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とうとう一児のパパ 愛娘のため今日も頑張る そんな僕の超私的日記

ぶらり一人旅旅行記 その1

2006年03月10日 | My Life
今日の朝8時に大阪伊丹空港を出発し、一路鹿児島空港へ!!約1時間ほどで
到着する。 鹿児島は暑いぞ~ なんだこの暑さは、朝っぱらというのに20℃
を少し下回る位の気温だ。コートを脱いで、第一目標である知覧行きのバスの
時刻を確認、バス到着まで25分ほどあったので近辺をうろうろする。おっ空港の
入口に足湯発見! しかしメンテナンスのため本日は休みとのこと、ちぇっ残念
せっかく無料だったのに~。そうこうしてバスも到着し、乗り込む。
知覧までは2時間弱ほどかかるらしい。しばし南国の風景を楽しむが、
如何せん高速道路(九州自動車道)だから景色が似ていていつの間にか爆睡
気がつくとさらに田舎な景色になっていた知覧までもう少しだ。
知覧のバスセンターに到着した。 ここから特攻平和記念館までは4㌔ほどの距離
があるらしい。別に苦もなく歩く。途中サクラや菜の花が咲いていて不思議な気
がした。我が故郷 札幌は雪が降っているというのになんて日本とは広いのだろう
数十分歩き、芝生のきれいな公園が見えてきた。
この奥に記念館があるみたいだ。
まぁこの記念館も頻繁にメディアに出るようになって観光地化していた。
多くの人が訪れて歴史の1ページを少しでも認識してくれたら、
それはそれで嬉しいことではあるが。
記念館周辺に「三角兵舎」があり、(複製ではあるが)当時隊員達が出撃まで
こんな粗末な狭苦しい兵舎で過ごし、涙したと思うと心が痛かった。
そして館内に入る。入口には大きな絵画が飾られている。特攻機、隊員、
そして隊員を天まで運ぶ数人の天女、これが圧倒的な存在感を出していた。
中に進むと有名な特攻隊員の顔写真が出撃日順に飾られていた。
そこには、氏名、出撃日、歳、出身地と書かれており、最年少の隊員は何と
17歳!! 今で言えば高校2・3年生である。そんな少年達に
爆弾を抱かせ、飛ばした責任は誰にあったのだろうか?まさに国をあげての
狂気の沙汰である。そしてほとんどの特攻隊員が20歳前半の若さで散っていった
この事実。使用した航空機はほとんど旧式のものが多く、
どう考えてもそんなものにクソ重い爆弾を抱かせ、敵艦船までまともに行くこと
すら難しかったであろう。

これを見て自分の小ささに気がつくところもあった。この時代の人々は
生きるか死ぬかの選択すらなく、ただ死ぬことしか選択できなかったのだ。
そう思うことができ、ここに来て本当に良かった。(その2に続く)

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