【言霊・ロゴソロジー 6-2-5】
禊祓(みそぎはらい)まで6
[『古事記』「夜見国の段」](よみのくにのくだり)5
「[千引石](ちびきいは)
さて、それでもなお、まだ気がすまんというところですな。
今度は外語の本尊「伊邪那美命」自らが追求されたのであります。
それで「伊邪那岐命様」は、「黄泉比良坂」のところに「千引石」を置かれ、要点はこれにあると御明示になった。
「百」(もも)の「原理」は一通り聞いても、また一体その外語と異なる最要点は何かー。
それは「千引石」であると示されたのである。
「千引石」「三十二」の統一の「音」。
すなわち「子音」をいいます。
「道」を「引」いている「石」(いは)。
すなわち「言葉」。」
「「三十二」の「子音」は「父音」[父韻]と「母音」の結合した結果音で、「父母両音」の系統。その「血」を「引」いている「言葉」である。
この「血」は、「父母両方」の意思を継ぎ、円満なる「道」を生ず。夫婦喧嘩も子供で止まる。「道」は「子」にあり「子音」にある。」
「「血」に「千」を当ててあるのは、「百千万栄える将来」を意味し、目出度い数の「音子」(おんじ)とせるなり。
かかる「道」の「音」が、外語にありやと問答されたので、外語にはないので「伊邪那美命」が閉口されたわけです。
(仏教では「三十三天」と言って,帝釈天(たいしゃくてん)は「三十二天」を従えて、仏に仕えるということをいう。「三十二天」はこれをいっているので、日本の「三十二統一音」がそれとはなしに伝わっているのである。根源はこの「子音」である。)。」
「「事戸を渡す」とは、「言葉」の区切りを付けられた意。
「千頭絞り殺さむ」(ちかしらくびころさむ」とは、「道」を教える(「チカシラ」ー「道神知ラ」(ちかし))に行き詰まらんの意。」
「ー日本語の最優秀なるは理解された。ここに最後に念を押しておく意において、かくはいわれたるならん。」
「「伊邪那岐命様」のおっしゃるには「千五百産屋立ててむ」。
すなわち、言葉をどしどし作っていくから,さらに困らない。
「五十音」で,その「音」を組み立ていけば、何でも出ますから一向に困らないというわけです。
時代の進むにしたがって、物事をいい表す言葉の古いのが廃れていっても、それより多くの新語をどしどし作っていくー。
その様子を「千人死(ちひと)に、一日(ひとひ)に必ず千五百人なも生るる。」(『古事記』「夜見国の段」)と申せるのであります。)」
「[黄泉津大神、道敷大神、道反大神、塞坐黄泉戸大神](よもつおほかみ、ちしきのおほかみ、ちがへしのおほかみ、さやりますよみどのおほかみ)
「「黄泉津大神」とは外語の原理神。
「道敷大神」とは、以上の如く追求研鑽の結果、「真(まこと)の道」を認識せしめた「大神」という意。
「千引石」を「道反大神」と申すのは、「事戸を渡し」日本語と外語との区切りを付け、両語の「道」の「異」なれる要点を指摘し、双方を「反」(そ)らせた意。
また「塞坐黄泉戸大神とも謂(まを)す。」(『古事記』「夜見国の段」)も、これによって外語との区切りを付けた「大原理」なりというわけ。
「伊賦夜坂」(いふやざか)は「八文字」(はちもんじ)の「性」(さが)の意で、「言葉」の「文字」の「性」(「夜」は「八性」の「音」を「文字」に表せること)。」
「言霊学事始 山腰明將講演録『言霊』から始まる新言霊学宣言 言霊学会編 七沢賢治監修 和器出版」
禊祓(みそぎはらい)まで6
[『古事記』「夜見国の段」](よみのくにのくだり)5
「[千引石](ちびきいは)
さて、それでもなお、まだ気がすまんというところですな。
今度は外語の本尊「伊邪那美命」自らが追求されたのであります。
それで「伊邪那岐命様」は、「黄泉比良坂」のところに「千引石」を置かれ、要点はこれにあると御明示になった。
「百」(もも)の「原理」は一通り聞いても、また一体その外語と異なる最要点は何かー。
それは「千引石」であると示されたのである。
「千引石」「三十二」の統一の「音」。
すなわち「子音」をいいます。
「道」を「引」いている「石」(いは)。
すなわち「言葉」。」
「「三十二」の「子音」は「父音」[父韻]と「母音」の結合した結果音で、「父母両音」の系統。その「血」を「引」いている「言葉」である。
この「血」は、「父母両方」の意思を継ぎ、円満なる「道」を生ず。夫婦喧嘩も子供で止まる。「道」は「子」にあり「子音」にある。」
「「血」に「千」を当ててあるのは、「百千万栄える将来」を意味し、目出度い数の「音子」(おんじ)とせるなり。
かかる「道」の「音」が、外語にありやと問答されたので、外語にはないので「伊邪那美命」が閉口されたわけです。
(仏教では「三十三天」と言って,帝釈天(たいしゃくてん)は「三十二天」を従えて、仏に仕えるということをいう。「三十二天」はこれをいっているので、日本の「三十二統一音」がそれとはなしに伝わっているのである。根源はこの「子音」である。)。」
「「事戸を渡す」とは、「言葉」の区切りを付けられた意。
「千頭絞り殺さむ」(ちかしらくびころさむ」とは、「道」を教える(「チカシラ」ー「道神知ラ」(ちかし))に行き詰まらんの意。」
「ー日本語の最優秀なるは理解された。ここに最後に念を押しておく意において、かくはいわれたるならん。」
「「伊邪那岐命様」のおっしゃるには「千五百産屋立ててむ」。
すなわち、言葉をどしどし作っていくから,さらに困らない。
「五十音」で,その「音」を組み立ていけば、何でも出ますから一向に困らないというわけです。
時代の進むにしたがって、物事をいい表す言葉の古いのが廃れていっても、それより多くの新語をどしどし作っていくー。
その様子を「千人死(ちひと)に、一日(ひとひ)に必ず千五百人なも生るる。」(『古事記』「夜見国の段」)と申せるのであります。)」
「[黄泉津大神、道敷大神、道反大神、塞坐黄泉戸大神](よもつおほかみ、ちしきのおほかみ、ちがへしのおほかみ、さやりますよみどのおほかみ)
「「黄泉津大神」とは外語の原理神。
「道敷大神」とは、以上の如く追求研鑽の結果、「真(まこと)の道」を認識せしめた「大神」という意。
「千引石」を「道反大神」と申すのは、「事戸を渡し」日本語と外語との区切りを付け、両語の「道」の「異」なれる要点を指摘し、双方を「反」(そ)らせた意。
また「塞坐黄泉戸大神とも謂(まを)す。」(『古事記』「夜見国の段」)も、これによって外語との区切りを付けた「大原理」なりというわけ。
「伊賦夜坂」(いふやざか)は「八文字」(はちもんじ)の「性」(さが)の意で、「言葉」の「文字」の「性」(「夜」は「八性」の「音」を「文字」に表せること)。」
「言霊学事始 山腰明將講演録『言霊』から始まる新言霊学宣言 言霊学会編 七沢賢治監修 和器出版」







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