コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

真宗カウンセリングワークショップ

2008-09-29 00:23:15 | コミュニケーションワーク
昨日・今日と真宗カウンセリングワークショップでした。
とても濃密な二日間。

世話役ということで、準備の時点からいろいろと動く心境があったんですが、今はそういうことを追っかける感じの気持ちじゃないですね。
もちろん、それも貴重な流れなんで一度押さえておきたいとは思っています。

でもそれよりも、”今の感じ”を、ぶれる前に言葉にしておきたいなと思っています。
内容の流れや具体的なこと抜きの”感じ”なんで、人には伝わらないと思いますが、それよりも自分のために出しておこうという。

”熟成されていく”という言葉がまずあります。
カウンセリングを通じて、出来上がっていく”関係”ということをいろいろ考えているのは私にとって大いなる学びです。
そこを順番につづると長くなるので今は割愛。

この二日間で感じたのは、「ここは何を言ってもいいし、自由に振舞っていい、そして守られた場であり時間です」ということ。
それを今までの研修会などでは、時間が限られ短いことでもあるので、「そういうルール」として決めていた感じがあります。
もちろん、今回も主旨の中のひとつとして、また大事なこととしてこのルールは明示されています。

でも、そういうこちらで決める・意識するということではなく、二日間ワークを進めていくことで、参加者の居場所が自然に「わきあがってくることをそのまま言葉にしていける」という空気・関係になっていったのを感じるし、関わり方はいろいろあれど「あなたを大事にする」「わたしを大事にする」ということが、知識や理解ではなく、深まっていく感じがありました。

わたしなど、ついつい自分が経験させていただいたことを「説明」することもあったのですが、そういうことなしでも、目の前で繰り広げられる”関わり”に自分も一緒に居て、体感として「気付き」「成長」していく姿を浴びています。

そこに法のお勧めが加わる場面もあるのですが、導いたり、引き出したりするのではなく、すべて自身の内側から「気付かせてもらっている言葉」としてあふれ出してくる、またそれをゆっくり待っている空気が尊かったです。

理屈や頭の理解のところでは、二日間じっくり時間があるからとか、この顔ぶれだからとかいう「条件がそろった」ということも出てくるのですが、それは条件ではなく、「それが今、ここのすべて」ということも言える気がします。

また改めて、振り返りながら大事なことを押さえたり、次のステップにしていったりということもすると思いますが、今は自分のうちにともされた灯をそーっと抱えていたいし、照らされる大きな光にも手を合わせていたい…。

いや、まったくもって言葉にすると独りよがりですね。

心にはいっぱいエネルギーをいただきましたが、身体のエネルギーは絞りつくしました。

ご一緒させていただいたみなさま、そしてM先生に感謝です。
そして南無阿弥陀仏

念仏することがご報謝…