かつて、愛知県の北東端に富山(とみやま)村がありましたが、最盛期でも人口は千人程度の非常に小さな村でしたが、2005年に豊根(とよね)村に合併されて、今では北設楽郡豊根村大字富山となっています。
wikiの記述によると:
>急峻な地形で平地はほとんど見られない。愛知県で一番山の奥にあった山村である。民家は急斜面に石垣を築き、その上に建っている。 村の東部は佐久間湖(佐久間ダムのダム湖)が広がっている。年平均気温が14℃、霜日数約150日、根雪日数約5日と夏は過ごしやすいが、冬はやや寒い。
・・・・・とあります。
そこに、八嶽山(やたけさん)という良い山があるということで、前から行きたく思っていました。
今回は膝の回復度合いを測る意味で、この山を歩くことにしました。
しかし、最奥の場所であることから、我が家からたかだか120kmの距離なのですが、往きに4時間も掛かってしまいました。
位置 ↓
黒丸の中の赤い部分が今回歩いた場所です。
実写 ↓
2/16日に歩いた三ツ瀬明神山の山頂から見た、八嶽山・袖山の姿です。南アルプスの雪を纏った仙丈ヶ岳の前では地味すぎますね。
カシバードで確認 ↓
カシバードで山名確認します。
実行図 ↓
今回は他のルートが崩落などで通行不能と言うことでしたので、やりたくはない、ピストンで歩きました。
断面図 ↓
ピストンで歩きますので左右対称形になります。
佐久間湖 ↓
佐久間ダムは天竜川に設けられた日本有数のダムで、高度経済成長を支えた原動力となったものでしたが、ダムにせき止められた湖水が佐久間湖で、旧富山村はその湖岸にあります。
否、その言い方は不適切でありました。 佐久間ダムの建設に伴って村の中心地区が水没することになり、全人口の約1/3が離村することになったのでした。
現在の中心部 ↓
佐久間湖と集落の様子はこうなっています。
この日は目覚まし時計の設定を間違えてしまい、寝坊をして、ここに付いたのは午前11時少し前で、歩き始めたのは11時を過ぎていました。
岡崎・新城で交通渋滞に遭い、狭い山道ではスピードが出せずに、全行程の平均時速は30km弱となりました。
目抜き通り ↓
愛知県道が通っていますが、交通量は少ないですね。
読めない看板 ↓
木製の案内看板がありましたが、古くなっていて、判読が困難でした。
「八嶽山大谷登山口へ」と書いてあるようです。
ここから取り付く ↓
車道を離れてこの階段を昇っていきます。
坂道に人家 ↓
坂道を上っていきますと、両脇に人家が点在しています。
茶畑 ↓
坂の地所ですと耕作するものは限定されてきますね。ここでは茶畑が目に付きました。
神社の参道 ↓
神社の参道も当然階段となります。
社殿 ↓
ここではもとからあった熊野神社に、あとから諏訪神社が合祀されたそうです。
神社の軒端 ↓
目を左右に振って、山の登り口を探して居ます。
登山口 ↓
ここが登山口となります。数字の「1」と言う標識がありますが、この数字は順次増えていき、山頂は「17」の少しだけ上部にありました。
始めは合目標示かと思い、おそらく「10」が頂上ではないかと推測しましたが、それは違っていました。
wikiの記述によると:
>急峻な地形で平地はほとんど見られない。愛知県で一番山の奥にあった山村である。民家は急斜面に石垣を築き、その上に建っている。 村の東部は佐久間湖(佐久間ダムのダム湖)が広がっている。年平均気温が14℃、霜日数約150日、根雪日数約5日と夏は過ごしやすいが、冬はやや寒い。
・・・・・とあります。
そこに、八嶽山(やたけさん)という良い山があるということで、前から行きたく思っていました。
今回は膝の回復度合いを測る意味で、この山を歩くことにしました。
しかし、最奥の場所であることから、我が家からたかだか120kmの距離なのですが、往きに4時間も掛かってしまいました。
位置 ↓
黒丸の中の赤い部分が今回歩いた場所です。
実写 ↓
2/16日に歩いた三ツ瀬明神山の山頂から見た、八嶽山・袖山の姿です。南アルプスの雪を纏った仙丈ヶ岳の前では地味すぎますね。
カシバードで確認 ↓
カシバードで山名確認します。
実行図 ↓
今回は他のルートが崩落などで通行不能と言うことでしたので、やりたくはない、ピストンで歩きました。
断面図 ↓
ピストンで歩きますので左右対称形になります。
佐久間湖 ↓
佐久間ダムは天竜川に設けられた日本有数のダムで、高度経済成長を支えた原動力となったものでしたが、ダムにせき止められた湖水が佐久間湖で、旧富山村はその湖岸にあります。
否、その言い方は不適切でありました。 佐久間ダムの建設に伴って村の中心地区が水没することになり、全人口の約1/3が離村することになったのでした。
現在の中心部 ↓
