文淵の徒然なるかな

日々の徒然なるのを綴る

適当

2013-11-05 07:48:57 | 日記
何かまともに書き上げようとする意識が邪魔をして、書く手が止まる

書かなければならない状況であるならば、尚更に意識が邪魔をする

なら適当に書けばよい

思いつくままに、文章を一文を適当に並べて書き尽くせばよい

書けば書くなりに書けるのだから、ただやみくもに一文を適当に並べる

意味も理屈もない配列もない

書き殴る


右側から入り左側から出る辺りに一方通行社会の摩訶不思議が存在する。貧しさは見識をもたらし快適を学ぶ機会だと考えるとあながち悪いものではない。段ボールを侮る事なかれ、箱から住まいまで世界に名だたる段ボールなのだ。窓から侵入する手口が横行するなか、画期的な防犯アイテムが生まれ侵入者を重さ10トン近くある重量物が侵入者を押し潰し、破られた窓からの更なる侵入を防ぎますが、ご自宅のペットやお子様を誤ってしらみ潰しにする危険性と大事なカーペットや家具に拭いされない思い出を残す可能性があるために販売中止の予定のところを奥様方の熱いご要望に応えて販売します。電気ポットより電気ケトルの方が熱い湯を楽しめるというのに保温性の観点から電気ポットの優位性が変わらない。バケツに水汲んどいてと穴の空いたバケツを手渡されたのだが、これは死ぬまで水汲みが貴様にはお似合いだ!という暗喩なのだろうか、はたまた穴の空いたバケツを補修できるのか否かとバナナと箱と棒の猿の思考実験のように試されているのかと考えた挙げくバケツを放り投げて、一心不乱に泳ぐことにした。朝起きたら右手がマウスに変貌していた、クリック音
とレーザー光が悩ましい、おそらくこれは遺伝子レベルでの発光だと思い込みたい、配線を辿ると単1が直接はんだ付けされているのは、そっと見ない事にした。








久しぶりに書きさしにした適当な駄文に手をつけて、ふと連続性というまやかしに囚われているのだと気づく

一から十の連続性が物語だと思い違いをしている

全体の構文にあたる内容でのも指せるという事実を忘れていた

結論や結果とは必ずしも連続性や正確表記を必要としていない

言わずがな……というやつだ。勿論共通認識に基づいた手法だが、簡単な予想予測しやすいものならば、結論や結果は表記する必要がない

例えば

通勤途中に激しい腹痛に襲われる。もうじき目的の駅なのだが、たどり着く事なく、車内には異臭が漂い初めた。

近所には高い崖がある。親からは近づいてはならないと言われていたが、禁止されればされるほどに、反抗したくなる。だが言い付けを守れば良かったと後悔する間もなかった。


連続性はあるが結論や結果を書かなくとも、指す事はできる。

さすがに連続性のない結論や結果を書く力はないので割愛する

何をいわんや、言わずがな、全ては必要ない。連続性という幻想が消えた。


しかし導入という壁がまだいるのだと気づく。無意識と意識では大きく違う認識できれば、問題は解決したと言える

と思う(笑)

書けなくてもがいてた残骸、消してしまおうかと考えたが、役にたった 

無駄なものはないな