、とちょっと疑問に思いました。
それにしても、ドラマの万太郎さんが言っているように、多くの植物に出会うという事を考えたら、確かに大学で授業をしている時間ももったいない時間でしょう。
学校に行かなかったからこそ、多くの新種を発見出来た牧野博士。現代からしたら、本当に稀有な存在です。
今の世の中でも、ある一つの分野で飛び抜けた才能を持っている人には、学校に行く時間が無意味なことに思えてくるかもしれません。将棋の藤井棋聖は高校を自主退学していますが、将棋であれほどの才能があれば、高校で将棋と全く関係のない授業を受けている間にも、将棋のことを極めたい、と思っていたことでしょう。
さてその後、いろいろあっても植物の道から離れなかった牧野富太郎博士は、人々の働きかけで理学博士の称号を得ることが出来るのですが、学歴社会ではそれはまた大変珍しいことだと思います。
人々が当然に思うほど、植物の道を日常生活から極めていたのだ、と納得。
そして誰よりも長生きして、病気になったら天皇陛下からお見舞いの言葉を頂戴するとか、亡くなってからも文化勲章を頂戴したり自分の名前がついた植物園が出来たり、そしてこうしてテレビのドラマの主人公になってしまう、ということを考えれば、才能がある人には必ずしも学歴は必要ないとも思えます。
もしも今、いろいろあって高校も行けなかった人が例えば地球物理学を極めたい、と思ったら、やっぱり大検受けて大学に行って、ということになるんでしょうね。
ものすごく天才だったら、大学に行っていなくても直接NASAとかで働くことは可能なのでしょうか❓
学歴がないからこそ、牧野富太郎という人物が誕生したとも言えそうです。
火事があった霧ヶ峰ではニッコウキスゲが咲き始めたようです。