佐久間湖と集落の様子はこうなっています。
この日は目覚まし時計の設定を間違えてしまい、寝坊をして、ここに付いたのは午前11時少し前で、歩き始めたのは11時を過ぎていました。
岡崎・新城で交通渋滞に遭い、狭い山道ではスピードが出せずに、全行程の平均時速は30km弱となりました。
目抜き通り ↓
愛知県道が通っていますが、交通量は少ないですね。
読めない看板 ↓
木製の案内看板がありましたが、古くなっていて、判読が困難でした。
「八嶽山大谷登山口へ」と書いてあるようです。
ここから取り付く ↓
車道を離れてこの階段を昇っていきます。
坂道に人家 ↓
坂道を上っていきますと、両脇に人家が点在しています。
茶畑 ↓
坂の地所ですと耕作するものは限定されてきますね。ここでは茶畑が目に付きました。
神社の参道 ↓
神社の参道も当然階段となります。
社殿 ↓
ここではもとからあった熊野神社に、あとから諏訪神社が合祀されたそうです。
神社の軒端 ↓
目を左右に振って、山の登り口を探して居ます。
登山口 ↓
ここが登山口となります。数字の「1」と言う標識がありますが、この数字は順次増えていき、山頂は「17」の少しだけ上部にありました。
始めは合目標示かと思い、おそらく「10」が頂上ではないかと推測しましたが、それは違っていました。
お元気ですね~。
回復の度合いはどうでしたでしょうね。
ご無理は禁物です。
案内板の周りの石垣のイワヒバに驚いてしまいました。
お見事でした。
回復されているといいですね。
お陰さまで何とか無事に往復してこられました。
この山は登りも下りも一本調子で、往きは登り専門、復路は下りばかりという単調さでしたので、制御をしやすくて、その所為かどうか、膝には酷く負担のかかることはなかったようです。
それでも昨日は一日を通して具合が悪かったのは事実です。
本日は軽く屈伸運動も出来るまでに持ち直してきています。
小生も先ほど気付いたばかりなのですが、この案内板の付いている石垣にはイワヒバがびっしりと着いていたのですね。
目地をセメントで埋めないからこそ出来る芸当でしょうね。
それにしてもイワヒバをこんな場所でこれほど沢山見ると、面食らいますね。
消耗品の膝をこれからも大事に、適当に使いながら付き合っていくようにします。
120kmドライブお疲れ様でした。
この山は、以前はもっと整備されていたようですが、余りにも山奥、また過疎もあり前回登った日本ケ塚山と同じで登山道がだいぶくたびれているようです。
合併して豊根村ですが財政状況は、ダム関連の収入と国からの交付金が主ですので厳しいですね。
今回も青空に恵まれたようで、晴れ男襲名ですね。
楽しい記事を楽しみに読まさせて頂きます。
孫にパソコンを占領されてしまい、今まで場所が空きませんでした。
今回は出発時間が遅くて、岡崎市と新城市で交通渋滞を拾いました。
目的地までまさか4時間も掛かるとは思いませんでしたが、よく考えると妥当な線だったかもしれませんね。
この山を歩いて一番感じたことは、登りの道が途切れることなく続き、大変効率的に高度を上げることが出来たことでした。
また、山の雰囲気はとても素晴らしくて、これで眺望に恵まれさえすれば愛知県内で屈指の山に数えられるのは間違いありませんね。
しかし残念なことに肝心の部分の眺望はすべて樹木の枝に遮られていて、これが返す返すも惜しいことだと思いました。
昨今の財政の逼迫した状況はこういうところにも、振り分けられてしまい、かなり苦しい胸の内のようですね。
山道や道標が適当に補完されてないことからもそのことが窺えるように思いました。
青い空は大変ありがたいことでしたが、展望の点では相変わらずの雨男・枝男ぶりのようでした。
そうなると電車で水窪まで通うことになるのでしょうか。(県を越えての越境入学)
南隣の日本ヶ塚が気になっており状況が確認できました。ありがとうございます。
車のルートは高速で一旦、静岡県まで入り鳳来峡まで出た方が早そうです。
ひざはゆっくりと直してください。
義務教育の場が遠くになってしまい子供たちには気の毒なことですね。
スクールバスを出すのでしょうか、それとも村営バスが特別なコースを走るようになるのでしょうかね。
人口が減少して良くなる事は少ないですね。
この村の現状は、日本の将来の姿が凝縮されているように感じてしまい、他所事ではなくなりますね。
日本ヶ塚山は一昨年の12月に歩いたところでしたが、そのときは道の崩落などで周回する事が出来ず、雪の中をピストンした記憶があります。
天気が良くなかったので、眺望が利かないことが心残りでした。
アプローチについてはそういう選択肢もあったのでしたか。これは気付かないことでした。
ひとつ勉強させていただきました。