goo blog サービス終了のお知らせ 

シンガポール&美浜 発信 文左衛門の部屋

写真集★シンガポール&美浜の海・景色・街・食
私小説★男女・愛・起業・歴史・外国・人生
コラム★心の梅雨を飛ばす気

心に根っこ 人生に彩り 1205 言霊・ロゴソロジー 7-2-1無限重要

2025年04月19日 00時32分15秒 | 日記
【言霊・ロゴソロジー 7-2-1】無限重要

三貴子(みはしらのうずみこ)出現3

[『古事記』「御身滌の段」(おほみまそそぎのくだり)1

「さて、以上の修習によって、「百神」の決定的「両児島」(ふたごのしま)の記事を理解しうる段に入るのであるが、これが「上瀬」(かみつせ)うんぬん以下の記述である。」

「「セ」とは音性上、徹底せる「理性」の「音」故、「五十音」上に鑑みれば「アオウエイ」に帰する。
 この「アオウエイ」を、河の流れの様にとりて、「上瀬たるアは瀬速(せはや)し,下瀬(しもつせ)たるイは瀬弱し」となります。
 「ア」は「感性」で「五感」に感じた、そのままでは性急(せいきゅう)でよろしくない。あたかも小児のそれ如きものである。」

「「イ」は「個性」で、練成修行を積まざる人間の元来、固有性では薄弱な物である。
 よろしく「中瀬」「オ」「ウ」「エ」の意識ないし、「直感」の道場において「霊」すなわち「ミ」を注入ー滌(そそ)がざるべからず[滌(注がなければならない。」

「そこで、この「中瀬」(なかつせ)にしたがって、練磨せられたのである。
 「堕迦豆伎」(おりかづき)[中瀬に降りかづきて、滌ぎたまふ時に]とは,「行」的にいえば、
修養練磨することである。
 「言葉どおり申せば、したがって「書き継ぎ」である。」

「[八十禍津日神、大禍津日神]
 (やそまがつひのかみ、おほまがつひのかみ)
 そのとおりに「書き継ぐ」と、「アイオウエ」で、次の「八十禍津日神、大禍津日神,神直毘神(かむなほびのかみ),大直毘神(おほなほびのかみ)、
伊豆能売神(いずのめのかみ)」となる。」

[すなわち、「中瀬」中における修業之第一着は、「音図」なき乱立の「言葉」の「繁」く盛んな(穢き繁国-きたなきしきぐに)のに接しておったときに得た乱れを矯正するにある。
 「汚垢」(けがれ)「ケガレ」とは、「毛枯レ」にて正気(せいき)なきをいいます。
 「音図音」は、正気あるも、外語はただ「音」というだけです。
 発しうるのみの「野生音」なるところより、かくは称せるものである。」

「「毛枯レ音」に「八十禍津日神」と「大禍津日神」が成らせられたと書いてある。
 すなわち、前神は「ア」、後神は「イ」に相当し、触感性と個性音である。
 単なる感情や個性発揮の動きでは「禍」(まが)ったことである。知識否直感に訴えての行動に非ざれば不良である。」

「「八十」(やそ)というのは、母体より生み落としたばかりの子の数、という意義を表す数字にて、「母音」[五音]と「半母音」[五音]を除ける数は「四十」(よそ)。
 この「思想」数「四十」と「実現」数「四十」の合計「八十」
(これについては「天孫御降臨」の条の「百敷の大宮」(ももしきのおほみや)の「音」数を参考とするを可とす)。」

「完全数は「百」なり(母体も含みあり)ー。
 「思想」と「実現」の各「五十」の合計ー。
 この「百」中,母体を除きて単に表現せる数が「八十」。
 すなわち,根本を考慮せざる数理にして、この現されただけの意義を示すことは「ア音」の性そのものである。」

「[神直毘神、大直毘神、伊豆能売神]
 (かむなほびのかみ、おほなほびのかみ、いずのめのかみ)
 これにおいて,次の「禍直し」(まがなおし)の御行動を生ずるわけです。
 智性「オ」たる客観には「神直日」(かむなほひ)[神直毘](かむなほび)。
 情性「ウ」たる主観には「大直毘」(おほなおび)[大直毘](おほなおび)。
 見直し聴き直しーとなる。
 この「直日」が理性「エ」たる直観に働き、相通、動交して,主観我。
 すなわち、自我が神我と化し、心田(しんでん)を開き羊を現す境地になる。
 これを「伊豆能売神」(いずのめのかみ)と申すのである。」

「言霊学事始 山腰明將講演録『言霊』から始まる新言霊学宣言 言霊学会編 七沢賢治監修 和器出版」
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 心に根っこ 人生に彩り 120... | トップ | 心に根っこ 人生に彩り 120... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

日記」カテゴリの最新記事